8-26 墳墓混迷
ちぢれた黒髪で長身の老人。それが目で見た第一印象。
他方、「眼」で見た印象は大きく変わる。
立ち昇る鈍色の魔力は実体を感じるほどに濃く、上位者たる知恵の女神や太陽神に迫るほど。この要素だけでも只ならぬ存在だと理解させられる。
豊穣神バアル。あるいは、嵐神バエル。
銀系統の魔力ということは、今は神としてこの場に顕れたということか。
〈──! その醜悪なる姿、あの時の邪神か。魔神とつるんでいようとはな〉
「虫の如き降魔をとる貴様が、何をほざく!」
「おわッ」
突如乱入してきた神の分析を進めるも、大魔法のぶつかり合いで強制中断させられた。
大広間を覆い尽くす暗闇に、それを打ち払う幾条もの紫電。
下半身が引き延ばされた内臓のようになっているニグラスと、彼女の宿敵たるバアル。出会って五秒の魔法バトルである。
彼女が豊穣神を恨んでいることは過去の話から察していたが……これほど激烈だとは。完全に見誤っていた。
「むう、あれがバアルか。並々ならぬ魔力だが……妾の『竜眼』ですら、アレから魔の気配は感じんぞ」
「やっぱりか。ティアマトさんたちも会ったことがある風だったし、そうだろうとは思ってたけど。『竜眼』を誤魔化すってあり得るんだな」
「もう、何を暢気に。相手は上位魔神ですよ? 早くニグラスさんに加勢しないと危険です!」
エスリウの言葉でドンパチ真っ最中だったことを思い出し、魔神と精霊のぶっ殺し合いに参戦する。
「貴様さえ、いなければ!」
有翼系臓物美女と化したニグラスは遠距離主体。スマルトブルーな魔力を迸らせ、大小様々な闇魔法を乱れ撃つ。
〈フッ。信仰がなければ下位神程度か。差が付いたものだな? 邪神ニグラスよ〉
対するバアルもまた同様。しかしその威力は隔絶している。
闇の大魔法を飲み込む暴風も、闇の閃光を打ち砕く雷光も。
要所要所でしか放たれていないというのに、彼の魔法は彼女の猛攻を圧倒する。
「くう……!」
力の差は歴然。さっきの俺と竜人との戦いを再現したようでさえある。
しからば、如何にするか?
「──あんたもニグラスをハメた魔神なんだ。卑怯とは言うまいな?」
〈ん!?〉
答え: 周りを囲み、数の暴力でボコるべし。
相手がわざわざ単独で顕れたのだ。この利を生かさず何とする?
「消し、飛べ!」
「燎原烈火っ!」
「冰天雪窖っ!」
俺が雷魔法をぶちまけるタイミングに合わせ、三方向から必殺級の魔法が殺到し──炸裂!
魔神の炎に雷に、竜の冷気に精霊の闇。
混ざり合ったそれらは色とりどりの輝きとなって拡散し──神の建材を突破し、結界すらぶち抜く大爆発となった。
「ぐべばッ!?」
当然、そのとんでもない余波は俺をもぶっ飛ばす。
ですよねー。
(ロウ、ご無事ですか?)
「ぐおっほ……ふっ飛ばされはしたけど、衝撃波くらいのもんだし。平気平気」
瓦礫の山を蹴っ飛ばし、一人山からひょっこり生還。
黒刀から送られてきた念話は深刻ではなく、銀刀に至っては念話すらよこさない。
実際平気なんだけども……こいつら最近、俺のことおざなりに扱い過ぎじゃね?
(ついさっきまでお前さんが竜に対して怒り狂っていたから、控えていたんだよ。全く、こっちの気も知らずに)
「そっすか。なんだかすまんね」
形ばかりの謝罪をきめつつ、現状確認を急ぐ。
散乱する瓦礫に、倒壊した壁面、崩落済みの天井。大英雄に祈りを捧げるための大広間は、星明かりが降り注ぐ神秘的な空間へと変貌していた。
(人族社会にとって重要な意味を持つ霊廟を完全に破壊しといて、何呆けたこと言ってんだ?)
(少々詩的なことを言えば誤魔化せると思ったのでしょう。ロウですから)
「そういうこと気付いても言わなくていいから」
空気の読めない曲刀たちに憤りながら、夜空を仰ぎ見る。
〈……クハッ。クハハハッ!〉
響く哄笑、煌めく緋色と鉛白色。
神と魔神の魔力を迸らせるのは、ちぢれた黒髪を逆立たせる老神だ。
壮麗だった衣服は乱れに乱れ、手も足も焼けたり凍結したり穴が空いたりと傷だらけ。上位魔神といえど、消耗度合いは少なくないらしい。
俺とエスリウは結界により力が減じていたが、ウィルムとニグラスは全力全開のはず。むしろ、よくあの程度に抑えたというべきか。
〈くはは……奴はフォカロルとその血縁以外、取るに足らないと言っていたが……中々どうして。餌を使った甲斐もあったというものだ〉
鈍く艶めく黒い歯を見せ、笑みを深めるバアル。ただそれだけで、天がどよめき気流が荒れて、豪雨雷光が降り注ぐ。
魔力を解放するだけで天候を激変させる様は、あの古き竜たちを彷彿とさせる現象だ。こいつの場合は“嵐神”ということも関係していそうだが。
「派手に天候変えちゃったけど、いいのか? お前のこと、神にもバレるぜ?」
〈くはは、魔神が神をあてにするか? だが、奴らは来まいよ。なにせ──〉
「──魔神を祓う、私が来たからね」
「!?」
突如割り込んできたのは聞き覚えのない朗らかな声。
その声の主もやはり見覚えがなく、黒髪黒目の美青年。
端麗な容姿ながらどこか東洋を感じさせる彫の浅めな顔立ちに、クセではねたやや長めの髪。白装束の上からでも分かる筋肉の盛り上がりには、実戦の中で鍛えられたような機能美が見て取れる。
そして何より──その身より溢れ出ている虹の魔力。絶対強者の持つそれだ。
「この魔力……まさか、古き竜……か?」
「頂点たる存在と見られるのは悪くはないが、世を乱すものと同じ扱いをされるのもな」
墳墓の奥からやってきたらしい青年は、鼻を鳴らすと光の粒子を集めて剣を生成。
華美な装飾のそれを握ったかと思うと──無造作に薙ぎ払った。
「うほあぁッ!?」
((!?))
右から左へ流すだけ。
そんな単純極まる所作ながら、起こった事態は甚大そのもの。
大広間(元)を埋め尽くしていた瓦礫の全てを、光の波動で綺麗さっぱり押し流してみせたのだ。
(今のは魔力の刃、なのか?)
(崩れかけていたとはいえ、何でもない動作でこの建物を破壊するなんて……)
「なんつー滅茶苦茶な……って、感心してる場合じゃねえぞ!? あいつらは──」
【──カアッ!】
無事か──と気に掛けた瞬間、胸から突き出す血まみれの腕部。
「ぐッ、てッめ……!?」
腕の主は先の竜人。
つまるところは息を潜めた背後からの奇襲。
俺たちの大魔法か、はたまたさっきの光の波動か。いずれかの衝撃で意識を戻していたのだろう。
【カハハハッ! 状況はよう分からんが、貴様を殺せるならば何でもよい。さあ──内から捩じれよッ!】
高笑いを聞く内に捩じれを感知。貫かれた胸を起点に、俺の内側を絞り引き込むような力が荒れ狂う。
「げぶッ……」
(ロウっ!?)
背骨を伝い脳髄に直接ぶち込まれる振動。
千切れ潰され捏ねられる神経の信号。
断裂する筋肉と破れる内臓の発する悲鳴。
それらは俺が人間だった頃ならば、一秒と経たずにショック死していただろう激烈な痛み。
さりとて──いずれも問題なし。
この俺が、魔神たる俺が。
内側を蹂躙された程度で怯むかよ。
「……まどろっこしい。殺すなら、最低でも解体しろよな」
血反吐を吐きだし準備完了。
己が両腕を半降魔へ移行して、内で暴れる“捩じれる”権能を、“虚無”でもって捻じ伏せる。
【……あり得ん。何故動ける!?】
「言うかよ、馬鹿が」
突き刺さる腕をへし折り、それをかえし代わりに相手を拘束。
「くッたッばッれェ!」
お膳立てが完了したところで──肘打ち、頭突き、後ろ蹴りをしこたま叩き込むッ!
【お゛ッ、ごッ、あ゛ッ!?】
「はははッ! 遠慮すんなよ、なァ──!」
秒間数十発もの豪打連撃ぶちかまし──攻撃の気配を俄かに察知。
瞬時に身を翻し、突き刺さっていた腕を切断。クソ野郎を壁にして、光波と雷撃をやり過ごす。
【ア゛ガアァァッ……】
「あらら。酷いことしやがる。炭になっちまったじゃんか」
「蹴る殴るしたうえで盾にした君が言うか。……この外道ぶりに、胸を貫かれても死なない生命力。やはり魔神とは祓わなければならない存在のようですね、バアル様」
〈……不完全な召喚だったとはいえ、邪竜ニーズヘッグをこうも容易くあしらうか。この者は明らかに上位魔神だ。心してかかれ、カラブリア〉
「うん? カラブリア?」
炭化した竜人を放り捨て回復に勤しむ中、不意に聞こえた聞き覚えのある名前。
カラブリアといえば行方不明になった騎士のはずだが……はて。
バアルはどう考えても現れた青年へ話しかけていたが、かの騎士は灰色髪の青年。瞳だって赤かったような気がする。顔立ちに至っちゃ西洋美形だし、黒髪黒目なこの青年とはまるで似ていない。
会って間もない俺ですら、一目で彼ではないと判断できるほどだ。
(……ロウ、なにやらきな臭いです。あの人物も、この状況も。ひとまず竜は死にましたが、気を緩めないでくださいね)
「分かってるよ。……こんだけ派手に騒いでるのに神が来る気配もないし、結界のせいで魔力感知が上手くいかない。罠にハメられてるのが間違いない現状、油断なんてあり得んよ」
憑依状態へ移行する黒刀に答えつつ、半降魔状態の腕に権能を伝わせる。
権能を帯びた漆黒の魔力を押し固めて創り出すは、あらゆるものを曖昧とする“手甲”。物理現象魔法干渉問わず一切を不確かとする盾であり、矛だ。
「闇で防御を固めたのか? 我が光の聖剣に対する答えがそれとは、なんとも邪悪な魔神らしい。……バアル様、隠れている女性たちはお任せします。この魔神に唆されている者を手に掛けるのは、抵抗があるので。……私ではやりすぎてしまう」
〈よかろう〉
「「「っ!」」」
気配を断って機を窺っていたニグラスたちは、既に気取られていたらしい。やんなっちゃうね全く。
状況は一対一と三対一。
仕切り直しの始まりだ。
◇◆◇◆
聖剣を創り出した光の粒子を再度操り、今度は純白の鎧を生み出すカラブリア。
溢れる光と共に装着する様は変身ヒーローのようで、なんだかとっても格好良い。
「殿下のみならず、あれほど美しい女性たちを手籠めにする。仮に魔神でなくとも、君の所業は許されるものではないな。命でもって贖ってもらおう」
白き聖剣の切っ先を向け、居丈高に語る鎧男である。
前言撤回。全身真っ白でうっとおしいわ、これ。
「手籠めて。いきなり滅茶苦茶な言いがかりつけんなよ。つーかあんた、カラブリアって呼ばれてたけど、どういうことだ? あの騎士の人とは別人だし。カラブリア・エステって名前、何人もいるのか?」
「下種に語る言葉は無い!」
「おひょうッ」
すげなく問答が打ち切られ、代わりに聖剣光波が飛んできた。
神の建材すらやすやす削る光の波は、受けずとも分かる超威力。明らかに人の領域から逸脱した力である。
「おおぉぉッ!」
そんな破壊力を発する真っ白男だが、運動能力も凄まじい。
竜たる速度にあったニーズヘッグより確実に速く、ギルタブを憑依させた俺すらも上回る。それも力にあかせた動きではなく、培われた技術が見えるよい動きだ。
「ハハッ! 避けるだけで手一杯か!」
「……」
上段からの振り下ろしは深く踏み込まれ、振り切られた次の瞬間には刃が翻る。
逆袈裟に斬り上げたかと思えば、下がりながら斬り払い、そこから怒涛の連続突き。切れ目なくつながる攻撃は、それはそれは見事な剣技である。
加えて、時折差し込まれる光の魔法。彼の周囲で漂う光球が自動で光線を放つことで、ほんの僅かな隙をも潰す。
正しく絵に描いたような完璧さ。一見すると付け入る余地など無いように思える。
だが──。
「……おままごとだな」
「き、貴様……ッ! 何故刀を抜かない!」
──彼の剣技は、綺麗に過ぎる。
動きこそ洗練されているものの、型にはまったそれは頗る分かりやすい。速度が凄まじかろうと予測が利くのだ。
魔法も同様。
飛んでくるのは要所要所の溜め段階。発射地点が浮かぶ光球と分かっていれば、事前に空間魔法を置いておけばそれで終わりだ。
おまけに虚も実もない単なる急所狙いの攻撃となれば、もはや俺が手こずるわけがない。
「抜かせてみろよ。実力でさ」
「この、ガキがッ! 舐めやがって!」
「おぉっと? 地金が見えるぜ? 大英雄!」
手首を返してくいくい指を動かせば……激した男の剣は加速する。
「死ねッ! 死ねよ!!」
「お断りでーす」
振った先数百メートルを深淵なる谷とする、剛剣振り下ろし──剣の腹に手を添えふわりと逸らす。
振り下ろしから瞬時に返った、地を這う斬り上げ一閃──回り込むようにして軽やかに身を躱す。
逃がしはしないと半回転しながら繰り出される、空裂く剛閃薙ぎ払い──深く沈み込み、身長差を生かしてぬるりとやり過ごし……ここで攻勢反転。
「──」
余裕を剥ぎとり生じた間隙。一打ちでもって打ち崩す。
屈みこんだ状態から一気に身を起こし、しなった枝が戻るかの如き裏拳──八極拳小八極・崩歩捶を、全霊の震脚と共に叩きつけるッ!
「哼ッ!」
「ごッばぁ!?」
得物を振り抜き隙を晒す相手に、我が一撃を避けられる道理なし。
土手っ腹にめり込んだ黒い拳が純白の護りを打ち砕き、肉の内側を壊し尽くす。
震脚の音が響く頃には遠方の壁に激突していたカラブリア。どうやら、音速の数倍もの速さでぶっ飛ばしてしまったらしい。
……終わってみればさしたる傷もない。奴が如何にしてこの力を得たのか、気になるところだが。大して強くなかったし、捨て置いていいか。
というか、今のであいつが死んでいたら、俺も英雄殺しになっちゃうのか……?
いやでも、あいつから襲い掛かってきたから正当防衛だ。
ならば良しッ!
(実に魔神らしい二つ名だ)
(エスリウたちを下卑た目で見ていましたし、ここで摘んでおいた方が良いでしょう。ロウは楽々捌いていましたが、他の者ではそうはいかなかったでしょうし)
「えッ、そんな目で見てたの……? じゃあざまあみろってやつだな! それは置いとくにしても、下手すりゃ古き竜並みの接近戦闘力だったし。必要な犠牲ってことで納得してもらうか」
どこまで本当か分からない相棒の言葉を聞きつつ、雷鳴轟く戦地を目指す。
漂う火炎球やら突き立つ氷柱やら闇の大爆発やらで、彼女たちが生きていることは把握できているが……相手は謎多き上位魔神。急いで加勢せねば。





