2-4 支部長の思惑
薬草納品の依頼を受けたロウが去った後、冒険者組合ボルドー支部にて。
「~♪」
既に昼を過ぎたため、午前中がピークとなる組合には現在訪れる人数がそう多くない。受付嬢たちは暇を持て余しつつ書類仕事をこなしていた。
彼女たちの中でこの雑務は面倒で退屈なものというのが共通認識だったが、そんな中にありダリアは傍から見ても上機嫌。鼻歌交じりに書類を片付けている。
「──なーんか怪しいね、ダリア」
「おかしいね。いつものあの子なら、途中で机にあのデカい乳乗せて突っ伏してるはずなのに」
「これはアレね。男が出来て浮かれてるのよ、きっと!」
いつもとは違う様子のダリアを肴に、ワイワイと盛り上がる受付嬢ズ。
退屈な作業の中で他愛ない会話にオアシスを見出すのは、いつの時代どこの世界においても女性たちである。
「先輩方! 聞こえてますから! それに彼氏なんて出来てませんから! もう」
「「「あはは、ごめーん」」」
口を尖らせてプリプリと怒るダリアに形ばかりの謝罪をするが、彼女の頬が僅かに紅潮しているのを先輩受付嬢は見逃さない。
「本格的に怪しいね~。ああやってムキになるところが益々怪しい」
「あれだけ可愛いのに浮いた話一つもなかったから、本命がいると思ってたけど」
「でもでも、始業時はいつも通りだったよね? う~ん……まさか、今日応対した中に彼氏が居たのかな?」
彼女たちはダリアに聞こえないよう、今度は小声でお喋りへと興じる。女三人寄れば姦しいものだ。
「──随分楽しそうにお喋りしてるな? そんなに暇なら、例の異形の魔物に襲われた冒険者のところへ行って、聴取してこい」
「えー? ヤですよ支部長~。被害にあった方々、皆身体だけじゃなくて心もボロボロなんですよ~?」
「昨日修道院に行った時も、とてもじゃないけど詳細を聞ける状態じゃなかった」
「明らかに新種の魔物だってことは分かるんですけどね。具体的なことは冒険者さんたちが落ち着くまで聞き出せないと思うなー」
「そこを! 聞き出すのが! お前らの仕事だろうがッ! いいから行ってこい!」
渋る受付嬢たちを叩きだす、スクエアタイプの眼鏡と金髪オールバックが印象的な壮年男性は、冒険者組合ボルドー支部の支部長、ベルナール・リロイ。冒険者を引退し組合の支部長の座へ着いた彼だが、引退してなお都市内でも屈指の実力者である。
ベルナールに怒鳴られた受付嬢たちは、傷を負った冒険者がいる修道院へと脱兎の如く駆けて行った。ダリアも彼女たちに続こうと腰を浮かせたが、そこでベルナールから待ったがかかる。
「待て、ダリア。お前が対応した冒険者について少し聞きたいことがある。ここは他の職員に任せて支部長室についてこい」
「? はい、わかりました」
疑問に思いつつも支部長室へと向かうダリア。
今日は特に変わった冒険者は──と考えを巡らせたところで、可愛らしくも鋭い印象の褐色少年のことを思い出した。
彼女の予想は的中していた。支部長室についてからベルナールに問われたのは、まさにかの少年に関することだったのだ。
「ダリア。今朝お前が担当し新たに冒険者への登録を行った、ロウと言う名の人物について幾つか聞きたいことがある」
「ええっと、精霊使いの男の子のことですよね? 珍しい黒髪に褐色肌の、利発そうな……」
「俺は実際に見てはいないからそこは分からんが、その少年だ。その子の精霊使役者としての実力、お前はどの程度のものだと感じたか?」
「どの程度……少なくとも、二種の精霊を同時に実体化させて精霊魔法を使うくらいは、簡単にやってのけそうでした。実体化させた時も、魔力を消耗した様子がありませんでしたから」
ロウについての質問に少し戸惑いながらも、ダリアはロウが精霊を見せてくれた時のことを思い出す様に語る。
「フム。亜人用の大扉を開けて入ってきたという話を耳にしたが、その時のことは?」
「確かにあの大扉を開けて入ってきましたね。事もなげに、という風だったと思います。あの時は私だけじゃなくて、エントランスにいた全員が思わず動きを止めて注目してましたよ」
「そうらしいな。実は他の職員や冒険者からも話を聞いたが、魔力による身体強化の気配すら感じられなかったとも言っていた。隠蔽の技術一つとっても並ではないのだろう。……最後になるが、実力があるであろう彼が、何故魔物素材の納品や魔物討伐の依頼を受ける気が無いとしているか、その理由は分かるか?」
こうもロウについての質問が続くとは思っていなかったダリアは困惑したが、彼女もかの少年が採取依頼を主にこなしていく予定だと聞いた時は疑問に思い、質問していた。彼女はその時の様子をベルナールに話していく。
「必要に駆られなければ命を懸けての戦いは避けたい、と言っていましたね。どんなに強くともなんの拍子に致命的な状況になるか分からないから、とも話してました。凄く慎重な子なんだなぁ~って感じたのを覚えています」
「なるほど。しかし、それでいて危険と隣り合わせの冒険者に登録するというのは妙な気がするな」
「そこは面白い顔をして、元手が必要だからって言ってましたね」
ロウの変な顔というのを思い出したのか、ふふっと口元を綻ばせるダリア。
「一応筋は通る、か。しかし、これは殆ど確定だな」
支部長室に着いた当初から変わらずの思案顔で、顎を撫でつつ小さく零すベルナール。
「ロウ君のことで何かあったんですか?」
「他言するなよ? まあ、ダリアなら漏らすようなことは無いだろうが」
そう前置きしつつ、ベルナールは先日起きた枯色竜ドレイクの至大魔法による大災害──「枯色竜の災禍」について語った。
溶岩湖を発見した調査団はそのあまりの規模の大きさに危機感を覚え、簡易報告のための早馬を出していた。そうしてボルドーへと届いた情報が、冒険者組合の支部長たる彼の下にもきていたのだ。
大きな災害が起きたことは周知の事実だったが、伝説級の存在である竜が引き起こしたものだとは知らされていなかった。そのため、ベルナールから話を聞いたダリアは軽いパニック状態になってしまう。
「──竜ですか!? そんな、何か彼らの逆鱗に触れるような事をしてしまったんでしょうか!? まさか、ボルドーはもう──」
「落ち着け。この街の行動で逆鱗に触れたなら、とうに灰になってるだろうが」
あわあわと目を回すダリアにデコピンを見舞うベルナール。
仰角90度、垂直へと頭を吹っ飛ばされることで、ダリアは痛みと引き換えに正気を手にする。
「ふぐぅ! はっ!? 私は何を……」
「気にするな。それで、竜が災禍を引き起こした際、運悪くそこに居合わせた者たちが居たんだ。アーリア商会の代表とその護衛の傭兵、冒険者。この中にロウが居たわけだ」
「えぇ!? 何でロウ君が? まさか、あの子はロウ君に成りすましてる何者かとか──」
ベルナールの言葉でまたも動転したダリアだったが、無言で指を構える支部長を前にし、再び指を叩き込まれる前に心の平衡を取り戻すことに成功した。
「ロウが何者かにすり替わってるということは恐らくないだろう。竜の大災害級の魔法を防ぎ切った精霊使役者であることと、二種契約の使役者であることは矛盾しない」
「大災害級の魔法を、防ぎ切った、ですか?」
眼鏡のズレを直しながら語ったベルナールの言葉に、ダリアはもはやパニックを引き起こすどころか絶句している。
「そうだ。街一つを丸ごと飲み込むほどの溶岩を創り出した竜の大魔法から、アーリア商会の者らと冒険者を守った上で、生存したのだ」
「……ど、どうやって?」
「聞くところによると精霊魔法によって氷の城砦を創り、絶えず氷を精製し続けることで溶岩に呑まれるのを防いだようだ。規格外の水精霊、そして魔力量だと言っていいだろう」
「……っ」
生唾を飲み込むダリア。溶岩の侵食に対抗できるような氷を生み出し続けるなど、あまりにも荒唐無稽な話だ。
儀式魔術を使用すれば一時は耐えられるだろうが、耐え続けるなど到底不可能である。
そもそも儀式魔術は個人で扱えるようなものではなく複数人で術式を構築するものであるし、一撃の破壊や効力を突き詰めたものだ。連続での使用など想定していないし、そのような運用をしようものなら、たちまち魔力の枯渇を招いてしまう。
ましてや、魔術の倍以上も魔力変換効率の悪い精霊魔法だ。その困難さなど語るべくもない。
「ロウ君、ものすご~~~く魔力量のある子ってことですよね。大英雄様の末裔さんだったり、大魔導士様の血縁だったりするんでしょうか?」
「何かしらの秘密はあるのだろう。そしてその秘密が明るみに出ることを避けるために、討伐依頼や魔物素材収集で名を上げることを恐れている。彼が採取依頼を主にするのも、そんなところだろう」
「な、なるほどです」
自分の与り知らぬところで、早くも正体への足掛かりを掴まれてしまうロウ。あの褐色少年が知れば、たちどころに「やっちまったァー!」と絶叫することだろう。
「まあ、今の段階では状況証拠を揃えただけで物証があるわけではない。……しかし、彼が目立つのを嫌うとすると、あの件は頼めないか」
小さく息をつき、眉間をもむベルナール。
ダリアは小首を傾げるが、彼は説明する気が無いようで、労いの言葉を頂戴すると支部長室から退室を促されてしまった。
──ベルナールがロウに頼もうと考えていたのは、冒険者組合が定めた危険地帯の調査である。
ガイヤルド山脈の麓に存在する迷宮「獣の虚」周辺がこの危険地帯に当たる。これは最近定められたもので、それ以前──魔物被害が極端に増加する前は、迷宮内部も探査が行われていた。
ボルドー近隣で魔物被害が頻繁に発生しだしたころ、原因を探るために様々な調査が行われ、「獣の虚」も当然その対象に入った。
しかし、調査に向かった者たちは迷宮にたどり着く前に次々と行方不明となってしまう。次いで腕利きの冒険者や傭兵が行方不明者の捜索を行ったが……結果は壊滅だった。
幾人かは生還を果たしたものの、まともに話すことのできる状態ではなく、治療が続く今でも改善はほとんど見られない。魔術による精神異常ではなく、本能に刻み込まれるような根源的恐怖を味わったのだろう──治療にあたった神官はそう結論付けた。
この問題に頭を痛めていたのが冒険者組合支部長のベルナール。
彼にとって単独で竜の大魔法すら防ぐ、それでいて高い身体能力まで併せもつ精霊使役者は、神が遣わしたのではないかとさえ思うほどの人物なのだ。
そんな人物──ロウが今や組合員である。あの少年は表立っての行動を避けたいようだが、そこさえ解決してしまえば協力も期待できよう。竜の攻撃から己の身を護る際に周囲の人々も共に保護したことからも、その性格の一端が窺える。
如何にしてロウの協力を取り付けるか──眼鏡をはずし目を伏せたベルナールは、しばし思考の海へ沈溺するのだった。