8-9 魔神と英雄
「戻ったぞー……って、なんだか空白地帯ができてる?」
「おっかえりー」「遅いぞ、ロウ」「ようやっと戻ったか」
闘技場地下で用件を終えた後。
人々の発するうだるような熱気の中で、気持ちのいい秋風がそよぐ真昼間の闘技場。その観客席の最上部へと舞い戻る。
が、我が同行者たる美男美女の周囲は不自然なほど人がはけていた。
疑問に思い「眼」を凝らせば、薄っすら漂う金の魔力。竜の魔力の残り香である。
「暴れんなっつったよな、俺」
「ヌウ。我らは手を出しておらん。連中がウィルムやネイトに言い寄ったが故に、少々睨んでやったにすぎぬ。むしろロウよ、汝は穏便に済ませたことを感謝すべきであろう」
「全くだ。美しい妾を放っていたお前が悪いぞ、ロウ」
「そっすか。すんませんでしたー。……こりゃもうさっさと撤収するに限る──ん?」
ウィルムの的外れな指摘とひんやりとした指先を避けていると、周囲が再び湧き始めた。
「それではこれより、我らがランベルト帝国の皇女──サロメ様ユーディット様、両殿下の入場です!」
場内アナウンスの如く木霊する審判兼司会進行の声。彼はなにやら手に持っているが、拡声器のような魔道具らしい。これも魔術の応用なのだろうか?
「キャー! サロメ様ー!」
「おおほぉぉ……今日も麗しいユーディット様……」
「皇女様がカラブリア様を表彰するのか?」
「皇帝陛下には例の批判が集まってるからな。表に出てこれないんだろう」
「先日宮殿に賊が侵入したって噂もある。皇女様には聖獣様がついてるし、自分が出るより安全だと考えたんじゃないか」
魔道具へと気を逸らしている間に熱狂が最高潮となっていた。ただ現れるだけで反響は膨大だ。
皇女二人の持つ人気や影響力、帝都の内情。その一端が、彼らの反応から垣間見えるが……。
「聞き覚えがある名前っていうか、これ先日会ったあの子たちだよな? 編み込まれた金髪、物凄い既視感あるし」
(そのようですね。街で会った女性と宮殿であった女性。案の定だったようですね)
黒刀との会話通り、跪いた騎士に近づく姉妹はどちらも見覚えがある。胸の大小以外は何から何までそっくりだと思っていたが、実際に姉妹だったようだ。
「──エステ卿。魔獣を討った鮮やかな剣技、見事なものでした」
「ありがたきお言葉です、ユーディット皇女殿下。しかしながら、先ほどの魔獣程度であれば取るに足らないもの。大英雄ユウスケ様ならば、きっと『有象無象』と言って憚らないでしょう」
「ふふふ、ユウスケ様のお言葉を咄嗟に引用なさるなんて。恐ろしい魔獣を打ち倒す力だけではなく、機知にも富んでいるのですね。頼もしい殿方ですこと」
「殿下に評価していただき、光栄の至りです」
恭しく頭を垂れたまま賛辞を受け取る黄金騎士。
賞賛に慣れているのか、あの女神と見紛うばかりの美貌を持つ少女を前にしても、彼に動揺は見られない。魔神の俺ですら挙動不審になったというのに。
(お前さんは変なところで動じやすいよな。それでいて大胆にもなるし、未だによく分からんぞ)
(どうにもロウは好意が絡んだ途端、大きく狼狽えてしまう傾向があるようなのです。……あの皇女に好意を抱いたんですか? ロウ)
「何? やいロウ、どういうことだ? あんな貧弱そうな女がお前の好みだったのか!?」
「勝手に盛り上がるんじゃねえ!」
妄想を加速させて念話を垂れ流す黒刀と、それを傍受していきり立つ蒼髪美女。混ぜるな危険の典型である。
「……? なにやら一般席が騒々しいよう──っ!? あの子は!」
「サロメ、時と場所を考えなさい。エステ卿、失礼いたしました」
「いえ、私めのことなどお気になさいませぬよう。とはいえユーディット皇女殿下、サロメ皇女殿下がお気づきの通り、観客席で何某かが起きているのは確かなようです」
「そ、そうなんですよお姉さま! あの少年です! わたくしが逢ったのは!」
──とか考えているうちに、皇女に発見されたっぽい!?
「──! 貴女が語っていた通りの可愛らしい風貌……やはりあの時の少年でしたか。ものども! 一般席東側を封鎖なさい! 捕り物です!」
「なんだなんだ」「東って言うと、ここだよな?」「皇女様こっち向いてたし、この姉ちゃんたちのことじゃねえか?」「皇女様のご命令だ。取り囲んでおこうぜ」
闘技場に美声が響いた途端、あっという間に敷かれる包囲網である。
「兵士じゃなくて市民も使うなんて、結構大胆な手を使うね? あの女。私たちだと一息で殺せるから、そんな手も無駄なんだけどね」
「何度も言うけど殺しは無しだぞ、フォカロル。とりあえず、宿まで撤退だ!」
制止を無視して背後の高窓へ飛び移った俺たちは、そこから飛び降り白昼の逃走劇を開始したのだった。
◇◆◇◆
「そんな!?」「飛び降りたっ!?」「只者ではないのか、それともただ無謀なだけなのか……」
呆れや驚きの声を背中で聞きつつ、円形闘技場の最上部からのダイビング。
「いよ~──ほッ!」
転生当初は恐怖でしかなかった落下加速だが、今となっては慣れたもの。
三秒ほど地面がぐんと迫る時間を楽しみ──芝の上に両脚着地。他の面々も当たり前に着地する。
「相手は人間族だし、もう撒けたんじゃない?」
「フォカロルは見てないから知らないだろうけど、俺を見つけた皇女様って身体能力凄かったぞ。多分これくらいの高さならそのまま──!」
「ハアッ!」
追ってくるかもしれない──そう繋げる前に、黄金騎士が空より飛来ッ!
「うおっほッ。またド派手なご登場で!」
「君たちの二番煎じさ。そうでもないッ!」
上空から翔けるようにして降ってきたのは、金ぴか鎧のカラブリア。重鎧を派手に鳴らす着地で芝を抉るも、その構えは既に万全。攻撃態勢だ。
俺の軽口を軽く流した彼は会話の代わりに金刀抜き打ち。槍どころか弓の間合いから居合切りをぶっ放す!
「!」
這うように身を屈めて躱したが、頭上を通過した魔力の刃は鋭利そのもの。只の一太刀だけで剣技の熟達ぶりが窺えるほどに、彼の動作は洗練されていた。
世界を救った大英雄、その再来。風評が広まるだけのことはある。
「すげえな。街灯も街路樹も、衝撃波だけでバッサリ切れてる」
「避けたか。なるべく致命傷にはしたくないんだがね──帝国臣民に告ぐ! 大英雄カラブリアが力を振るう故、この場から出来得る限り退避せよ!」
大音声で周囲に警告を発した騎士は、両の腕で黄金の刃を振りかぶり──剛断一閃。今度は直線状を一気にカチ割る幹竹割りを披露した。
事前動作が大きいため当たりはしないが、威力としては十二分。半身となって躱したドレイクの興味を惹くほどだ。
「それなりの切れ味だな? フッ、我が少し遊んでやるか」
「遊ぶな。君は向こうにいるウィルムたちと一緒に早く戻りなさい」
「フム。ウィルムと共にあるのは我の役目であるしな。ここは汝の言葉に従っておこう」
金刀に興味惹かれる枯色の優男を窘めて背を見送り、回避から応戦へ。銀なる刃で飛翔する斬撃を斬り払う!
「──ッ!? 俺の『斬空閃』を……!」
「こう見えて俺も意外とやるんです、よ!」
黄金連斬を打ち消した勢いのまま、カラブリアへ肉薄してのぶった斬り。膂力の差でもって青年を吹き飛ばす!
「ぐぅッ!?」
軋む鎧に崩れる体勢。そこへ更なる追撃構築。
大地を動かしうねらせ突き上げ、その体勢を下から揺るがす土魔法!
「う!? 精霊魔法か! くう、足が取られる……!」
「それじゃあこれにて失礼しま──げッ」
「おほほほっ! 逃がしませんことよー!」
局所的な地震と液状化でカラブリアをすっころばし、さあ逃げるかという段で──今度は火の玉ガールのご登場。
彼女も闘技場から飛び降りてきたらしく、ところかまわず火球を撒き散らしての襲来だ。
俺やウィルムたちとはてんで無関係な位置を爆撃するあたり、凄まじくはた迷惑な皇女様である。
住民の避難が完了しているとはいえ、闘技場周辺が穴だらけとなってしまった。こんな皇女で大丈夫か帝国。
「はあぁっ!」
「どわッ!?」
落下風圧で丸見えになったドレスの内側を鑑賞していると、皇女其之二も金の長剣を引っ提げてやってくる。瞬く間に強者三人が集結してしまった。流石の立ち回りである。
(お前さんが余裕ぶっこいていたからだと思うが)
とかいう鋭利な突っ込みは聞こえない。
「サロメの下着を食い入るように見て……許せません。この場で我が聖剣の錆となりなさい!」
「あへっ!? わ、わたくしの下着、見られていたのですか!? うぅ……」
「その剣ってオリハルコン? みたいですけど、あれって確か不変なんでしたよね。剣の錆って言いますけど錆びないんじゃないですか?」
「……揚げ足取りを。サロメ! いけますね?」
「オリハルコン、錆びないのですね。なるほど、だから古の品だというのに輝いて……」
一人感心する妹へ指示を飛ばし、青筋をたてた美少女が攻撃開始。俺の言葉を切って捨て、次は身体だと細腕を振るう!
「やあぁっ!」
一振りで地を抉り土砂を巻き上げ、それが舞い上がる前に次なる金刃が躍り閃く。
腕を霞ませ一閃三閃二突一閃。回し蹴りに薙ぎ払い、巻き上げるように斬り上げてからの力ずくでの振り下ろし。
足を止めずに繰り出される皇女ユーディットの連撃は、周囲ごと刻んで砕く暴風さながら。
宮殿でも体感したが、その鋭さは高位冒険者と同等か、それ以上。そこへ黄金騎士と爆炎砲撃も加われば、亜竜どころか魔神の眷属をも打ち倒せそうな攻勢だ。
正しく英雄。人の限界を極めた領域である。
とはいえ──。
「……っ!」「当たらない!?」「馬鹿、なッ!?」
──魔神様にかかれば一捻り。人の英雄なにするものぞ。
金剣を躱し金刀を弾き、魔法を銀刀でぶった斬る。そうして相手を押し返せば、魔法の足止めが炸裂だ。
「ぐっ……以前は手を抜いていたと? この力、可愛らしい姿をしていても魔神ということですか」
「魔神!? 殿下、この少年が魔の祖だというのですか!?」
「どうもー魔神でーす。人間どもよー平伏すがいいー」
「「「……」」」
誤魔化す目もないならばと大仰な身振りを披露すれば、三人共に呆け顔で動きが止まる。
その隙に身を翻し、脱兎の如く逃走再開ッ!
「「「あっッ」」」
相手が魔法で体勢を崩していたことも相まって、物の見事に場を脱することができた。
絶大なる力を持つ者があえて道化を演じることで、対する者の虚を突き隙を創り出す。
計算通りである。魔神様の神機妙算、恐れ入ったか! ガハハハ。
(……それでいいのか?)
(ロウはいつでも行き当たりばったりですね……)
「ナハハハ。終わり良ければすべて良しってなァ──ッ!?」
余裕ぶっこいたのがフラグだったのか──眼前に雪白の魔力が集束!?
「どわっはッ!?」
雪の如く白い魔力は氷柱へと姿を変わり、瞬く間に凍れる城塞が出現。心地よい秋風が真冬の如き冴えた風へと変貌し、世界そのものが冷気で白む。
「氷の砦に冷気の靄……芝の上じゃあ、景観もクソもないな」
〈破壊を本懐とするものが景観を語るとは。やはり魔神とは度し難き存在だね〉
俺の独り言を拾ったのは、どことなく胡散臭い雰囲気が薫る美青年。顎を撫でつけ城塞の上に立つその姿も、そこはかとない怪しさが滲み出る。
しかし、その背には六対十二の大翼が生え、美しい銀髪には黄金の冠を戴いていた。
白布を巻きつけるような衣服に赤い外套をつける姿は、神々しい天使、ないし神そのものといった風体である。
「サ、サマエル様っ!?」「死神様が、直接降臨なされたのですかっ!?」
〈小さきものどもよ。この魔神は汝らの手に余る。我と聖獣に任せるがよい〉
〈機を見計らったかのようだな、サマエル。しかし油断するな。この悪辣なる魔神は中々の力を持つ〉
降臨した死神とやらに注意を払いつつ後ろを覗き見れば、有翼人面な四足獣が退路を塞ぐ。先日皇女ユーディットの胸から顔だけを出していた、あの聖獣のようだ。
前門の死神、後門の聖獣。なるほど見事に窮地である。
「なんだなんだ、俺みたいな子供に神と聖獣が二柱がかりか? 上位者だってのに情けねえもんだな!」
〈戯けめが。人の世にあだなす魔神など、確実に滅する以外道は無し。死ぬがよい〉
「ぬおッ!?」
物は試しだとで挑発したが、返ってきたのは殺意全開の灼熱ブレス。一対一とはならないらしい。
〈そういうことだ。我も心苦しいが、これも世のため人のため。ひいては貴様のためなのだ──遠慮してくれるなよ?〉
芝居がかった口上で聖獣の言葉を引き継いだ死神は、吐かれた炎を受け止め、それを凝縮。
聖炎を矢の形に押し固め、己の創る炎の弓に番えて構え──滾る閃光を射出した。
「──ヅゥッ!?」
放たれた灼熱の矢は正に閃光。魔神の知覚すら振り切る驚異の速力。
つまりは避けそこなっての直撃である。
「ごっはぁ……」
(ロウっ!?)
電車道のように芝を燃え上がらせて吹っ飛んだ先は、光り輝く強固な壁面。
奴らが張った結界だろうか? 燃え滾る光の矢に縫い留められた形だ。大きさ的に、矢というよりも槍のようだが。
(大丈夫か? まあ貫通したくらいじゃ平気だろうが……その矢、放っておくと爆発しそうだぞ)
「お前は、余裕がありすぎ、だッ!」
平常心過ぎる銀刀に八つ当たりしつつ、虚無の魔力を解放。
滾る権能を打ち消し、胸のど真ん中に刺さった矢を引き抜き、叩き折るッ!
「ガッハ……ふんがッ!」
〈ほう! 我とケルブの権能が宿りし炎をかき消すか。魔神であっても髄まで焼き尽くす魔法なのだが……〉
〈それに一瞬で傷を癒すあの再生力。牽制ではなく大火力でなければ滅しきれまいな〉
「今更ビビったか? でも、もう遅いぜ──しこたまぶん殴ってやるよ!」
(ついに街中で暴れるか……本来の標的とは違うし、適当なところで切り上げろよ?)
警戒を強める神どもを見据えて銀刀憑依。神狩りの準備が完了だ。
魔神様の実力ってもんを見せてやんよ。