8-6 宮殿侵入
エスリウたちと合流を果たした後は仕事の時間の始まりだ。
すなわち、竜信仰の集団に関する情報と魔神の痕跡を探すこと。これである。
緊急性で言えば、今にも行動を起こしそうな竜信仰の一団を優先すべき、とも思えるが──。
「魔神の調査に力を入れてほしい。そうお母様は仰られていましたね。三柱もの魔神がここ帝都で蠢動しているとなると、国どころか人族全体の脅威となりかねませんから。それに、かつて仲間だったフォカロルさんの協力も得られるなら、発見もそう難しくはないでしょうし」
──ということらしい。
血を司るという衃神に、吹き荒ぶ風の化身たる嵐神。そして激情の炎を操るらしい奰神。標的となるこれらの魔神は、いずれも上位に位置する存在なのだという。
「パパの仇だからね。早く見つけて滅ぼしてやろう」
「まだ調査段階なんだから、一人で突っ走るなよ? それじゃあヤームルさん、申し訳ないですがお留守番お願いします」
「流石に敵対する魔神がいる場に同行しようなんて思いませんから、大丈夫ですよ。セルケトさんやウィルムさんと会ってきますね」
栗色の少女を宿に送り届け、目指すは帝都中心にある巨大宮殿。
太陽神やフォカロルのお墨付きとはいえ、実際に皇帝の住まいに侵入するのは初仕事。緊張するぜ。
(ククク、緊張か。お前さんなら盗賊時代を思い出して、楽しむもんかと思ったが)
銀刀の念話で我が身の上を思い出したが、宮殿となると経験がない。まあ、ワクワクするって感情もあるにはあるが。
「うし。そんじゃあ行きますか」
頬を叩いて浮つく心を追い払う。全員空間魔法を使えるので、物陰に隠れてパパっと転移。揃って空中散歩を開始した。
「エスリウ様も慣れたもんですねえ。ちょっと前まで扱えなかったとは思えないくらい、空間跳躍が自然ですよ」
「うふふ、ありがとうございます。これもロウさんが手取り足取り、熱心に教えてくださったおかげです」
「は? なにそれ。ちょっとお兄ちゃん、どういうこと?」
「おふッ。もう宮殿の上なんだから、魔力漏らすなって!」
途中阿呆なやり取りを経ながらも張り巡らされた結界を抜け、侵入完了。
やはり、身一つで侵入するのとは難度が雲泥だ。建物の窓や小さな物音に怯え地面を歩くのと、結界にのみ注意を払いルンルン気分で空を往くのでは、文字通り天と地の差である。
流石は神の御業よのう──などと自画自賛しつつ、宮殿の離れと思われる建物付近に着地する。
離れといっても大貴族の邸宅ほどもあるその建物は、淡い色彩の大理石を主な建材としているようだ。柔らかな色合いが秋空と調和し、なんとも言えない優しい気持ちとなれる。
「あいつらとの話し合いは魔界だったり帝国の闘技場だったり、色々な場所でやってきたけど。この離宮でやったこともあるんだ。ミトラスが宮殿に逃げ込んだっていうなら何か残ってるかもしれないし、入ろうか」
「待ち構えてる可能性もあるし、慎重にな」
穏やかな気分を霧散させられたところで抜き足差し足。身体能力にものを言わせて衛兵の目を盗み、巨大な屋敷へ入っていく。
「よく会談してたって言ったけど、フォカロルってここに住んでたんだ?」
「まさか。私は魔界が拠点だよ。人の世なんて煩わしいだけだし、何よりここには『聖獣』がいるし。あいつらは何か目的があって、ここを話し合いの場としていたんだろうけどね」
「『聖獣』……大英雄ユウスケの供回りでしたか。天空神の遣わした眷属だとも聞きますけれど」
「大体あってるかな。訂正するとすれば、力が眷属の域に収まらない点。アレは神と同格だよ。魔を排除する性質も神と変わらないし、あり方も近いみたい」
「ほへぇー……って、そんな存在が宮殿を闊歩してんの? やべーじゃん。アノフェレスたちも、よくそんなところで会議なんてできたもんだな」
会議に使っていたという豪華な客間に到着し、こそこそと雑談を交わしつつ痕跡を探す。
空間魔法で別の空間に繋ぐ時に生じる、魔力の残り香。繋いだ先が魔界であれば、特徴的な痕跡が残るというが……今のところそれらしきものはない。
俺たちは全員魔眼があるし、見逃すということもないだろう。今は使っていないということか?
「痕跡、ありませんね」
「んー。太陽神が余計なことしたから、それで引き上げたのかな」
「あの“虫”に監視をつけたってやつか? あれ自体がフォカロルに寄生してたわけだし、それが帰ってきたなら場所を移すってのも自然なんじゃねえの」
「あ。それもそっか。だとしたら、帝国から移動してるって可能性が高い──!」
「「!」」
突如フォカロルが声を切るのと同時。この客間に接近する銀色の魔力を知覚!
「銀……少なくともミトラスじゃないみたいだけど。どうする?」
「空間魔法は最後の手段だ。痕跡が残るからな」
「となれば、身を隠さなければなりませんけれど」
「気配を断ったまま天井に張り付きます。できますよね?」
「なにそれ。……できるかな」「どんな発想をしているのですかロウさん……」
ぶつくさ言いつつも飛び上がり、天井へと張り付く美少女たち。スカートやツインテールが垂れ下がるその絵面、どう見ても狂気の沙汰である。
(提案したお前さんが言うか?)
身も蓋もない突っ込みを受けているうちに戸が開く。入ってきたのは金髪の少女だ。
「聖獣様、確かにこの部屋なのですか? 誰もいらっしゃらないようですけれど……」
〈……〉
「気のせいかもしれない? ふふふ、聖獣様にもそのような間違いがあるのですね」
部屋を見回した少女は一人微笑み、独り言を続ける。そこはかとなく不気味である。
聖獣という存在の姿は窺えないが……その存在が俺たちを知覚し、彼女を送り込んだというところだろうか?
「戸棚に隠れているということもありませんし……え? 上ですか──っ!?」
「「「あっッ」」」
不意に上を向いた金髪黒目な美少女と目が合い、三人揃って異口同音。
間抜けな声を上げたのも束の間──金髪少女がいきなり抜剣!?
「何者かっ!」
「!」「うわっ!?」「どひゃあッ!?」
黄金の長剣から繰り出された抜き打ち一閃は、俺たちの合間を駆け抜け斬線一過。天井どころか上の階ごと吹き飛ばす!
「あっぶねえな! いきなり天井ぶっ飛ばすって、正気かよ」
「無断で侵入しているのはワタクシたちですし、さもあらんという気もします」
「顔見られたし暴れられても面倒だし、殺しとく?」
「っ! ユウスケ様の血を引くこのユーディットが、賊如きに後れを取ると思いか!」
ほえる彼女はそのまま連撃。可憐な容姿に見合わぬ剣捌きを──って、なんか最近見た顔だな、この人。
(最近見たといいますか、昨日ロウに絡んだ女性そのものではないですか? 露店商とのやり取りの後、ロウにしつこく迫ってきた……)
「言われてみれば。身分が高そうな人だとは思ったけど、まさか宮殿住まいだったとはなあ」
「なになに、知り合い? 殺さない方がいいの?」
連続斬撃をひらひら躱し黒のツインテールを躍らせる我が妹は、いつでもどこでも物騒である。貫き手構えないで!
「知り合いじゃないけど、その選択肢は元々ナシだっての。君らは痕跡探しつつ逃げといて」
「そんなこと言って、その女性を弄びたいだけってこと、ないですよね?」
「ハハハ。そんな訳ないじゃないですかーやだなーもう」
「「……」」(はぁ……)
ジト目を向けられつつも伝達完了。
黄金斬撃を跳んで屈んでやり過ごし、ぶっ壊れていく家具を盾としながら時間を稼ぐ。
そうしてそそくさ逃げる美少女の背を見送ったところで──攻勢反転。
大振りに薙ぎ払って隙を晒した少女の懐へ、一足のもとに潜り込む!
「もらっ──ッ!?」
姿勢低く飛び込んだ──その瞬間、ドレスがはためき膝が飛ぶ!?
「ぬぐッ」
「防ぎますか。でも、まだまだっ!」
避ける間もなく肘で受ければ、逃がしはしないと黄金の長剣が翻る。
ならばこちらは殴って応戦、弾いて迎撃!
「せいッ!」
「くぅっ!? オリハルコンの刃に素手で応じるか……!」
「滅茶苦茶硬いと思えば、オリハルコンでしたか。高級品っすね……」
剣の腹を拳で殴り飛ばすも、その刀身に破損無し。竜狩りに使われるらしい最高級金属は伊達ではないということか。
のけ反り後退した金髪少女だったが、一呼吸で体勢を整え魔力を解放。俺のお株を奪うような踏み込みでもって、金なる刃を無尽に振るう!
「観念、なさいっ!」
「お断りでーす」
袈裟斬り逆袈裟、連続突きに大薙ぎ一閃。緩急自在の剣技は見惚れるほどに鋭く鮮やかだ。
迫る剣閃を手刀で弾き飛ばし、時折飛ぶ回し蹴りを掌で叩き落としながら考察するは、この美少女の戦闘力。
運動能力のみならず、身のこなしに判断力。更には虚を交えて誘いをかける強かさ。高位冒険者ヴィクターを彷彿とさせる戦いぶりだ。信じられないことに、力も疾さも彼の上を行く。確実に一流である。
容姿は酷く似ているが、動揺を晒したあの娘と同一人物とは考え難い。あの子の反応は素人丸出しだったし。
というか、この子の素性が気になるところだ。帯剣しているし常軌を逸した強さだっていうのに、煌びやかなドレスを着ているし。武闘派の貴族あたりか……?
「お嬢様、随分と足癖が悪うございますね? 下着見えてますよ?」
「賊相手に正当な剣術など不要です。好きなだけ見て逝きなさい!」
パンツウォッチングしつつ挑発するも、残念ながら空振りに終わる。
やはり昨日のあの子とは別人か。あっちの子は生足だけでも赤面してたし、もっと胸が大きかった気がするし。
(お前さん、本当大きいのが好きだよな)
(……)
阿呆なことを考えていると相棒からの殺気を受信。気が散るんでやめてください。
「そこまでだ──って、ユーディット殿下!?」「殿下と少年……?」「剣を抜いておられるということは、賊か?」
「げッ」
「その少年は聖獣様が反応した賊です。わたくしの剣も凌ぐ危険な手合い。油断せず取り押さえなさい」
そうこうしている内に、武装した衛兵たちが扉から窓から天井から湧き出てきた。
少女の言葉に従い陣を組む彼らは、一糸乱れぬ見事な動き。宮殿の衛兵だけに動きの端々から練度の高さが窺える。
「流石宮殿。人気が無いように見えたのに、警備は万全っすね」
「逃げ場などありませんよ? さあ、観念なさい。聖獣様、この少年からは話を聞きたいので、“裁き”はお待ちになって──!?」
「ん!?」
少女が兵ではない誰かに話しかけた──直後に、平たい胸から厳つい顔がッ!?
〈──〉
少女から生えた顔はぎょろりと周囲を睥睨。
その目線が俺を通り過ぎ兵たちで止まった、かと思えば口を開いての火炎放射ァ!?
「聖獣様っ!?」
「あ゛ッ……」「ぎやああぁぁぁッ!」「あ゛づ、あああぁぁ!?」
突然の凶行に曝された兵は炭化し、周囲の兵たちも余波を受けて阿鼻叫喚。あっという間に地獄絵図だ。
「「「!?」」」
──しかし。騒がしい空気は一瞬で凍り付く。
[グッ、ギィ……!]
炭化死体を食い破って生まれ出て、甲高く耳障りな音を発して炎を掻き消す白い虫。それを前に、全ての者が目を離せない。
鮮血でぬめる白く不気味な胴体部に、幾つも生え出る長細い腕部と脚部。鋭い顎、幾つも蠢く黄色い眼球。奇怪極まるその虫は、フォカロルに寄生していたものと同型だ。
何より発している魔力が臙脂色。魔神アノフェレスの眷属であることは疑いようもない。
「なっ……これも、魔神の!?」
〈距離を取れ、ユウスケの末裔。あれは今まで燃やしてきた“虫”の上位種。汝の手に余る〉
「おおう、喋ったよ。美少女から生えるおっさんの生首って、どんな絵面だ?」
[ギィィッ!]
分析している間にも白い炎と赤い烈風がぶつかり合い、灼熱の嵐が吹き荒れる。
広いとはいえここは室内。壁や衛兵たちは当然のごとく炎上し、吹き飛ばされていく。
「ぐは……。た、助かった」「……何故、我々を」「賊ではないのか?」
「火自体はどうにでもできますが、火傷が重傷の方もいます。本格的な治療を急いだほうがいいかもしれません」
銀なる魔力と赤き魔力の削り合いを尻目に、捨て置かれているこちらは巻き添えになった衛兵たちの消火活動へ勤しむ。
どさくさに紛れて点数を稼ごうって寸法よ!
(そうやって茶化さなきゃ至極真っ当な行動なんだがな)
(ロウなりの照れ隠しでしょう)
「読心すんなって──!」
数秒ほどは拮抗したが、やはり神の同格と魔神の眷属。聖なる炎が赤き風を飲み込み、力の隔たりを見せつけた。
──瞬間。少女の背後で揺らめく灰の雲!
「!? 後ろだ!」
「えっ?」
〈──!〉
灰雲から突き出された無数の剣が、振り向く少女に突き刺さる──寸前に、白い翼が護り遮った。
[……!]
〈賢しい真似を。しかし我が護りを崩すことは能わん!〉
少女を包み込むようにして顕れたのは、大人の身の丈を容易に超える四枚の大翼。
背後からの凶刃の全てを弾いたそれは、焼き尽くす烈風でもって灰雲ごと剣の山を消し飛ばす!
「うぉっほぉッ!? なんつーでたらめな……」
床を焦がし壁面をぶっ飛ばした烈風は、屋外の石畳にまで焦げた跡を残す莫大なる熱量。属性こそ異なるが、竜たるウィルムの羽ばたきを彷彿とさせる破壊力である。
〈……その反応振り。貴様は“虫”と別口か? 奇襲を知らせたことには感謝しよう〉
「ええと、どうも? わたくしめは貴方が対処した、あの“虫”を調査しているのですが──」
〈──だが、魔神は魔神。人に仇なす魔のものよ、死ぬがよい〉
「どわッ!?」
話せば分かると思いきや、いきなり熱線照射に踏み切るクソ野郎である。
「壁も床も融解してんじゃん。殺す気かよ!」
(そう言ってただろ……)
(フォカロルが言っていた通り、攻撃性がとても高いようですね。それに、ロウが魔神ということもバレているようなのです)
「ま、魔神!? 聖獣様、この少年が魔神なのですか!?」
曲刀たちから突っ込まれている間にも、俺の正体がどんどんバレていく。恩を仇で返すとは、この獣には道徳が備わっていないらしい。
「下手に出てりゃいい気になりやがって。女の子の内側に隠れてる分際で、いきがってんじゃねえぞ!」
〈我を末裔から引き離そうとする挑発。貴様の浅はかな考えなど見え透いている〉
「あ゛? 勝手に勘違いしてんじゃねえよ。イラついたからぶっ飛ばしてやろうと思っただけだっつーの。でこっぱちが!」
〈……腐れ魔神め。口を開けば雑言ばかりか。二度と口をきけぬようにしてやろう〉
広い額を嘲れば、聖なる炎に灼熱閃光、焦熱豪風が荒れ狂う。言葉が通じるため、挑発もそれなりに有効らしい。
「熱ッ!? 流石聖獣様、凄まじい熱だ」「あの少年……俺たちから、離れたのか?」「しかし、魔神と言っていたぞ」
単なる魔法なんぞ俺にあたる要素はないが、衛兵たちはそうもいかない。こちらが速攻で屋外に移動していなければ、犠牲者が幾人も出ていたことだろう。
「味方を顧みずにひたすら攻撃……聖獣って割には、中々のクソ野郎だな。ここで駆除しとくか?」
(英雄の末裔がどうのこうのと言っていましたし、使命を何よりも優先するのでしょう。関わらずに放っておくべきなのです)
(あっちの都合ってやつだろう。お前さんが憤ることじゃない。あれでも護るためにやってるんだろうさ)
「……ふぅ。それもそうか。腹の立つ野郎だけど、今日のところは見逃してやろう」
捨て台詞を吐き頭が冷えたところで、壁に隠れて上方転移。
炭化炎上融解と散々なことになっていく建物群を眺めた俺は、逃げるに限ると空を翔けるのだった。
べ、別に逃げたわけじゃないんだからね!