2-2 旅の宿「ピレネー山の風景」
夕刻。空間魔法の実証実験を一度切り上げたロウは、逗留している宿の食堂へとやってきた。
中途半端な時間だからか、そもそも宿代が高いため宿泊客が少ないのか。はたまた竜出現の凶報のためか。食堂にはロウだけだ。
いずれにしても子供独りの身としてはありがたいと、ロウは早速料理を頼んだ。事前に夕食をとる時間を伝えていたおかげか、十分ほどで配膳が済む。
(トカゲの丸焼きに蛇の唐揚げ、そして亀の鍋。何ゆえこんなに爬虫類尽くし?)
日本人だったころにはまるで縁のなかった爬虫類群を前に、やや呆気にとられたロウ。それでも、高タンパクであることは想像に難くない。ならば初体験だと少年は受け入れた。行き当たりばったりな彼は挑戦者気質なのである。
しかし、見た目を許容したは良いが、成人男性でも持て余しそうなほどの量。軽く見積もっても二人前はあるだろう。果たして子供の身に崩せるのか?
この期に及んで言葉は無粋だと思考を打ち切り、まずは小手調べと沢トカゲの丸焼きなるものへ手を伸ばす少年。
(焼いてりゃあんまり抵抗ないな。サイズが俺の頭二つ分くらいあるし、あまりトカゲ感がないからか? ……む、旨い。パサパサしてるかと思いきや、意外や意外、瑞々しい。内側に入ってた香草とよく合うな)
頭や手足が斬り落とさたトカゲを丸かじりにしてロウは唸る。骨や内臓を処理しているため頗る食べやすいのだ。途中生春巻きの皮のようなものを付け合わせとして食べつつ、瞬く間に完食した。
(ふぅ。お次はガイヤルドスネークのフライか。俺の太ももくらいの胴回りか? アナコンダかよ!)
その大きさに驚愕しつつも、ロウは大皿を手繰り寄せて唐揚げをバリバリと食らっていく。
口内を魔力で強化し、肉に付いた骨ごと噛み砕き、嚥下。その咀嚼音は猛獣のそれである。
(ガワはパリパリ、身はホクホク、骨はバリバリか。美味なり。しかし、トカゲと違ってサッパリしてるのか。臭みのない川魚に近い味わいだが、これはこれで……)
おおよそ食事中とは思えないような破砕音を響かせ、あっという間にこれも完食。コップに注がれた水を飲み干し、更なる相手へと備える。途中からロウの食事風景を覗いていた宿の主人が、すかさず代わりの水を持ってきてくれた。
(ふぃ~。きたか、亀。フォレストタートルの水炊き……亀と言えば臭いイメージだが、森にすむ亀はあまり臭くないのかな?)
友人が亀を育ていてそのニオイが堪らなく臭かったような──と朧気な記憶を振り返る少年だが、この水炊きからはそのような臭みが感じられない。
ならば恐るるに足らずと、ロウは鍋のスープを口に含む。
(くぁー! 旨ェ! なんだこれはッ!)
目を見開き歓喜に打ち震える少年。傍で見守る主人も満足そうに頷く。
鍋の中身は肉や下処理された腸だったが、恐らく他の部位でも十分に出汁をとっていたのだろう。美食家ではない彼でも感動してしまう程に、筆舌尽くしがたく滋味掬すべき味わいだった。
強烈な亀肉の旨味の広がりに、深みと香りを添えるキノコ・根菜の出汁。絶品である。
(あー旨い。幸せだ。生きてて良かった)
味がしみ込んだキノコや根菜を食べつくし、逆にうま味が出尽くしたのか多少淡白な味わいとなった亀の身を食らい尽くし、濃厚なスープを飲み干す。
大量の料理群が、少年の前から消え失せた。
「──素晴らしい!」
しばし夢見心地だったロウを、宿の主人の言葉が引き戻す。
「実に良い食べっぷりだ。チップを弾んでもらったお礼に腕を振るったんだが、まさか余さず味わい尽くしてくれるとは思っていなかった。ありがとう」
この宿の主人であるタリクから健啖ぶりを称えられるロウ。
(食べきれると思って無かったんかーい! 我ながらよく残さなかったもんだ。……中島太郎としての意識が叩き込まれてから、明らかに食事を摂れる量が増えたな。量を減らしても平気だから、問題ないといえば問題ないが)
一体この細身の体のどこへ消えていくのかと、少年は我が事ながら不気味に感じつつ、恰幅の良い料理人タリクに応じる。
「とても美味しかったので、夢中で食べてしまいました。今まで爬虫類料理を食べたことはなかったのですが、良いものですね」
「そうだろう、そうだろう! 特にこのフォレストタートルは狩られる際に内臓を傷つけ味が損なわれることが多くてね──」
料理に対する素直な言葉を告げると途端に語りだす、茶目茶髪なタリク氏。堰を切った様とはこのことである。
ロウは前世での親友の言葉「世の中を恙なく渡るための“さしすせそ”」を思い出しながら、「流石です! 信じられません……凄いですね! センスあるぅ~、そうなんですか?」を連発。何とか彼の料理談義から逃げ延びることができた。
興味のない話は適当に切り抜ける。これぞ中島太郎流処世術之二である。
(隆一の教えが無かったら危ないところだった。流石我が親友。……あいつ元気でやってるかなあ)
そそくさと部屋へと戻りながら、ふと郷愁に駆られるロウ。
空間魔法に習熟し魔力操作技術が高まれば帰ることも不可能ではないと考えているが、本当に地球へ戻れるのか、そしてあの時代に帰れるのか疑問が残る。
(考えても仕方が無いし、試してみなければ分からんか。今は到底できる気がしないけど日々成長を実感できてるし、大人になるころには何とかなるかもしれん)
ぼんやりとした不安はあれども何とかなるだろう──。己の出自に問題があったり状況に振り回されることが多かったりするが、現状人生を謳歌できている。ならば最悪帰れずとも良かろう、とも考えていた。少年はやはり楽観的である。
人生について振り返りながら、ロウは部屋へ到着した。そのまま実験を再開すべく防音魔法を構築していくが──。
(やる気も気力もチャージできたけど、まずはひと風呂浴びよう。しばらくただの水浴びだったから、自分でもわかるくらいに汗臭いし)
──元が盗賊だけに、彼は鼻が利く。己の体臭に耐えられなくなったようだ。
今回ロウが借りた部屋には浴室が備えられている。浴槽こそ存在しないが、そこは魔法で創れば解決である。
そんな考えの下ババっと服を脱ぎ去り、少年はタオル片手に浴室へと突入。
「おぉ。三畳くらいか? 中々の広さじゃないか。浴槽を作ってもスペースに余裕がありそうだ」
手入れの行き届いた石英岩のタイルは滑りづらく趣もある。備え付けられた液体石鹸は香りこそ薄いが、泡立ちが良く汚れも落ちやすいようだ。
「うーん、大学生の時の寮暮らしより数段上だな。これは是非とも良い浴槽を設えなければ! 宿の人から文句言われたら……異空間に放り込むか」
俄然気合が入るロウ。当然である。浴槽は日本人の心、湯船は日本人の魂なのだ。
空間魔法実験を通して魔力操作技術が向上していたため、浴槽程度ならば意のまま望むままに成形することが可能となっている。湯船を求める少年は紅き魔力を滾らせ、タイルと同質の浴槽を構築していく。
そうして素っ裸の褐色少年がガリガリと工事を行うこと十数分。
一枚岩から切り出したかのような、見事な浴槽が完成した。四つ足により接地面と距離をとり、排水もバッチリ可能な構造であった。
「ヤバいな。ノリと勢いで創ったけど、これは売り物になる……それも相当高額になりそう。なんかもう俺が世で商売するだけで、大量の同業者が廃業しそうだ」
今更ながら、ロウは魔法の万能ぶりに戦慄する。
とはいえ、自身のオーラの総量が他の存在の万倍では利かないほどの馬鹿げた値だからこそ成立している話である。例外中の例外故に憂いても仕方がないと、思考を打ち捨てた。現実逃避でもあった。
魔法で湯を満たし、彼は早速湯船に浸かる。その表情は至福の時よと言わんばかりにとろけている。
「あ゛~。ぅ~。堪らん……。やっぱお風呂と水浴びじゃ全然違うなあ。明日は冒険者組合で、魔物被害の情報でも集めてみるか。危険だとか近寄るなとか言われてる場所があれば、そこが稼げる場所にも人目に付きづらい場所にもなるだろうし」
日々の仕事に疲れた社会人のような声を漏らしつつ、ロウは明日の計画を練っていく。
ちなみに、ロウは己の魔法でお湯を満たしたが、浴室には備え付けのお湯を生み出す魔道具がしっかり存在する。ただ、当然浴槽を満たすような用途は想定されていないため、生成されるお湯が少ない。そのため湯量を調整できる自分自身で湯を張ることにしたのだった。
「嗚呼良い湯だ~。飯が旨い、湯が心地よい。ここが桃源郷か!?」
明日の行動指針を定めたところで仕事モードを終了し、少年が感嘆する。まともな食事や風呂が一週間ぶりだったため、今までにないハイテンションなのである。
途中冷えた湯を入れ替えるために温水を追加したり、面倒になってかけ流しの様に温水をたれ流しにしたりしながら、一時間以上贅沢な時間を過ごしたロウ。
その後彼は、風呂から上がった後も再び空間魔法の検証に努め、明け方まで実験に勤しんだ。睡眠がほとんど不要な身体となったのをいいことにやりたい放題である。
とはいえ、今回は空間魔法により膨大な魔力を消費し総量の三分の一まで減っていたため、冒険者組合へと向かう前に、ロウは二時間ほど休息をとることにしたのだった。
余談だが、清掃をするため浴室へとやってきた従業員が浴槽を見つけて仰天したため、すぐに店主タリクの知るところとなる。
無類の入浴好きでもあった彼はかねてよりその良さを啓蒙したいと考えていて、浴槽の導入を計画していた。
しかし、浴室の床にタイルを敷くことと浴室全てに浴槽を用意することは、コストの桁が二桁、理想的なものを目指すなら三桁は違うものだ。おいそれと導入などできようはずがない。
であるのに、今彼の目の前にある浴槽はまさに理想の、いや理想としていたものをも上回る素晴らしいもの。敷き詰められたタイルと同質の岩石を丸ごと浴槽として利用しているため、浴室と浴槽は見事な調和を果たしている。正に誂えた様な品なのだ。
昨日の料理談義の如く鼻息荒く部屋の主である少年に聞いてみると、なんと驚き。精霊魔法にて作成したものだというではないか。
精霊魔法ならば精霊使役者の価格は裁量次第だが、大人数で石を切り出し輸送するよりは費用が遥かに少なくなるだろう。
まずもって依頼を取り付ける。多少無茶な要求をされても背に腹は代えられまいと覚悟して少年との交渉に臨んだタリクだが……実にあっさりと快諾の返事を得ることができた。
少年はこの宿の雰囲気や食事をなかんずく気に入ったようで、この宿のためなら一肌脱いでやるとさえ言ってくれたのだ。
結果として金貨二十枚とここでの食事の自由、そして彼専用の部屋の用意をすることで、全ての客室への浴槽の配備を行ってくれる運びとなった。巨大な岩から切り出したような浴槽を浴室全てに設置してもらう対価としては、正しく破格である。
この全個室に浴槽完備という触れ込みはボルドーでも大反響となり、「ピレネー山の風景」の名は国中にまで広がりを見せる。これにより、風呂をこよなく愛する日本人の転生者たちから高い関心を買うことになるが……それはまだしばらく先のことだった。