8-3 帝都ベルサレス
ワイン畑から街道に出て、日もそろそろ頂点に差し掛かろうかという頃合い。
城壁へ近づくにつれて増していく活気はいよいよ溢れ、城門前はお祭り騒ぎの様相を呈していた。
「すんごい人だかりだなー。まだ城門の外だってのに、店も人も都市の大通りと変わらん」
「活況ですね。会話を盗み聞く限り、久々に晴れたということも影響しているようです」
隣で答えるのは黒髪美少女。人へと変じている曲刀、ギルタブである。
彼女から視点を外してみれば、人人人。屋台に露店、馬車を牽く者やら魔獣にまたがる者やら。とにかく密度が凄まじい。
客を呼ぶ声に値切りを叫ぶ声。食欲そそる肉の香りもあれば、むせるような獣臭とすえたような腐敗臭も併存する。この混沌、魔導国で見たバザールと同等か、あるいはそれ以上か。
外でこれなら中は如何ほどか──そう思い馳せているうちに城門へ到達。列がはけるのは意外にも早いらしい。
「人間族の子供二人。冒険者にその仲間とあるが……証を持っているか?」
「はい。どうぞお確かめください」
「ふむ……確かに組合員章のようだが……ん? 二種精霊使役者だと!?」
大人を含まない組み合わせだけに衛兵からは警戒されたが、冒険者の組合員章を見せるとすぐに解消。精霊使いということに驚かれるのも、もはや恒例である。
(公国に魔導国に、もう三度目か。最初から考えると三か月くらい経ったか? 早いもんだ)
(こっちとしちゃ、もうあの頃が何年も前な気さえするぞ。今までの内容が濃すぎる)
銀刀と一緒に人生を顧みる間に手続きと税金徴収が終わり、ちょっとしたトンネルのような城門を潜る。
「おほぉ~!」
薄暗がりから陽射しに照らされれば、活気横溢! 人物獣の蠢動で、五感全てが情報で溢れかえる!
「こりゃたまげた。人ってこんなにいるもんなのか」
「ロウ、田舎者と見られていますよ。止まっていないで歩きましょう」
「おっと失礼。ほいじゃ見て回ろうか」
典型的なおのぼりさん状態だったらしく、いつの間にやら周囲から注目されていた。やだわ私ったら!
(人の視線で恥ずかしがる魔神か……)
サルガスから呆れられたが、これを無視して市街に突入。買い物を始めちまえばこちらのもんだぜ。ガハハハ。
「ふむふむ……食べ物に雑貨に、掘り出し物の武器防具。帝都周辺の特産品やら工芸品が多かった城壁外と、そう変わらないか?」
「ええ。ですが、売り手に人間族が多いこと、質が外の方が高いであろうこと。二点ほど違いが見受けられるのです」
「よく見てんなー」
質云々は置いておくとして、城壁外では多く見られた亜人の商人が姿を消しているのは確かだ。これが帝国に蔓延る“人間族至上主義”の影響なのか、そこまでは量りかねるが……。
「おうおう姉ちゃん、質が悪いとは言ってくれるじゃねえか。獣混ざりや耳長より劣ってるってのか?」
思考に沈みかけるも、荒っぽい声に阻まれる。口を挟んできたのは厳つい顔をした露店商だ。
「外で商売をしていた方々のことでしょうか? 彼らのことを指すのなら、その通りだと返しましょう」
「ハッ。こりゃあとんだ節穴だ。おい皆! ここにいるお嬢ちゃんが言うには、俺たちが亜人どもより質の悪いもん売ってるんだとよ!」
「なにィ?」「なんだなんだ、この黒髪の子か?」「そりゃ聞き捨てならねえな」「ウホッ。あっちの男の子、可愛いわネェ」
「むっ」
武器を取り扱う商人らしく強面な男が声を上げると、周囲の観光客や商人たちが人垣となる。
集まった面々の表情をざっと窺えば、興味本位が三割に嫌悪感情が七割。単なる野次馬ではなく、露店商の悪意に同調する空気が支配的なようだ。
「そこまで言うならよいでしょう。貴方が取り扱う物の質が悪いということ、刃でもって証明します。ロウ、サルガスを。この店一の剣を叩き斬ります」
「いやいや、物騒すぎだろそれ。そんなことのために相手の商品駄目にするつもりかよ」
人だかりに動じもしないギルタブの発言である。なんかこの人、むきになってやしませんかね?
「あーん? そっちの坊主が持ってるひょろい曲刀で、俺んとこのマナタイトの剣を斬るってか? こりゃ傑作だ。そんな儀礼用の曲刀で、うちの実戦用の大剣を斬れるわけがないだろう」
(ム)
「あ゛?」
“儀礼用”? 死地を何度も越えてきた、サルガスが?
「そういうことなら、一発試しますか。どんな結果でも文句なし、水に流す。こんな感じで」
「……ほう。今からやるのは武器のぶつけ合いだ。魔力や魔術で自前の武器だけ強化したり、なんてのは無しだぜ?」
「勿論。後腐れなくいきましょう。……まあマナタイトって魔力の通りがいいらしいですし、そちらは強化してもいいですけどね」
「ヘッヘッヘ。随分自信ありげじゃねえか。露天商なら魔力操作もおぼつかないと思ったか? かつては冒険者だったこの俺を、見くびってもらっちゃあ困るなあ!」
最も目立つ位置に飾られている無骨な大剣を手に取った店主が、撫でるように刀身へと手をかざせば──青白い燐光が刃を包む。
「おお!」
「あの美しい光、マナタイトの純度が高いらしいな」
「高純度のマナタイトはすげえ硬いし、坊主の得物じゃあ無理だろう」
「あの子は……? 何事ですの?」
「ハッハッハ。ここの連中は目が肥えてるから、もう結果が見えてるらしい。なあ坊主、その折角の曲刀、駄目にするつもりか?」
「心配無用です。ここまできたら、見てる皆さんにも楽しんでもらわないといけませんからね」
(俺のために怒ってくれてるのは嬉しいが……やりすぎるなよ? ロウ)
観客たちの声で気を良くする男が魔術で障壁を張り、準備が整う。
試す方法は単純明快。お互いの得物のぶつけ合いだ。
「刃が折れたら万が一ってこともある。防具貸してやろうか?」
「斬り飛ばす方向は考えてあるので大丈夫ですよ」
「ケッ、自信満々なことで。その澄ました顔が悔しさに歪むの、楽しみだぜ」
正眼に構え切っ先が触れ合う位置まで近づいたところで、互いに得物を振りかぶる。
露店の親父は肩に担ぐようにして、対する俺は腰をねじって脇構え。上段と下段のぶつかり合いだ。
「合図は誰にしてもらうか」
「それは当然、私が──」
「──はい、はいっ! わたくし、やりたいですわ!」
ギルタブの名乗りを遮ったのは、純白のローブに身を包んだ女の子。ローブの隙間から覗く衣服は煌びやかで、高貴な身分にありそうな気配がびんびんである。
「いいぜ、白いお嬢ちゃんに頼もうか。坊主の連れのお嬢ちゃんだと贔屓しそうだしなあ」
「むうっ」
「分かりました。それではお姉さん、お願いします」
「こういう時は硬貨を投げるのが作法でしたかしら? えいっ」
言うが早いか、金貨を弾いて飛ばすお嬢様ガール。
大金を平然と投げてみせる奇行に観衆は呆然とするが、集中しきっている眼前の男に乱れはない。
上昇運動から一瞬の停止を経た金貨は、落下加速運動へ。
そのまま石畳と接触し──。
「「──!」」
硬質な音が周囲を叩いた刹那、男が得物をぶん回す!
腰の入ったスイングは競技者のように鋭く、只者ではないことが窺えた。が──しかし。
「「「あっッ!」」」
「なあッ!?」
得物の違いは致命的。
高級金属の一振りであろうとも、魔神の魔力で変質した極限の品には及ぶべくもない。
澄んだ金属音が周囲に響き、燐光を纏った刃が空を舞い──障壁内に入り金貨へ群がっていた人々の頭を跳び越えて、露店の台へと突き刺さる。
振り抜いた我が銀刀に刃こぼれ一つなし。完全勝利である。大剣が飾ってあった場所を狙ったが、見事に成功したようだ。
というか観客諸君、障壁内に入ってくるなよ! 危ねえよ。
「勝者! 黒髪の坊やー!」
「「「お……おおおぉぉぉ!!!」」」
「ば、馬鹿な。あり得ん……」
「ふふふ、当然なのです」
透明感ある声が勝利を告げると、観客がどよめき男が沈む。
同意の上の勝負でも、相手の売り物を壊したことには変わらない。男が立ち直ると面倒事になるかもしれないし、ここはサクッと立ち去ろう。サルガスの面目も保てたしな。
(フッ。冷静になったようでなにより)
「見掛け倒しじゃなくて、実を備えた曲刀なんですよ。それじゃあ失礼しますね」
「ちきしょう……金貨何枚すると思ってやがるんだ……」
「あっ。お待ちなさい!」
呼び止められた気がするが、これを華麗にスルー。高飛車そうなお嬢様の目に留まれば、何を吹っ掛けられるか分かったもんじゃないのだ。
「ふふっ、時間を使う相手を選ぶのは良い心掛けです。もうお昼ですし、ここから離れたら昼食を頂きましょうか」
「結構時間たっちまったもんな。どこか、帝国名物を提供してそうなところでも見繕って──」
「──お待ちなさいと、言っているでしょうにっ!」
人混みの中をすいすい進んでいると──上空からさっきのお嬢様が襲来!?
「わたくしの言葉は聞こえていたでしょうに、随分と太い態度ですこと」
「……」
市街広場の噴水に着地し、その勢いでフードをはだけさせた彼女は、ひたすらに美しかった。
西洋の繊細さと東洋の深みが混在する、ある種の矛盾をはらむ美貌。
流れる陽光を浴びて煌めく金糸。
華やかな金髪とは対照的なまでに静謐な、黒曜石のような大粒の瞳。
高く形の良い鼻に、ぷっくりと膨らむ唇、優美な曲線を描くおとがい……。もはや、形作る要素のどこをとっても美しい。完璧な美を体現していると言える。
それこそ、完璧すぎて人間かどうか違和感すら覚えるほどに。
「……何を見惚れているんですか?」
「ギクッ。いや、でも、滅茶苦茶美人だし……はい、スミマセン」
十秒だか二十秒だか見入っていると、嫉妬深い相棒からイエローカードが飛んできた。
美しきに釘付けとなるは男の本能なのだ。どうか大目に見てほしいです。
「おほほほ。わたくしの美しさは女神様の領域にありますからね。その子が魅了されてしまうのも仕方がないことですわー。嗚呼、殿方を虜にしてしまう罪深きわたくし……」
「う~ん。美人だけど、喋ると一気に残念になっちゃう感じの人か」
「はんっ。ロウ、こんな妄言を叩く女など放っておいて、早くご飯を食べに行きましょう」
「むっきぃ~! わたくしを前にしてその傲岸たる態度、許せませんわ!」
高飛車残念美少女(お嬢様)が怒気を発した途端──銀なる魔力が場に満ちる!?
「火球ッ!? 魔術じゃねえし、何者だ? いやそもそもこんな街中で、正気かよ!」
溢れた魔力が変えた形は、あろうことか煮えたぎる火の玉。魔術と異なり魔法陣を介さないそれは、発動者が自在に操れることを示唆している。
つまりは、割とやばい。
「おーっほっほっほ! よく回りを御覧なさいな。人だかりなど既にはけているでしょうに!」
「!?」
「殿下の魔法が見られるぞ!」「ああ、今日もお美しいサロメ様……」「市街へ現れるとは、また宮殿を抜け出されたのだろうか?」
様々な声が届くも、いつの間にやら全員遠巻き空白地帯。街のど真ん中に障壁でも張ったかの如く、俺の周囲に穴が開いていた。
が、今はそれどころじゃねえ!
「ギルタブ、隠れてろ!」
「ふふっ、しっかり守ってくださいね」
何故だか余裕のある黒髪少女を庇うように前へ出た、直後に火球が乱舞。
豪速球の炎がそこら中で炸裂する!
「無差別かよ。壁やら石畳やらぶっ壊すとか、いいご身分だな」
狙いもクソもない大雑把な面爆撃に対し、こちらは最低限の水魔法で対抗。魔神の魔力を込めた氷塊で、火球の雨を防ぎきる。
「あら貴方、精霊使いでしたの? 先ほどの腕前から見るに、戦士の方かと思っていましたのに」
「まあね。というか、あんたも精霊使いなのか? 魔術なしに炎を操ってるけど」
「ほほほ。逃げる足を止めわたくしに跪くのなら、この技法について教えてあげてもよろしくてよ」
問答の最中も飛び交う白炎に氷塊をぶち当て、粉砕。
防御のついでに水蒸気をばら撒き、煙幕代わりにしようとしたが──残念ながら大きさ不足。
彼女の火球が小さいため、氷塊を蒸発させても煙幕とまではいかなかった。
「こうなりゃ足場浮かべて無理やり逃げるか……?」
「彼女の運動能力は並みではありませんし、逃げるにしても相手の足を奪う必要があると思うのです」
「一理あるけど、ギルタブが言うと物理的に足を奪いそうで怖いぜ──」
「──なんの騒ぎだ、これは!」「で・ん・かっ! もう逃がしませんよ!」
「うへっ!? ガーベラ!?」
「衛兵と侍女たちか」「サロメ様の外出も終わりかあ」「クソッ、衛兵どもが。面白くなりそうなときに来やがって」
逃げる算段をたてているうちに状況が好転。衛兵に加え、彼女のお目付け役と思しき女性が登場する。
サロメと呼ばれる少女は怯んでいるし、このまま逃げ切れそうでもあるが……念には念を。時間を稼いでおこう。
「くっ。こうなったら──っ!?」
少女が身を翻す──その寸前に、隠密接近からの足払い。
地面すれすれまで屈んで掃くようにして繰り出す、下段の回し蹴り──陳式太極拳小架砲捶・掃蹚腿ですっころばして、続けざまに水魔法で凍結拘束!
「うひっ、冷っ!?」
「失敬。自前の火で融かしてくださいな」
長く色っぽいまつ毛を至近距離で見つめつつ、氷で地面に縫い付け完了。やり過ぎ感がなくもないけど、この娘なら炎が扱えるから大丈夫だろう。
「あっ。ちょっと、お待ちなさい!」
吐息がかかるほどの距離に動じたか、はたまたローブの下のドレスがはためき、美脚が露わとなったからか。何某かの理由で赤面する少女から距離を取り、脱兎の如く逃走再開。
「殿下!?」「賊めがッ! 許さん!」「聖炎が出ない……?」「聖獣様は何をやっておられる!?」「クッ、屋根の上を……!」
分かりやすいくらいに激高する衛兵たちを尻目に垂直跳躍。逃走経路を路上から屋上とし、魔神の軽業で追っ手をぶっちぎる。
付き合ってられるかってんだい!
「……ロウって、隙あらば誑しこもうとしますよね」
「えッ。あの赤面って、そういうアレだったの? どっちかっていうと驚きの割合が大きかった気がするけど」
(なんにしても、ギルタブと街歩きしてるときにすべき行動じゃあなかったな)
「ぐう。それもそう、か? まあさっきのは不幸な事故だ。切り替えていこう」
「なんともロウらしい答えなのです」(反省の振りすら無しか。全く)
壁を蹴り屋根を駆けて現場を離れ、執拗な追っ手を人外逃走術で撒く。
そのまま市街観光に戻った俺たちは、昼食に買い物にと勤しんだのだった。