方天戟と偃月刀
ところ変わって白一色の異空間。
魔神が創り出したこの奇怪なる空間で、住人たちが口角泡を飛ばし争いを繰り広げていた。
「──いーや! それでも私の方が断然強いね。だって私、上位魔神ルキフグスの娘だよ? 魔物から成りあがったような奴相手に負けるわけないじゃん」
「むうっ。ロウの妹だからと下手に出ればつけ上がる女だ。消耗した汝を捻るなど造作もないと、そんなことすら分からんのか?」
「はははっ。何憚ることないぞ、セルケト。不快な魔神などシメてしまえ!」
いがみ合っているのは黒髪ツインテールな褐色の少女に、金のメッシュが印象深い竜胆色の長髪を持つ美女、蒼い長髪がうねらせた美女。
いずれも人の姿をとる人外、魔神二柱に竜という内訳だ。
魔力を吹き散らす彼女たちの睨み合いが始まったのは、十数分前に遡る──。
◇◆◇◆
──当初、新入りとなる魔神フォカロルは周囲に挨拶を行っていた。
「ロウ君の妹さんかあ……。でも、ロウ君より年上っぽいね? お姉さんって方がしっくりくるかもだよー」
「人の股から生まれたお兄ちゃんと違って、私はパパに創り出されたからね。生まれたその時からこの姿なんだよ」
「うっ、そうなんだ。なんだかさらっと魔神についての凄い事実を語られた気がする」
この世界では珍しい黒い髪の少女に戦慄しているのは、彼女と同色の髪色の少女アムール。姉と共に異空間で居候中の吸血鬼である。
「父親から創られた、か。貴様が『影食らい』同様の魔法を操ったのも、直接産み出され魔力や記憶を継いでいるなら道理だ。忌々しいことよ」
黒髪の少女たちのやり取りを見て鼻を鳴らす蒼髪の美女。彼女も同様に人ではなく、魔神と犬猿の仲にある存在。若き竜の一柱、青玉竜ウィルムである。
「ああ、青トカゲさんはパパからボコボコにされたことがあるんだったね。ふふん」
「……良かろう。フォカロル、今日が貴様の命日だ」
「ちょっと前にいたぶってあげたのに、もう忘れたの? いいよ、遊んであげる!」
「暴れるなら好きにせよ。だがこの空間を荒らし被害を出そうものなら、主たるロウが黙っておらんぞ? ウィルム、フォカロルよ」
「うっ」「ふんっ」
今にも取っ組み合いそうな両者に水を差したのは、上位精霊や魔神の眷属と食事をしていたセルケト。新しい隣人に興味がなかったのか、関心の欠片も見せない応対である。
そこへ共に食事中だった人物から疑問が挟まれる。片目の隠れた白髪ショートな女性風の上位精霊──ニグラスだ。
「お前はロウと近しい者なら誰とでも友好的な関係を築くと思っていたが。あの妹は突き放しているように見える」
「ふむ。あの女は先ほどまでロウを殺さんてしておったからな。それも、自身の思い違いの果てだ。曲がりなりにもロウに世話となっている身である以上、そう簡単に流せる事実ではあるまいよ」
「むー」
「全くだ。ロウは許しているが、この魔神は図に乗りすぎている」
「そういうことか。言われてみれば道理だ」
[[[……]]]
セルケトの言い分を聞きなるほどと頷く竜と精霊だが、それを眺める魔神の眷属たちの目は胡乱である。
創造主より魔力を受け継ぎ記憶を共有している彼らは、セルケトの弁に同意する者たちも過去に創造主を殺さんとしていたことを知っている。
いずれも勘違いや身勝手な思い込みだったため、同じ穴の狢もいいところなのだ。
そうやって眷属たちが美女たちへ「どの口が言うのか」と冷ややかな視線を送っていると、異空間で暮らすもう一柱の竜──ドレイクが会話に乱入する。
「ロウを殺しかけたことはどうでもよいが。調子づかぬ方がよいのは間違いないぞ? フォカロルよ。ここにいる魔神セルケトは、古き竜と力をぶつけ合えるほど特異な存在ゆえにな」
「へえ……。お兄ちゃんだけかと思ったら、そっちの魔神も古き竜と戦えるんだ」
「然り。汝はロウに比す力を持っているようだが、そこのドレイクが言う通り我もあやつと同等だ。汝も上位魔神ではあるようだが、あれらとは戦えまい?」
「んんー。若い竜が一捻りだったし、私なら古き竜だっていけると思うけどね」
釘を刺すような言葉にも軽く返すフォカロル。口角の上がった表情には、過剰なまでの自信が見え隠れする。
当然、眼中にないと言わんばかりの態度は竜たちの逆鱗に触れた。
「やはり、殺すっ!」「一度灰にせねば分からぬようであるな」
「全く。汝ら竜が暴れれば被害が大きくなろう。ここは我が躾ておこう」
「およ、私とやる気? セルケトだっけ、あなたも魔神みたいだし、あんまり手加減してあげられないよ?」
「加減? 先の話を聞いていなかったのか? 万全な状態ならいざ知らず、汝の力が回復しきっていない現状では勝負になるまいよ」
「いーや! それでも私の方が断然強いね──」
◇◆◇◆
──という醜いやり取りを経ての、一触即発な冒頭である。
「うひ~。魔力のぶつかり合い、凄いよう」
「アムールたちは離れていた方がいいだろう。私であっても、あれらの前では他者の面倒まで見きれない」
刻一刻と増す荒事の気配は、吸血鬼どころか魔神の眷属さえも震え上がらせる尋常ならぬもの。それでも上位精霊は常と変わらぬ涼し気な態度だ。
「ですよねー。って、ニグラスさんは離れなくていいんですか?」
「私はフォカロルの実力を見ていない。ルキフグスの娘だというその力、見極めるには良い機会だろう」
「流石豊穣神様……。それじゃあ私、シアンちゃんたちと避難しますっ」
[[[──]]]
言うが早いか、既に距離をとっていた姉や我関せずを決め込むネイトの下へ駆けるアムール。
眷属たちもそれに続き、上位者たちが罵り合う場にはニグラスだけが残された。
「荒事を避けられる雰囲気ではないが、生死に関わる事態とはなるまい。この者たちの序列は気になるところだ、観察させてもらうとしよう」
精霊が独り言つと同時。
竜たちに煽られた魔神が臨界点を迎え、魔力が爆ぜる。
「もう我慢ならんっ! 矛を取れい、フォカロル!」
「! あなたも長物なんだ。漆黒の戟……いいね。少しは楽しめそう」
「降魔は無しか。詰まらん」
「ウィルムよ、あやつらが降魔状態となればロウが黙っておらぬ。仕方が無かろうさ」
黒く塗りつぶされた空間から青白い偃月刀を取り出し、向けられていた方天戟を弾き飛ばす褐色少女。
その深い茶色の瞳は喜悦一色。ロウがイカレ女と評した時同様、狂気に染まっていた。
「色々あって鬱憤溜まってるからさ──楽しませてよね!」
「はんっ。楽しむ間なんぞ与えんぞ!」
咆えるフォカロルに、猛るセルケト。
魔神同士の試し合いは、こうして火蓋が切られたのだった。
◇◆◇◆
ここ異世界において、長柄武器と刀剣の最たる違いは速度にある。
力をかける持ち手から武器を支える支点までに距離のある長柄武器は、物理的に先端部分──作用点に力をかけやすい構造だ。振る際に速度が出やすいと言い換えてよい。
刀剣と倍ほどの長さを持つ長柄武器であれば、どちらも両手である場合でも先端速度の差は倍以上。多くの長柄武器は刀剣の三倍以上の長さを誇るため、生じる速度差は更に大きくなる。刀剣を片手で振るう場合の速度差はなおのことだ。
これは人の技術や知恵ではなく物理法則からくるものであり、魔神であっても適用される。
──故に、互いに長物である黒い斬線と青白い斬閃のぶつかり合いは、尋常の領域から逸脱する。
「それじゃあ早速!」
始まりを告げたのは、段取り立ち回りの一切を無視したフォカロルの切り込み。
疾さ威力だけを突き詰めた、無骨なまでの神速斬撃!
「そぉいやっ!」
「ふっ!」
回避を許さぬ電光石火の斬撃は──しかし難なく受けられる。
武人の記憶にロウの知識。いずれも有するセルケトにとって、魔神の様子見など想定内に収まる程度である。
余裕すら見せる表情で刃を弾いた美女は、直後に石突殴打でカウンター。叩きつける勢いそのまま方天戟を旋回させて、怯む少女を吹き飛ばす!
「おおっと?」
石突の叩きつけと旋回する穂先を柄で受け防ぐも、その衝撃は相殺失敗。吹き飛ばされた少女は宙を舞う。
どっこい、彼女も魔神。
人外たる柔軟性で姿勢を御した彼女は、軽やかに着地を決め──初撃以上の速度で肉薄する!
「やっはー!」
偃月刀を振るう少女が膂力にあかせて超速連斬、異空間を削るほどの極限斬撃を見舞ったかと思えば。
「はあぁっ!」
方天戟を操る美女が権能発動。虚無の一撃で斬撃を薙ぎ払い、払ったついでに連続突きを放り込む。
「はっはっはー! 中々やるじゃん、セルケトっ! 楽しくなってきたよー!」
「ふっ。貴様も、大口を叩くだけはあるな? フォカロル!」
硬質な衝突音は鳴り止まず、美女たちの周囲は黒と青と火花とで塗り潰される。
それは「竜眼」でもなければ知覚しきれない、人外たちの達人芸である。
「甘い鈍い遅い! そんなショボい突きじゃあ私に届かないよ?」
「抜かしおる。その減らず口、縫い付けてやろう」
突きの全てを弾かれ得物を戻したセルケトは、筋肉を張ったまま呼吸を溜め──寸秒後に呼気を爆発。
「はぁっ!」
己の身体を大砲の筒に見立て、極限の螺旋突きを解き放つ!
「──っ!」
溜めの段階からその威力を推し量っていたフォカロルは、迎撃ではなく回避を選択。己が権能を用いた影なる移動で裏を取る。
「ふふん。当たらなければ、どうってことは──!?」
続けざまに攻撃を見舞おうとした少女だったが──相手が突き込んだ先、大穴の開いた異空間を見て動きを止めた。
白一色の空間に、ぽかりと空いた特大の大穴。竜が二柱ほど入りそうなそこからは、街の景色が見てとれる。
つまるところ、褐色少年の空間が破壊されてしまったのだ。
「……やっちゃったねーセルケト」
「むぅ。汝が受けずに避けるからだぞ、フォカロル」
「おいこら。いきなり空間ぶち抜いてんじゃねえよ。城壁ぶっ飛んで地面まで抉れたじゃねーか!」
戦闘を中断した彼女たちが顔を見合わせていると、間を置かず褐色少年が襲来する。破れた空間から現れた彼は、当然のことながらお冠である。
「邪竜襲撃騒ぎで人がいなかったからいいものの、大惨事だぞ。俺が修繕しておくけど、今度同じようなことしたら本気で怒るからな」
「むぅ。そうは言うがロウよ、本を正せばこの者が煽りに煽るのが原因なのだぞ。我に怒鳴り散らされても困る」
「破ったのセルケトじゃん。私は『空間切断』なんか使ってないもんねー」
「はいはい。どっちも悪いから仲良く反省しましょうねー」
空間の修復を終えむくれる両者を窘めると、少年はすぐに異空間を立ち去った。城壁崩壊地点から移動せねばならない故である。
「……はぁ。水差されちゃったね。まあ、口だけの魔神じゃないってことは分かったし、もういいかな」
「ふむ。汝も確かに言うだけはあるようだ。ひとまずのところ、認めておこう」
力をぶつけ合った二柱が互いを認め合う一方、無責任な観客たちは不満げだ。
「もう終わりか? 詰まらん。半端な決着だ」
「これ以上続けられてもロウの不興を買うだけだろう。何故止めなかったのかと私たちにも累が及びかねない。もう少し見ていたかったが、致し方あるまいさ」
「であるな。残念だが見世物もここまでとなろう」
「……ねえ。こいつらって、いつもこうなの?」
「うむ。ニグラスも竜たちも他者の争いなど娯楽としか捉えておらん。相手にするだけ無駄というものだ」
興が削がれたと去っていく者たちと、その背をジト目で射貫くフォカロル。
彼女が異空間に馴染むには、もう少し時間が必要だった。