7-22 動乱の交易都市
高高度での戦闘を終えた褐色少年が、己の空間へ移動している頃。その遥か下に位置する地上、交易都市の貴族街では。
「──クソッ! こいつら、何体でも召喚できるっていうのか!?」
「知るか! 今はとにかく、集中しろ!」
黒煙立ち上る中、竜信仰の一団が召喚した邪竜とそれを倒さんとする人々の戦いが、激しさを増していた。
「不味いね。この竜、普通の亜竜よりもずっと強い。力だけじゃなくて、魔法も息吹も凄い範囲だよ。たとえ騎士が防衛にあたっても、多くの犠牲が出そうだけど……アルベルト、どうする?」
「……こいつらは強いが、連携も何もなく暴れてるだけだ。強かろうがやりようはある──ベクザット、レルミナ! 攪乱しろ! 俺たちで決める!」
「軽く言って、くれるねっ!」
司令塔となっている青年から無理難題を吹っ掛けられた女性──レルミナは、悪態をつくも素早く行動。竜の懐へ稲妻のように切り込むと、守りの薄い関節部を曲刀でもって斬りつける!
「……っ! 硬いか」
鋼さえも切り裂くその刃は──しかし、表皮を浅く裂くにとどまった。金属を凌駕する手応えに表情を歪めつつ、彼女は続く邪竜たちの反撃を軽やかに躱していく。
「うぉ。レルミナさん瓦礫の上だってのに、本当速いな。あんな芸当できないし、俺は魔術でいくか」
同じように陽動を命じられた青年──ベクザットは、攻撃と回避の両立など無理だと遠距離を選択した。
足を縫い付けるような氷結魔術に、邪竜の息吹や魔法を乱す風魔術。打ち倒すというよりは翻弄することを旨とした魔術を次々放ち、邪竜の行動を制限し──。
「ハアッ!」
──ついに二人が竜たちの視線を独占したところで、死角より奇襲組が強襲。
大剣の切っ先が喉を抉り、勢いづいた大槌が頸部をへし折り、血走る眼球を猟矢が射貫く!
首を狙われた二体は絶命して倒れこみ、両目を射貫かれた一体は矢に込められた魔術が炸裂したことで大きくのけ反った。
「仕留めるっ!」
地鳴りのような悲鳴が響くと全く同時に、竜の下へレルミナが駆ける!
のけ反った後に灼熱の痛みを知覚した邪竜は、反射的に体を丸め込む。急所という急所が隠れたその守りは堅牢そのものだ。
「ふふ」
だというのに、間合いを詰めたレルミナは笑みを刻んで刃を構え──駆け抜けざまに横薙ぎ一閃。腕の守りごと一気に断ち切り、竜の首を真っ二つとしてみせた。
「うおおぉぉ。一撃って、マジか。さっきの陽動の時は、ひょっとして本気じゃなかった?」
「いや。相手が動かないなら破るのも容易ってだけだよ。それにレアの矢のおかげで、竜の肉体も強化度合いが落ちていたみたいだし」
「流石。だが、まだここが片付いただけだ。音や揺れを考えるにまだ居るかもしれないし、空で起きてる大爆発も気になる。次へ行こう」
どす黒い竜の血を避け瓦礫の上へ移動した二人へ、大剣を携えた青年──アルベルトが仕事を割り振っていく。邪竜という難敵を下しても、彼の意識にゆるみはない。
「衛兵どころか騎士だって容易に対抗できない相手だし、早めに動いた方がいいかもね~。レルミナさんもベクザットも、まだ動ける?」
「ええ」「まあ、なんとか」
「よし。それじゃあ、急ぐぞ!」
弓を構えるレアの問いに問題ないとの答えが返ると、アルベルトは彼らを率いて戦地へ向かう。
「──! これは……」
断続的に響く戦闘音を追った彼らの前に現れたのは、無残な姿でこと切れている邪竜たち。それも片手で数えきれないほどの、だ。
「邪竜たちの出血量が凄い。それに、損傷の度合いも激しい。急所を突くんじゃなくて、純粋な力で倒してるみたいだ。……ねじったり切り裂いたりしてるけど、やり口は同じ。多分、これをやったのは多くても二、三人だね」
「これなんか、竜の腕を丸ごと吹き飛ばしてるぞ? マナタイトの大剣でもやっとこさっとこ斬るってのに、どんな芸当なんだよ」
アルベルトが己の大剣を叩きながら零したのは、魔力的に変質した金属のことである。
硬質でありながら粘りもあり、比重も重すぎない金属。そんな良質な金属であるマナタイトで造られた武器は、鋼鉄製の武具では歯が立たないほど強固強力だ。
そんな武器ですら刃がこぼれてしまうのが、かの邪竜の肉体である。
「魔術でやった風でもないし、私の曲刀みたいにミスリルの武器なのかもね。それでも、竜の体が強化されてないときじゃないと無理だろうけど」
「ミスリルの武器ね~。リマージュの冒険者で、あんな高級品持ってる人いたっけ?」
「心当たりはないが、ここは人も物も集まる都市だからな。どこかから流れてきたのかもしれん。なんにしても、この状況ならありがたいさ」
戦慄するも素早く切り替えたアルベルトが号令をとり、彼らは未だ続く戦闘音へと近づいて行った。
◇◆◇◆
他方、戦火を逃れていた屋敷の一つ、ジラール公爵邸では。
「──おや。上空での戦闘は、君の読み通りの形で決着したみたいだね? バロール」
かつて青玉竜が氷まみれとした客室で、人の世を監視する太陽神が、貴族の妾として生活する魔神と睨み合っていた。
「その名で呼ばないでほしいものですね、ミフル。今のワタクシはルネ・ジラール、なんの力も持たない人間族なのですから」
「『不滅の巨神』が何を……ああ、僕が間違っていたよ。けれどルネ、何の力も持たないはずの君が、万物を滅する魔眼を輝かせるのはよした方がいい」
「全く、減らず口を。それで、読み通りの形というと、ロウ君が神獣を退けたということですか?」
ジト目のいう名の魔眼で太陽神の少年を黙らせた魔神は、本筋へと話を戻す。
「そうだね。それだけでなく、あのルキフグスの娘も休戦状態へ持ち込んだようだ。あの魔神は相当な食わせ者だよ」
「ワタクシでさえ手を焼く難物、フォカロルを丸め込んだ、ですか。……竜や魔神の魔力が入り乱れる上空を、全く問題とせず見通す。天則を嘯くだけはありますね、ミフル」
「君たちと違い、僕は直接『眼』を近くへ飛ばしているからね。詳細な把握ができて当然だよ」
小さな光球を弄ぶ金髪金眼の少年は、ふと表情を改めて象牙色の美女に警告を発した。
「つまりだ、ルネ。君があの魔神と影で会合をしていることは、僕たち神には周知の事実。僕が言わんとすること、分かるかい?」
「うふふふ。ワタクシの娘はロウ君と懇意にしていますから。娘と親しい関係にある子を知ろうとするのは、親として当然でしょう?」
神の警告に対し挑発で返すバロール。とぼけたような彼女の態度に、少年ミフルの眦はますますもって鋭利となる。
「……なるほど。つまり君は人の生活に飽き、再び魔神としての生に戻ると? 死と破壊を撒き散らすだけの悪鬼へと」
「ふふふ。そこまでは言いませんよ。ただ、貴方がたがロウ君を取り込もうとしている節がある以上、ワタクシもただ手をこまねいているわけにはいかない……そういうことです」
小さな身から陽光を迸らせる太陽神と、余裕の微笑みを浮かべて受け流す魔眼の魔神。
魔力をぶつけ合い調度品を粉砕しながら睨み合う両者だったが、脈絡もなく魔力の発散を引っ込めた。
「「!」」
直後に奔る蒼き雷光。卓に降り立つは銀髪の壮年男性。
ガラス窓を音圧で砕き顕れたのは、神とも魔神とも異なるこの世の上位者。月白竜シュガールだった。
「おや、月白竜。貴殿と直接顔を合わせるというのも、随分と久しいね」
「汝は常に我を監視していよう……しかし、ロウと神獣の戦いを眺める中、まさかバロールの魔力を感じようとは。狩るならば手を貸さぬこともないぞ? 太陽神よ」
「この部屋を破壊しておきながらその態度。よほど生き急いでいるようですね? シュガール。二柱ならばワタクシに勝てるなどとお思いか」
象牙色の長髪が揺らめいた瞬間、再び吹き荒れる魔力の嵐。壁面に亀裂を入れ床面をひびだらけにするその圧は、竜の登場が無くとも部屋を破壊し尽くすほどだ。
「フッ。貴様が積み上げてきた悪行の前では、この程度の破壊など比較にすらなるまい。己が行いを忘れ食ってかかるなど、度し難いな? バロールよ」
「ふふふ、月白竜の登場は乱暴だったけれど。実のところ、君も部屋の破壊してばかりではないかな? 今もこうして壁や床を軋ませているし、彼が来ずともこの部屋は崩壊していたことだろう」
「無断で部屋へ侵入したうえに、責任転嫁までしますか。神が聞いて呆れますね」
吐き捨てるように零し少年と男性を睨んだ美女だったが、ややあって嘆息した彼女は乱雑な言葉を投げた。
「それで? フォカロルが落ち着きベヒモスが退散した以上、貴方がたが長居する理由もないと思いますが?」
「抜かせ。あれほどの力を持つものがロウと接触している以上、動向を確かめぬなど論外。ましてや、貴様はあの娘の知己なのであろう? あれを通じてロウを取り込むなど、如何にも貴様が繰りそうな手だ」
暗に帰れというバロールに、誰が帰るかと一笑に付すシュガール。その険悪さ、正しく猿と犬の如しである。
「魔神同士の結託という可能性の前では、君の主張はあまりにも軽い。魔神ロウだけでも古き竜に比す力を持っているのだからね」
「だからこのまま居座り成り行きを見届ける、と。なんとまあ身勝手な主張でしょうか」
壊れてしまった椅子やテーブルの代わりを樹木魔法で創り出す、魔眼の魔神。彼女の創り出した椅子に座る太陽神とは対照的に、月白竜は立ったまま腕を組み己の主張を押し通す。
「『神獣』までをも退けたとなると、もはや上位魔神としての力を疑う余地すらない。それも生まれて間もない無垢の魔神だ。貴様の色に染められてはかなわん」
「あの子が無垢かというと、首を捻らざるを得ませんよ。あの子は既に己の色を持っていますから、ワタクシに染められるようなことはないでしょう」
「それは言えているね。あれほど幼いのに、あの魔神は駆け引きを知っている。人の世で生活してきたことが経験となっているのか、あるいは……」
かつてとある人間族を観察していたことを思い返し、仮説を再検討するミフル。
(あの魔力の淀み。人間族と魔神という差異はあれども、その濁り方はよく似ていたね。あの青年も少年に対し何らかの疑念を抱いていたようだし、彼の監視に力を入れるのも切り口としては面白そうだ)
内面でほくそ笑んだ少年が光の「眼」を飛ばしたところで、魔神の眷属である老執事がお茶菓子を持って現れる。
途中休憩を挟みつつも、彼らはにらみ合いを続行。魔神たちが上空に戻ってくるまでの間、屋敷では息の詰まる時間が続いたのだった。