7-20 神獣ベヒモス
リマージュ上空、雲の上。
姉弟の可能性もある魔神と俺とが殴り合う中、突如として顕れた謎の男。
たてがみのような銀髪を靡かせるそいつは、壮麗極まる衣服の上からでも分かるほどに筋肉質。いつぞやの魔神エスリウを彷彿とするほどにムキムキマッチョだ。
出現方法は空間魔法。その魔力は銀に紫の混じったマーブル模様。
顕れた瞬間に撒き散らされた圧力は、俺たちが相手にしている降魔状態のフォカロルにも匹敵する。
要するに、尋常の存在ではない!
「──我が怒りを知るがいい」
その男が赤き瞳を怒りで滾らせた──そう見えた瞬間、構えていた銀刀が真っ二つに砕け飛ぶ。
「ごッ!?」
次いで背骨に響くような衝撃に、重心が定まらないような浮遊感。
更には勝手に回転する視界と、振り抜かれている男の左脚。
銀刀ごと俺を真っ二つとする凄まじい回し蹴り──状況が指し示すのは、そういうことだった。
(ぐぅ……)(ロウ、サルガス!?)
〈こんの、やろォッ!〉
現状把握と同時に権能解放、降魔移行ッ!
〈サルガス、生きてるか!〉
(ぐッ……まあ、な。ただ、回復に専念させてもらえると、助かる)
己の下半身と折れた銀刀を、背部に生えた触腕で直ちに回収。幸いにして相棒は無事のようだった。いや真っ二つだし、全然無事じゃあないが。
〈おう、異空間で休んどけ。セルケトやニグラスもいるし、自力で直せそうにないならあいつらに頼んでもらえ〉
(……すまん)
〈謝んなって。いきなり蹴ってきやがったあのクソ野郎と、反応できなかった俺が悪いんだ〉
手早く折れた銀刀を異空間に送り出し、空間を閉じて肉体再生。吹き飛んでいた腕や下半身をくっつけて、混沌とする戦況を盗み見る。
〈うわっ!?〉
【ヌウッ!】
【ベヒモス、貴様っ! ドレイクや魔神はともかく、妾まで攻撃するとはどういう了見だ!】
「笑わせるな青玉竜。そこの魔神が世を荒らし回り、汝がそれにつるんでいることは既知の事実。身内に甘い大地竜に代わり、枯色竜共々その性根を叩き直してくれよう」
【解せぬ。何故当然のことのように我が巻き込まれている?】
高速で飛び回る竜たちに瞬間移動しまくる魔神、そして拳と蹴りで衝撃波を連発する青年。
轟音烈風入り乱れる中で聞えた会話から分かるのは、顕れたクソッタレがウィルムたちの知り合いらしいということだ。
神特有の銀系統とも魔物に類する紫系統とも異なるマーブル状の魔力に、「神獣」という呼称。以前聞いた、古き竜と同等だという存在で間違いないだろう。
この場に乱入してきたのは魔神や竜への怒りからのようだが……こちらには身に覚えのない話だ。とりあえずはぶちのめすとしよう。
サルガスに手ぇ出したこと、後悔させてやる。
(……。今は戦いに集中すべきですからね。そういうことでいいと思うのです)
奥歯にものが挟まったような相棒の言葉を聞きつつ、虚無を帯びた空間魔法を構築。
殴り合いの只中にあった銀髪イケメンを、こちらの傍へと強制転移させ──。
〈さっきの一撃、倍で返すぜ!〉
「ぬッ!?」
下半身をウツボ触腕で食い千切り──残った身体を、鉄槌打ちで叩きのめすッ!
〈哼ッ!〉
先ほどの俺のように上半身だけで回転する神獣へ、渾身の触腕殴打が直撃。超速反応で防御されたものの、隕石並みの速度で雲の下へ落下した。
あれくらいで仕留めるのは不可能だろうが、多少時間を稼げるはず。この隙にフォカロルを片付けるとしよう。
〈降魔っ!?〉
〈魔神なら当然だろ? ってなわけで、お前もぶっ飛べ!〉
〈お断りだよ──っ!〉
動じている隙に空間魔法で近くに呼び寄せ、一方的に攻撃開始ッ!
──しかし。
触腕による中段突きを見舞うも、影なる転移でするりと避けられ。
それを見越した背後への掌打も、僅かな羽ばたきでひらりと躱され。
躱されついでに閃く黒爪を、こちらの前蹴りで弾き飛ばし。
蹴りに合わせて大放電を放てば、見越していたかのように黒風が遮りこれを相殺。
〈〈……!〉〉
二重三重にも仕込んだ攻め手が、魔神が前に崩れ去る。
瞬きする間の攻防は、その悉くが想定以上。
やはりこいつも、尋常ではない。
〈やるね、君。人型の時から分かってたけどさー〉
〈お前も、な!〉
二つ頭で不気味に笑う魔神へ応じると共に、空間魔法でその場を退避。
全く同時に、銀炎と白炎がフォカロルを薙ぎ払う!
〈──っ!?〉
〈容赦なく巻き込む範囲でブレス吐きやがったな、あいつら〉
俺が山羊頭特有の広角視野で見ていたからいいものの、気が付かなかったら消し飛んでいただろう。案外あいつらなら、俺ごとやりそうな気がするし……。
(山羊頭といえば彼女もそうでしたね。やはり魔神フォカロルは、ロウの姉なのでしょうか?)
〈さてな──!〉
黒刀と談笑する暇もなく、遠方で巨大な魔力のぶつかり合い。
残念ながら先のブレスでは、フォカロルを仕留められなかったようだ。
そして、眼下の雲海より飛来する、大海のうねりのような魔力の波動!
〈もう戻ってきやがったか〉
視界全てを塗り潰す波動を前に権能解放、魔力全開。
全てを曖昧とする漆黒をもって、魔力の大瀑布を消し飛ばすッ!
「我が一撃を凌ぐか。琥珀竜や海魔竜と一戦交えた事実、確かであるらしい」
“虚無”の魔力で極大波動を打ち払えば、銀なるイケメンが空間魔法で再臨する。食い破ってやった衣服も身体も、綺麗さっぱり元通りのようだ。
〈そりゃどうも。あんたって『神獣』なんだろ? 竜と友達なのか?〉
「あれらとは何度も顔を合わせてきたが、馴れ合うような関係かといえば否だ。汝は魔神でありながら、あれらと親しいようではあるが」
〈親しいっていうか見逃されてるっていうか。まあ、あんたが竜たちと特別親しいって訳じゃないなら良かったよ──〉
会話を打ち切り触腕励起。
伸長させ、膨張させ、綯い合わせ。巨腕としたそれらを打ち合わせて、宣言する。
〈──遠慮なくぶっ飛ばせるってことだからなァッ!〉
俺の相棒に手を出した落とし前、きっちりつけてもらう!
◇◆◇◆
「面白い。では、魔神狩りといこう」
俺の言葉を受けたベヒモスは銀と紫の魔力を煌めかせ、美しく静かな所作で構えをとった。
右腕をゆるりと突き出し、左腕を腰に添えるようにして溜める、寂としたその姿。状況がこうでなければ見惚れるほどに、優美極まる姿勢である。
牙を研ぎ澄ませるかの如く不動となった神獣。空中にありながら微動だにしない。
相手の情報は皆無な現状。どう攻めたものか。
〈御大層な構えじゃねえか──ッ!〉
まずは飛び道具、魔法を試すかと魔力を操作した瞬間──俺の右腕が消し飛んだ。
〈は!?〉
「ぬんッ!」
神速の拳が打ち出された──そう理解したタイミングで、今度は神をも殺す回し蹴り!
〈くッ、おぉ!?〉
虚無を発する触腕で受けるも、砲弾の如くぶっ飛ばされる!?
〈ぬぐッ──!?〉
超音速で吹っ飛ぶ中、風魔法で減速した、直後に悪寒。
直感従い見上げてみれば──上空で拳を構える、イケメンの姿!
「我が拳は神を屠り、竜をも脅かす。果たして汝はどうなるか?」
〈知りたいところだがな──当たらねえよ!〉
転移ですぐさま緊急回避。間髪入れず、神すら殺す魔拳が炸裂。
太陽が生まれ落ちたかのような輝きが場を満たし、落雷にも似た轟音が天をどよもす。
その一撃が彷彿とさせるのは、いつだったかぶち込まれた竜なる拳。正に正しく最強のそれだ。
そうはいっても、この世の頂点とは何度も戦った俺である。こんなものはもう慣れっこだ。
〈大振りなんざぁ、当たりっこないぜ?〉
「ふむ。我が拳に動じもしないか。幼い身であっても、汝は相応に越えてきているようだ」
下あごを撫でるイケメンが余裕を滲ませる間に、空間魔法で檻を創出。高高度金網デスマッチの準備を完了させる。
吹き飛んでいた右腕を再生させれば、あとは突撃あるのみだ。
〈あんたも乗り越えてやるよ、神獣ッ!〉
「それは些か、下に見過ぎだろう」
交錯せし一撃目。
肉薄するこちらを迎撃せんとした魔拳が数十発。
その全てを、柔らかなる太極拳の腕捌きと体捌きで逸らして躱す。
体毛を焦がし角を削った結果、既に間合いは二歩とない。
「フッ。言うだけは、ある!」
死の気配薫る二撃目。
魔拳から次ぐ前蹴りに対し、こちらも八極拳の前蹴りで対抗。
勢いが乗り切る前に相手の脛を押さえつけ、蹄で踏みつけ縫い付ける!
〈もらッ──!〉
死線交わる三撃目。
こちらが追撃に転ずるその前に、神獣が打ち出す神速反撃。
押さえつけられる勢いを踏み込みに変え、イケメンが放つ神をも殺す右フック!
〈くおぉッ!〉
側面の障壁を衝撃波だけでぶっ壊すそれを、巨体たる降魔状態から小さな身たる半降魔状態へ移行して、命からがら無理くり回避!
「ぬう!?」
空振った衝撃だけで皮が裂け肉が抉れる気配を感じつつ──再度攻勢転換。
屈めた上半身を起こしながら、渾身の裏拳をぶちかますッ!
「哼ッ!」
背筋に腰部・股関節の回転。震脚の反力に中正たる姿勢の十字勁。そして、足裏から筋を伝って腕まで導く纏絲勁。
俺の持ちうる力の全てを結集した裏拳、八極拳大八極・崩歩捶は──しかし、神獣の逆手の肘で受け止められる。
右フックが外れたと見るや即座に軸足を回し、曲芸じみた肘打ちを披露したが故だった。
「今のも、防ぎやがるか」
受けた肘が砕ける音と共に宙を舞った神獣は──着地と共に檻を砕く。機を逃さんとした俺の追撃も、足場が砕けて失敗だ。
(……凄まじい技の応酬なのです。情けない話ですが、私には半分も知覚することができませんでした)
「俺はギルタブの助力でなんとかやれてるって感じだけど、そっちが把握しきれないってのもなんだか面白いな。まあ今は、楽しんでる場合じゃないが……」
黒くて毛むくじゃらな小猿の如き我が身を再生させながら、空間魔法で足場を創出。再度銀髪イケメンと向かい合う。構えは先と同じである。
「「……」」
どこからでも攻められそうな相手の姿は、しかし全く隙が無い。
無策に殴り掛かれば、突き出された右腕にいなされ左拳を叩き込まれることだろう。
魔法で翻弄しようとすれば、構築する前に魔力を見切られ、拳で撃墜されるに違いない。
それほどまでに、神獣の赤き瞳は鋭く光る。二度目の不覚はないと宣言するかのように、彼の眦は鋭利なものだ。
対し、今の俺は人とも降魔ともつかない半降魔。降魔特有の角や体毛を有しつつも、人の形を留める状態にある。
降魔状態に比べると膂力や魔力の制御で劣るこの形態は、人型を維持しているという一点においてこの状況に適合する。
本来の姿であり異形の身たる降魔は絶大な力を有するが、如何せん図体が図体だ。
生まれてこの方自分より小さい相手と手合わせした経験が絶無な俺にとって、未だ人型をとる神獣を相手とするのは、相当に厳しい。
故の、半降魔。
今までは部分的に行うだけだったが、今は全身が半分異形。己の体ながら、何とも不気味な姿である。
「降魔とも人ともつかぬ奇妙な姿……汝の特異性を示すかのようだ」
「そんな俺と人型のまんまやり合う、あんたが言うかね」
ベヒモスの言葉を切って捨てて魔法を構築。再び死地へと踏み込み駆ける!
「口の減らないことだ!」
無論奴はこれに即応。むしろ踏み込んだ瞬間から拳の速射砲を打ち出す始末。
俺の空間魔法を拳一発で破壊していく様は、あの海魔竜のでたらめな攻めを思い起こさせる。
「──む。漆黒の空間魔法か!」
さりとて、俺も無策では突っ込まない。
ただの空間魔法は壊されようとも、虚無を帯びた空間魔法であれば最強の守りに早変わりだ。もっとも、追従させることはできないため、回り込まれるとそれでお終いだが。
となれば、対応されてしまう前に決めねばならぬ。
であれば、速攻をかけるより他になし!
「お、お、お、ぉ!」
「器用に、避ける、ものだな!」
盾の隙間を縫うようにして、幾条にも放たれる光の魔拳。
その全てを横っ飛びで躱し、馬跳びで跳び越え、絶命の間合いに殴り込むッ!
「入ったぜ、俺の間合いに」
肉を焦がして異臭を感じ。骨を軋ませ痛みを覚え。己が間合いに接敵完了。
「然れども、我が間合いでもある」
中段突きを伴って突きつけられる異論。それに対し、躱しざまに掌打を叩きつけることで返答する。
「俺の間合いかお前の間合いか──白黒つけようじゃねえか!」
掌打は易々防がれたが、そんなことは想定内。流れるように袖口を掴み、前へ引き倒す──と見せかけての、反射運動を利用する押し倒し。
肩甲骨から一気に押し込むような陳式太極拳小架式・懶扎衣。そこから次ぐ拿捕の技でもって、相手の守りを押し崩す!
「だぁらッ──!?」
崩した勢いのまま、攻め立てようとした瞬間──横倒しのまま放たれる、神殺しのアッパーカット!?
「ぐ、ぉッ……」
身をよじって避けるも耳が吹き飛び角が折れ、俺の攻め手は強制中断。
奴の攻め手が、来る。
「よくぞ避けた。それでこそだ」
少しばかり口角を上げたイケメンは、振り上げていた腕を手刀に切り替え雲海両断。
おまけとばかりにフックと回し蹴りと後ろ回し蹴りを付け加え、極限連撃を繰り出した。
「!」
「……ハッ。案外、やってやれねえことも、ねぇな!」
されども。
その極限の猛攻は、俺を滅ぼすに至らない。
力と技の極致たる“竜神”や、理外の力を振るう“覇竜”。
俺を圧倒した彼らに迫る力を、こいつは確かに持っている。
なのに何故半端な状態の俺を倒せずにいるかといえば、未だ彼らのような図抜けた“強味”を見せていないからだ。
早い話が、俺を舐めている。
「その余裕そうな面、引っぺがしてやるよ。たてがみ野郎」
ふつふつとこみ上げる情動のままに触腕を励起させ、降魔状態のような腕を創り出す。
肩口から生まれた腕の形状は、俺の腕部同様に細く小さくしなやかだ。
その黒き腕をもって、迫りくる蹴りをぶん殴る!
「哈ァッ!」
「!?」
神をも屠る後ろ回し蹴りにぶちかましたのは、触腕による中段突き。
ぶつかり合いで生じる衝撃波を全身で感じるも、ものの見事に相殺完了。
眼下の雲海が吹き飛ぶその最中、空いていた腕で硬直中の脚を引っ掴む!
「ぬうッ!?」
「逃げられねえだろ?──是ッ、烎ッ、呀ァッ!」
舐めた報いだと笑みを返したところで──触腕連撃開始である。
左右で横打を見舞い。
裏拳正面打ちで叩きのめし。
守りを崩しての両腕掌打ッ!
「お゛ッ……」
青年の胸部がべしゃりと潰れ、血やら何やらをぶちまける。
神獣狩りに用いた技は、八極拳六大開“撲”・虎撲連環。魔神エスリウを瀕死に追いやった猛攻を、魔神式に応用した殺し技だ。
「グッ……。その腕に、その破壊力。初撃は、加減していたのか」
「加減ってのはまた違うんだけどな。純粋な質量攻撃重視か筋肉の運動重視かの違いだよ」
触腕で手足を食い千切ったうえで相手を締め上げ、血反吐と共に零された疑問に応じる。
降魔状態の触腕と異なり、今の触腕は人体に近い構造だ。
血液こそ巡らないものの、筋肉のような伸縮器官があり骨にも似た支柱を備えるこの触腕。動かすだけなら魔力を流せば済むため、本来このような構造は不要である。
ならば何故人体構造を求めたのかといえば、己の無意識をも力に反映するためだ。要は発勁を利用したいのだ。
(発勁というと、確かロウの戦闘技術でしたか。普段の触腕では使えないということでしょうか?)
(一部は使えるって感じだな。俺自身の理解が漠然としてるから、人体構造から離れると上手い事いかないんだよね)
憑依中の相棒に答えていて思い出されるのは、古き竜たちとの死闘である。
琥珀竜を横合いから殴りつけた時、海魔竜へ渾身の掌打を叩き込んだ時。いずれも全身全霊ではあったものの、彼らを仕留めるには至らなかった。
どちらも「空即是色」という奥義を使うことで、なんとか切り抜けたが……消耗度合いの大きい技に頼るのは危険すぎる。
そこで目をつけたのが、この触腕の構造だ。
(なるほど……。大技に寄りかからず、一撃一撃を突き詰めるという訳ですか。常日頃鍛錬を行っているロウらしい発想なのです)
(そんなに褒められると照れる──!)
黒刀の褒め殺しにあっていると、彼方で大爆発。その激烈な音と衝撃波で、竜と魔神が戦っていたことを思い出した。
あいつらのこと、完全に忘れていたぜ!
「こっちにばっかりかかずらってるわけにもいかないんだった。おい、『神獣』。このままぶっ殺されたくなかったら、さっさとどっかに行きやがれ」
「ふむ。魔神よ、まさか汝は、我がこのまま引き下がると思ったのか?──我が真なる姿も見せずに」
「ッ!?」
不穏な言葉が零れ出た──そのタイミングで、紫銀ともいえるマーブル状の魔力が虹に煌めき荒れ狂う!
「解放するだけでこの圧力……やっぱり、古き竜並みか」
激烈な奔流に吹き飛ばされ、そのまま体勢を正して距離をとる。
垂れ流される尋常ならざる魔力を前に、当人もさぞ巨大な姿をしているだろうと目を凝らせば──予想よりずっと小さい、人型の存在が目に入る。
「……!」
筋肉質だった青年形態を更に鍛え上げた、樹皮のように堅く締まった肉体。
その背中側を覆うように生える艶やかな銀毛。
背部から力強く伸びる岩のような大翼に、二本の節くれだった尾部。
今の神獣は人の頃の名残りすらない、異形の肉体だ。
全体像から四肢へと目を向ければ、手足の黒く鋭い爪が目に入る。が、それ以上に目を引くのが指や腕、足に肩にと、体中の関節で蠢く不気味な口部である。
噛み合わせを確かめるようにして門歯を鳴らす様は、人体の一部というより別個の生命体に感じられる。まるで個別の生き物が寄り集まる群体のようだ。
肝心要の頭部はといえば額に第三の眼を戴き、象のように張り出した顎からは厳めしい牙が生える。額の上や側頭部から突き出るねじれた角も相まって、今の彼は悪魔というに相応しいような風貌となっていた。
降魔状態の俺と殆ど変わらない体高のベヒモスは、人型でありながら異形の中の異形。ネイトやセルケトがそうだったように、複数の存在が寄り合わさった外見といえる。
ぶっちゃけキモい。
(……)
飾らない感想を零して相棒に閉口されたところで、神獣が開眼。
ただそれだけで、大気が落雷でも生じたかの如く震えだす。
「……レヴィアタンさんに牙突き立てたって聞いたし、滅茶苦茶大きいもんかと思ってたけど。あんた、意外に小振りなのな」
「我が本来の姿は山と変わらぬ。この姿は力を本来のままに、大きさを汝が降魔に合わせたものだ」
「へえ、俺にあわせてくれたのか。巨体の方がいいんじゃねえの?」
「それでは汝の鼻っ柱を折れぬであろう? 真正面から同条件で叩き潰してこそ、我が怒りも発散されるというものだ」
そう語りつつ、ベヒモスは体中の口部を緩ませ構えをとる。異形の身となった今でも、その優雅さは変わらない。
「そりゃ奇遇だ。俺もあんたとは、ケリをつけたいと思ってたんだよ!」
売られた喧嘩を買い、降魔へ移行する。
異形の獣と正面切って向かい合った俺は、眼前の敵に全神経を向け──。
〈あなたの背中は隙だらけってねー〉
──背後に顕れた異形の魔神に、首を刈り取られてしまったのだった。