1-22 公爵令嬢の猛進
時は前後し、ロウたちがボルドーへ辿り着いた日から三日経ったころ。交易都市リマージュ西部の森林にある別荘にて。
「な、なんですって~!?」
驚いた際の典型例のような声を上げながら、象牙色の長髪を揺らし驚きをあらわにする少女が一人。
無関係な他人であっても何事かと目を向けてしまうような素っ頓狂な声を上げたのは、かつてロウが誘拐した公爵令嬢。エスリウ・ジラールその人である。
普段の淑女然とした彼女を知る人物が聞けば大いに驚くだろうが、幸運にも室内には彼女が信を置く従者しかいないため、彼女の名誉は守られた。
「情報が錯綜していますが、幾人か同様の証言がとれています。それなりの確度ではあるかと」
報告を締めくくった白いローブを纏いフードを目深く被った人物は、そのエスリウの専属使用人。ロウと一戦交えた傭兵でもある。魔道具で加工しているのか、その無機質な声からは性別を判別できない。
従者のフードが報告したのは、ボルドー北部の街道で真なる竜らしき存在が現れ、想像を絶するような大魔法を放ち、周囲の草原や森林が大火災に見舞われた……というものだ。
これはロウたちが出会ったネイサンの率いる調査団がまとめた情報ではなく、公爵家が持つ独自の情報網で得たものである。
ちなみに、この時ネイサンらは大雑把なことはボルドーへと報告済みだが、より細かな影響を調べるためにドレイクの至大魔法「炎獄」により生まれた溶岩湖を調査中だ。
「時期的に、ムスターファさんがボルドーへ着くかどうかの頃合い、というのが気になります。巻き込まれてなければ良いのですけれど」
象牙色の柳眉を悲しげに下げ表情を歪めるエスリウ。
彼女はムスターファと親交があり、質のいい美容関連の道具や風変わりな外国の伝来品など、様々な品を融通してもらった間柄だ。
その孫娘であるヤームルもまた、隣国の大学で共に魔術研究を行う彼女の同志。気の置けない友でもあった。エスリウが心を痛めているのも当然と言えよう。
「……竜が現れた前日、近くの宿場町で規模の大きい商隊の宿泊記録がありました。進行速度を考えれば、恐らく……」
無機質な声が心苦しそうに告げると、彼女はいよいよ沈痛な面持ちで目を伏せる。
しかし、数秒瞑目した後に開かれたすみれ色の瞳には、決意の色が見て取れた。
「──マルト! ボルドーへ向かい、彼らの安否を確かめます。準備をなさい」
「おそれながらお嬢様、それは公爵家の娘としての立場を理解した上での決断でしょうか?」
決然と言い放ったエスリウに平坦な声で待ったをかける従者、もといマルト。
「それはもちろん──」
「今からボルドーへ向かっても、事は全て終わっています。続く報告を待っても良いのでは?」
「うっ。でも、ワタクシが直接確かめないと、気もそぞろで何事にも手が付きませんし──」
「まだ確定したわけではありませんが、相手は竜です。彼らの持つ『竜眼』はあらゆる魔力的な術式、効果を看破し、その魔力を解析することで相手がいかなる存在かを見破ります。お嬢様の母君であるバロール様は竜たちと敵対関係にあったこともありますし……バロール様の直系であり容姿もよく似ていらっしゃるお嬢様が彼らの目に留まれば、厄介ごとになるのは確実でしょう」
「ぐっ」
「加えて、サルミネン子爵のように、お嬢様の正体を嗅ぎまわっている輩もいるかもしれません。魔眼を継承しているお嬢様のお力であれば、仮に竜に追われようとも逃げ果せることはできると思います。しかし、その過程で万が一お嬢様の力の一端でも露見してしまえば、ジラール公爵家そのものが危機的状況下に置かれることとなります」
「ふぐぅ」
従者から矢継ぎ早に反駁され、エスリウは顔を俯かせ象牙色の長髪をゆらゆらと震わせる。
「ですが――」
「!!!」
マルトが自論に対し否定のニュアンスを匂わせるや否や、彼女はカッと髪の毛を振り乱し勢いよく顔を上げる。
「……ですが、お嬢様が公爵家の三女としてではなくお忍びで行くとなれば、嗅ぎまわる相手に関しては出し抜けるでしょう。竜に関しても警戒を怠らなければ接触しないでしょうし、立場さえ誤魔化せるならば問題はないかもしれません」
主にせがまれると弱いのは仕えた時からの自分の欠点だと、マルトは嘆息しつつ自省する。
もっとも、以前から己が弱点を把握しつつも改善に至っていない時点で、本気で省みているのかは不明である。
「それでは、お母様の影武者を務めていたシャノワールに、ワタクシの身代わりとなってもらいましょう。今はお母様もお父様と一緒にいますし、しばらくの間はあの子もすることが無いでしょうから」
我が意を得たりと素早く計画を練り上げるエスリウ。思い立ったが吉日と行動を開始する主を見ながら、やっぱり報告を待ってもらった方が良かったかなあ、と早くも後悔の念が湧き出す従者。
ものの十数分で準備を終えた主を何とか宥め、従者は翌朝に出発する約束を取り付け辛うじて万全を期すことができた。彼女専属の従者というのも中々に過酷である。
そうして翌日を迎えたが生憎の雨。
マルトはいつもよりほんの僅かに上機嫌でエスリウの下に向かい、予定を見送るよう申し出たが──。
「何を言っているのですか? ワタクシたちなら雨程度なんの障害にもならないでしょう」
──すげなく却下されたのであった。マルトの主人は一度決めると頑ななのである。
そうして悪天候にもかかわらず強行を決定したエスリウたちは、周囲が闇に閉ざされているうちにボルドーへと向かう。移動は目立つ馬ではなく徒歩だが、彼女たちのいずれも尋常ならざる身体強化を施せるため、凄まじい勢いでボルドーまでの距離を踏破してしまう。
幾ら雨が降り人通りが少ないからと言っても、街道を疾走するわけにもいかない。
よって進むは道なき道。最高速度を出せたわけではないが、それでも秒速三十メートルもの爆速で草原を駆け、木から木、枝から枝へと数十メートルの大ジャンプを繰り返す。
ずぶ濡れになりつつも泥は避け、翌日の昼前にはボルドーへ到着した彼女たち。実に通常の馬車の三倍以上の早さであった。
雨の中一日中全力疾走するという強行軍を乗り越えた彼女たちは、付近の宿で軽く食事を摂り身だしなみを整えた後、ムスターファ邸へと向かう。
それはロウたちがボルドーへ到着してから、僅か五日後のことであった。
これにて第一章が終了となります。ご愛読ありがとうございました。
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