7-2 雨の中の帰郷
雨雲の遥か上。陽光を遮るものなど何もない、高高度領域を空間魔法で快速移動すること一時間。
「──おー。ついたついた。上空から見る街ってのも、中々乙なもんだな」
雲をかき分け地表付近へと躍り出た俺は、生まれ故郷である交易都市リマージュへ辿り着いた。
雨でぼやけたような視界に点在する、照明灯のやわらかな灯。百万ドルの夜景ではないが、雨で滲む世界は絵画のように幻想的である。
(風景を楽しむのもそこそこにして、街へ入ったらどうだ?)
「そっすねー。まだ約束の時間には早いし、宿取ってくるか」
しばし見入ったところで銀刀の提案を受け入れ、北門付近の街道へ転移。そこから氷の傘をさし城門を目指し歩いていく。
「んー。城壁の外は、ちょっと活気がなくなったか? 前は天気が悪くても、結構お店の明かりが点いてた気がするけど……」
歩くついでに周囲を観察していけば、ほのかに陰鬱な空気を感じ取る。以前は城壁外の街道であっても宿に馬屋に農場にと、人の動きが多かったものだが。
魔導国から遠く離れたここリマージュでも長雨が続いているからなのか。はたまた別の要因か──。
「!」
──そうやって考えを巡らせていると、数キロメートル先に不穏な魔力を感知した。
方角は北西、色は紫に数は複数。魔物である。
それなりの距離があるとはいえ、街の近隣とも言える地帯に魔物が現れるのは、以前のリマージュでは考えられない。これも街周辺の不吉な空気と関係しているのか?
(うん? 魔物か?)
「そう。前なら街周辺にいるのは、小動物を狙う野犬や狼くらいのもんだったんだけど」
(この雨で行動しているということも気になりますね。種類にもよりますが魔物は動物同様、雨天は出歩きませんし)
曲刀たちと意見交換しつつ疾走開始。
雨の草原を抉り飛ばしながら駆け抜け、数分で現場付近に到着。そこから上空へ跳び上がり、気配を消して周囲を窺う。
「……デカいな。草を被ってるみたいな巨体。オーガでもオークでもないし、なんだ?」
(あの巨体は多分、トロールだな。知能が低くなった巨人族みたいな魔物で、地域によって色々姿を変える変な奴だ)
「知能が低くなった巨人て、中々酷いなお前」
霧に包まれた草原で不意に現れたのは、縦にも横にも大きい小山のような存在。
二階建ての家屋ほどもあろうかという巨大な生き物は、その集団を三角形に配し、のそのそと進んでいく。蔦や葉で全身を覆われた奇妙な姿でもって、彼らは直立二足歩行による雨の行軍しているようだ。
ぬかるんだ草原に足を沈み込ませ左に右にと揺れながら進むトロールたちだが……どうにも威圧感というより、得も言われぬ愛嬌が先行する。それが複数でもっそりと蠢いているとなれば、少し不気味な童話のワンシーンのようにも思えてしまう。
そんなトロールの集団は都市のある南の方向ではなく、東へと移動しているようだった。
「むーん。都市の西側にある森から出てきたみたいだけど、東の森に移住すんのかね?」
(脇目もふらずという具合ですし、そうかもしれませんね。ロウは手を出さないのですか?)
「ただ移動してるだけみたいだし、手を出すもんでもないかなー。襲ってきたわけでもない、ただ必死こいて移動してるだけのあいつらから素材や魔石を得るのも、ただの虐殺だし」
(そうか? 進行方向に人の家屋でもあれば、連中は踏み潰していきそうなもんだけどな)
「そう言われるとちょっと迷うけど。進路上見てくるか」
えっちらおっちら歩いていくトロールたちの前方へ転移し、上空から進行方向の先に目を凝らす。途中、街道を横切ることはあるものの、人の住居や建物は無いようだった。
「進行方向上には何もないし、ここは放置で──うおお!?」
((!?))
視線を戻しトロールたちの方へと向き直れば──彼らの遥か後方に、更なる魔力の気配あり。
その数は十や二十では利かず百を超えていようほど。思わず二度見するような大群である。
「トロールにオークに、猿や熊の魔獣……。大型の魔物や魔獣が一斉に動いてるのか。何事だ?」
(どれも縄張りを決めれば、そこからそう大きく移動しないような魔物たちだが。それがこうも大群で動くとなると明らかに異常事態だな、これは)
(先ほどのトロールの群れを見た時は、神々が言っていたようにロウと琥珀竜、海魔竜とが戦った余波で色めき立っているのかと考えましたが……。これほど一度に動くとなると、何か別の要因がありそうなのです)
「この大移動が俺のせいって可能性もあったのか……うごごご。お腹が痛くなる。時間にはまだ余裕があるし、ちょっと連中の移動元、西の森に行ってみるかね」
黒刀の言葉で今更ながら責任を感じ、リマージュの西側にある森──ペリゴール大森林へと向かうことにした。
◇◆◇◆
雨の森は音に満ちた世界である。
雨粒が葉を叩く音は勿論、葉の上で溜まりに溜まった水が一気に流れ落ちる音に、雨水によってしなっていた枝が戻って他の枝を揺らす音。雨水が土に落ちる音、石に落ちる音、水溜りに落ちる音……。高音から低音、静音から騒音まで実に多様だ。
そんな森ではあるが──。
「グアアァァァッ!」「ギィィ」「グギャァァァ!」
──現在は野太い咆哮や鋭い悲鳴が反響しまくっていた。一体何事ですか?
「うひー。これって断末魔か? 凄い声だな」
(魔力の気配も濃いな。ロウ、「魔眼」で見るとどんな感じだ?)
「ん、魔物特有の紫色ばっかりだけど……いや、昔のセルケトそっくりな、ヤバそうな濃い紫の魔力もあるか」
(その気配の主が暴れたことで魔物や魔獣が逃げ出した、ということでしょうか)
相棒たちと推測を交えながら、森の闇の中を進んでいく。
背の高い木々が生い茂るペリゴール大森林は、昼間の晴天であっても薄暗い。今のような悪天候ともなれば、それはもう夜のような暗闇である。
そんな中でつんざく悲鳴に、叩き折られた大樹の幹、肉袋となった魔物の亡骸が立ち表れるのだ。これはもうお化け屋敷も真っ青な猟奇的現場であろう。
「近いな。セルケトと同じなら、多分全力で俺を殺しに来るんだろうけど」
足場も視界も悪い中、魔神特有の身体能力と知覚力でするすると進み、十数分。
破壊痕や血や肉のすえた臭いが著しい、やや開けた場所へ辿り着く。
(セルケトみたいだと思うと気が進まないか? 確かにお前さんとあいつは仲良くなったが、偶然の重なった結果だろう。荒れ狂う魔物が言葉を解し理性を獲得するなんてことは滅多とないぞ)
(襲ってくる相手に対してあらゆる可能性を考えるのは危険なのです。まずは相手を排除することだけを考えるべきでしょう)
俺の内心を読み取った曲刀たちは諫言する。
彼らの言う通り、敵対している相手のことを考えすぎるのも己の動きが鈍るばかりであろう。まずは叩きのめし、その後に処遇を考える。己の命がある以上、まずは勝たねば仕方がない。
「せやね。俺と出会ったが運の尽きってことで諦めてもらうか──!」
彼らの言葉を受け意識を切り替えると同時──樹木生い茂る闇の中に、異形の巨体を捉える。
暗い森の中で異彩を放つ背中側の金の体毛と、対照的なまでに黒い腹側の肉体。
逞しい霊長類のような上半身に、輓曳馬のような強靭な脚。牛にも似た豪壮な頭部と、その上部からちょこんと生える小さな角。背から突き出る、ほのかに赤く発光する大翼。
濃い紫色の魔力を発散するそれは、正しく悪魔のような異形であった。
「……」
相手も既にこちらを捉えているのか、柴染色の瞳をこちらに向けている。その瞳は増悪で濁りきり、殺意によって蕩けていた。
「グオオォォォッ!」((!))
それを象徴するかのような咆哮が轟き、濃い紫色の魔力が荒れ狂う。
これすなわち、戦闘開始である。