6-35 若き竜と魔神の娘
神々との朝食会(ただし連中は無銭飲食)を終えた後、旅の準備と称して神々から逃げの一手を打った俺。
魔神に準備が必要なのかと訝し気な反応をされたものの、人の世に溶け込むためには避けて通れないと強弁することで事なきを得た。道理を捻じ曲げるごり押し答弁というものは、神をも欺くものらしい。
そんなこんなで街へ出てきたが、今日も変わらず雨模様である。そして営業中のお店無し。
「今日も駄目か。こりゃ本当にリマージュへ行くまで買い物出来ないかもなー」
(魔物襲撃もそうだが、この雨脚だしな。昨日より激しい降り方だ)
(ひょっとするとこの雨も、ロウと海魔竜との戦いの余波なのかもしれません。あの時は大陸中央そのものが水没するような嵐を発生させていましたし)
「うげーマジか。だとしたら長雨になりそうだなあ。火山灰も混じってるみたいだし、農業とか水害とか大丈夫かな? いっそ、ヴリトラの乾燥でぶっ飛ばしてもらうか」
(笑えない冗談はよせ。そんなことをすれば国が滅びるどころか、この大陸西部はおしまいだ)
曲刀たちと談笑しながら歩くも、やはり開いている店は見つからない。
買い物を諦めた俺は宿へと戻り、異空間で鍛錬や魔法実験に没頭するのだった。
◇◆◇◆
翌朝。
昨日に引き続き日課の鍛錬を終え自室へと戻る。幸いなことに今日は不法侵入者(神)が居なかった。いないことが普通だと分かっていても嬉しいものである。
(如何に魔神とはいえ、連中もお前さんにばかり構ってはいられないだろうさ)
「構うというか遊ばれてるというか、仕事を押し付けられるというか」
(妖精神などは完全に暇つぶし目的でしょうからね)
神の恐ろしさを共有しつつ身支度を整え朝食へ。
パンに野菜、肉に魚、果物に穀類とバランスよくとっていき、成人男性五人前ほどの料理をぺろりんちょと食べ終えてごちそうさま。
魔神として覚醒する前よりも更に食事量が増えたなあと感慨にふけっていると、共に食事をしていたドレイクが目を丸くして呆れを口にした。
「解せぬ。その身体のどこへあれほどの量が入るのだ?」
「我がことながら不思議だよ。というか、ドレイクって意外と食細いよな。ウィルムの方が沢山食べてるくらいじゃん」
「フッ、竜属たる我は少量の糧でも効率よく活力へと変換できるのだ。貴様のように不必要には食らわぬ」
「やいドレイク。妾が大食らいであるかのような物言いはよせ。竜属の中でもぬしが特別小食なだけだろうが」
「あのー、お二人さん? ここ食堂なんで竜関連のお話はちょっとご遠慮願いたいです」
いきなり始まったドラゴントークを強制中断させ、食堂を後にする。人が多い時間だから冷や冷やもんだぜ。
などと、内心肝を冷やしながら自室へ戻ろうとしたが──。
「おいお前たち。今不遜にも、気高き竜の名を敬いもせず口にしなかったか?」
──なにやら怪しげな空気を発するお兄さんたちに絡まれてしまうのであった。
格好そのものは取り立てて目立つものではない彼ら。
だがしかし、一様に真剣な面持ちだ。更には全員が竜の模られたメダルを手に持っていることで、異様な雰囲気を醸している。例の過激派団体だろうか?
そうやって彼らを観察していると、竜属屈指の短気野郎(俺調べ)のドレイクが食って掛かる。
「なんだ? この者どもは。灰にして良いのか?」
「駄目に決まってんだろうが。ええっと、お騒がせしてしまい申し訳ありません。貴方がたは?」
「坊主の方が礼儀をわきまえているとはな。まあいい、我々は竜を敬い崇め、世の乱れを正さんと活動している一団だ。お前たちの話の中で聞き流せない言葉を聞いたような気がしてな」
「『枯色竜』ドレイクに『青玉竜』ウィルム。噴煙噴き上げる火山の如き雄大さを誇る枯色竜と、数々の伝説を持つ美しくも苛烈な青玉竜。いずれも人が軽々しく口にして良い名ではないのだ。枯色竜などは二月ほど前に公国で大魔法を放ち、壊滅的な被害をもたらしている。お前たちの言葉がこの国を滅ぼすことに繋がるかもしれんのだ。言動には気を付けられよ」
聞いてみれば物騒なことはなく、善意からの忠告らしかった。
全くの見ず知らずの人に警告を発するとは、俺が考えている以上に竜の脅威は知れ渡っているらしい。普通の会話でさえ刺激になるのなら、最初のころにウィルムたちの偽名を決めとけばよかったぜ。
「ははは。ロウよ、聞いたか? 人族どもの中にも青玉竜の美しさを感じ取れる者がいるようだぞ」
「そっすねー。青玉竜様は気高く美しく麗しいです、はい」
「これほど心がこもっていない言葉というものも珍しい。人としての生活が短い我でさえ、その場しのぎでひねり出したと理解できるぞ」
「おいロウ。貴様、ウィルムに媚びへつらうその行為、我は承認しかねる。灰となりたくなければおもねる言動は控えるが良い」
「ドレイクは額面通りに受け取ってしまうのか。いやはや、流石であるな」
こそこそと耳打ちをしてくる外野を無視して竜のメダル集団へと向き直り、忠告への感謝を伝える。
「皆さん、ご忠告ありがとうございます。竜が恐ろしい存在という意識が欠けていました。これからは迂闊な言葉を発しないよう注意したいと思います」
「殊勝な心掛けだ。皆が坊主のように物分かりが良ければ、我々も行動がしやすいのだがな」
「竜は万事一切を見通す『眼』を持つと言われる。くれぐれも彼らを侮辱するような真似はせぬように」
「はははっ。気を付けるが良いぞ、ロウ!」
「全くだ。これを機に貴様も態度を改めるが良い」
頭を下げて集団を見送ると、便乗して俺を責め立てる竜ども。トサカにきますよホンマ。
(ロウ、抑えてください!)
(お前さん、舌の根も乾かないうちに言動をひっくり返すなよ?)
「わかってるって……はぁ。とにかく、穏便に済んで良かったよ。君らも我慢してくれてありがとな」
「フン。この地には口煩い神どもが幾柱もいるようであるからな。連中を刺激するようなことはせん」
「ぬしは神から強制されて己の尻拭いをしたばかりであるしな。ははっ、枯色竜ともあろうものが、何とも滑稽よ」
「ぐぐぐ……」
「おいこら金の魔力を出すな。床の敷物が燃えるだろうが!」
「こやつら、本当に正体を隠すつもりがあるのか?」
セルケトの呆れたような呟きが空しく響く、朝の一幕であった。
◇◆◇◆
時間は下り、昼下がり。
先日空間魔法の訓練を約束していたエスリウが訪れたため、彼女と共に異空間へ赴く。
もっとも──。
「バロールの娘か。忌々しいが、奴の血を引いているというのは事実らしいな。夕暮れ時の焼けていく空の如き茜色の魔力、確かに奴を感じさせる」
「我らの傍へ新たなる魔神の魔力が生じた時は何事かと思ったが、まさかあのバロールの娘だとはな。何より、それと知っていて己を抑えるウィルム、おぬしには驚きを隠せぬぞ」
──などと話す通り、今回は竜たちも同席している。
空間魔法で俺の部屋に顕れたエスリウだったが、その魔力は「竜眼」を持つ彼らに看破されてしまったのだ。
魔神の魔力を感じ取った竜たちは速攻で殴り込みにきたが、空間変質魔法や“虚無”の魔力をチラつかせることで荒事への発展を避けられた。やれやれだぜ。
「ふんっ。あのむくつけき女は視界にもいれたくないが、この者はあれの娘というだけで何かを成したわけでもない。妾が構ってやる理由など何も無かろう」
「ふむ。以前であればバロールに所縁有るもの等しく鏖にせんと猛ったであろうものだが。この変化も、この奇怪な魔神の影響か」
「憎み合うよりはいいんじゃないかね。それじゃあエスリウ様、始めますか」
「ロウさんは本当に、自分の思うがままに動きますね……。ええ、ご指導お願いします」
またしても呆れられたところで訓練開始。集まってきた眷属たちや竜たちからの視線を感じつつ、空間魔法を構築していく。
別の座標同士を繋ぎ合わせる空間連結に、空間を捻じ曲げ歪みを創る空間歪曲。特定の空間を恣に変質させる空間変質に、己が権能“虚無”を乗せた虚ろなる空間。我ながらレパートリーが増えたものだと感心しつつも披露していく。
「っ! 権能を乗せた空間魔法。ロウさんの場合は、このような魔法となるのですね」
「黒一色で物騒な見かけですけど、触ったら死んじゃうとかそんなことはないですよ。ただちょっと魔力の性質が曖昧になったり、権能を相殺したりするだけで」
「古き竜の魔力さえも蝕む漆黒の魔力。降魔状態でなければ扱えぬと思っていたが、人の身でも操れるようになったか」
「いや、実は部分的に降魔してるんだよね。ほら、右腕」
「っ!?」「ぬう」「そういうことか。器用な真似をする」
構築される魔法に気を取られていた面々に半降魔状態の腕を示すと、息をのんだり眉をひそめたりと様々な反応が戻ってきた。
セルケトの治療中に試したこの半降魔。やってみると中々に使い勝手がよく、以降は日課の鍛錬でちょくちょくと練習している。
操れる権能は降魔状態の時ほどの出力は無いが、あの目立つ山羊頭にならずとも“虚無”を扱えるというのは大きなメリットだ。
といっても、半降魔状態は部分的であっても相応に異形であるため、使う機会は限られる。現に黒い体毛に塗れた腕を見てドレイクもエスリウも引いちゃってるし。
「人ならぬ異形の腕。ロウさんの降魔状態というものが、ますますもって気になってきますね」
「その内お見せしますよ、その内。じゃあ続けましょうか」
エスリウの言葉をサラリと流して訓練続行。脇道に逸れるのは程々とすべきであろう。
(面の皮が厚いんだか繊細なんだか、お前さんは本当によく分からん)
(ふふっ、ロウはただ臆病なだけなのですよ)
「これが臆病? 相も変わらず貴様らのロウへの評価というものは理解できん」
「? ウィルムさん、どうかされたのですか?」
「竜ですからどこかの誰かの言葉が聞こえたんでしょう。気にせず始めちゃってください」
続行といっても雑談を行う者たちをじろりと睨み威圧。静かになったところで今度こそ訓練を再開した。
◇◆◇◆
二時間ほど空間魔法訓練が続き、暇だの退屈だの構えだのという竜たちの声がやかましくなってきたころ。
「──うん? その者がロウの言っていた魔神か」
姿の見えていなかったニグラスが顔を出した。
秋物コーデに身を包んで空から現れた彼女は、人里離れて生活していた精霊とは思えないほどに魔導国風の服を着こなしている。
といっても、彼女の世話をしているシアンやサルビアが、着せ替え人形のようにして服を選びまくったというのが真相だろうけど。
「……。ロウさん、また新たに女性を誑し込んだんですか? 見境というものが本当にありませんね。これも境を曖昧とする“虚無”を司るが故なのでしょうか」
一方、舞い降りた美女を目撃したエスリウの発言がこれである。エスリウといいヤームルといい、彼女たちは俺のことを誤解しているようだ。
(誤解も何も事実だろうに)
(ロウは己のこととなると途端に認識が曖昧となりますからね)
そんな念話が聞こえたような気がしたが、気にも留めずに説明を行う。
「空から飛んできたってことで分かるかもしれませんけど、この人も人外です。闇の上位精霊で、昔は豊穣神とまで呼ばれていたそうですよ。はいニグラス、自己紹介よろしくー」
「ニグラスだ。ロウとは殺し合った間柄だが、今ではこの魔神の厄介になっている」
「ニグラスさん、ですね。ワタクシはエスリウ、魔神バロールの娘です。実はワタクシも、かつてはロウさんと殺し合った間柄です。といっても、全てこちらの勘違いでしたけれど」
「バロールというと、あの『不滅の巨神』か。竜と真っ向から殴り合うような魔神だと聞いていたが、その娘というには美しいな。しかしロウ、セルケトにウィルムにエスリウと、お前は女と殺し合ってばかりに思える」
「女運が悪いんだよ」
「うつけめが。妾と会えたのなら良いとしか言いようがなかろうが」
自己紹介を促すも何故か俺の話となってしまう。理解に苦しむ現象である。
このままでは怒涛の弄りが始まってしまうと予感したため、素早く話を逸らす。不都合な話題などさっさと変えてしまうに限るのだ。
「時間も遅くなってきましたし、今日はこれくらいにしておきましょうか。外はもう日が暮れつつあるようです」
「あら、もうそんな時間なのですか。楽しい時というのは本当にあっという間に過ぎてしまうのですね。これからしばらくロウさんのお顔を見れないと思うと、とても寂しく感じてしまいます」
「ふん。妾は退屈で仕方が無かったがな」「全くだ」
「はいはい。友達もいることですし、またこっちに顔出しますよ」
「そうですか? では楽しみにしておきますね、ロウさん。うふふ」
咲き誇る花も一斉に下を向き閉じてしまいそうなほど、美しい微笑みで応じるエスリウ。彼女の微笑の前では月でさえも陰ることだろう。
(はぁ……)
詩的な雰囲気は黒刀の妨害念話により霧散してしまった。月に叢雲とは言うが、あまりにも迅い妨害であった。
「はん、不愉快だ。やいドレイク、飯を食らうぞ。ついてこい」
「ふむ。ロウよ、汝は如何にする?」
「エスリウ様を見送ったらすぐ行くよ。それじゃあなニグラス、お前ら」
「ロウ、そろそろ肉が欲しい時分だ。適当に見繕ってくれ」
[[[──]]]
手を振る眷属たちと肉の注文を付けてくる精霊に別れを告げ、異空間からオサラバだ。
食堂へと向かう竜たちが去った後、ようやく聞けるとバロールとの面会の件を切り出す。
「エスリウ様、少しお伺いしたいことがあるのですが、よろしいですか? バロール様の件なんですけど」
「うふふ、勿論大丈夫ですよ。ワタクシの予定への質問ではなくてお母様への質問というのは残念ですけれど」
「そっすか。質問といっても大したことじゃなくて、明日リマージュで会う予定のルフタさんどんな方なのか教えてもらいたくて。バロール様は会えばわかると言ってましたけど流石に不安ですし」
リマージュで合流することになっている使いの人物について訊ねてみると、彼女は詳しい特徴を教えてくれた。
「ルフタのことでしたか。彼はお母様の眷属で、古くからお母様に仕えている男性です。既に老境となっていますけれど、筋骨逞しく思考も明瞭。年を取ってからの方が調子が良いくらいだと本人は言っていますし、実際ワタクシやマルトは接近戦闘だと彼から手玉に取られてしまいます」
「マルトやエスリウ様でも手玉に取られちゃうとは、相当な実力者ですね。老齢で逞しいとなると、遠目で見ても分かりますかね?」
「ええ、すぐに分かると思います。白髪に榛色の瞳、長身の老人ですから。それに、普段は燕尾の執事服を着ていますし。人通りの多い門付近とはいえ、同じような人物はそういないでしょう」
逞しい老人が執事服を纏っているとなれば確かに分かりやすかろうと納得し、詳しい説明をしてくれたエスリウに感謝を伝える。
「分かりました。教えてくださってありがとうございます」
「ワタクシとロウさんの仲ですからね。うふふふ」
礼を伝えると調子に乗り出したエスリウをジト目で黙らせ、彼女が炎の空間魔法で去っていく姿を見送る。
「──ふむ? 見知らぬ魔力の気配があったと思っていたが、勘違いか?」
そうして魔神が去ったと思えばまた魔神、セルケトである。ここ数日ぐうたら寝て過ごしたからか、魔力枯渇状態から調子は回復したようだ。
「さっきまでエスリウが来てたんだよ。もう空間魔法で帰っちゃったけどなー」
「ほう、エスリウであったか。……ふむ? あやつは空間魔法など使えぬのではなかったか?」
「つい先日まで使えなかったみたいだけど、訓練してたら使えるようになったぞ。やっぱり魔神というだけあって、元から使いこなすための素養は持っていたんだろう。というかセルケト、魔石の調子はどう?」
「頗る良いぞ。以前よりも力が満ちるし、魔力の操作も肉体の動きも比べようもないほどだ。胸を裂かれるときはどうなることかと思ったが……ロウ、お前には感謝している」
「お、おう。万全になったなら何よりだよ」
いつになく真面目な面持ちで語った彼女に意表を突かれ、どぎまぎしてしまう。こやつめ、急にどうしたというのだ。
(はぁ。夕食に行かなくて良いのですか? ロウ)
「あ。忘れてた。セルケト、お前はもう食べた?」
「いや。丁度良いし、我も食っていくか」
ギルタブの念話で夕食のことを思い出し、これ幸いと話題に飛びつく。
そのまま二人で食堂へと向かった俺は、なにやらドレイクに愚痴を言っていたらしいウィルムから不機嫌そうな視線を感じながらも、大量の料理を食べ進んでいったのだった。