6-25 虚無の本質
ロウが大砂漠より帰還してから四日目、雨降りしきる早朝。
海魔竜との死闘を終えた褐色少年の食欲は凄まじかった。
肉に魚、野菜に穀類、干物に果物、汁物に漬物。バランスや食べ合わせの一切を無視し、ロウは味わい咀嚼し飲み込んでいく。あらゆる料理を無心に食べていく様は、食事というより荒行に打ち込む山伏が如きだ。
「──相も変わらず大食漢であるな、ロウは。……いや、今回はいつもにも増して大食らいに見える」
「んー、確かに。あの人と殺り合った後だからかね? なんだか無限に入るんだよなー」
ロウの隣に座る大食らい──セルケトからも引かれる健啖ぶりは、実際に食事を続けている彼自身も疑問が浮かぶほどである。
成人男性の食事を十倍する量は、少年の体積からは考えられない食事量ではあったが……。これは彼が魔神であり、“虚無”の権能を司っていることに起因していた。
人族一般とは異なる消化器官を有する魔神は、極めて高い消化吸収能力と栄養の貯蔵器官を備えている。
水分補給さえ行えばひと月以上全身全霊の行動を可能とする魔神には、食事に頓着しないものも多い。人族の街を歩きその生活ぶりを知る以前の魔神バロールなど、自身が浴びた返り血や焼き尽くた相手の灰を食らい生活していたほどだ。
ロウにもそうした性質は備わっており、本来過度な食事など不要なはずであった。しかし、彼が特殊な権能を持ち合わせていたことで、この論理は崩れることとなる。
それが、一切合切を曖昧とする“虚無”である。
森羅万象に作用するこの力は、当然彼が口に入れた食料にも適用される。彼が胃に押し込んだ料理の数々は肉体へ吸収される前に、大部分が虚無の力によって魔力へと変換されていた。
真なる魔神として覚醒する以前も権能は働いてきたが、覚醒して以降の作用力は正に無尽蔵。彼の暴食の化身のような食事ぶりは、無意識のうちに魔力を蓄えんとする魔神の本能からきていたのだ。
「──おいしゅうございましたっと。とりあえず今日は、昨日うやむやになっちゃった挨拶回りに行く予定だけど……君らはどうする?」
食後、自身の身長以上に積み上げた皿を返却台に返したロウは、食事を終えたセルケトたちへ向き直り予定を問う。
「我は魔力が回復しきっておらんようでな。アイラたちには悪いが、自室で休ませてもらう」
「挨拶回りというと、ロウの知人という人族どもか? アシエラたちのような変わり種でもないし、妾が足を運ぶ必要はないな」
「人族の知人への挨拶? 竜すら捻じ伏せる汝がか? 真に奇特な性質であるな。我には理解できん」
「あーはいはい。今日は君たちもゆっくりお休みー。昼頃になったら出かけるから、もし気が変わったら声掛けてな」
三者三様の答えを聞いた少年は自室へ戻り、日課の鍛錬を始めるために異空間へと入っていった。
◇◆◇◆
四時間ほどみっちりと鍛錬を行ったロウは、自室に戻ると浴室で汗を流し服装を整える。
「結局、誰も来なかったな。昨日の今日だから疲れてるのかね」
(セルケトはその通りでしょうね。ドレイクとウィルムは、どちらかというと興味がないから、という側面が強そうですが)
黒刀との会話通り、自室で待機していた曲刀たちの下へ訪ねる者はいなかった。
(まあ、あの戦いの後で普通に行動しているお前さんがどうかしてるってのは間違いないな)
「ぶっちゃけ今日は俺も休もうかとも思ったけど、ヤームルたちを心配させても悪いし。後、時間があれば服も買い足したいんだよなあ。物凄い勢いで服が無くなっていってるし」
(そういうことであれば、私が人化して付き添いましょうか? ロウ一人だと色々不都合が生じるでしょうし……)
ロウの予定に買い物があると知るや、ギルタブは居合抜き打ちの如き鋭さで同行を申し出た。
「マジ? じゃあ顔出した後は買い物に出かけるかー」
(俺は曲刀のままでいるが、ついでに俺用の服を買っといてもらえると嬉しい)
「ほいよ」
(ふふふ、よい心掛けです、サルガス)
黒刀の申し出を軽く受け入れる少年に、さりげなく身を引く銀刀、そして内心でほくそ笑む黒刀。
いつもと変わらないやり取りを経た彼らは、雨脚の強まる中魔術大学へと向かった。
◇◆◇◆
氷の大傘をさすロウが魔術大学へ到着すると、辺りには雨天だというのに衛兵が屯し、広場に簡易の陣営まで設置されていた。
「ありゃ……警備の人は普通に通してくれたけど、構内に入ってよかったんだろうか?」
(ロウが入る際の手続きは時間が掛かったようですし、許可はとれていると考えて良いのではないでしょうか)
(とはいえ、お前さんは容姿が容姿だ。面倒事が起きる前に用事を済ませた方がいいかもな)
物々しい警備体制を見た少年は隠密行動を決定。抜き足差し足忍び足で跳梁し、ヤームルたちが暮らしている学生寮まで移動する。
(……瞬きするほどの時間で五階建ての建物を垂直に登り切り、そこから飛び降り無音で着地、か。今のお前さんにとっては、空間魔法を使わずとも建物侵入なんてお手の物だな)
「侵入て。ちゃんと許可取ってるのに、言い方酷えな」
(確かにロウの隠形術は目を見張るものでしたが、それ以上に外出している者が少ないことが気になりますね。警備員や衛兵は数多くいましたが、学生や研究員の姿が全くいなかったのです。雨天とはいえ、魔術大学は開講中のはずですし)
「そういえば妙に人影が少なかったな。昨日の今日だし、大学が休講だとか外出を控えるような呼びかけがあったのかもしれん」
そんな会話を挟みつつ学生寮へ到着したロウは、入り口の前に立つ衛兵に冒険者組合員章を見せて許可をとり、中へと入った。
エントランスへと入るも、少年が以前訪れた時より活気がない。彼はほんのりと不安を滲ませながらカーペットを歩き、受付へと向かう。
「あら、君は……昨日エスリウ様を訪ねた坊や? おはよう」
「おはようございます。今日も同じ用件で訪ねたのですが、お呼び出しをお願いできますか?」
「ええ、大丈夫よ。少し待っててね」
昨日同様のやり取りで呼び出しを願い出たロウは、待ち時間を周囲の観察に向けた。
朝食の時間を過ぎたからか、それとも昨日の魔物襲撃による影響なのか。ロビーやそこから続く食堂には人気が皆無だ。警備の人員か忙しく動く職員くらいのもので、学生の姿は見当たらない。
いよいよ不穏な気配が強まってきたぞ──とロウが険しい表情を浮かべていると、近くの階段から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「──おにーさんっ!」
「ほぐッ。おはよう、アイラ? そんなに急いでどうしたんだ?」
階段から現れ姿を見つけるや否や、痛烈なヘッドダイビングを決めた少女。少年が動じていると、遅れてやってきた少女の友人や世話係たちから非難があがる。
「どうしたもこうしたもないでしょうに。トイレに行くと言ってそのまま行方をくらませて、心配しない方がどうかしてます」
「そうですよう。ロウさんがとっても強いってことはみんな知ってますけど、それでも帰ってこなかったら何かあったんじゃないかって思っちゃいます。すっごく心配したんですよ!」
「ロウ様、お嬢様方は夜遅くまでロウ様のことを探し、気を揉んでおられました。ロウ様が魔物に後れをとらぬことは我々も重々承知しておりましたが……昨晩は異様な地震も頻発しておりましたし、不吉な気配も充満しておりました。私共としても、ご無事であるならばご一報いただけたらと感じております」
「うぐ。皆様、この度は本当にご迷惑おかけしました。申し訳ありません。全ては身勝手な行いであり、返す言葉もない次第です」
普段は強く出ることの無いムスターファ家の使用人、フュンにまで捲し立てられ、ロウは腰を120度に曲げて謝罪を行った。
(昨日は竜に、今日は人族に謝罪か。お前さん、こんなんばっかりだよな)
(行き当たりばったりで行動していますからね、ロウは)
(やかましい。っというか、念話の聞えるカルラさんがいるんだから迂闊なこというなって)
(あッ)
「えっ……? 竜、ですか?」
少年が警告を発するも、時すでに遅し。
銀刀の不用意な発言は猫耳少女の耳が確とキャッチし、彼女を混乱させることとなった。
「? カルラちゃん、どうしたの?」「竜?」「……まさかロウさん、またですか?」
「流石カルラさん、耳が良いですね! 俺がこそっと喋った亜竜のことも聞いちゃうなんて! いやー参ったなーハハハ」
(なんつー杜撰な誤魔化しか──だごッ!?)
暢気に感想を送り付けた銀刀を鉄槌打ちで黙らせた少年は、勢いで誤魔化し続けなんとかその場の収拾をつけることが出来た。
「むう……」
「お察しの通りですが、この場じゃ説明できませんし。勘弁してつかあさい」
己の正体を魔神と知るヤームルのジト目を躱したロウは、彼女に説明が難しい旨をこそこそと告げ、話を逸らしにかかる。
「それはそれとして、何だか大学全体が物々しい空気ですけど、厳戒態勢を敷いてる感じですか?」
「ロウ様は何があってもいつも通りですね……。こほん。仰る通り、現在大学構内は警戒態勢に入っております。一般市民の入場は制限され、学生でも用がない限りは外出を控えるよう通達が成されおりますので、それで不穏な空気が生まれているのかもしれませんね」
「やっぱりですか。でも、俺が入る時はちょっと時間は掛かりましたけど、ちゃんと許可下りたんですよね」
「ロウ様は幼くとも冒険者でございますから。現在都市は魔物の討伐隊を編成していて、冒険者の志願も募っています。この構内でも志願者を集めていますから、ロウ様もそこへ行くと思われ通行許可が下りたのかもしれません」
金のポニーテールが印象深い使用人アイシャに少年が問えば、すらすらと答えが返ってくる。
その後もいくつか質問を重ね、ロウは現在の都市の状況を概ね把握することが出来た。
(──大学構内だけじゃなくて、都市全体が警戒中なのか。外出を控えるように呼び掛けてるんじゃ、店の方も閉まってる可能性が高そうだな……ううむ)
(こうなってしまっては仕方がありません。楽しみはとっておくことにしましょう)
(すまんね、ギルタブ。この埋め合わせは落ち着いた時にするからさ)
(お前さん、それウィルムにも言ってなかったか?)
銀刀から砂漠での一件を持ち出されるも、さらりと聞き流した少年。腐れ外道な彼はこの場に姿の見えない少女について聞くことにした。
「昨日もいませんでしたけど、エスリウ様って忙しい感じなんですか?」
「本来なら今日はご予定のない日でしたが、襲撃の一件は公国貴族にとっても大きな問題のようでして。昨日緊急で開かれた会議の場に、エスリウ様も出席なされているようです。昨日からお戻りになられておりませんし、ロウ様がお会いするのは難しいかもしれませんね」
「ほぇー。普段はあんなに暇……優雅に暮らしていらっしゃるのに、やっぱり貴族の義務は大変なんですね」
などと、ロウが失言を訂正しつつ零せば、少女たちが次々に同意する。
「エスリウさん、わたしたちにもとってもよくしてくれるから、ついつい忘れちゃいますけど。公国の大貴族様ですもんね」
「ねー。あたしもエスリウさんと大学の中を歩いてる時、尊敬するような視線すっごく感じたよ! そういう時、やっぱり貴族様なんだなあって思ったな~」
「エスリウさんも肩書なく付き合える貴女たちのことは良く思ってるはずよ。大学内だとどうしても公爵家の娘、それも極めて優秀な成績を修めている才媛として見られるし。アイラたちと話してる時と大学の研究仲間と話してる時、表情が全然違うもの」
「交流だとか派閥だかとか色々ありそうですもんね。魔術大学の場合は国が力を入れてますし、そういう傾向も強まりそうです」
等々、不在の少女の話題で盛り上がる一同。
「──砂漠から帰ってきた挨拶だけで急ぎということもないですし、日を改めます。都市の様子が慌ただしいですが、皆さんもお気をつけて」
それから三十分ほど立ち話をした後。
自身の用件がとっくに済んでいたことを思い出したロウは、ヤームルたちに別れを告げて身を翻した。
「──あらあら、ロウさんったら。それほどワタクシに逢いたかったのですか? うふふ……」
「ギヤアアアッ!」
直後に、柱の影からぬるりと這い出る美少女あり。
桜色の唇を舌でなぞるように濡らすこの少女は、神出鬼没の魔神ことエスリウである。ホラー映画顔負けの狂気じみた登場に、少年は思わず悲鳴を上げてしまった。
「……。エスリウさんって、ロウさんに対してはやたらと悪戯を仕掛けますよね」
「それもすっごく楽しそうな表情なんですよね~」
「うんうん。おにーさんを驚かせることが出来るのって、エスリウさんくらいしかいないよね? あたしがビックリさせようと思っても、今日飛び込んだ時みたいに全然だめだし……」
エントランスに背を向けていた少年と異なり、忍ぶように寮へと入った彼女の存在を把握していた少女たちは、彼女の意外な一面について好き好きに噂し合う。
柔らかな物腰で聞き上手でもあるエスリウは、少女たちと話している時も聞き手に回ることが多い。
泰然と構えてたおやかな微笑みを浮かべる慈母のような女性──そんないつものエスリウを見慣れている少女たち。彼女たちにとって、ロウに悪戯を仕掛ける彼女の姿は新鮮であり、また興味そそられるものでもあった。
他方、少女たちの視線の先にいる魔神たちはというと。
「お久しぶりですエスリウ様。顔見せるのが遅くなってしまい申し訳ないです。あまりにも申し訳ないのでもうわたくしめは退散しますね。さよならー」
「あら、それは残念です。今度お母様と会う約束のことや、ワタクシとロウさん、二人だけの秘密について少しお話をしたかったのですけれど……」
「ちょっとエスリウ様、そういう言い方止めてくれません? 誤解を与えるって分かってて言ってますよねそれ」
苦手としているエスリウの魔手から逃れるべく素早く窮地を脱そうとしたロウだったが、妄言を吐き散らす彼女を前に逃走は不可能だと悟る。
(ぐおおお。相変わらず押しが強すぎだろこの人。相手が魔神だと豹変しすぎだっての)
(ククッ。どちらかというと相手がロウだから、という側面も強そうだがな)
(余計なことは言わなくても良いのですよ、サルガス。私たちは黙っておくべきなのです)
少年が曲刀たちと脳内で漫才を繰り広げている内に、柱の影で成り行きを見守っていたエスリウの従者、マルトが退路を塞ぐように現れる。
「ロウ、久しぶり。お嬢様の言い方は少し問題があったけれど、重要な話であることには違いがない。少し時間を頂けないかな」
「へいへい、分かりましたよっと。もう逃げないからそんな鋭い目で警戒しないでくれよ」
「そんなことを言いつつ、次の瞬間にはぬめりを持つ魚のように逃れていくのが君だから……」
「お騒がせしてしまい申し訳ありません、皆様。少しの間ロウさんをお借りしていきますね」
「はーい」「二人っきりの密談……ますますアヤシイです!」「むぅ……」
少女たちの三様な反応に見送られたロウたちは、エスリウの自室へと向かったのだった。