6-22 天地鳴動
時刻は黄昏時、場所はレムリア大陸中央部。
噴煙覆う火山平原では、竜と魔神との戦いが激化していた。
【防戦一方かえ? 魔神ロウっ!】
胎動する山といった以前の姿から一転し、這いずる森の如き様相を呈する本気の海魔竜。しかしその動きは竜巻の如き鋭さで、巨体とは思えぬほどに軽捷である。
大地どころか魔神の魔法をも易々砕く様は、まさに覇者の進撃。絶対者の優位を余すことなく使い切る、覇竜ならではの攻めであった。
〈この滅茶苦茶な攻め、技も何も、あったもんじゃねえなッ!〉
対し、虚無の魔神は多様な空間魔法を駆使してこれに応じる。
海魔竜の剣鱗から発せられる水流と衝撃波には、設置型の空間魔法を。
長さ数百メートルにもなる体躯を生かした重撃には、相手の体そのものを移動させる空間の相転移を。
時に逸らし時に跳ね返し。相手の意表を突く手をもって、魔神は反撃の機を窺う。
(──レヴィアタンはヴリトラと同格って話だが……こと技量に関しては、あのジジイの方がずっと上か。でたらめな力と防御能力だけであの化け物に並んでるってのも、それはそれで恐ろしいけども)
大地を抉り次々と湖を生み出していくレヴィアタン。その大雑把な攻めの合間に権能を乗せた魔法を放ち、ロウは有効打を探っていく。
〈──ッ!?〉
【なははっ! 魔法の方は貧弱やんなあ!】
しかし。あらゆるものを曖昧とし力を十全に発揮できない状況を創り出す、“虚無”を帯びた魔法をもってしても、最強の守りは貫くこと能わず。
幾条にも放たれた漆黒の雷撃は、鋭利極まる剣鱗によって切り裂かれ。
工業廃水のように黒く濁った溶岩流は、海魔竜の引き起こす時化により鎮火される。
(ロウの大魔法ですら、まるで効かないのか)(……これが、海魔竜)
曲刀たちの呻き通り、彼女の守りは絶対的だった。
(魔法は一切ダメ、か。切り札の「空即是色」なら……いや、アレは使うと魔力がごっそり減るし、他の手を試さない内に使うもんじゃないか。まずはしこたまぶん殴る、それと触腕の捕食を試してから──ッ!?)
攻めあぐねる現状を打破しようとしたロウは──いつの間にか眼下の大海に魔力が満ち、天にまで魔力が及んでいることに気が付いた。
【準備は終い。おんしの命も、お仕舞いよって!】
レヴィアタンの宣言と同時に天に稲妻が走り、大海が渦を巻く。
【『驚濤駭浪』っ!】
彼女が続く言葉をどよもすと、天の稲妻は魔神へと降り注ぎ、海の渦は魔神を貫く柱となる。
それすなわち、天と地よりの両面攻撃。
「竜眼」に映る全てを藻屑とする、海魔竜の大魔法であった。
〈ぐ、お、おッ!?〉
雷撃の嵐で怯み、続く激流に攫われて。ロウは天と地さえ定かならない混沌のるつぼへと叩き込まれる。
(まさかそんな、平原そのものが!?)
(ぐぅッ、ロウ、脱出しないと、追撃が来るぞ!)
〈分かってるって……。空間魔法は、この激流じゃ、無理か。なら、まずは水を、ぶっ飛ばすッ!〉
激流と雷撃で攪拌された魔神は、直ちに魔力を全力解放。爆発的な圧をもって水流雷光を弾き飛ばした。
〈ッ!〉
だが──水の檻を吹き飛ばしたロウが見たものは、虹なる魔力を口内で爆縮させるレヴィアタンの姿!
((!?))
【なはははっ! 予想──】
〈──通りッ!〉
青き閃光が虚空を貫き、衝撃波が火山平原を駆け巡る。
【ぬぅっ!?】
地上にいたはずのレヴィアタンだが、今この時は空の上。魔神の空間魔法が強制移動させた故である。
琥珀竜との戦いで似たような状況を経験していたロウ。竜を知る彼が同じ轍を踏むはずがない。
〈!?〉
──だが、しかし。
竜のブレスとは一瞬で終わるものではなく、継続して放つものである。
つまりは、空間魔法で位置をずらされたとしても、首を動かせば万事解決。
彼のとった行動は一時凌ぎに過ぎなかった。
【ルゥァァアアアッ!】
〈はあッ!?〉
状況を理解したレヴィアタンは、瞬時に「竜眼」をもってロウを捕捉。ブレスを放ったまま首を動かし、上空にいた魔神を真一文字に薙ぎ払う!
〈ぐぅッ〉
海魔竜の動きを注視していたロウは咄嗟に回避し、またも辛うじて直撃を逃れる。
されども、曇天を真っ二つに割るほどの余波は防ぎきれず。体毛が焦げるほどの衝撃波で吹き飛び、海に墜落した。
【落ちたか。ほいだら、仕上げといこーかのっ!】
自身の生み出した水を全て操れる海魔竜はここを追撃。
眼下にある水を九つの渦巻く柱へ変え、あらゆるものを裁断しながら天へと打ち上げる大魔法を構築する!
【なはははっ! 避けられぞお魔神ロウっ!】
地上に満ちていた水分の殆どを吸い上げた渦巻く柱は、成層圏どころかその上層にまで到達。火山灰と入り混じった水分は魔法で生まれた気流により大陸各地へ飛散し、降雨降灰現象を引き起こすが──。
【──……あての『眼』にも反応は無し。渦に巻かれて藻屑になったんかえ?】
天を睨むガーネットの瞳に、魔神の魔力は映らない。
先のブレスも大魔法も加減などしていなかったが……あのしぶとい魔神がこれしきの事で死ぬだろうかと、レヴィアタンは疑問を零す。
【む! やはりきよったか!】
果たして、彼女の予想を肯定する様に真紅の魔力が周囲に満ち、四方八方に白き門が現れる。
[[[──!]]]
そこを潜って現れたのは、夥しい数の氷の竜。尋常ならざる硬度を獲得した魔神の尖兵!
【自前の空間に逃げ込んどったか? 賢しい真似をしよる!】
雲霞の如く押し寄せる氷竜たちへ、自らに生える剣鱗を使った体当たりと超高圧水流で応じる海魔竜。自慢の硬度など竜が前では何の意味もなさぬと、彼女は一切を切り伏せた。
それは正に一瞬の出来事だったが……百分の一秒で空間魔法を構築する上位魔神にとっては、十分な時間である。
〈──お待ちかねのお仕置きタイムだってなァ!〉
ごく短い時間外敵へ意識を向けた海魔竜。その足元へと空間魔法で顕れるロウ。
自身の権能を全開にした彼は、ウツボ型の触腕を握りこみ──剣鱗生い茂る胴体を殴り、打ち抜き、打ち砕く!
〈おッんッどッりゃぁぁああッ!〉
【お゛が、あ゛っ!?】
大陸震撼、かけるの三連打。魔神の震脚が海を吹き飛ばし、魔神の拳が天地を揺らす!
山をも貫く豪打連撃を浴びた巨竜は仰け反り、吹き飛んだ。
それすなわち、魔神が食事の時間である。
〈ハハハッ! 結構食えるじゃねえか、ウミヘビ野郎ッ!〉
のたうつ海魔竜への追撃は、巨大なウツボと化した触腕たち。暴食の権化となったロウが覇竜の剣鱗を次々と噛み砕き、剥き出しとなる肉を食い千切る。
血しぶきを上げて暴れまわる藍色の巨竜と、竜に食らいつく悍ましき漆黒の魔神。
その光景は、人が思い描く神話の戦いそのものであった。
【う、があぁぁあっ!】
しかしながら、やはり古き竜。
最強の防御さえも瓦解させる虚無であったが、それが成立するのも意識が逸れていたらの話である。
虹なる魔力を滾らせて、レヴィアタンは虚無を帯びた魔力を一気に相殺。触腕の歯が弾かれ体勢を崩した魔神を、胴体を捻ってぬかるみの大地に叩きつける!
〈うお、あぶねッ!?〉
すんでのことで触腕を無数の腕に変えたロウは、それを屈伸させて弾むように海魔竜の体を跳び回り、圧殺を回避。
鋭利極まる剣鱗で体を裂かれつつも、なおも続く竜拳竜尾を跳躍運動と空間魔法で躱し、魔神は再び機を窺う。
(不意を突けば虚無が通る。なら恐らく、虚無を凝縮して打ち出す「空即是色」は、こいつでも必殺級の威力になるはず。でも、今回の不意打ちで警戒度合いが上がってるから、簡単にはいかない、か。……奇襲のトドメは捕食じゃなくて必殺技にすべきだったか。クソッ)
とぐろを巻いて研削盤の如く万物を削り取るレヴィアタンには、虚無の触腕も歯が立たないどころか微塵に刻まれ霧散する一方。
正面からでは魔法も打撃も通らない理外の存在を前に、ロウは肉体精神共に追い詰められていく。
そして、何より──。
(ぐぅ……。ロウ、そろそろ、憑依の限界が近いようなのです……)
──戦いを成立させている曲刀の助力が、限界に達しようとしていた。
既に上位魔神というに相応しい力を持つロウではあるが、未だその潜在能力を十全に扱うことが出来ずにいる。
それを補助しているのが曲刀たちであり、彼女らの助力がなければこの戦いは成立しない。如何に例外中の例外たるロウといえど、古き竜を相手取るには未だ力不足だった。
一方、ギルタブの念話を傍受しロウの現状を知ったレヴィアタンは、削り取られた肉体を再生させて不敵に笑う。
【なんやぁ、こすい手をつこーとったようやけど……それも仕舞いかえ!】
ならば圧し潰すだけだと、彼女は魔力を全開。そのまま決着をつけるべく、大魔法に体当たりにと猛攻で畳み掛ける!
〈ぐぅッ……〉
【なはははっ、消し飛べ──!?】
大地に打ち込んだ竜拳の衝撃波でロウを宙へと浮き上がらせ、尾の追い打ちで叩き落した海魔竜は、止めのブレスを放とうとしたところで──胴体を穿たれてしまった。
【──っ!?】
〈随分な苦戦ぶりだな? ロウよ。お前の降魔も、存外大したことはないのだな〉
得意げな声と共に空間を裂いて顕れるは、蠍型の下半身に人の上半身を持つ魔神。
ロウの窮地に顕れたのは意識を取り戻したセルケトだった。