1-19 少女からの印象
商談を終えたロウが出発準備のために立ち去った後。
土壁の裏で気配を消していたヤームルが姿を見せて、祖父の向かいにある椅子へ腰を下ろす。
「──随分と彼のことを気に入ったみたいですね? お爺様」
「あれだけ若く才がありながら、あれほど自己を律しているのは実に見事だった。くくッ、ヤームルでも鼻持ちならない時期があったというのに」
ムスターファがからかう様に返すと、孫娘が河豚もかくやという膨れっ面になる。
拗ねた孫娘の栗色の髪を梳きながら三つ編みを結い、彼は言葉を続けた。
「ヤームルは彼のことをどう感じたかい?」
「今回感じた印象と彼の話す過去の行動が、どうにもチグハグだと感じましたね。様々な経験を通して成長したのかもしれませんが、それにしてもあの年であの雰囲気は出せないかと……」
ヤームルは、ロウの人柄と彼が言う過去の行いがあまりにも乖離していると感じていた。
物怖じしない精神や異常な魔力操作を見せる水精霊、そして彼自身の尋常ならざる魔力量。
元々油断ならない人物であるとは考えていたが……先ほどの話でロウに他者から報復を受けるほどの行いをしてきた過去があると知った彼女は、今まで見てきた姿が全て演技だったのではないかとさえ思えてきたのだ。
「フフ。儂は単純にやんちゃだっただけだと思っているがね。男なら一度や二度ははめを外してしまうものだよ」
一方のムスターファは軽く考えている。
あの実力であれば壮絶な過去を持っていても不思議ではないが、商人として培ってきた目で視た彼の金色の瞳に濁りはなく、透き通るような真摯な光のみがあった。
それでいてあのふてぶてしい態度というのも妙なことで、そこに堪えきれずムスターファは大笑いしてしまったのだが……。
「お爺様が彼のことを気に入っていることは、十分理解しました」
ヤームルは呆れたように嘆息し、灰色のジト目で髪を結っている祖父をなじる。彼女の祖父は身内やお気に入りに対して非常に甘いのだ。
「おや、ヤームルはあの子のことが苦手かい?」
「苦手というより、どうにも胡散臭い感じが……恩人に対して失礼だということは、分かっているのですが」
少年の持つ年齢にそぐわない理路整然とし落ち着き払った空気が、なんとも言い難い疑わしさを放っている気がすると感じた少女。
実際のところ、ロウはその場を乗り切ることに一杯一杯だったのだが……。幸か不幸か彼のポーカーフェイスは中々のものだったため、その内心は知られていない。
「ボルドーまでまだ距離があるから、彼と色々話してみると良い。精霊について聞きたいこともあったのだろう?」
ムスターファは孫娘の交友関係の狭さを心配する。
ボルドーにある大図書館や祖父の書斎で書物を読み漁り、知識を貪る毎日を過ごすヤームルに、同年代の友人など皆無。大学の夏季休業で帰郷しているというのに屋敷と図書館を往復するばかりである。
それだけに、年が近く才気にあふれ頭もよく回る件の少年は、まさに誂えたような相手に思えたのだ。
「全く、お爺様は。そんなに心配しなくとも魔術大学には友人がいますよ?」
遠回しにボッチであることを心配され憤慨するヤームル。
大学に戻れば彼女にも友達はいるのだ。たとえ片手で数えられる人数だったとしても心配される謂れは無いはずだ。少なくとも自分ではそう信じている。
祖父の手による三つ編みが終われば、少女は用も済んだとばかりに去っていく。
その姿を見送りながら、ムスターファは怒った表情も可愛いものだと、改めて孫娘の愛らしさを確認したのだった。
◇◆◇◆
朝食後、準備も終わり出発する一行。
馬車があったこれまでよりも遅々としたものだったが、彼らは魔物や動物を警戒しながら街道を進んでいく。
(あ゛ー。疲れた~)
そんな中、ロウはゲッソリとやつれた様子で隊列の後方を歩いていた。
(なんだ? 魔力欠乏症が遅れてやってきたか?)
少年の腰に佩かれた銀刀が不思議そうに問う。起床してから今までの間に魔力の消費は殆どなかったはずなので、疑問に思ったようだ。
(魔力なら幾ら使っても屁でもないんだけどな。さっきみたいな腹の探り合いのような交渉事はしんどいんだよ)
(ほう。楽しんでると思ったら違ったか)
(傍から見ている分には、嬉々として応じているように感じましたが?)
(あんなもんただの処世術の一種で演技してただけだっての。嫌そうな顔なんて見せたら相手の機嫌損ねて旨い話に繋がらないかもしれないだろ? 人間ってのは表面を取り繕わないといけない、悲しい生き物なんだよ)
(人間族は複雑怪奇なのです)
ロウが内心を打ち明けると、なにやら人間の社会活動に衝撃を受けたらしい黒刀のギルタブ。彼女は魔族に造られたからか、考え方が魔族的なもの――力こそ是というようなシンプルなもの──に近いようだ。
それだけに、先ほどのような腹の探り合いは、まどろこしいように感じたのだろうとロウは思った。
「先ほどから難しい顔をされて、どうかなさいましたか?」
「! いえ、魔物の気配がないなと。やはり竜が現れた影響なんですかね」
いきなりヤームルから話しかけられ、大いに狼狽えるロウ。まさか脳内で意志ある武器と会話してましたなどと言えるわけがなく、適当に理由をでっちあげて誤魔化した。
(見ろ、ギルタブ。今のやり取りでもロウが俺たちとの会話を伝えなかっただろ? あれはロウが俺たちのような意志ある武器の所持者だということを知られない為に嘘をついたんだ。商人からすれば、俺たちのような存在は喉から手が出るほど欲しいだろうからな)
(なるほど。しかし、恩人に対し武器を譲ってくれなどと迫るものでしょうか?)
(当然対価となる金なり物なりは積むだろうさ。ただ、ロウはそういったやり取りへの発展が面倒に感じるから、注意深く会話しているのだろうよ)
サルガスがギルタブへ解説するという珍しい逆転現象が起こっているが、ヤームルと会話中のロウにとっては気が散って仕方がない。
「そのようですね。これならボルドーまで──あら?」
そうやってロウが冷や冷やしながら応じていると、ヤームルの足がはたと止まる。何事かと思い少年も周囲を警戒すると──遠方街道上で馬を走らせる、騎士の一団を確認できた。
「ボルドーの衛兵ではなく、騎士団のようですね? あの大魔法の調査にやってきたのかもしれません」
「となると、協力とはいかないまでも調書のための聞き取りくらいはありそうですね」
ヤームルと話しつつロウは騎士団の目的にアタリをつける。
(あー! 面倒くせェッ! 爺さんたちに丸投げしたい!)
(言ってることと考えていること、こうも乖離するものなのですね)
ロウの心の叫びに対し、呆れを含んだような感想を漏らすギルタブ。
本来ならさっさとボルドーへ向かい、拠点となりうる物件捜しや魔物狩りや魔法研究に明け暮れたかったロウだが……。ドレイクと遭遇し、その脅威から逃れるのに一役買うどころではない活躍を示したのだ。状況説明の際に当人がいない、では話にならない。
(まあまあ、友達が助かったんだからそのくらい甘んじて受けるんだな。大体、竜と対峙し生存したなら、それは結果如何を問わず英雄に足る力量だぞ?)
そういう忠告くれるの遅くない? と思うも、結構引き留めてくれていたのに振り切ったのは自分だったかと少年は思い返す。正に身から出た錆といったところだ。
「ムスターファさん、少しいいですか?」
「フム? 口裏合わせかねロウ君?」
ロウが一緒に隊列後方を歩くムスターファに話しかけると、察しが良すぎる回答が返ってくる。一体どんな印象を抱いているのかと、少年は憤慨したい気分にかられた。当然自身のやってきた行いのことなど棚上げである。
「その通りなのですが釈然としない思いです……と、話が逸れました。ムスターファさん、調査団の方に説明する際、方便として俺を雇っているということにしてもらえませんか?」
「フフフ、方便でなくとも構わないのだがね。騎士や領主から目を付けられるのは避けたいといったところかね?」
「おこがましい話ですが……」
澄ました顔で会話を続けるロウだが、内心は彼に主導権を握られ戦々恐々であった。とはいえそれを表に出さないあたり、やはり彼も相当に器用である。
「例の素材取引の話もある。君が国仕えとなるならそちらに支障が出よう。そうなれば君との縁のみならず儲け話を逃すことに繋がるからのう」
おとがいに手を当てながら言葉を紡ぐムスターファ。こういう仕草も非常に様になっているのは長く生きた年齢によるものか、身に着けている教養のなせる業か。そんなことを考えながらもロウはムスターファに礼を告げる。
「ありがとうございます」
「なに、君には大恩がある。この程度で返せたと思っていないし、末永く付き合っていきたいと考えているのだよ」
──そんな祖父たちの会話を、黙って見つめているヤームルは。
(うーん。やっぱり国に仕えて立身出世、なんてものに興味がないっていうのは本当みたいね? 取引を成功させるための方便かと思っていたけど。名誉よりお金が欲しいのかしら? でも、それにしたってあの取引じゃあ冒険者組合に持って行った方が多く貰えるだろうし。胡散臭いけど、本当のことを言っていたのかな?)
などと、ロウへの評価を少し改めていた。未だ恩人に対するものではないが。
(お爺様はいたく気に入ってるみたいだし……むむむ)
彼女は幼少より商人としての教育の一環で、商家の子弟や貴族の跡取りのような、気位の高く、腹に一物あるような子供たちと何度も顔を合わせてきた。
それだけに、ロウのような実力を持ちそれを示したにもかかわらず、高圧的どころか下手に出ているとさえ思える態度は、奇天烈怪奇であるとさえ思えたのだ。
いずれにせよ、彼女にとってはロウが興味深い存在であり恩人でもあるため、商家の子らのように邪険に扱うのはやめておこうと、ヤームルは決意する。
彼女がそう考えたところで、一行は騎士団と接触したのだった。