6-9 災禍の前触れ
時は前後し、ロウたちが学生寮から移動している頃。魔術大学野外演習場では。
「──前進、止め! 歩兵隊、構え!」
「「「ッ」」」
「砲撃隊、砲撃開始! 騎馬隊、横撃準備!」
「「「オオォッ!」」」
千を超える騎士たちが盾と槍を構え、軍事演習を行っている真っ只中だった。
前進した歩兵騎士隊が相手の部隊を止め、砲撃隊が敵陣中央を魔術で爆撃。魔術の弾幕で注意が逸れたところで騎馬隊を動かし、敵陣の後方を突き破り、食い散らす。
その相手は物言わず単純な前進のみを行う土魔術で創られた石くれではあったが、将軍の指示通りに部隊が動き攻撃は成功。
大銅鑼を合図に行われる攻撃、魔術、奇襲。そのいずれもが、一糸乱れぬ動きだった。が──。
「──ふむ……。やはり兵の士気は、そう高くないようですね」
「何分急な召集でしたもので、首都までの移動による疲労があるのではないかと愚考します。ご期待に沿えず申し訳ありません、女王陛下」
魔術で創られた高台から布陣を見下ろす銀髪碧眼の熟年女性は、華美なドレスを風で靡かせ、不満とも憂いともつかない溜息を漏らした。
演習の総指揮をとっている鎧姿の男性──パウルス将軍から頭を下げられている森人族の女性は、魔導国を建国した女王の実娘にして現女王、エイレーネ。
日々増えていく身体のシミと格闘している彼女は、人間族基準では五十歳そこいらの容姿だが……実のところ齢三百を超える古老である。
そんな彼女が君主として君臨するこの魔導国。王に権力が集約されている絶対王政ではなく、様々な地位、職業の者たちからなる元老院との合議制となっている。
農村や宿場町、地方都市の代表に、商人や職人、軍を預かる将軍に都市の守りを任されている騎士団長、更には魔術大学の学長など。元老院の人員は実に多様な顔ぶれである。
その運用は、分野ごとの専門家が意見の収集編纂し、王や門外漢たちは専門家とは異なる立場から意見を出していく、といったもの。魔導国を建国した先代女王が権力の集中を嫌い、自ら作り出した政治制度なのだ。
支配者たる王に堂々と意見し、あまつさえ的外れだと切って捨てることもあるこの合議制は、エルフという気性の穏やかな長命種が王であるからか、不思議とうまくいっていた。
だからだろうか、本来は支配者と被支配者でありながら、現女王と将軍の間にはほんのりと気安い雰囲気が滲む。とはいえ、それも高台の周囲を固める兵たちから気付かれない程度だが。
「いえ、無理もないことですから。ただ、活性化している魔物たちもこちらを待ってはくれません。今無理を通さねば、この国の民が、彼ら騎士たちの守るべき家族が危険に曝されることでしょう」
「仰せの通りです。しかしながら陛下、兵も疲労という点以外にも気に掛かる事があり、それが影響して今一つ集中しきれないのではないか、と私めは考えております」
「例の大災害のこと、ですね。……大災害の詳細というものも、把握してはいるのですが。貴方も、おおよその見当はついているのでしょう?」
士気が低い理由は大災害に関する情報が共有されないからではないか、と暗に問われたエイレーネは、頭痛を抑えるように額に手をやったまま将軍へ問い返す。
「見当違いかもしれませんが……。何でも大災害の真相は、大砂漠で竜が癇癪を起こし暴れたのだとか」
「残念ながら事実ですよ、パウルス。その上竜は暴れたということに留まらず、魔神と殺し合ったのだそうです。これは単なる得られた情報からの類推ではなく、大砂漠で神話の如き戦いを目の当たりにした、知恵の女神ミネルヴァ様の眷属から得た証言です」
彼女が魔術大学の学長からもたらされた情報を開示すると、将軍は呻き狼狽える。
「なんと……。竜のみならず魔神まで絡んでいたとは、私めは陛下のお考えにようやく思い至りました」
「公表するにはあまりに危険な事実ですからね。人族の敵対者である魔神、それも伝説たる竜と真っ向から戦えるほどの、力ある魔神……。そんな存在が明るみに出れば、建国以来の大混乱となる可能性もあります。この件に関しては慎重を期していきましょう」
「お心のままに」
事実を公表しない方向で合意をとった二人が頷き合ったところで──演習を行っている騎士とは異なる兵士が馬を駆って現れ、場の空気は急変する。
「──伝令、伝令ー!」
「何事だ? 女王陛下の御前なるぞ」
「か、火急につきご容赦を! 東部草原森林地帯より、大規模な魔物の侵攻有り! 魔物は空から襲撃し、東部境界の監視塔や砦を突破! この首都を目指しているものと思われます!」
「なんだと!?」
この場に女王までいるとは思っていなかったのか、落馬する様に地面に降りて跪き、状況を報告する兵士。エイレーネは至る所に裂傷のある兵士を労い、具体的な情報を求めた。
「よくぞ駆けつけてくださいました。砦の被害状況に魔物の侵攻状況、そして魔物のおおよその数と、種は分かりますか?」
「ハッ。魔物の種別は怪鳥ども……ベールクトやハルピアが数十ほど。それだけではなく、大型種の魔物、グリフォンやヒポグリフも数体確認しております。魔物どもの魔法や体当たりで砦も損壊しておりますが、大部分は上空を通過しただけで人的被害は軽微です。残る侵攻状況に関してですが、恐らく早馬と同程度の飛行速度……直にここ北門へ現れるものと思われます」
女王から直々に問われた兵士は、緊張で身を固くしつつも状況を語る。
──兵士の語った魔物たちの内、怪鳥と呼ばれる魔物がベールクト、そしてハルピアである。
前者ベールクトが魔物化し魔法を操るようになった鷹であり、後者ハルピアも魔物化し、動物の精神に作用するような鳴き声を獲得した鷲となる。
いずれも体長が一メートルを超え、翼長に至っては三メートルから四メートルほどにまでなる巨鳥。しかしながら……それも大型種たちの前では霞んでしまう。
白い羽毛の美しい鷲の上半身に、黒褐色で逞しい獅子の下半身。鳥類の前肢、獅子の後肢から生える黒曜石の如き鉤爪に、琥珀色の鋭い目つき。
強力な風魔法を操り亜竜と並び“空の王者”と称されるグリフォンは、体長が二階建ての建物にも迫る巨体。たとえ国の精兵たる騎士であっても、単独では到底太刀打ちできない存在だ。
その亜種たるヒポグリフもまた巨体であるが、鷲の上半身に馬の下半身を有するその身はやや小さく、家屋というよりは小屋ほどのサイズだ。とはいえやはり、人の身で相手とするには巨大すぎるが。
「貴方の報告で私たちは備える時間を得ることができました。監視兵としての責任を果たしてくれたこと、嬉しく思います。後のことは騎士に任せ、ゆっくりと休んでください」
報告を聞いたエイレーネは兵士の素早い行動と細かな報告を称え、陣の後方にいる救護班の下で休むよう促して送り出した。
その後、彼女は将軍パウルスと共に各部隊の長を集め指示を飛ばしていく。
上空から攻める魔物ということで通常とは異なる布陣を伝え、身体強化を使って機敏に動く隊長たちを見送った女王エイレーネ。一通り指示を出し終えると、彼女は毅然とした表情から渋面へと変わってしまった。
「──単一種族の集団ではなく、異なる種の混合集団ですか。演習のために騎士たちを呼び寄せたことが仇となったようですね。こうも早く魔物が動くとは」
「しかしながら陛下、今この時期に演習を行ったからこそ、砦が戦いの場とならず人的被害が抑えられたとも言えます。むしろこの場で魔物どもを打ち滅ぼせば、よき実地訓練となりましょう」
「全く、物は言いようですね──っ!」
亜竜に匹敵する脅威もいるのに、とエイレーネが青い瞳をジト目にしたところで──怪鳥の叫喚が木霊する。
「「「クァアアアッ!」」」
「パウルス、私を護りなさい。私は儀式魔術を構築します」
「仰せのままに」
「あら……。貴方なら止めるかと思っていましたのに。では、よろしく頼みますよ」
制止を受けるかと思いきやご随意にということで肩透かしを受けている彼女に頭を下げ、パウルスは身体強化や遅延魔術を準備しながら考える。
(下手に反対してしまうと、ムキになって前線に行くとまで言い始めそうですからね、陛下は。単独で儀式魔術を構築可能な戦力とはいえ、もう少しお立場を考えて頂けないものか……。はぁ)
碧眼を眇めて彼方の魔物に狙いをつける女王に、心の内で小さく嘆息する将軍だった。