6-3 魔神の権能
宿泊している「竜の泥酔亭」についたロウは、今回の依頼者の娘であり宿の従業員でもあるイサラに、自分たちが帰ってきたことや彼女の父が無事なことを伝えた。
その後は魔力をせがんできた眷属たちに真紅の魔力を与えたり、その眷属たちからジェスチャーで留守中の報告を聞いたりして時間を過ごし、その日の深夜。
「──さて、あいつらの様子を見に行くか」
二、三時間ほどの短い睡眠から目覚めた少年は曲刀たちに留守を頼み、眷属たちを連れて自身の空間へ赴く。
ヴリトラによって創り出された砂の海も消えたため、再び白一色となった異空間。
そんな中でぽつんと染みのように色付いた青色が、少年の目に留まった。
「お? ウィルムは起きたのか。おーい」
【!】
遠方よりロウが声をかけると青色の生物は即座に反応。一気に上空へ飛翔すると、流星のように少年たちの下へ飛来した。
「うおッ、冷ッ!?」
[[[──]]]
【ロウ貴様、無事ならさっさと顔を見せろ!】
「生きていたか、ロウ」
周囲を冷気で霜塗れにしたのは青玉竜ウィルムと、その背に乗る魔物、セルケトである。
人型へと変じているセルケトは少年の姿を見ると竜の背から飛び降り、傷が無いか確かめるように少年の身体を触り始めた。
「うひぉいッ!? いきなりなんだよ」
「その身体、本物なのか? 我が見た時は確かに、お前は首だけの状態で転がっていたが」
【そうだ、説明せよ。妾は貴様の残骸に紅の魔力を見ておるし、アレが身代わりであったとは考えられん。どういうことだ?】
「ああ、そういうことか……。アレは見たまんま首だけの状態になって、そっから回復魔法で身体を構築したんだよ。あの時はマジで死にかけたけど、昔マルトに首を斬り落とされた経験があったから、冷静でいられて何とかなったな──」
再会の抱擁ではないのかと、少し残念そうに相手を引きはがす少年。
彼は自身が無事だった理由やヴリトラとの戦闘、ティアマトや神たちの介入など、現在に至るまでの経緯を大まかに話していく。
琥珀竜の大魔法の規模を聞いたセルケトが身震いし、少年が殴り飛ばしたと言えば人型となったウィルムが高笑いし、眷属たちが囃し立てる。
そんな時間が三十分ほど続き──。
「──とまあ、そんな感じで、何とかなった訳だ」
「あの琥珀竜相手に……幾らロウとはいえ、信じられんな」
「……いや、セルケトよ。これの魔力は以前とは質が変わり、更に濃い色へと変質している。こやつが『降魔』を経て更なる力を得たのなら、確かにあの爺の相手も務まるやもしれん」
セルケトが懐疑的な見方を示す一方、あらゆる魔力的な流れを看破する「竜眼」を具えるウィルムはロウの言を真実と認め、己の眼で見抜いた事実を伝えた。
その言葉を補強する様に、少年も続く。
「『降魔』だけじゃなくて曲刀たちの力も借りてやっとこさっとこ、って感じだったからなー。俺がヴリトラと同等の力を持つかって言われたら首を振らざるを得んよ。それも空間魔法で裏をかいてようやく、だからな」
「ふっ、妙な謙遜を……ん? 待て、あの爺に空間魔法が通用したのか? 貴様の異空間は打ち破られただろうが」
「ああ、普通に構築した空間魔法は大体砕かれたな。だから俺の権能を乗せた魔法で対抗したんだよ。ちょっとやってみるか」
折角話題に出たのだからと、ロウは己の権能を乗せた漆黒の魔力を解放し──ようとしたが、溢れ出る魔力は真紅のまま変わらず、失敗に終わる。
「……あら? 権能って人型状態じゃ扱えないのか?」
「神どもや妾たち竜は扱えるが、貴様ら魔神は人型として力を抑えて込んでいる以上難しいようだな。尤も、人型でも権能を自在に操る魔神もいたが」
「ほぇー」「ほう、難儀な性質よな」
ウィルムの説明通り、竜や神にはロウのような権能の制限はない。
かつてここ「竜の泥酔亭」の庭園で、大地竜ティアマトが生み出した“大地”の権能を帯びた魔樹も然り。
妖精神イルマタルが“魅惑”の権能を振り撒いて無断宿泊していたことも然りだ。
翻って、魔神はといえば個々別々である。
ロウのように人型状態では権能を発動することさえ出来ない者もいれば、“影”を司るロウの父親──ルキフグスのように、限定的であれば扱える者。
更には、破壊の化身にして“不滅”の魔神バロールのように、常に権能を発動し続けている者。
その在り方は様々だ。
「とにかく、空間魔法をぶっ千切る攻撃は権能でどうにかしたんだよ。実演するのは降魔状態にならないといけないからパスで」
「全く、雑な閉め方だ。変わらんな、こやつは」
「死にかけようが降魔を経て変質しようが、いい加減な本質は変わらんのだろうさ」
[[[──]]]
「へいへい。まあ、君らも無事目が覚めてくれてよかったよ。まずは快気祝いに飯だな」
異形の降魔状態を見せることに抵抗があったロウが誤魔化すと、己の眷属を含む全員からさもありなんと納得されてしまう。
憤慨しつつも本音を見透かされなかったことに安堵した少年は、彼女たちの食事を作るべく食料を保管してある石の家へと逃げ込んだのだった。
◇◆◇◆
セルケトたちと一緒に食卓を囲み、食事を終えて寝入った彼女たちの寝顔を見守るロウ。その表情はここ数日になかった柔らかなものだ。
回復魔法で治療したとはいえ、彼女たちは頂点たる存在の大魔法を見舞われている。
竜の大魔法という肉体にどのような影響を与えるのか全く分からぬ代物に対し、竜に関する知識も人体に関する医学的知識も乏しい少年が不安に駆られていたのも、無理からぬことだった。
[──?]
「ん、何でもない。そろそろ始めるか」
しばし安らかな表情を見届けロウは、眷属たちと鍛錬を開始するために石の家を出る。
白い天井に白い大地。そんな異様とも言える空間を己の眷属たちとぷらぷら歩き、出発地点が豆粒となったあたりで少年は口を開く。
「さてさて、久しぶりの眷属揃っての鍛錬、一緒に頑張りますかね。まあ揃ってといっても、長女のマリンがいないけども」
[──、──?]
「いやいや、流石に会いに行くだけのために空間魔法を使うのはちょっと……。第一、ムスターファさんたちに誤魔化しようがないだろ、ボルドーとヘレネスは相当距離があるし」
ロウの漏らした言葉に末っ子のサルビアが反応し、彼女は未だ見ぬ長女に会ってみたいと創造主へ陳情した。
とはいえ、幾ら非常識が皮を被って歩いているような少年でも、千キロメートル以上離れているボルドーへ会いに行くのは難しいと考えたようだ。
勿論、空間魔法を用いれば会うこと自体は容易である。
されども、事情説明が難しい。彼は魔神であり人目を忍ぶ存在、人の領域から外れた手段はおいそれと使えない。
不幸にもヤームルやアインハルトたちに露見してしまったが、彼の中では隠していきたいという基本方針に変わりはないのだ。
[──……][──][──?]
「そんなに残念がるなって……なに? 気配を断ったり『透明化』したりすれば見つからないって? 不法侵入かよ」
しょんぼりする妹を哀れに思ったのか、あるいは自分たちも会いたくなったのか。長男のコルクや次女のシアンも妹に同調し、創造主に方策示しつつ意見を後押しする。
「仕方がない奴らだな、全く。まあ、超長距離の移動実験には丁度いいか」
[[[!]]]
やはり我が子たちからの押しに弱いのが創造主であった。
飛び跳ねたり人型から不定形となったりして喜びを表す眷属たちと別れたロウは、異空間を出て支度を行い、星空の下ボルドーを目指したのだった。