5-20 神話大戦の顛末
相も変わらず大砂漠。
二柱の神が飛び去ってからしばらくの間、女神とその眷属から質問され、そして彼女たちに質問を返す時間となった。
向こうからは戦闘に至る経緯や降魔について。こちらからはいつから見ていたのか、また見ず知らずの神であるエンリルについての説明を受けていく。
あの褐色大男が暴風神であり、妖精神に匹敵する力ある一柱だと教えてもらったところで、ようやく竜たちの殴り合いが終結した。
百メートル級の赤き竜と五十メートル級の琥珀竜の争いは凄まじい迫力だったが……幸いにして被害は俺と戦った時ほどとはならなかった。物理的な殴り合いに終始していた故だろう。
それでも大地震が頻発し、云百メートルあるクレーターが幾つも出来上がっていたが。とんでもなさすぎるぞ竜属ども。
あの巨竜と戦いよく生き残れたものだ──と感慨にふけっていると、人化を済ませた竜たちがこちらにやってきた。
赤錆色の樹皮を持つ翼を生やした赤き美女と並んで地面に降り立ったのは、透き通るような琥珀色の長髪を持つ老人。ティアマトと同じように布を巻きつけるような衣服をしているため、彼女の祖父のようにも見える。
砂を固めたような翼を背から生やすその人物は、竜属特有のガーネットの瞳を燃え滾らせ、鎖骨に刻まれた皺を伸ばし俺を見上げ開口した。
「フンッ。まさかきさんが、既にティアマトや神どもにも手を回しとるとはのう。魔神らしい賢しらな真似をしよる」
〈根回しなんてしてないっつーの。ウィルムとの関係も含めて、偶然と誤解が積み重なった結果なんだよ。そういうのを説明する間もとらずに、あの出鱈目なブレスを吐きやがって〉
「抜かせ。魔神と竜とが行動を共にしとる方が、よっぽど奇天烈怪奇やろうが。儂ぁなんも悪ない」
背筋の良い翁の弁に反論すれば、更に威勢の良い言葉が返ってきた。己を信じて疑わない、頑迷極まる爺である。
「不毛な言い争いはその辺りにしておけ。我の拳骨を食らいたくなければな」
「フン」〈はい!〉
視線で火花を散らし合っていると炎髪美女が拳をメキメキと鳴らし、仲裁に入ってきた。
反射的に恭順の意思表示をしたけど、彼女とヴリトラの関係性はどのようなものなのだろうか? ついさっきまで取っ組み合いをしていたし、普段行動を共にしている月白竜ほど仲が良い訳ではないようだが……。
「さてロウよ、おおよその経緯はこのヴリトラから聞いたが……汝が空間魔法で回収したというウィルムは、生きていたか?」
〈応急処置は済ませましたね。そこの爺の大魔法で瀕死状態だったので、出来ればもう一度しっかりと治療しておきたいところですが〉
「左様か……。ならば万が一を起こさぬため、ロウには治療にあたってもらうとするかのう。ミネルヴァよ、他の神どもはまだ天に満ちた塵埃を取り除けんのか?」
〈範囲が範囲であるからな。如何にあやつらとて、そう簡単にはいくまいよ〉
「カハハッ、儂の『金砂蓋世』を三度も放ったからのう。短時間で収拾など、奴ら如きに出来るものか」
「偉そうに言うでないわ、この馬鹿者め」
呵呵大笑するヴリトラや、それを見て嘆息するミネルヴァに、主神の鎧の影に隠れているグラウクス。混沌を極める状況だ。
〈そんじゃあ一旦失礼しますねー〉
こんなところにいられるか! 私は帰らせてもらう。
サスペンスドラマだと真っ先に殺されそうな行動と共に異空間の門を潜ると、白と砂色で満たされた空間が出迎えてくれた。ヴリトラが暴れに暴れた後だからか、我が空間は未だに高温状態である。
あまりの状況に損害賠償を求めたくなるけど、閉じ込めた俺が悪いと居直られそうな気もする。言うだけ無駄だろうな……。
「──ロウ! 無事でしたか」
「だから言ったろう、心配ないってな」
ふんぞり返って「儂ぁ悪ないぞ!」と言い放つヴリトラの姿を幻視していると、俺が帰ってきたことに気が付いたらしい曲刀(人)が集まってきた。
〈ただいま。あの後ティアマトや神たちが仲裁にきて、戦闘自体は決着したぞ〉
「あのティアマトが……荒事にならず何よりです」
「滅せられなくて良かったな? 神たちが仲裁に回るとは、あの琥珀竜の大魔法、相当な影響があったんだろうな」
〈みたいだなー。今イルともう一柱の神が上空に舞った砂の回収をしてるけど、周囲が一向に明るくならなかったし〉
曲刀たちに状況を伝え終えたところで、簡易の避難場所で寝ている怪我人二人のところへ移動する。
異空間の中は外界と時間の流れが異なっているため、俺が出ていってからそれほど時間が経っておらず、彼女たちの容態が悪化するようなことはなかったらしい。
そんな報告を受けている内に避難場所に到着。
両者ともに呼吸安定、肌も唇も血色よし。掛けられている布を捲って身体を確かめてみても、異常は無いようだった。
ちなみに、竜状態のウィルムは治療時のままだが、セルケトはギルタブが服を着せていたらしく、治療時のように素っ裸ではなかった。
べ、別に裸が見れなくって悔しいなんてことは、ないんだからね!
〈念のためにもう一度回復しとくかね〉
二人とも今以上の治療は必要なさそうだが、再度回復魔法を構築。真紅の魔力を操りサクッと二人を完治させた。
その後はお着換えタイム。折角異空間に来たのだからと降魔状態を解除し、一糸まとわぬ野生児となって靴に服にと身につけていく。
服や靴のある石の家は外部の大部分が砂に埋没していたものの、室内はほぼ無傷であった。家具や魔道具が散乱していたが、竜が暴れてこの程度で済んだのなら御の字であろう。
「──ロウ、これからどうするのですか?」
身だしなみを整えている最中、こっそりこちらを覗いていたギルタブが出し抜けに問いかけてきた。
「んー。とりあえずはまた砂漠に戻って、ちょいちょい神たちと話すんじゃないかな。荒事にはならないと思ってるけど、確実なことは言えないな」
「そうでしたか。では、私も連れて行ってもらえませんか? 万全の状態とは言えませんが、少し休んだのでロウが逃げる時間くらいであれば、憑依もできると思うのです」
「流石ギルタブ、心強い。こっちから頼みたいくらいだ。サルガスは、もうちょい休んでおくか?」
嬉しそうに黒刀へと姿を戻すギルタブを尻目に、彼女が隠れていた壁に向かって声を掛ける。すると頬を掻きながら銀髪イケメンが顔を出した。
「バレてたか。憑依はまあ無理な状況だが、銀刀としては何の問題もない。当然、俺もついていくぞ」
「さいですか。そんじゃよろしくー」
両者とも同行するという意思確認が終わり、銀刀へと姿を戻したサルガスを拾い上げ、異空間の門を開く。
外の状況はどうなっているかなーと考えながら門を潜ると、鎧を脱ぎ去った知恵の女神が砂漠に佇立していた。
グラウクスや竜たちの姿は見当たらない。彼らも上空へ行きイルマタルたちを補佐しているのだろうか?
空の様子はといえば、天上からの陽光は未だ届かず、下界は薄暗いまま──というか、前より暗くなっている。
ただ、遠方では夕焼けの光が戻っているため、かなり範囲は絞られたようだ。塵埃を集めてなお、この辺り一帯を覆うほどの量があったということなのだろう。
(女神……これが、ロウの言っていた知恵の女神ミネルヴァでしょうか?)
(竜と魔神との戦いを調停しにきたにしては、随分と軽装だったんだな)
(そういえば見たことないんだったな君ら。ミネルヴァは俺が戻るまでは鎧を纏って両刃斧を担いだ完全武装だったんだけど、帰ってくるまでの間に脱いじゃったみたいだな)
曲刀たちの疑問に脳内で意識して答えたところで、こちらに気が付いた件の女神から話しかけられる。
〈戻ったか。ティアマトもヴリトラも、既にどこぞへ飛び去ったぞ〉
「マジですか。アレですか、竜だから世界への影響など知ったこっちゃない的な?」
〈正にそのようなことを言っていたな。これほどに影響を与えておきながらなおあのような言動をとろうとは、我もあれらを見下げ果てたものだ〉
「竜属は流石としか言いようがないですね……。それだと、俺も帰っちゃっていい感じですか?」
腕を組み豊満なる双丘を押し上げている女神にお伺いを立てると、瑠璃色のジト目が返ってきた。
〈この状況を創り出した責というものを、汝は一切感じていないのか?〉
「いえ、そんなことを申されましても、大魔法ぶっ放しまくったのはヴリトラで──」
〈──そもそも、だ。この度の一件は、汝が不用意にもこの領域で彷徨っていたことに端を発する。ヴリトラの行動領域であるここで、だ。汝が直接破壊を成していなくとも、汝がこの大災害を惹起したことは確かなことだ〉
ジト目のままずいと寄り、たわわな胸部を揺らして白磁のような人差し指を突きつけてくる女神。
恐ろしく美しい彼女だが、言っていることは凄まじく横暴な気がする。
とはいえ、ここには彼女も含めて三柱も神がいるし、下手なことは言えない。今は相手の要望を聞いておいた方が得策だろう。
(……三柱の神がいるって、神敵たる魔神なら絶望的な状況のはずなんだけどな。要望を聞く程度で済むのが異常だ)
(暴風神エンリルを除けばロウに好意的なようですし、それほど譲歩する必要もないと思うのですが)
少し前にあったイルとミネルヴァの暴言を知らぬ黒刀は暢気なことを言っているが、無視である。とてもじゃないがこいつらを好意的などとは評せない。
「俺に責任があるという言説を認めることは出来ませんが、確かに不用意な行動ではあったかもしれません。女神ミネルヴァは、俺にどういった行動をとるべきだとお考えなのでしょうか?」
〈ふっ、責任は認めんか? まあ良い。先ほどイルマタルから念話が届いてな、上空に舞った塵埃を我らがいる大砂漠一帯に集めることは出来たが、そこから先が難儀しているようでな〉
「量が量ですし、その上ヴリトラの“渇き”を帯びてますもんねえ」
〈然り。イルマタルたちならばそのまま地上へ落とすことも出来ようが、ヴリトラの権能と魔力を帯びた砂が生態系に与える影響は、壊滅的なものとなるだろう。それを無視するにしても、風によって砂が運ばれてしまえば、砂漠のみならず北部外縁に残る緑地にも被害がでることだろうさ。そのような影響は我らの望むところではない〉
「なるほど……。ただ落下させることが出来ないとなると、俺に求めているのは砂を消すことか、もしくはヴリトラの魔力を消し去ることか、って感じですか」
話の流れを受けてミネルヴァの要望を推測してみれば、満足気な頷きが返ってきた。
〈左様。莫大な量の塵埃故、空間魔法で隔離できるとは思えんが……汝にはヴリトラの魔力に抗する術があったはずだ。先の戦闘であの“渇き”に対応していたその力で、砂の持つ魔力を取り去って欲しいのだよ〉
「大規模となると難しいかもしれませんが、やるだけやってみます。終わったらちゃんと解放してくださいよ? 殺すことによって生の苦役から解放! とか言うのは無しですからね」
〈我が名において誓おう。いや、イルマタルやエンリルが妙な気を起こさぬよう、いっそ我も共に行くか?〉
「そうして頂けると助かりますね。イルなんて、言動だけ見ればすぐにでも俺を殺しにきそうですし。『終わりましたか、ご苦労様です。もうあなたは用済みですよ』とか言って」
〈ふっ、如何にもアレの発言らしい〉
女神の名のもとに身の安全を取り付けたので、お仕事開始だ。
女神の加護を求める魔神ってどうなんだ? とも思ったが、背に腹はかえられないので深くは考えないでおこう。