1-16 悪夢を抜けて
ロウたちの乗る氷の船が、風の魔術による推力を得てから一時間ほど。瓦にも似た氷の帆は見事に風を捉え、途中大波や雷撃の恐怖に曝されながらも、なんとか彼らの乗る船を岸まで導いた。
「──やっと着いたわ~……あ、暑いっ!?」
岸へ上がり開口一番、冒険者レアが呻き声を上げる。
先ほど乗っていた氷の船は氷点下で保たれていたのだ。火災現場よりも凄まじい熱気を放つ溶岩湖付近との気温差は、魔力による身体強化を行っていてもなお耐えがたいほどの不快感がこみ上げる。
もっとも、不快感だけで済む辺りが身体強化の異常さを表しているともいえる。通常なら気道が焼け、呼吸すらままならなかったことだろう。
「お爺様こちらへ。身体強化魔術を付与します」
ヤームルが祖父に強力な身体強化の魔術を付与し、他の乗員たちが岸へ降りたところで、ロウが最後に続く。
「これはもはや、人の身では抗えぬ、天災のようなものじゃのう」
ムスターファは眼前の光景に圧倒されながらも瞑目し、この湖に飲み込まれたであろう護衛の傭兵たちへ祈りをささげる。
「ロンメル殿……」
彼と同じく、立ち込める熱気に汗しながら、アルベルトは護衛部隊の隊長を悼む。
経験豊富な冒険者であり人生の先達でもあった護衛隊長には、アルベルトも学ぶところも多かった。今回の旅の中で、パーティーリーダーとしての心構えや集団を指揮する際の留意点など、青年は様々なことを彼から学んでいた。
そんな彼を竜のブレスから守れず、遺体を回収することさえ出来なかった。アルベルトが強い悔恨の念を感じるのも当然である。
「いやあ……壮観ですね」
他方、最後に岸へと上がった少年はしみじみと呟く。
先ほどまで搭乗していた氷の島は、彼が魔力供給を止めるとものの数秒でドロドロと融解。蒸気を立ち上らせながら紅い海へ飲み込まれていった。
「私たちが乗ってた氷、あんなにあっさり融けるものなんだね」
同じように氷塊を見物していたアルバが身震いしながら零す。ロウから豪胆と評される彼女も、自身の命を繋いでいた氷が泥船のように沈んでいく様には身を竦ませる。
「ロウがいなければ、一瞬でああなってたんだろうな。改めて言うが、助かった。ありがとう」
「あはは。友達ですからね。偶然居合わせただけですけど、助けられてよかったです」
氷の島から向き直って礼を述べるアルベルトに、ロウは軽く返す。
彼としては全力で助けるというより、ドレイクにちょっかいを出して注意を向けさせる程度の予定だったのだ。
結果としてはアルベルトたちを救う形になったが、介入の決意は頗る軽い。面と向かって礼を言われると居心地の悪さと気恥ずかしさを感じ、真面目に答えるのが憚られたのだ。
「君がいなかったら儂らも骨すら残らなかった。礼を言わせてくれ」
「ロウさん、ありがとうございました。──それと、どこでその精霊魔法を鍛え上げたのか詳しく聞かせてくださいっ!」
ムスターファ家が揃って頭を下げたのもつかの間、栗色の少女ヤームルが鼻息荒くロウへと詰め寄る。
「いやー、鍛え上げたっていうほどの物じゃないですよ。俺自身の魔力量が多くて、器用で要領のいい水精霊と縁があっただけですから」
「そうそう、ロウ君ってば、魔力量凄く多いのね~? 精霊魔法をあんな規模で長時間維持するなんて、ビックリしちゃった」
「同じく驚いた。魔力量が多いドワーフでも難しいと思う」
少女の剣幕に引き攣った顔で謙遜するもレアとアルバからも詰められ、苦笑いに転じるロウ。
「そういうもんですかね? とりあえずここだと雷やら溶岩やらが飛んできますし、移動しましょう」
そう言いつつ、彼はそのまま先導を買って出る。アルベルトも続き男二人で前衛をつとめ、中衛に魔術補助の出来るアルバ、後衛に森林火災からの被害を防ぐレアとヤームル、そして彼女たちに守られている商人のムスターファといった陣形だ。
火災地帯を消火しながら一行は進む。火災の影響か周囲に生き物の気配は一切なく、彼らはつつがなく火災地帯を抜けることに成功する。
火災現場から十数キロメートル離れたところで日が暮れ、一行は野営をすることになった。
◇◆◇◆
野営に適した開けた場所を見つけると、レアとアルバの働きで椅子やテーブル、かまどや塀で囲まれた寝床などが次々と作られていく。
野営の一式を魔術で作り終えると、冒険者の三人はそのまま食料を捜しに向かった。
残ったロウは、共に休んでいるムスターファとヤームルに、バックパックに詰め込んでいた食料を食べてもらうことにした。
「ロウ君には世話になりっぱなしだのう」
取り出した干し肉や乾パンを振る舞っていると、ムスターファがしみじみと呟く。
「困った時はお互い様というやつです。お金に困ったらたかりに行くので、その時は邪険にしないでくださいね」
「クククッ。奇妙な子だ。あれほどの精霊魔法を行使できるなら金銭に困ることなどなかろうて。騎士として志願すれば、すぐに候補生として取り立ててもらえよう」
「俺は市井の徒ですから。宮仕えなんて性に合いませんし、そもそも騎士としての品性に欠けます」
「あら、そんなことはありませんよ? 滅多に見ない黒髪に、味のある異国風で端正な顔立ち、それに色っぽい褐色の肌。どこか他国の貴族と言われても納得が……って、どうかされましたか?」
ヤームルが歯の浮くような言葉の数々でロウを褒めそやすと、少年の表情が再び引きつっていた。
「お褒めあずかり光栄です。とても同年代の口から出る言葉とは思えず驚いてしまいました」
「はっはっは。ロウ君も大人びているが、うちのヤームルは君以上だからね。非常に出来た子なんだよ──」
軽い食事を終え人心地ついたところでムスターファによる孫娘自慢を聞かされるロウ。適当に相槌をうちながらチラリと話題の人物を見ると、優雅な所作で白湯を飲んでいる様子が目に入る。
(堂々とした振る舞いで白湯ってのも面白いもんだな)
不意に飛んできたサルガスの突っ込みで吹き出しそうになったロウだったが、ムスターファが孫自慢中だったため辛うじて衝動を抑え込む。
(お前ね、不意打ちはマジで止めてくれよ。俺がいきなり笑いだしたら不審者になっちゃうだろうがッ!)
(俺だって暇なんだ、仕方が無いだろう? いつでも構えって訳でもなし、独り言と思って聞き流してくれ)
その独り言が不意打ちにつながるんだよと溜息をつきたくなる少年。しかし、ここで嘆息しようものなら、孫を溺愛する爺さんからどんな目で見られるか分かったものじゃないと、必死な思いで我慢を続ける。
「人を食ったようなロウも、どうやら押しには弱いようだな」
食料探しから戻ってきたのか、ニヤニヤと笑みを浮かべながら土魔術で作られた椅子に腰かけるアルベルト。その手には焼かれた獣の肉が盛られた皿がある。既に狩猟を終えたようだった。
「おお~、流石アルベルトです。竜の影響で難しいかと思いましたけど、よく狩れましたね? 干し肉だけじゃ少し物足りないと思っていたので嬉しいですよ。ありがとうございます」
話を逸らすついでにヒョイと肉を摘まむロウ。
そうこうしている内にレアやアルバも果実やキノコを調理してテーブルへと配膳し、一気に華やかとなる。
そんな卓を囲みながら、一行は談笑し和やかな雰囲気で食事を摂ったのだった。
◇◆◇◆
食後。ロウは塀に囲まれた寝所に動物の皮をなめして作られた寝具を人数分設置し、一人もぞもぞと寝具の中へと潜り込む。
見張りを買って出ようとした少年だったが、「魔力を使って消耗しているから」と周囲に却下されたため、睡眠をとることになったのだ。ちなみに、ムスターファたちは魔術で拵えられた簡易浴槽で入浴中であり、この場にいない。
(身体が作り替わってから睡眠時間殆ど要らなくなったんだけどな)
寝具の中で蠢き仰向けになりながら考えるロウ。
ロウとして、そして中島太郎として生きてきた時は、疲れを取るのに六時間以上の睡眠が必要だった。
しかし、中島太郎としての記憶が宿り身体も変質した今となっては、一時間も休めば肉体的には全快状態になるのだ。精神的な疲れは同じようにとれない為、転生以降の睡眠は短時間で済ませたことはなかったが。
(そんな俺の都合を説明するわけにもいかないし、素直に休んでおくか)
(寝る前に魔力くれよ~ロウ)
(サルガス……ロウはあれだけ魔法で魔力を消耗したのですから、一日くらい我慢すべきです)
脳内に響く声で、少年は曲刀たちに餌……もとい魔力を与えていなかったと思い出す。
(ドレイクとの出会いやら慣れない人付き合いやらで忘れてた、スマン。あと、俺は魔力を相当消耗したはずだけど、多く見積もっても総量の一割くらいしか減ってない感じがするぞ。それも休んでる間に回復したっぽい)
曲刀たちに語り掛けながら、改めて内包する魔力へ意識を向けてみたロウだが、消耗している感覚がなかったのだ。というより、移動や食事の間に自然回復してしまったようだった。
(もう回復したって、異常にも程がありますよ。もしかすると、容量で言えばドレイクすら比較にならないかもしれません)
(そういうことなら遠慮なく魔力貰うぞ)
ドン引きするギルタブに対しマイペースなサルガス。そんな曲刀たちへ魔力を与えロウは床に就いたのだった。