1-15 四面溶岩
──紅に染まる視界。
魔法により生み出された溶岩は、内包する魔力が尽きるまで熱を発し続ける。
故に、氷の城をもって冷やし続けても、未だ灼熱の海原は紅一色。煌々と輝き続けていた。
また、魔法発動時の急激な温度変化や吹き上げられた水蒸気の影響か、周囲では溶岩を巻き上げた旋風や、火山雷と見られる雷光も迸っている。異世界でファンタジーな光景というよりは、サイエンスなドキュメンタリーに寄った、天変地異極まる情景である。
「地獄に転移させられたって言われた方が納得できるな、これ」
そんな紅の大河で揺られながら、魔法で創り上げた氷の島の上でぼやく俺。
皆さんこんにちは。褐色少年のロウです。
「「「……」」」
アルベルトたちも商人の一家も全くの無言。氷の壁の向こうがそんな景色じゃ当然の反応だろう。
目を逸らそうにも四方八方全てが赤熱白熱溶岩流で逸らしようがないし、溶岩の無い上空すらも黒煙たちこめ紫電が走る。ならばと目を瞑っても溶岩の明かりが瞼を照らすし、逃げ場無しの発狂ものな状況下と言える。
「竜も何処かに飛び去ったみたいですし、とりあえずこの溶岩さえ凌げば何とかなりそうですね」
ドレイクは魔法をぶちかまして満足したのか、何処かへと去っていった。正に歩く厄災、いや飛行する天災だな。
(よく生き残りましたね、ロウ。岸までたどり着けないうちに言うことではないかもしれませんが)
我が腰に佩かれている曲刀のギルタブがそんなことを言ってくる。我ながら驚きだよ。
幸いにして、氷壁維持のために魔力を注ぎ続けているにもかかわらず、魔力が枯渇しそうな気配はない。
まあ、魔力が切れたらター〇ネーターよろしく溶鉱炉エンドなんだけどな。ガハハ! はぁ。
(道中で魔法の実験を繰り返し魔法を習熟してなかったら死んでたな。何が幸いするか分かったもんじゃないってことか)
もう一振りの曲刀であるサルガスも続く。
なんだか君ら、他人事だからって余裕だよね。
俺が力尽きたらお前らも鋳つぶすが如く熔解すんだぞ。分かってんのか?
(怒んなって! 気が滅入ってるみたいだから軽い感じにしたんだよ)
気の利くやつだ。でもちょっとイラッとしたから謝罪はしない。
「──俺たちは……死んだのか?」
不毛な脳内会話を繰り広げていると、アルベルトが呆けた顔で宣った。
「いやいや、生きてますって。この氷が融けたら死んじゃいますけどね。あっはっはー」
「氷……そう、氷よ! 氷!」
「ほえ?」
空笑いで誤魔化そうとしていると、何が琴線に触れたのか、思考力が回復したらしい商家の少女が氷を連呼し始めた。俺以外の反応も訝しげな様子だ。
「何他人事みたいな顔してるんですか貴方!」
「はい?」
目ん玉ひん剥いて詰め寄る少女に、思わず素で聞き返してしまう。
俺、何かやっちゃいました?──と振り返ってみれば、防御魔術頼んだ時礼儀も何もあったもんじゃなかったと思い出した。緊急事態だったし許してくれるといいが。
「先ほどは乱暴に頼み込んでしまい、申し訳ありませんでした。それで、どういったご用件でしょうか?」
「どうもこうもないですよ! この氷、いったい何なんですかっ!? 術式構築もなしに展開し続けて、しかも、砲撃用の儀式魔術すら防ぐような『戦乙女の大盾』すら、ものの数分で破壊されるような異常な溶岩を、ずうっと防ぎ続け──」
こちらが問えば、少女は溜めていたものを全て吐きだすかのように、一気に喋り始めた。
俺の生み出し続けている氷は明らかに異常だし、気持ちは分からないでもないけど、ちょっと煩いです……。
「申し訳ありません。今かなり一杯一杯なので、安全が確保されてからということでご容赦いただけないでしょうか?」
如何にも残念そうな表情を繕って、ガトリングトーク中の少女に答える。
ついでにちょっと演出してみるかと、融けても問題が少なさそうな上部への魔力供給を断つ。
「ヤームル、聞きたいことがあるのかもしれないが、この子は今──ッ!?」
ビギリ、と鈍く重い音が響き、天井部分から滴る雫が少女を宥めていた爺さんの声を遮った。
全員が息をのみ、音の発生源へ目を向ける。
「「「……!」」」
視線の先にはアルベルトが討ち取ったオーク並みに分厚い氷壁。それに僅かではあるが亀裂が入り、水滴が零れ落ちている。
雫は床面で即座に氷結していたが、そんなことはどうでもいいと全員の瞳が俺へと突き刺さる。
目は口程に物を言うということわざがあるが、全員の狂気すら孕んだ「何とかしろ」という色を見て、それを心の底から理解した。
ほんの少し魔力供給を止めただけでこれである。こりゃあ思った以上に窮地ですわ!
「──そういうわけで、集中しますね」
俺は逃げるように宣言して魔力操作をフルパワーで行った。
(今のはロウの思慮が足りなかったと思うのです)
(あれはねーな。お前さん、命が懸かってる時でも容赦なくふざけるよな)
大物だぞ、とサルガスに褒められる。
いやあね、あの子を黙らせるのにちょうどいいかなって思ったんだよ。
今の状況からしたらブラックジョークじゃ済まないってことで要反省だな。すんませんっしたー。
◇◆◇◆
黙々と氷壁維持作業を続けていると、魔力操作が上達してきて段々と楽しくなってきた。
溶岩で氷壁が融かされるどころか氷を拡張出来るくらいになってきたし、自身の魔力量は未だ尽きる気配が無いし、あれから全員無言だし。怒られない範囲で少し遊んでみるか。どうせ岸にたどり着くまでは暇するしかないし。
(絶対怒られるだろ)
脳内に響く世話好きの兄さんの声は無視する。
どうせ俺が命握っているんだから問題ねーよ。ガハハハ。
(性根が腐っていると思うのです)
今度は呆れを含んだ涼やかな声が響くが、これにも耳を傾けない。
仕方がないことなんだ。人間ってのは追い詰められた時にこそ本性が出てしまう、罪深い生き物なのだから。お前魔族だろなんて言う野暮なツッコミは聞えない。
そんなわけで、我が居城と化した氷の島──分厚い氷で作ったシェルターでしかない──を少しずつ増築していく。
まずは安定感を得るために下層部の強化。外は旋風が溶岩巻き上げ暴風が吹きすさび、日本海よろしく大荒れだ。転覆した拍子に魔力が途切れたらおじゃんだし、この強化は必須といえる。
(弄る余裕が出来たなら、安定性へ得るより推進力を得てさっさと岸を目指す方がいいと思うがな)
よろしくせっせと船底を構築していると、俺の行動が理解できないという風にサルガスが零す。
……天才か? 思わず思考が停止する。
「ああ! ロウ! ロウ君っ! 融けてるよ! 氷が融けてきてるよ~!?」
涙目のレアに強烈なヘッドシェイクをされて強制的に思考を再起動させられた。外の荒波も相まって嘔吐感がッ。
「ちょちょちょっと! 大丈夫なの貴方!」
肌の色がほんのりとアジアンな少女のヤームルも、これに便乗して詰問してきた。ダメ! 今は揺らさないでッ!
「うっぷ……んぐ。実は皆さんにお願いしたいことがありまして、ちょっと考え事をしていたんです」
喉へとせり上がってきた酸味のあるものを飲み下しつつ氷への魔力供給を再開し、何事もなかったかのように切り出す。鼻をつくような口臭は誤魔化せないけれども。
「頼み事とな?」
再び少女を宥めようと割って入ってくれていた商人が、代表して俺の提案の先を促してくる。
「──はい。現状氷壁によって溶岩は防げていますが、旋風に巻き込まれたり雷が落ちてきたりしたらひとたまりもありません。早急にこの溶岩湖から離脱しなければならないわけです」
「そうだな……。確かに溶岩はロウが氷で防いでくれているが、雷や風までは防げないか。俺たちでそれらの対策をするということか?」
ドレイクショック(?)が抜けたのか、アルベルトが俺の提案から先を読んで話を引き継ぐ。
「それもありますが、根本的な解決策として岸へ向かいたいなと。つまり、この氷の島を動かしてほしいわけです」
「氷を維持する魔力が持ちそうにないからってこと?」
ブルブルと身体を震わせ手に吐息をかけながら問うてくるのはアルバ。どうすることも出来ない恐怖ってわけじゃなくて、単純な寒さ冷たさで震えているらしい。肝が据わりすぎだろ。
「魔力的にはまだ余裕がありますが、今のところこの溶岩は氷や外気で冷やされ続けているにもかかわらず、温度が下がり黒くなった溶岩を見ていません。普通なら氷に接している面が固まってもおかしくないのに、です。そこから考えると、この溶岩はまともではない……そう簡単には冷えないだろうことが予想できます」
数日前の街道での実験中、俺のまだまだ制御しきれていない魔力で溶岩を生成してもそれなりの時間冷えずに熱を放ち続けたのだ。それが濃密で膨大な竜の魔力、制御力で放たれれば、一体どれほどの期間残留するのか。想像もつかない境地である。
「言われてみれば……。貴方に色々と聞きたいことはありますが、後まわしですね。それで、移動方法について何か考えが?」
「旋風の発生していない方向へ、魔術で追い風を作ってもらいたいなと考えてます。氷で帆船の帆を真似てみますから、それで風を受けます。それと、落雷や突風がきたときに備えての魔術による防御ですね」
「氷で帆って……もう、わかりましたよ。私は防御に専念するので、レアさんは送風をお願いできますか?」
「風魔術なら色々できるわよ~任せて!」
ヤームルが再び口をモゴモゴしだしたが、自ら俺の事情は後回し宣言したからか質問は控え了承し、レアも彼女の提案に頷いている。
方向性は決まったが、安全を確保してからも面倒臭そうだな。何だかもうバックレたくなってきた。
(魔術の術式構築を使わずにこれだけの規模の氷を維持し続けているわけですからね。あの少女の反応も当然なのです)
ああ、そのことについては言い訳考えとかないとな。人間族が魔法をポンポン使うなんて魔力量的にありえないことみたいだし。
(精霊魔法ってことにした方がいいだろう。ダミーの精霊を浮かべりゃ、きっと誤魔化せるだろうさ)
黒刀からの解説を受けどうしたものかと思案していると、銀刀から良案が飛んでくる。
精霊みたいな物体を魔法で浮かべる、ということだが……そんな杜撰な誤魔化し方でいいのだろうか?
(相当上位の精霊でなければ契約者との会話など出来ませんから、特に問題はないでしょう。それに精霊は実体化するとき契約者の魔力を用いますので、ロウが自身の魔法で作り上げたとしても看破され難いはずなのです。後は、ロウが精霊と意思疎通が可能なことを演出すれば、疑われることはないと考えられます)
なるほどなあ。魔法ガンガン使えるってより、精霊を行使しているってほうがまだ常識の範疇か。
それにアルベルトたちには魔術が使えないって話した気がするし、精霊に頼ってることにした方が魔族ってことに気づかれ辛いはずだ。ダミー精霊の操作がやや不安な部分だが、道中で練習していた空中固定や座標移動を駆使すれば、それっぽくなるだろう。
脳内で作戦会議を行いつつ帆柱を構築していく。制御が上達したおかげか、周囲の氷を維持しつつも順調に作業が進む。
「はあ~。ロウ君のそれって精霊魔法よね? すっごく器用なことが出来る精霊なのね~」
ぱっぱかぱーと柱を完成させると、レアが感心したように嘆息する。
とりあえずのところ魔法だとは思われていなかったようだ。
「そうなんですか? 他の精霊を知らないので基準は分かりませんけども」
彼女の反応を見るに、やはり複数の作業を同時に捌くようなのは、下位精霊だと難しいのだろう。単純な破壊的イメージじゃなくて曲線曲面の多い複雑な造形だし。
「精霊を行使し続けてるロウ君の魔力量自体も物凄いけど、精霊も氷の維持と帆の作成を並行してやってるもの。かなり上位の氷精霊なんだろうな~」
驚いてはいるようだが、なんとか精霊魔法ってことで納得はしてもらえそうだ。第一関門クリアである。
話していて思ったんだけど、レアは森人族なのに、俺が精霊と契約してないってことは見抜けないのな。
(エルフも他種族よりは魔力の感知力に優れているが、魔力の質の違いにまでは気づけない。大きな魔力の塊があるから精霊だ、ってアタリを付けることは出来るだろうがな)
俺の表層心理を読み取ったサルガスの回答で、疑問が氷解する。
なるほど納得ってやつだ。まあ魔力の質の違いが分かるなら、俺の魔力を見て人間族じゃないって速攻バレるはずだもんな。言われてみれば道理だった。
「精霊ですか。私が知るものより随分と強力ですね……あ、防壁の準備できましたよ。遅延魔術もいくつか用意してるので防御は万全です」
「ありがとうございます、ヤームルさん」
帆に見立てた氷が完成するのと同時に、ヤームルから準備完了の声がかかる。
障害を防いだ後のことまで考えているとは、凄い娘だな。ギルタブの語るところによれば、遅延魔術は術式への高度な理解が必要だって話だったが。
(儀式魔術を単身で発動させる魔力量と術式構築力ですから、遅延魔術が可能でもおかしくはありません。ロウと同年代のようですが、相当研鑽を積んでいるのでしょう)
彼女の言葉でオークの集団が粉微塵になったことを思い出した。ドレイクのブレスと魔法が異次元過ぎて、あの娘が放った儀式魔術のことが頭から吹っ飛んでいたよ。
「──それではレアさん、お願いします」
脇へ逸れていた思考を修正し、準備が完了しているレアへ声を掛ける。
いつの間にか俺がリーダーシップ発揮しているが、誰からも文句言われないし問題なかろう。
レアが風魔術を発動し、氷の船は荒波にもまれながらも前進し始めたのだった。