1-14 炎獄
──なるほど確かに、逃げるのが最善だ。
馬の体長並みの厚さを持つ氷塊越しに外を観察しながら考える。
これは俗にいう、無理ゲーというやつではないか、と。
「……? ロ、ロウ……なのか?」
身を守るように構えていた大剣を下ろし、恐る恐る問うてくるアルベルト。その表情はどこか夢うつつという感じである。
「どうもどうも。美少年のロウです。何日ぶりでしたっけ?」
青年に軽口で応じながら、両腕から氷の防壁へと魔力を注ぎ続ける。
魔力が途切れ氷が融解すれば、俺たちはたちどころに消し炭となるだろう。氷に込めた魔力が一瞬で枯渇することから容易に想像できる未来だ。
現在、氷壁の外は白き炎に覆われている。幻想的な光景だ。死ぬ前にこれを見ることが出来たら、ある意味満足して逝けるんじゃないだろうか?
(馬鹿なこと考えてるところを遮って悪いが、この後どうするんだ? 身動きできんだろ)
氷のシェルター内で現実逃避していると、サルガスからの容赦ない現状確認が頭に響く。
知らねーよ。防ぐだけで手いっぱいだっつーの!
「ロ、ロウ君!? この氷は一体……?」
「ロウなの? この氷、君が出してるの?」
呆けた状態から正気に戻ったらしいアルベルトの仲間たち──レアとアルバも、同様に質問を投げかけてくる。しかし、どう答えたものか。
「簡単に言うと氷の壁で竜のブレスを防いでます。今も氷に魔力供給してるので融けてないですが、止めたら速攻で融けますね」
自分で言葉にすると絶望感半端ねェわ。つーか息なげーよドレイクッ! 竜のくせにクジラ並みの肺活量かよ馬鹿!
そうやって内心で悪態をついてると、想いが通じたのか氷を覆う白炎が晴れてきた。
外部は案の定一面が焦土、地面も一部融解・蒸発し地形が変わっている。ドレイクの側だにけ残っている森林が非現実的で、乾いた笑いが出そうになる。
黒煙が空を覆い、飛び火したのか遠方でも森が赤く染まり、吹き戻しの風と火災の気流で旋風のようなものも発生する有様。
さながらこの世の地獄。キリスト教で言うところのゲヘナ……滅びの地そのものだ。
「な……あ……」
商人の爺さんとその孫らしき女の子もアルベルトたちと同じように目を見開き、氷越しに地獄を眺めて驚愕している。
守れたのは近くで固まっていたこの五人だけだ。
ドレイクの白炎により焦熱地獄と化した氷の外では……他の者たちの生存は不可能だろう。
「これが。亜竜ではない……真なる竜か」
アルベルトの呟きは小さく、そして震えている。亜竜を何度か倒している彼だがこそ、真の竜というものに感じる衝撃が大きいのかもしれない。
面々の状況確認を終えて正面を見据えると──熱で歪む視線の先で、この惨状を作り出した存在と目があった。
【……魔……か】
「!?」
数秒ほど見つめ合った後、何事かを呟き口の端を吊り上げるドレイク。
さながら、興味惹かれる玩具を見つけた子供の様に。
思わず総毛立つ──何かするつもりかッ!?
「あんた! 魔術使えるよな!? この氷の壁を覆うような、球体の防壁みたいなの使えないかッ!?」
堪らず、先の襲撃で魔物に大魔術を放った女の子を問い質す。その間も全力で氷壁の拡張を地面も含めた全方位に向け、防御をより堅牢なものへと変えていく。
「な、えっ!? なんですか?」
「頼む、今すぐに魔術を! あの竜が何か仕掛けてきそうなんだ」
告げるだけ告げて少女からドレイクへと目を向けると、前肢の手の平を広げるようにして金色の魔力を集束させる姿が目に入る。
肉眼でも容易に捉えられる膨大な魔力の塊は、俺が全力で魔力を制御したときの十倍は下らない。途轍もなく濃密で膨大な魔力。収束していくだけで地鳴りがするほどのエネルギーだ。
それを放てば一体どれほどの規模の魔法となるのか。
確実に言えるのは、被害は正面だけに収まらないであろうということだけだ。
「わ、わかりました!」
俺の余裕のなさと目の前で収斂される魔力に只事ではないと感じたのか、すぐに魔術の構築を始める少女。
しかし間に合うか? 疑問を感じつつもありったけの魔力で氷を圧し固め、城塞が完成。念入りに縦横上下と増強したところで、竜の様子を窺う。
すると、再び竜と目線が絡む。
【……】
「……ッ」
ガーネットの如く輝く赤い瞳。鋭く縦に裂けた黒い瞳孔。その灼熱の竜眼に覗き込まれ、思わず息をのむ。
おぞましい牙を口元からのぞかせ、奴は再度笑った、ような気がした──瞬間。
氷に阻まれ聞こえるはずが無いのに、竜の声が耳に響く。
【──『炎獄』】
太陽のように眩い金色の魔力を解放し、ドレイクは前肢を地に叩きつけた。
「ぐ、ぅッ!」「わっ!?」「ひぃっ!?」
打ち込まれた竜拳は大地をたわませ、波打つ大地に放射状の亀裂が幾重にも走る。
俺たちを囲う氷も大きく軋みはしたが、地面も氷で固めまくっていたことで砕ける事態は避けられた。
しかし、国全体が揺れているのではないかと錯覚するほどの震動がなおも続く。
……三秒、四秒、五秒。大地の鳴動が収まらない。脂汗も止まらない。
一体奴は、どんな魔法を放ったのか。
──八秒後。
世界が紅く染まった。
◇◆◇◆
──「炎獄」は、ドレイクが編み出したオリジナルの魔法である。
その原理は魔術や精霊魔法の様に、自らのオーラを用いて世界に満ちるマナに作用させ、世界への干渉を行うというありきたりなものだ。
しかし彼は外界のマナではなく、地下深くの“地脈”に溜まるマナに着目した。
地脈とは、他の天体からの重力や星内部の熱の対流による星自身の生命活動で発生する、様々な力やモノのたまり場のことである。
鉱石、結晶、圧力、熱。星の内包するあらゆるものが凝縮されている地脈には、星の魔力であるマナも当然含まれている。
ドレイクはそれを利用することで、周囲十キロメートル、最大深度五十メートルほどの溶岩地帯を形成する、至大魔法を実現させたのだ。
地球の火山噴火規模で言えば、二十世紀最大とされるピナツボ山の大噴火で噴出された溶岩に迫る、桁違いの溶岩噴出量である。
数値にしておよそ二立方“キロ”メートルというなお尋常ならざる量の溶岩は、自然現象そのもの。あるいはそれをも超えうる天変地異。この上なき破壊現象といえよう。
【──試すには丁度いい機会だと思い地脈を利用してみたが……これほどとはな】
そんな惨状を創り出した当の本人は、この言い草である。
それもそのはず。
いかに竜属が莫大な魔力を有していても、若き竜であるドレイクが複合属性である溶岩を魔法で生成すれば、せいぜい現状の百分の一ほど。周囲二百メートルほどの溶岩湖の生成程度が限度なのだ。
ましてや、至大魔法で生成された溶岩は通常より倍近い温度を発する高温である。熱に対し高い抵抗を持つドレイクでなければ、真なる竜であっても自滅していた危険さえあった。
【見ず知らずの魔神を見つけて、図らずもはしゃいでしまったということなのか。あのじゃじゃ馬や婆どもが言う通り、まだまだ我も若いのかもしれん】
竜の瞳はロウと同じく魔力の質──色を見分けることができる。
その瞳は確かに褐色の少年から溢れる紅い魔力──魔神特有のそれを確認していた。
若い竜であったドレイクは、今まで片手で数えられるほどしか魔神に会ったことがなかった。それ故に見たことも聞いたこともない幼き魔神を前にして、ついついエキサイトしてしまったのだ。
【魔力の反応は……流石にこの魔法を使ったあとでは、我が『竜眼』をもってしても見えんか。十中八九死んでおろうが、仮に生きていたとしたら殺せる気がせぬし、無視すべきよの】
竜の息吹は全力で放ったものではなかったものの、地脈を利用した至大魔法「炎獄」は実験のために全力全開で解き放ったのだ。
この灼熱地獄を“人型状態”で耐えきったなら、魔神の真なる姿“降魔状態”の力は想像を絶するものだろう。となれば、竜たるドレイクをもってしても殺す術が思い当たらない。
そんな存在など放っておいてどこかへ飛んで行った方が建設的だ。何故なら竜には翼があるのだから。先にちょっかいを出したのは自分だということなど、知ったことではない。
魔神への対応は無視あるいは放置として、後はこの状況をどうするかである。
【火山噴火と違い周囲に灰を散らした訳でもなし。放っておけば冷える物の後始末は、不要であろうな】
魔法による、加えて地脈のマナを使った溶岩が一体いつになったら冷えるのか? そんなことは考えないドレイク。
竜とは長い生を持つが故、周囲の環境や自身の行動が与える影響など細かいことには頓着しないのだ。無責任ともいう。
【とはいえ、これだけの規模の魔法を使ったとなると、他の同族も、下手を打てば神すらも物見遊山にくるやもしれぬ。誹りを受ける前に雲隠れすべきか】
何だかんだ言いつつも自分がやらかしたという意識はある様子。
姿を現した時の威厳は何処へやら、枯色の若き竜はそそくさと翼を広げ飛び立ち、この世の地獄と化した溶岩地帯を去っていった。
──後に「枯色竜の災禍」と呼ばれるこの大災害、そして大災害以後この地域周辺に次々と竜や亜竜が現れたことにより、リーヨン公国は商業や農業や産業など様々な影響を被ることになる。
付近で竜や亜竜が頻繁に見られるようになり、この大災害を引き起こしたのが竜だと知れ渡ると、公国に住む民衆の間では竜を畏れ敬う竜信仰が広まりを見せるようになっていく。
それに乗じて、人の世を乱さんとする邪竜を信仰する集団も、公国内で暗躍するようになるが──彼らがこの大災害の真相が、ドレイクの“単なる気まぐれ”と知れば、一体どのような反応を示すのだろうか?
崇拝するに値しないと失望するか。やはり人知及ばぬと心新たに崇敬の念を抱くか。はたまた、自分たちが信仰する存在が気まぐれでなど行動を起こすはずが無いと憤るか。
実際には、彼らの反応を見ることは出来ない。事を起こした竜が人の世などに関心が無い以上、かの竜がわざわざ説明などするはずが無いのだから。