4-25 お宅訪問(魔神)
「──ロウよ、性懲りもなく、また女を引っ掛けたのか?」
「っ!? 妖精神か!? 何故こやつと共にいる!?」
「こんにちは、『青玉竜』ウィルム。……あなたが本当に魔神と行動を共にしているとは、この目で見ても信じられない思いです。それに、随分とらしくない衣服を纏っていますね?」
首都ヘレネスの行政区域、イスファハン広場。面積がおよそ一平方キロメートルにもなる、地球最大の広場である天安門広場を超える大空間。
その中心付近で、竜に神、魔神と魔物とが一堂に会していた。
「ふん! そこの魔神に妾の羽衣を焼かれたのだ。それで仕方なしにこやつの眷属に服を用意させているだけで、好き好んで着ているわけではないぞ」
「なんだ、ウィルムはイルと知り合いだったのか。それとセルケト、この人妖精神イルマタルっていう、物凄く上位の神だからな? 引っ掛けるも何も、俺を監視するとか言って唐突に顕れたんだよ」
「「イル……?」」
「ふふ、ウィルムとはこの子が幼竜であった頃からの馴染みですよ。昔はよく遊び相手になったものですが、最近はめっきり機会が失われてしまいました」
魔神が女神を愛称で呼ぶ事態に驚愕する美女二人を眺め、銀のショートヘアを優しく揺らし懐かしむように語るのは、妖精神イルマタル。生命が芽吹く以前の世界、原初の時代から存在している最古の神の一柱である。
「はんっ! 何が遊び相手だ、この老媼が。魔法の訓練と称して妾を己の大魔法の実験台にしておいて、どの口が言うか」
そんな彼女に対し、サファイアブルーの長髪をうねらせ怒気を発し、自身の発散する冷気によって周囲の植物を凍結させていくのは、青玉竜ウィルム。
人の姿へと変じているが、真の姿は全長二十メートルを超える巨大なもの。本来は神や魔神と距離を置く力ある存在、竜属の一柱である。
「竜を、実験台か。そんなことをするのはロウくらいのものだと思っていたが、居るところに居るものよな」
そして、神や魔神を超えんとして人工的に創られた異形の魔物、セルケト。醜い罵り合いを繰り広げる神と竜とに引いている彼女だが、当人の力は絶対の硬度を誇る竜鱗にすら傷をつけることが出来る、異常な域にある。
それは既に、斬撃で竜鱗を突破できないロウをも超える突破力だった。
しかしウィルムとの戦闘を別々に行っていること、そして互いが戦闘内容の詳細を話していないことで、いずれもその事実に気が付いていない。
「まあまあ、それはそれとして置いといて。とりあえずジラール公爵家に向けて出発しますよー」
冷気を吹き散らす美女と慈母のような微笑みを浮かべる美少女の争いに、ロウは付き合っていられないと一人公爵家別邸を目指す。
己が創り出した状況であるのに放置する、恐るべき身勝手さである。
(ふぃー。とりあえずは何とかなりそうだ。イルとウィルムが仲良しだったらあっちの勢力に取り込まれていたかもしれないし、不仲で良かったよ)
(なあ、ロウ。イルマタルは許可を持っていなくとも、魅惑の権能で公爵家に入ることが出来るみたいだが……。お前さんのともがらとして知られているセルケトはともかくとして、ウィルムは難しいんじゃないか?)
(んー、まあな。でもその辺は、エスリウでも呼んだらどうにでもなると思うぞ。あっちはもうウィルムがいることも人型で行動できることも知ってるし)
(丸投げですか。以前から感じていましたが、ロウは彼女に対して遠慮が無いですね)
(特別話しやすいとか仲が良いって訳じゃないんだけどな。手違いで殺されかけたし、同じ魔神でもあるし、そういう面では無茶振りしやすい相手だからかな? 人の世の身分的には相当違うから、対外的には仲良く出来ないけども)
相棒である曲刀たちと脳内会話を行いながらずんずん進み、途中ウィルムに念話を傍受されつつも歩き続けること十数分。
「──ロウ様。お待ちしておりました」
一行は城砦のような壁と鉄柵の門とに囲まれた、ジラール公爵家別邸へ到着した。
他国にある別邸とはいえ、公爵家の威光を示す役割を持つその住居は、正に贅を凝らした造りである。
広大な面積を誇る庭園に配置された、手入れの行き届いた植物たち。柱や控え壁で美しく装飾された屋敷。流石は大国の有力貴族だと、ロウは唸り声をあげる。
「お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。それにしても、素晴らしいお屋敷ですね。思わず見惚れてしまいました」
「ふん。この程度、妾なら瞬きするほどの時間で創れ──」
「あ゛?」
「……何でもないぞ」
「「……」」
自分の背後にいたウィルムに対し、手の平ほどの空間変質魔法「常闇」を構築して黙らせるロウ。そのまま何事もなかったかのように、少年は門兵らに予定になかった人物も招くことが可能かどうかを尋ねた。
「急な話で恐縮ですが、実はエスリウ様にどうしても会いたいという友人が居まして。事前にお知らせしていた者ではないのですが、その者を連れて入ることは可能でしょうか?」
「はい。ロウ様のご友人であれば通してよいと仰せつかっています。案内の者は屋敷の玄関口におりますので、どうぞお通り下さい」
「そうでしたか。寛大なお心遣い、感謝いたします」
懐の深い相手方の対応に感謝しつつ、ロウは門を抜けて庭園を歩き、玄関口へ向かう。
「……先ほどの魔法は闇魔法ではなく、空間魔法? しかもアレは、あの『影食らい』の空間魔法に酷似した……」
「アレとは別物だぞ、イルマタル。信じ難いことにこやつは、妾の前で空間変質魔法を構築して見せたのだ。妾から聞いた情報を頼りに、な」
「ふむ? ウィルムよ、空間変質魔法というのは、ロウが普段使っている空間魔法とは異なるものなのか?」
「同系統ではあるが、空間変質魔法はより高度なものとなる。空間魔法が空間を曲げたり繋ぎ合わせたりするのに対し、空間変質魔法は空間を恣に創り変えるものだからな」
「ロウは空間魔法を、普段から自在に使っているのですか。聞いていませんよミネルヴァ……」
そうやって後方で姦しくお喋りする人外たちの音声を完全にシャットアウトしていた少年は、城門のような玄関口へと辿り着く。
「お待ちしておりました、ロウ様。私、この度ご案内させて頂くことになりました、シャノワールと申し……」
玄関口で待機していた燕尾の執事服を着た男性は、歓迎の言葉を告げる途中に銀髪の美少女と蒼髪の美女を視界に収めると、石像のように硬直した。
「はんっ。バステトの眷属か。まさか貴様もいるとはな? 久しいではないか」
「はい? バステト? 眷属ということは、それは魔神バステトということですか!?」
「おい、ロウ。本命に会う前から大事となっているようだぞ」「マジかー」
変わらず硬直している中肉中背の男性に鼻を鳴らすウィルムに、彼女の言葉を聞いて訳が分からないと叫ぶイルマタル。それらを見たロウは、既に現実逃避状態へ移行していた。
「まあ良い。通るぞ」「ウィルム!? 待ちなさい!」「先が思いやられるぞ、全く」
「なんかすみませんね。あ、これお土産のお菓子です、どうぞ。道ってこっちで合ってます?」
玄関扉を開け放ち、未だ思考停止状態の使用人の脇を通り抜けていく美女たち。ロウはそんな彼女たちを追いながら、なるようになれと捨て鉢な考えとなるのだった。
◇◆◇◆
自身の具える「竜眼」により魔神バロールとエスリウの魔力を看破したウィルムは、よどみなく屋敷の通路を進んでいく。
「──ウィルム! 先ほどの言葉はどういう意味ですか? まさかあの男性が、本当に魔神バステトの眷属だったのですか?」
「騒がしい奴だな。眷属の存在など些事だろうが」
「おーいウィルム? 迷いなく進んでるけど、場所分かるのか?」
「妾を誰と心得る? 『青玉竜』ウィルムなるぞ。『竜眼』の前では奴らの秘した魔力もありのままだ」
「『竜眼』って何でもアリだな、本当」
「魔神の眷属が、些事ですって? 力の上ではそうでしょうが、何故このような場に居るのか……」
突き進むウィルムにロウが質問を投げかけ、イルマタルが問い質し、セルケトが呆れながらついていく。そんな具合に騒ぎ立てながら屋敷内部を歩き回り、ついに大扉の前で立ち止まる。
「……」
「ここか。結構広めの応接室っぽいな」
「ようやく目的地ですか? 遭遇する使用人たちが総じて目を丸くしていましたが、この屋敷の警備は大丈夫なのでしょうか」
「イルマタルよ。今こうして押し入るようにして侵入している、汝の言うべき言葉ではないと思うのだが──」
「──さあウィルム、ロウ? 着いたのなら早く入りましょう。人間族の貴族は狭量なものが多いと聞きますし、長く待たせるべきではないでしょうからね」
自身に累が及びそうになるや、すぐさま話を変える妖精神。
その疾きこと、幼き魔神の及ぶところなし。
「すげーな。俺でもこれほどの力技は無理だわ」
「……我には神と魔神との差異が、不明瞭となってきたぞ。どちらも身勝手で、道理を捻じ曲げる、不合理な存在ではないか」
「やい、貴様ら。なにを縷々として話している? さっさと行くぞ」
「竜も同様か。ひょっとしてこやつらは、姿形が違うだけなのではないか?」
セルケトのほとほと呆れたというような言葉を聞き流し、ロウは深呼吸を一つ行い覚悟を決めて、応接室の両開き扉を押し開ける。
成人男性の背丈を大きく超える上質な木製扉の向こうには、数百年分の年輪を重ねた巨大な樹木を輪切りにしたようなローテーブルが鎮座していた。
巨大なテーブルを挟んで座るのは象牙色の美少女エスリウと、彼女をそのまま成長させたような美しい女性。彼女たちの背後には、従者のマルトも待機している。
(あれ? あの人、夢で見た魔神ルネか? この部屋自体も、夢で見た場所と同じ感じだし──)
先頭で入ったロウが、瞳の色を除けばエスリウとうり二つの女性を見てそんな思考をした、その直後。
「──バロールと、誰だ? 貴様は」
「──っ!? 魔神バロール!?」
殺気すら滲む凛とした声と、驚愕に満ちた清らかな声とが響いた。
(やべッ! 神と竜がいること忘れてた。まずは席に着いてもらわないとだな)
我に返った幼き魔神が思考の再起動をすると同時に、身の毛のよだつような金の魔力が応接間に吹き荒れる。
「ぶほッ。寒いから止めろウィルム。あと、暴れたら異空間にぶち込むからな」
「うぷっ!? ……この状況、どういうことですか? わたしを謀った? にしては、魔神の宿敵であるウィルムもいますし。それにバロールはともかく、隣の少女は一体……?」
「貴様、妾に怨敵を前にして堪えよと言うのか? ふざけるなっ!」
「おい、ロウ。前にいる魔神どもが状況を処理しきれず硬直しているぞ。まずは説明した方が良いのではないか?」
「金色の魔力に、白銀の魔力っ!?」「まさか、あり得ない。何故イルマタルが……?」
「ええい、やかましいッ! とりあえず全員席に着け!」
両側から押し寄せる金と白銀の魔力を、ロウは紅の魔力を纏った両脚震脚で封殺した。
「「「っ!?」」」
鋭い呼気と共に胸の前でクロスに組んだ腕を払い落とし、その勢いを両脚に伝える所作は、八極拳金剛八式・虎抱。
10,000坪を優に超える巨大建造物を、丸ごと倒壊させてしまうのではないかという激震を引き起こしたその震脚は、尋常ならざる衝撃波を生み出し上位者たちを黙らせる。
のみならず、足元にあっては大理石の床を粉砕して基礎を剥き出しにし、周囲にあっては室内のシャンデリアや窓に壁、調度品等々を、悉く破砕。
ただ一撃で、魔神の屋敷を粉砕して見せたのだ。
「「「……」」」
要するに、やり過ぎであった。
(──席に着かせるつもりが、席を吹き飛ばしてしまったでござる。やっちまったわー)
(……やっぱり、お前さんが一番たちが悪い)
(もはや、これ自体が先制攻撃みたいなものだと思うのです)
曲刀たちに冷静な突っ込みを入れられながら、ロウは呆ける魔神や神を放置して、天井に突き刺さっている大樹のテーブルを回収するのだった。