4-22 吸血鬼の過去と魔神の血
──アシエラとアムールは、百年以上の時を生きる野良のヴァンパイアなのだという。
ヴァンパイアといっても生まれついてそうだったわけではなく、かつては大陸東部にある人族国家の王族だったようだ。
首都と周辺の小さな村落からなるその小国は、綿花や穀物、絹を特産とすることで栄ていた。だが、ある時王宮にふらりと現れた男によって、その繁栄の道を閉ざされてしまう。
“ご機嫌麗しゅう、メルブ王国の王族たち──”
正式な手続きの無い不当な侵入を阻まんとした衛兵ら、その全て血祭にした男。
彼は返り血に塗れた衣服と靴とで謁見の間を汚しつつ、慇懃無礼とも思える態度で言葉を吐く。
“御覧の通り、私は人の形をしていますが、人ではありません。警邏を行う兵も厳しい鍛錬を行ってきた騎士も、私の前では等しく塵芥。それを理解して頂いた上で、私の話を聞いていただきたいと思います──”
芝居がかった仕草を交えて男が語ったのは、人口十数万の市民から月に三百人の贄を、自分たち吸血鬼へ差し出せ、というものだった──。
◇◆◇◆
「──ねえアムール。その詳細な前置き、いる?」
「え? でもほら、ロウ君は事情を教えてくれーって言ってたし」
話がいいところまできたところで、アシエラから現実的な突っ込みが入った。
言われてみれば、ここまで細かい語りはいらないような気もする。でも、中途半端なところで終わったから先が気になるぞ……。
「アムールは横道に逸れすぎるから、私がざっと話すよ。もう日が落ちてるし、ロウ君にも帰る時間があるんだから」
「「ええー」」
まさかの途中でブッチである。そりゃないぜ姉ちゃん。
アムールと一緒に口を尖らせるも、ネタバレこと説明が始まってしまった。
◇◆◇◆
──結局その男は、王宮に居た近衛騎士たちと苛烈な戦いを繰り広げ、打ち滅ぼされることとなったようだ。
幾ら強大な力を示すものが現れたからと言って、いきなり民を差し出せと言われて頷く王などいない。自身の兵らを殺されているということも、許しがたい暴挙だ。使者を見逃すことなど出来なかったのだろう。
もっとも、アシエラが言うには、王には“民を差し出した愚王”という汚名を避けたい思惑があり、要求を突っぱねた側面もあったようだ。
王個人の名誉のために闘争を選ぶ……どこの世界でも、ケツの穴の小さい権力者はいるということか。魔物に屈して生贄を差し出すか、魔物と雌雄を決するか。そうやって見れば、王の判断も頷けるものだが……。
さておき、数日後に使者を亡き者にされたことを知った吸血鬼たちは“しからば蹂躙しよう”と、首都への侵攻を開始。
使者を葬った時点で開戦に備えていたメルブ王国側もこれに応じ、人族と吸血鬼の戦争が始まった。
王国側の兵力が精鋭たる騎兵五百名に、飼いならした魔獣に鎧兜を着せた重装騎兵が百名。
魔術師と精霊使いの混在した魔導士三百名、騎士には劣るものの、兵役により戦闘訓練を行っている常備兵一万名。
これに魔物相手だということで参戦した冒険者や志願兵を加えた、総計一万と二千ほどの人員が、メルブ王国首都ヘラートの総合防衛戦力だった。小国とは思えぬほどの大戦力だ。
対し、吸血鬼側の戦力はおよそ百。個々が一般兵を圧倒する力を持っているにしても、あまりにも寡兵である。
そもそも、吸血鬼が強いと言っても、精鋭騎士であれば連携すれば倒せる。このことは使者の一件で証明されていた。
王国軍にとって、もはや結果は火を見るよりも明らかに見えたが──。
◇◆◇◆
「──ヴァンパイアの中でも最上位とされる“公爵”二名の前に、王国軍は瓦解したんだ。騎士も魔導士も冒険者も、あらゆる強者が全てね。……王城からも見えた、空からとめどなく降り注ぐ赤黒い槍。強固な鎧も魔術の障壁も易々貫いて地面を赤く染め上げたそれが、今度は死体や地面の血を吸い上げて人の体を形作り、“公爵”の尖兵となって更なる死をばら撒く。王国軍が赤い波に呑まれていく様は、本当にこの世の終わりのようだった」
「人智及ばない大魔法を操る圧倒的な“個”の存在ですか。元から魔物中でも上位の吸血鬼、その中でも更に上位存在となると、そりゃあ蹂躙にもなりますか」
当時の様子を思い出したのか暗澹たる顔で語るアシエラに、なるほどと頷く。
その“公爵”は、言うなればセルケトみたいなものだろう。
精鋭中の精鋭でなければ相手にさえならない、都市崩壊級の存在。それが二名もいたのなら、圧倒的強者を擁していなかった小国では敗北もやむなしかもしれない。
「……随分あっさりと信じるんだね。説明した口で言うのもなんだけど」
「えッ!? まあアレですよ、歴史を紐解けば珍しくない的なやつです。ほら、竜が暴れて国が滅んだなんて話も、幾らでもあるじゃないですか」
「なんか怪しいなー、ロウ君ってば。実は『俺でも出来るし何もおかしくない』とか思ってるんじゃないかな? それか、そんなことが出来そうな知り合いがいるとか」
適当に相槌をうっていると、姉の傍にいたアムールが絡みつくように寄ってきて、探るような事を言ってきた。どっちも正解などとは口が裂けても言えない。
(お前さんにしてもウィルムにしても、吸血鬼の貴族とは桁の違う存在だしな)
(彼女たちは知らない方が幸せというものでしょう)
曲刀たちの言う通り、吸血鬼だろうがその貴族だろうが、所詮は魔物である。魔神や竜には及ばぬ存在だろう。
魔物であるセルケトに殺されかけた俺が言うのもなんだけどなー。
「っと、少し話が逸れたね。とにかく、私たちの国は吸血鬼たちによって滅ぼされた。その時彼らの目に留まった幾人かが、吸血鬼へと変えられて兵や慰み者とされてしまったんだよ。その中に、王族の私たちがいたという訳だね」
「それはまた……。月並みですが、とても辛い経験ですね」
「うん。やっぱり、簡単に死ねないことが何よりも辛かったかも。とまあ、そういう感じで私たちは吸血鬼になっちゃったんだ」
姉と同じく暗い表情となっていたアムールがやや強引に打ちきり、俺も根掘り葉掘り聞くことが憚られたので、それで彼女らの事情説明が終了となった。
「経緯は何となく分かりましたけど、吸血鬼なら人を襲って血を飲む必要があるんじゃないですか? 貴女がたも、昔はそうやって飲んでいたみたいですし」
「ああ、その辺には個人差があってね。簡単に言うと吸血鬼っていうのは、“血”に支配された存在なんだ。私たちを支配している“血”はあまり好みがない性質でね、人の生き血じゃなくて死んだ獣の血でも良いってくらいなんだよ。勿論、腐ってるのは駄目で、ある程度は鮮度が必要なんだけどね」
「それに、そもそもあんまり血が欲しいっていう要求をしてこないんだよね~。月に一、二回くらいかな? だから、基本的には普通の人と同じように生活できるんだよー。何年経っても身体が若いままだから、住む場所は定期的に変えていかないと駄目だけど」
吸血について聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
ヴァンパイアと言えば生き血を啜るものとばかり思っていたが……個人差が大いにあるらしい。
「あれ? その割には、俺を見た時『ちょっと味見したい』みたいなこと言ってませんでしたっけ?」
「うっ。それは、その……君を見た時、かつてないくらいに“血”が騒いだんだ。人としての生活が脅かされることになってでも吸いたいという、そんな強い衝動がでるくらいに」
「私もロウ君を見た時は危なかったな~。場所が商店街だったし人通りも多かったし、何とか我慢できたけど」
「人の目が無かったら吸うっていう感じ、流石魔物ですね」
「「うぐ……」」
舌なめずりしていた姉妹をざっくりと切り捨てる。元が人であっても、百年以上魔物として生きていれば、もう魔物ということなのだろうか。
「まあ、この街で吸血鬼の噂がないってことは、人を襲っていないか上手い事やってるんでしょうけども。知り合いに似たような奴がいる俺としては、言い触らして回るような事はしませんよ」
「ありがとう……って、やっぱり知り合いで似たような人がいるんだね。理解が早いわけだ」
「そっかあ。バレたのがロウ君で良かった~。……ところでロウ君、一つだけ、お願いがあるんだけど」
改めて彼女らの秘密を守ることを宣言すると、アシエラは安堵する様に息を吐いた。が、アムールは幼さの残る容姿に合わぬあだめいた仕草で、突然しなだれかかってきた。
何この子! エロッ!?
(ロウ、遠慮することはありません。この場で灰にしてやりましょう)
黒刀からの悍ましい提案により若干冷静さを取り戻し、温かな体温を感じる方へ問いかける。
「出来ることと出来ないことがありますが、なんでしょうか?」
「少しだけ、ほんのすこーしだけでいいから、あなたの血が飲みたいなーって……駄目かな?」
こちらの右半身を抱き込むようにして、首筋に吐息をかける黒髪の美少女。
鼻腔をくすぐる甘い匂いで色々なところの血の巡りが良くなって、一も二もなく頷いてしまいそうになるが……。
「そうやって今までも、血を吸ってきたんじゃないかって思っちゃいますよね。実際のところ、どうなんですか?」
「いやあー……あはは。本当に人から飲むようなことはしてないんだけど、これじゃあそう思っちゃうよね。ごめんなさい」
じろりとねめつけると、ばつの悪そうな笑みが返ってくる。彼女自身も問題に思ったのか、すんなりと色気を引っ込めて離れていった。
こっちとしても美少女の抱擁が終わるのはちょっぴり、否、かなり名残惜しい。
それでも魔神の血なんて啜られたら吸血鬼がどんな反応をとるか想像もつかないし、この拒絶は仕方がないのだ。
(お前さん、なんだかんだ言いつつ物凄く期待してたよな。何をとは言わないが)
「もうアムール、馬鹿なこと言わないで。ロウ君も、ごめん──っ!?」
サルガスの戯言を聞き流して乱れた服装を適当に直していると、妹を窘めていたアシエラの目が見開かれた。
何事かと彼女が食い入るように見つめる先を見れば、本日未明にウィルムとやり合った時に出来た肩口の傷が、はらりと曝け出されていた。
あの時、魔力欠乏症回避のために回復魔法を軽めにしたから、まだ傷が残っていたんだった。
吸血鬼たちには、ほんのりと血が滲むこの傷は、刺激が強かったらしい。
「「……っ」」
アムールも肩の傷に気が付いたのか、目を剥いて凝視している。生唾を飲む美人姉妹の赤い瞳は、狂気すら滲んだ輝きを放つ。
ちょっとちょっとー? 血走ってますよ、目が!
「……そんなに見つめても、あげませんよ?」
「ロウ君、私たちって、本っ当に、こういう風になることは、今までなかったんだけど……」
「これはちょっと、我慢するのは、難しいかも……ほんの少し、一滴だけでいいから、お願いできないかな」
頬を紅潮させ艶を滲ませた表情でにじり寄る姉妹。片や衣服の胸元を開くように手を当てて、片や瑞々しい唇をなぞるように指を当てて。
迫りくる気迫と色気に思わず後ずさるが、背後は壁であった。
貞操のピンチ!
(もう空間魔法で外へと放り出せば良いんじゃないですか?)
ギルタブさんの投げやりな案が聞こえたところで美女たちの腕が腰や肩に絡みつき、拘束が成されてしまった。
「大丈夫、すぐに終わるから」「痛くしないから、安心して」
「いやぁー──」
◇◆◇◆
閑話休題。
「うわあ~甘くてとろけそうだよ~。これ、病みつきになっちゃいそう……やばいかもだよ!」
「凄い……たまに飲む鶏の血とは、全然違うね。身体の芯に火がついたみたいだ」
「ぐすん」
美女たちにもみくちゃにされること数分。肩の傷口がふやけたあたりで彼女たちから解放された。
二人が一心不乱に血を舐めとる様は、色気もあったが狂気の色がより濃かった。興奮よりも恐怖体験である。
(あれだけ鼻の下を伸ばしておいてよく言えますね)
そんな俺に対し、ギルタブさんは辛辣であった。
ぐうの音も出ないです、はい。
(大体、お前さんがその気なら一瞬で振り払えるし、制圧だって出来るしな。そりゃギルタブの機嫌も悪くなるってもんだ)
いつもはフォローしてくれるサルガスも、今回は彼女に同調している。酷いぜ世話焼き兄さん! お前も男なら分るだろ!
同調圧力をかけるも“曲刀ですから”と華麗にいなされる──。そんな脳内バトルを繰り広げていると、恍惚とした表情を浮かべていた姉妹が我に返り、慌てたように謝罪をしてきた。
「ロウ君、本当にごめん!」「ごめーん! 完全に自制心が利かなくなっちゃったよ」
「やっぱり魔物って感じでしたよ、さっきのは。ぺろぺろしてる最中は理性の欠片も残ってない感じでしたし」
「返す言葉もございません……」「うぐっ。ごめんよ~」
腰を百二十度くらいに折り曲げて謝罪する姉妹を見ながら、大きな問題が起こらなかったことにホッと胸を撫で下ろす。
なにせ彼女たちが飲んだのは人外の、それも魔神の血である。
飲んだ瞬間超進化! パワーアップ! ならまだしも、口にした直後に心臓停止、突然の死! なんてこともあったかもしれない。
ノリで流されてしまったが、本来なら飲ませるべきではなかっただろう。
ひとまず美女たちの頓死を見ずに済んだことに安堵していると──。
「それにしても。ロウ君の血、凄かったなあ。味も美味しかったんだけど、それ以上に、なんかこう、体というか背中から、ぐあーって何か生えそうな気が──」
「──って、アムール!? 背中に何か生えてるよ!?」
「うお、マジだ」「え? うそぉ!?」
──バリバリ魔神の血の影響が出ていましたとさ。おしまい。
(何がおしまいだ、この馬鹿ッ! どうするんだよ!)
(……はぁ。まあ、ロウですからね)
銀刀からはどやされ、黒刀からは呆れられてしまった。
そんなこと言われても仕方がないじゃぁありませんか。
一時騒然としたものの、アムールだけでなくアシエラにも一対の赤黒い触腕のようなものが背から生えていたため、場の空気は落ち着いた(?)。
「うわ~。動かすだけじゃなくて、出したり引っ込めたりできるよーこれ」
「形も大きさも、自在に変えられる……。これって、昔見た吸血鬼の“貴族”と、似たようなモノかもしれない」
「アレかあ。形状は違うけど、確かにこんな感じに操ってたかも……って、まさか、私たちも“貴族”になっちゃったの!?」
しばしの実験タイムを経て、再び興奮しだす吸血鬼姉妹。
背中から生えた赤黒い物体を成人男性の背丈ほどある大翼に変えたり、指が十本ある様な多関節の腕に変えたりと、大いにはしゃいでいる。
「あのー。もうお役御免みたいですし時間も遅いですし、帰っていいですか?」
「いやいやロウ君、私たちにこんな物凄い変化をもたらしておいて、お役御免ってことは無いよ」
「そうだよ! 納得のいく説明をして欲しいな。只者じゃないとは思ってたけど、こんなのは全く想定外だよー」
そそくさと退散しようとすると、姉妹は触腕を肋骨のような湾曲した棒状に変え、檻のようにして俺の周りを囲んできた。
「それを使いこなすの早いっすね。本能的なアレですか?」
「うん。なんとなしに、使い方みたいなのが分かる感じかも。って、煙に巻こうっていうの、分かってるからね。逃がさないぞ~」
「血を頂いておいて迫るのも恩知らずだけど、こんな状態になるなんて聞いたこともないし。ロウ君、君は一体何者なの?」
「うーん」
檻を狭めてずいと寄るアシエラに、どうしたものかと頭を捻る。
彼女らは魔物だし、セルケトと同じように話してもいいとも思えるが……彼女とは違い、彼女らは俺が保護しているわけではないし、共に行動しているわけでもない。
つまりは、情報漏洩のリスクが付きまとうということだ。人や神にとって忌むべき存在である魔神という正体は、出来るだけ秘しておきたいし、この問題は無視できない。
まあ、既に一部の神やその眷属に身バレしている現状だけども。
とにかく、この姉妹に俺の正体を明かすのは保留である。
人柄や事情をある程度知れたとはいえ、会って間もないのだ。今後親しくなるのなら教えるのもやぶさかではないが、今は時期尚早というやつだろう。
「──そういう訳で、やっぱり帰りますね」
「何がそういう訳か、さっぱり分からないんだけど」
脳内で方針を定めた上で意思を伝えると、黒髪美女からジト目が返ってきた。これはこれでそそるものがあるが、今は興奮している場合ではない。
「えー? ちょろっとだけでいいから教えてよーロウ君。実は大英雄様の末裔だとか、大魔導士様の血縁だとか?」
「先ほど血をちょろっと吸われるはずが、とんでもないことになったばっかりですからね。少しも教えませんとも」
「「うっ。それを言われると……」」
淫乱血舐め事件をほじくり返せば、羞恥で顔を赤くする両者。先の一件は彼女らにとっても、やはり恥ずかしい思い出だったようだ。
「それじゃあ、失礼しますね」
「はい、さようなら。色々と迷惑をかけて、悪かったね」
「私も、無理やり迫る様なことしてごめん! でも、ロウ君もまんざらでもなさそうだったし、そんなに悪い気はしなかったでしょ?」
「ノーコメントで。さようならー」
口元を人差し指でなぞりながら微笑むアムールの姿にどきりとしたため、別れを告げた後は誤魔化す様に夜道へ逃げ込む。
夜目が利く吸血鬼姉妹にバッチリとその様を目撃されながら、俺は出店も少なくなった大通りを走り、帰路を急ぐのだった。