4-11 貨幣と神々
ロウたちが魔導国の首都ヘレネスへ到着してから三日目。
朝食を済ませた一同は大学寮暮らしの友人たちと合流し、商業区域に買い物へと繰り出した。
髪留めに腕輪、ベルトといった小物を扱っている露店から始まり、衣料品店、生活周りの魔道具を扱った店。果ては、様々な宝石や貴金属を取りそろえた宝飾品店まで。
都会の買い物に浮き立つ女性陣は、空を舞う凧のように店から店へと渡り歩く。
他方彼女たちについて回るロウは、相槌を打ったり分かっている風を装って頷いたりする機械と化していた。半ば置物である。
そうして累計五時間にも及んだ買い物行脚の締めくくりは、商業区域の一角にある垢抜けた雰囲気の喫茶店。
一同は都会だけあって可愛いアクセサリーが多いだの、服の値段がちょっと高すぎるだの、化粧品は匂いがきつ過ぎるだのと、買い物終わりのお茶で大いに盛り上がる。
しかし。そんな中にあり、表情を曇らせている女性が一人。
「──どうしたことだ。ロウよ、あれだけあったはずの金貨が、すっかり消えてしまったぞ」
「使い込みすぎだろ……」
自身の服や興味惹かれた魔道具、友であるシアンへの贈答品を買った挙句、素寒貧となったセルケトである。
その言葉を聞いた少年は、窯焼き平パンをつつきながら嘆き目を覆った。
「ええっ!? セルケトさん、ロウさんから頂いていたお金、全部使っちゃったんですか!?」
「セルケトさん、お友達用にも沢山買い物をしてましたもんね。でも、カルラさんがこんなに驚くってことは、相当な額を使ってしまった感じですか?」
「……金貨十枚分だ。我とて、驚いている」
「「「……」」」
セルケトの口から語られた言葉に、彼女とロウ以外の全員が絶句する。
金貨十枚といえば、一年は食うに困らない金額だったからだ。
──ロウたちの活動する地域、レムリア大陸西部では、経済大国であるリーヨン公国の鋳造する金属貨幣が広く使われている。
公国の持つ高い冶金技術と生産能力を背景に広まったこの金属貨幣は、六つの種類に分けられる。
拳大の粗末なパン一つと等価である、小銅貨。その小銅貨十枚と等価となるミネルヴァ銅貨。これはかつてロウの出会った知恵の女神が描かれている、青銅製の硬貨である。
ミネルヴァ銅貨十枚と等価なのは小銀貨。その小銀貨十枚分の価値を持つのがミトラス銀貨、ミトラスという名の神が描かれている硬貨だ。
“太陽神”の名を持つミトラス神は光や契約、自然界の法則などを司る、天則の神である。天則とはこの世の理であり、人や生物一般のみならず神すらも縛る法則のことである。
神すら縛る“天則”を司る彼は、千の目と耳を持ちこの世界を監視していると言われる。が、子供の姿をとり世界中を放浪しているとも言われる。輝きを失わない特殊な銀貨に描かれている姿は、そんな子供の姿の方であった。
そのミトラス銀貨十枚と同価値にあるのが、硬貨の中でただ一つ、神ではなく竜が描かれた貨幣であるヴリトラ金貨である。
竜でありながら金貨に描かれるまでになったこの古き竜は、大陸北部で起きたある出来事によりその名を広く知らしめている。
地球の尺度でいえばフランスの領土ほどの超広域を、極限の魔法ただ一撃で砂へと変えたのだ。
地脈の魔力をも利用した至大魔法、「天地渇魃」。その影響を受けたのは文字通り全てである。
爆心地となった人族の国家に、周囲の豊かな森、長大で広大な河川。多様な動植物に様々な魔物や精霊。
あらゆるものが、等しく乾いて死に絶えた。
それどころか地上のみならず上空までもが、この琥珀竜の“渇魃”に支配されてしまう。
空が渇き天が枯れたために、この地方のみならず大陸北部の大部分が、極度に乾燥した砂漠型の気候へと変化してしまったのだ。
竜の引き起こした災害の中でも、特に恐ろしいものとして知られるこの一件により、かの琥珀竜は錆びることのない金貨に描かれている。
人々がその惨劇を忘れぬように、その逆鱗に決して触れぬように……。
最後に残る六枚目の硬貨は、ヴリトラ金貨百枚と等価であり、主に国家間の契約や条約等で用いられる貨幣、サマエル大金貨である。魔力的に変質した金であるオリハルコンで出来たこの硬貨は、柔らかい金と異なり、ただただ硬く、そして輝いている。
サマエルは生命が滾る様な灼熱と、凍えるような死という、両極端な属性を司る神である。
神でありながら悍ましい死を司るため、時に“死神”とも呼ばれるこの神は、ある種魔神的な性質を持ちながらも、古い時代から広い地域で人々に信仰されてきた。
怖れを含んだ信仰は、自身へその災いが降りかからぬようにするためか、あるいは、気に食わぬ隣人への神罰を求めるためか。
何にしても、古くから信仰を集めている死神サマエルは、今日でも大金貨に描かれている。その姿は燃え上がる炎や死を象徴する髑髏といったおどろおどろしいものではなく、十二の翼を持った神聖なものだ。
金貨の百倍という極めて高い価値であるため、一般市民が生涯の内にそれを見ることは殆どない。
これを見ることが出来た者は幸運であろう。たとえそこに描かれているのが、死神であったとしても。
──話は戻って、セルケトの使い込んだ金貨十枚である。
貨幣の最小単位である小銅貨は粗末なパンでおおよそ一つ分であり、日本円にして十円ほど。金貨一枚はその一万倍、すなわち約十万円であり、十枚であれば大体百万円ほどの価値となる。
いくら魔力的に変質した貴金属や、高級衣服の価値が高いこの世界であっても、金貨十枚を一日で使い込むなど只事ではない。
それ故に、少女たちは驚愕しきりといった表情となったのだ。
「──当面小遣いナシだな、お前は」
「むう。貴様やシアンへの品も買ったのだぞ? 仕方がない側面もあろう」
「え? マジ? そりゃありがたいけど……だからって使い過ぎだ」
自分へのプレゼントもあると聞いて一瞬喜んだロウだったが、やはり額が額だけにしっかりと教育することに決めたようだ。
その後、購入したものの披露会や品評会を経たところで、日が落ちないうちにと冒険者組合へ向かう旨を伝え、ロウは一人喫茶店を後にした。
夜間とは違い人通りの多い大通りを、持ち前の隠密歩行でするすると進んでいった少年は、難なく目的地へと到着。
彼は大型亜人用扉ではなく、人族一般用入り口から中へと入る。
昼過ぎの中途半端な時間ということもあり、組合の中は気だるげな空気が漂っていた。
エントランスにある長椅子でうたたねをする冒険者や、手で塞ぎきれないような大欠伸をする受付嬢。これなら変に絡まれることもなさそうだと、少年は安堵しながら依頼を探すために掲示板へと歩いていく。
すると、掲示板の前に見覚えのある、山のようなシルエットがあることに気が付いた。
昨夜亜人用扉から共に入った、あの熊人族の男性である。
「どうもどうも。昨日はありがとうございました」
「おお? 坊主か。また依頼を出しに来たのか?」
「あの時は言い忘れてましたけど、実は俺も冒険者なんですよ」
ロウは熊人族の男性──ローレンスと雑談に興じながら、依頼票を眺めていく。
しかし、今日も薬草採取の依頼は見つからなかった。
「う~ん。無いかあ」
「坊主が探してるのは薬草採取だったか? ああいうのは魔術大学が専門に生産してるから、組合に依頼が来ることなんてそうそうないぞ」
「ええッ!? 大学で薬草を育ててるってことですか?」
「そうだぞ? 坊主は外国からきて知らんのか。ここじゃあ薬草は大学の持つ施設から仕入れるもんだからな」
「ほげぇ~」
ローレンスの語る事情に、ロウは間の抜けた声を出しながら驚きを露わにした。
──アレクサンドリア魔術大学は国の総合研究機関であるため、様々な分野の研究を行っている。
それら研究の中には薬草の生育環境調査、薬草を使った魔法薬研究もあるため、大学では植物棟にて薬草の栽培もおこなっていたのだ。
栽培された薬草は主に研究材料として使われるため、常に市場へ万全な量を供給できるわけではないものの、個人診療所の需要を満たすには十分な生産力がある。
そのためここヘレネスでは、冒険者組合を通して薬草採取の依頼が出ることはまずないのだ。
「──そういうことだったんですか。むーん」
「おかげでヘレネスじゃあ、古傷以外の外傷は大体治療できるってわけだ。怪我が付き物の冒険者にとっちゃあ、この上なくありがたい話だな」
引き続きローレンスからヘレネス薬草事情を聞きながら、ロウは唸る。
冒険者組合で発注されるものの内、最も目立たず、且つ他者と関わらずに済む依頼が、薬草採取である。
害獣や魔物の討伐依頼であれば依頼主と会う必要があるし、魔物や魔獣の素材収集依頼であれば、手に入りやすい素材は組合が供給している。そのため、わざわざ個別に依頼を出すものなど、得るのに危険が伴う素材ばかりだ。
そんな依頼を受けてしまえば当然目立つ。
かつては盗賊であり、そして現在人外であるロウにとっては、好ましくない要素である。
以上の要素を加味したロウが、薬草採取依頼がないのなら組合へは顔を出さなくていいかな──と考えていると、今度はローレンスより質問が飛ぶ。
「そういえば坊主は、昨日はアシエラと話してたな。依頼を持ちかけられでもしたか?」
「アシエラさん、ですか?」
「ん? なんだ、名前も聞いてなかったのか。坊主と同じ珍しい黒髪の人間族のことだ。掲示板の前で話してたろう?」
「……ああ、あの人の事ですか」
掲示板の前で話した女性といえば、夜道で襲い掛かってきたあの女性の事である。
ロウの持つ彼女についての情報は特徴的な容姿と人外独特の魔力だけだったが、名はアシエラというようだ。
「アシエラさんって言うんですね。昨日は興味本位で話しかけられただけだったんですけど、どんな方なんですか?」
「おいちゃんと同じで、基本はパーティーを組まずに個人で活動してる冒険者だ。相当に腕が立つってんで名が通っているが、少し変わった噂もある。どうにも選り好みするみたいでな」
「選り好み、ですか?」
「そうだ。面食いってわけじゃないんだが、男と組むにしても女と組むにしても、妙な価値基準があるというかな。相手に喧嘩を吹っ掛けるわけでもないし、仮とはいえパーティーを組む以上、より自分と合うものを探すことが悪いとも言えんが……」
ロウはローレンスと話しながら、得た情報を精査していく。
(襲われただの不審な動きがあるだのじゃなくて、単なる選り好みか。ひょっとして俺以外には、人を襲っていないのか? 騒ぎになっていない以上、殺しをしていないのは確実だろうけど。……まさかアレか。昨日の味見って、マジもんの貞操の危機だったのか?)
(はんっ。何を馬鹿なことを)
(こらこら嘲笑を刻むな。しかし、分からんな。騒ぎにならないように生きている人外が、なんで俺に襲い掛かるような真似をしたのか……)
判断するには情報が足りない為、少年は更なる情報を聞き出すべく会話を続けていった。
しかし、彼女は元々個人で活動する事が多く、加えて、ローレンス自身行動を共にしたことが無かったことで、先ほど聞いた以上の情報が出てくることはなかった。
「──なんだか悪かったな、坊主。ただまあ、アシエラが自分から話しかけるのは大体気に入ってる奴みたいだし、その内また話す機会があるんじゃないか」
「ですかねー。ありがとうございました」
襲い掛かられた上に返り討ちにしたとはいえず、ロウは内心苦笑いを浮かべながらローレンスに別れを告げ、受付カウンターへと向かう。
今のところ彼に依頼を受ける予定はないものの、公国から魔導国へ移ったため手続きをせねばならなかった。
魔導国で依頼を受けないのであれば不要な手続きではあるが、今の時間帯は受付も空いているし、折角足を運んだのだし、ということだった。
そして予想外の出費もあった。先のセルケト事変である。
(まだまだ残金があるとはいえ、稼いでおくにこしたことはないしなあ。個人で出来そうな依頼があれば、討伐や魔物素材も視野に入れておくか)
(浪費癖のある恋人を持った男の呟きみたいだな……)
(何を言っているんですかサルガス。恋人というより娘でしょう)
(十歳で子持ちのような精神とか、業が深すぎるわ)
よしなしごとを心に浮かべている内に受付の前へと辿り着いた少年は、組合員章を提出して手続きを行っていく。
「へぇ~坊や、ちゃんと冒険者なんだね。うん……うん? んんっ!? 精霊二種使役!?」
(そういえば、そんな設定もあったなあ)
(ボルドーでも似たような反応だったか。懐かしいもんだな)
外はねレイヤーな茶髪に、可愛らしい白のヘッドドレスを着けた受付嬢──パルマの素っ頓狂な声を聞いて、ロウとサルガスは老人のような会話(脳内)をする。
まだひと月ほどしか経っていないのに、随分な懐かしみようである。
「何度か依頼をこなしてるし、間違いってこともないんだろうけど……これって、本当なの? ロウちゃん」
「ロウちゃ……はい、事実です。こんな感じで」
彼女の上げた声で軽く注目を集めていたロウだったが、能力を示す際に自分の身体を影にするように精霊を創ることで、更なる注目が集まることを回避した。
「おおっ! 凄いね~。魔術だとこんな人形劇みたいに器用な動きも出来ないし。っていうか、これだけで芸者さんとしてやっていけそうな気がする。ひょっとしてロウちゃんって、魔術大学の学生さん?」
「いえ、単なる根無し草ですよ。記入内容はこれで大丈夫ですか?」
手のひらサイズのドレイクとウィルムをそれぞれ石と水魔法で創り上げ、それを受付カウンターの上でじゃれ合わせている内に、少年は移動に関わる書類を書き終える。
「ちょっと待ってね~。……あはっ、ちょっと字が独特だね~。でも、内容はよし! 今日から依頼も受けられるよ~」
「ありがとうございます、パルマさん。……ちなみに、採取系で報酬が高そうな依頼ってあります?」
「う~ん、採取系かあ~。あるにはあるんだけど……」
ロウが試しにと聞いてみれば、鈍い反応が返ってくる。
先ほど見た依頼票を思い出しながら、採取依頼なんてあったかな──と考えたところで、一つ思い当たるものがあった。
「あ。ひょっとして大砂漠で竜の痕跡を探すって奴ですか?」
「うん、それ。一応採取系で報酬も高額だけど、場所が場所だからね~」
「大昔に竜が創り出した砂漠ってだけで、今も竜が住んでるわけじゃないんですよね?」
「そうらしいけど、やっぱり大災厄が起こった付近だからね~。それに、環境も最悪だし」
琥珀竜の放った魔法の影響は、500年以上経った現在も残っている。
地はおろか天さえも支配していた“渇魃”は、爆心地たる大陸北部中心地を除いて消え失せたが……その爪痕はなお深く、未だ砂ばかりが広がる世界である。
時折、砂漠に眠っている琥珀竜の魔力によって変質した宝石や鉱脈を求め、調査団や冒険者らが砂漠へ向かうものの、結果は芳しくない。
粘膜や皮膚どころか体内の血液まで枯れてしまいそうな程の、異常な乾燥。
更には非業の死を遂げた者たちの怨念が、残留する琥珀竜の魔力と混じり合い産まれ落ちた、様々な種類の強力なアンデッドたち。
これら過酷な環境により、かの砂漠での調査は思うように進んでいなかったのだ。
そんな中での、「竜の痕跡探し」である。
「中心付近へ向かうって話だからね~。国の報告だと、竜の魔法はまだ残留してるみたいだし、アンデッドをどうにか出来ても、もの凄~く危険だと思う」
「なるほど……そんな調査を冒険者に出すっていうのは、どうなんでしょうね? 国へは依頼しないのでしょうか」
「ああ、この依頼は国の機関、魔術大学の研究チームからなんだよ~。詳しくは知らないけど。ともかく、私はこの依頼をおススメはしないかな~」
彼女の言葉へ曖昧に頷きつつ組合員章を受け取り、ロウは冒険者組合を後にした。
(──例の依頼、受けるつもりか?)
(う~ん……報酬が金貨五十枚だからなあ。話によれば、依頼を受けているのは腕利きの冒険者だって言うし、そっちに任せればそう目立たなさそうだし……)
(ですが、魔術大学の学生や研究者がいるとのことですよ?)
(そこなんだよなあ。まあ、ぼちぼち考えよう)
ロウは曲刀たちと依頼についての相談をしながら、赤く焼けだした大通りを歩き、宿への帰路につくのだった。