4-10 青玉竜と大陸拳法
大学に行ったり神域に行ったりと忙しかった一日も終わり、夜。
謎の美女(魔族?)に襲われ一時貞操の危機へと陥ったものの、無事に宿へと帰り付いた。ヤームルの使用人であるフュンに帰ったことを伝えて、そそくさと食堂へと向かう。
ビュッフェ形式で提供される料理を肉魚野菜穀物とバランスよく盛りつけ、ぺろりんちょと平らげる。色々あってお腹が減っていた俺には楽勝である。食器トレー一杯に積む俺を訝しげに見ていた料理人たちは、つるつるになった食器に目を丸くして驚いていたが。
ドヤ顔と共に食器を返却して、三階にある自室へと足を向ける。
三階で借りている部屋もとても広く豪華な客室だが、四階にある特別客室はそれをも上回るものらしい。一体どれほどのものなのかと興味をそそられるが、散財しても仕方がないし、俺には縁がないということで流しておこう。
特別客室の内装を妄想している内に自室に到着。
ほんのり警戒しながら自室の扉を開けるも、今回はセルケトの姿なし。
(ククッ、少し残念なんじゃないか?)
(んなわけあるか)
銀刀より投げかけられた的外れな問いに否定を返しつつ、服や武装を脱ぎ去って浴室に向かい、手洗いうがいに歯みがき身体洗いと済ませていく。
十分に広いものの浴槽のない寂しい浴室で二十分程身体を洗った後、その内浴槽を創るかなあと考えながら水気を拭き取る。
火傷痕や外傷も大分癒えた身体で着替えを済ませ、部屋へ戻ってダブルベッドに潜り込めば、後は寝るだけだ。
「それじゃあ、おやすみ~」
(おやすみなさい、ロウ)(おやすみ)
魔道具の照明をオフにして目を閉じる。
明日はどうするかの予定をもやもや考えている内に意識が拡散していき、俺は眠りへと落ちていった。
◇◆◇◆
翌日、ヘレネス生活三日目の未明。
例の如く、日課である武術の鍛錬を異空間で始める。
鍛錬を続けた甲斐あってか、もはやこの幼き我が身にも随分慣れ親しんだ。
それどころか、大陸拳法に関しては前世で打ち込んでいた時よりも理解が深まった風でさえある。
“猛如虎”。
“狠如鷹”。
“滑如油”。
“冷如冰”。
今までの鍛錬や強敵との戦いを通して、これら八極拳の理に感ずるところがある。
敵と相対し、攻め立てる時は虎の如く猛々しく。追い立てる時は鷹の如く鋭く一息に。
転じて守りに入るときは、油のように滑らかに、柔軟に。機を見計らう時は、氷のように冷たく冷静に己を律するべし。
命を奪い合うような戦いの場に身を置いて初めて、この金言を実感できた。
恐らく日本にいたまま鍛錬に打ち込んでいても、漠然としか理解できなかったことだろう。
「──奇怪な氷竜が、妾の竜拳を止めたあの一撃か。何とも面妖な」
そうして鍛錬に打ち込んでいると、人型となっているウィルムが氷のベッドに横臥した状態で質問を投げかけてきた。暇を持て余しているらしい。
けしからん太腿が大胆にも露わになっているが、本人は全く気にしていない。流石竜である。
「ん……いや、似てるけど、ちょっと違うな。あれは反対側の腕も一緒に上げてたろ? 今のは腕を腰元に添える感じだし」
説明を終えたところで新米眷属のテラコッタを呼び、組手形式の鍛錬を行う。
二メートル近い長身と子供の背丈ではやり辛さを感じるかと思っていたが……。いざ始めて見れば、自分でも意外なほどに身体が動いて攻め手が浮かび、相手の動きが分かって受けや捌きが巧みに決まる。
[──!]
「──哼ッ! ……ああ、エスリウと殺り合った経験が生きてるのか」
テラコッタの放つ前蹴りを側面へと回り込む転身で躱し、そのまま回転する勢いで掌底を打ち込んだところで──ごく最近、似たような体系の化け物と戦ったことを思い出した。
今相対しているテラコッタよりも更に厳つい肉体でもって、灼熱の魔法を操り爆熱の連撃を繰り出す、魔眼の魔神エスリウ。
殺し合っている最中に何度死にかけたか分からないあの戦いは、確かに己の血肉となったようだ。
殺し合いをも己の糧とする。そんな地球時代では考えられない自分の人生に奇妙な感慨を抱きつつ、美女の見世物となること三十分。鍛錬の予定を消化し終えた。
「ふぃー。今日は随分長いこと見てたけど、気になるところでもあったのか?」
「否、というほどではなかったな。無聊を慰める程度には、見る価値があったやもしれん」
「そっすか。そういえば、ウィルムはこういう体術みたいなのって、修めてたりする?」
「同族や魔神どもとじゃれ合う過程で幾らか知りはしたが、貴様がやったように体系化されたようなものは知らん。そのようなものなど、力なきものが身に着ける技術であろう」
「君らは魔法もブレスもあるもんなー」
相変わらずのごろ寝状態で、ウィルムは気だるげに語る。
確かに、竜ほど絶対的な力を持つ存在ならば、人が扱うような戦闘術など不要だろう。生まれながらに竜鱗という鉄壁の守りも持ち合わせているし、その力を振るうだけであらゆる物事が解決するに違いない。
そのおかげで、力で劣る俺が付け入る隙があったわけだけども。
「しかしまあ、貴様の技術も見るべきところが無いわけでもない、かもしれん」
「はあ」
何を思ったのか氷の寝台から身を起こし、話の流れを変えるようなことを言い出すウィルムさん。
「故に、貴様がどうしても妾にその技術を伝えたいというのなら、それを学ぶというのも、そう悪いことではないのかもしれん」
「へえ」
立ち上がった彼女は、俺へと近づきながら迂遠な言い回しを続けていく。
「とどのつまり、結果の如何は貴様の態度次第というわけだ、ロウよ。分かるか?」
「ほお」
ずいと顔を寄せて、そんなことを言うウィルム。
彼女の言うところによれば、彼女に技術を教えられるかどうかは、俺の熱意次第らしい。
「腑抜けた返事だな。貴様の持つ技術を竜へと伝えることが出来る、二度とないであろう機会なのだぞ? しかるに、その気の抜けたような様はなんだ!」
唐突に我が両肩を掴み、何度も身体を揺さぶってくるサファイアブルーの美女。
なになに? 一体どうしたのこの子。
「教えて欲しいってことか? お前が俺の技術学んだら、より面倒臭くなりそうじゃん。そんな予定なんてないぞ」
「なにぃっ!?」
教える気が無い旨を告げると、ウィルムは雷にでも打たれたかのように硬直させ、しかる後動揺で身を慄かせた。
どんだけ教えてもらいたかったんだよこいつ。
「貴様っ! あれだけ見せつけておいて、何を言うか!?」
「いやいや、別に意図があって見せてたわけじゃないし。ただ己の鍛錬をこなす時に、お前が居合わせただけだし」
「なっ……!?」
言葉に詰まる。
正に何かが喉へと詰まってしまったかのように無音で口を開閉させた後、彼女は失意と共に地へ沈んだ。
竜属、感情豊かすぎだろ……。
◇◆◇◆
──結局、放置するとへそを曲げそうな気配が漂っていたため、その空気を払拭するためにも軽く教えることになった。
(ククッ、ロウはこういうところが本当に甘いよな。ギルタブも、こういう手管を覚えておけよ?)
(……なるほど。サルガスの言葉、一考する価値がありそうなのです)
などという不穏な会話が聞こえてきたが、異空間の門の監視が暇だからって、変なことを考えないで欲しい。
「──ふっ! ロウよ、こうか?」
「おっ。中々いい感じだな。肘を打ち込む時は押す意識よりも、踏み込んで進むように。打つ方の掌を上に向けて、打ち上げるように。胸を反らしすぎず、尻を出さず、姿勢を中正に……そうそう。筋良いな」
「はっ! 当然であろう。妾は『青玉竜』なるぞ」
魔神が竜を指導するという奇怪な事態になったものの、本人は意外と楽しそうな様子だ。
現在は八極拳の基本のきの字、頂心肘こと肘打ちを練習中である。
元々鍛えてあり、且つ戦闘センスも良いためか、ウィルムはどんどんと吸収していく。覚えが悪かった昔の俺とは大違い、羨ましいことだ。
指導している内にシアンやコルクもやってきて、賑やかな指導となった。なんだか道場時代、子供たちに教えていた時のことを思い出す。
郷愁にかられながらも一時間ほど指導したところで、そろそろ日が昇ろうかという時間となった。
「なに? もう終わりか?」
「汗流したいもんで、悪いね。何なら俺のいない間に、シアンたちから習ってみるのも良いんじゃないか? 俺と知識を共有してるし、話せないことを除けばバッチリだぞ」
「その話せないということが問題なのだがな。……しかし、汗を流す、か。妾もしばらく水浴びをしておらぬし、そろそろ身を清めたい時分だ」
「ええッ!? お前、ずっと風呂入ってないのかよ。ドン引きですわー」
いつぞや以来の竜とのカルチャーショックを受けつつもシアンたちへの魔力補給を終え、彼女たちと別れ異空間を後にする。
自室に戻って身体を洗い流し服を着替えていると、日の出を知らせる鐘が鳴り、朝食が始まる。帰ってきた時間は丁度良かったようだ。
──よし、今日も頑張りますかね!