1-12 魔物の襲撃
リマージュを出発してから四日目の昼。ロウは街道ではなく獣道を駆けていた。
風魔法の結界を周囲に展開して突き進む途中、襲い掛かってきた魔物が結界に巻き込まれ水気を絞られた雑巾のようになっていたが、特に気にせず足を進める少年。その様、自動車衝突事故の如きである。
「そういえば、魔物の魔石や素材回収してないや」
(オークや狼のように、比較的上質とされる肉以外は回収する必要もないでしょう。ロウならば通り過ぎるだけで倒してしまうような相手ですので)
魔法の制御技術が少し上達した影響で、彼の進行速度も相応に上がっていた。黒刀ギルタブの言う通り、もはや通り過ぎるだけで吹き飛ばしてしまうのだ。
そんな訳で現在、ロウは街道ではなくその脇にある森の中を驀進中である。
何事かと動じる動物たちの頭上を飛び越え、すわ獲物かと襲い来る魔物たちを黒刀の居合と風の結界で裂断粉砕。木が密集し通りづらい箇所は、魔法の練習と称して強引に切り開く。環境破壊の限りを尽くす、恐るべき人外の移動であった。
そうやって突き進みながら、この分だと昼頃には街に着くかもな──と少年が考えていると、強化された嗅覚が血と肉が焼ける臭いを嗅ぎ分けた。
周囲を軽く見回すと遠方で煙が上がっているのが視界に入る。彼の進む方向、街道方面だ。
「火事……じゃあ焦げた臭いはしないか。魔物か?」
風の結界を解除しながら身体強化の度合いを高めたロウは、ひときわ背の高い木へ登りつつ、強化された視覚で状況確認を急ぐ。
頂上付近の枝から見えたのは、オークの数十匹からなる大集団。
土煙を上げ進軍する先には街道があり、そこには商隊とみられる一行がいた。その一行は既に襲撃に備え戦闘準備を行っているが、戦闘員は十名にも満たない。
「んー。どっちにするかな」
少年の考えた選択肢は二つ。
襲いくるオークを華麗に倒し上質な肉を味わい、ついでに助けた商隊の人々から礼をふんだくるか。
あるいは、商隊が全滅したところを襲いオークの旨い肉を奪い取り、ついでに死人たちの金品も掠め取るか。
(流石盗賊、外道だな)
(ロウは食い意地が張っていますね)
曲刀たちから非難の声が上がる通り、正しく外道であった。
「これも盗賊上がりの性です故。でもまあ、見かけちゃったし助けておくか」
盗賊として生きてきたままの思考形態なら、彼は間違いなく金品を掠め取る方向で行動していただろう。
割って入れば盗賊という身の上が露見する可能性もある。外道ではあるが頷ける判断とも言えた。仲間のもとを離れ誘拐した公爵令嬢に意識を向けないのも、偏に正体がバレるのを防ぐためだ。
それでも、今のロウは盗賊業から足を洗い真っ当に生きようと決めていた。
救うだけの力があるのなら人助けを経験するのも良いだろう、そう思い至ったのだ。
もっとも、彼の中には実戦経験を積んでおきたいという打算も渦巻いていたが。
いずれにしても介入を決意したロウは、樹上から飛び降り街道へと向かっていった。
◇◆◇◆
そうして戦場近くの林まで駆けつけたロウだったが──。
「くぁー。すげー音だ。俺が最初に試した火の魔法よりよっぽどヤバいぞ、アレ」
──眼前に広がるのは武具ごと砕け散っていくオークの集団。灼熱の魔術が炸裂し、人間側の勝利が決定的となった瞬間だった。
(どうやら、先ほどの魔術は儀式魔術に分類される複合魔術のようですね。複雑な術式を構築する技量と相当な魔力量を併せ持っていないと発動は困難なはずですが、見事なものです)
(クククッ。助太刀しようにも、あれじゃロウがいても戦力過剰にしかならんな)
「うるせー。というか、あれが俺と会ったアルベルトたちだよ。魔術放った子は知らないけど」
討ち漏らしを各個撃破していく冒険者を指し、ロウは誤魔化す様に曲刀たちへ説明する。何の因果か、商隊の戦闘員は交易都市で友人となったアルベルトたちだったのだ。
(ああ。馬車で進んでいたのに追いついたってことか)
(ロウは一人旅なら馬車要らずですね)
曲刀の言葉に我が事ながら感心しつつ、彼は戦いの総括に入る。
「実戦で見ると魔術っていうのは本当に圧倒的な力だな。物量で考えたら多勢に無勢としか思えなかったのに、鎧袖一触……苦戦すらしなかったぞ」
(魔力に干渉し魔術を防ぐ手立てを持つ相手でもない限り、絶対的な優位を誇りますからね。ましてや大規模な破壊を引き起こす儀式魔術を構築できるとなると、こうなるのは当然だとすら言えるのです)
そうして各々が好き勝手に所感を述べている内に終盤戦へ。戦闘員の中でも切り込み役を担うアルベルトがオークの統率者──オークキングを狙い、斬り合いを演じ始めた。
「おー、格好いいなアルベルト。力負けはしたけど、技術で圧倒してるな」
(魔物も焦ってるな。あれじゃあの男には掠りもしないだろうよ)
(……どうにも、あの魔物は最初から何かに追い立てられるような、焦燥感に駆られていたと思うのです)
すっかり観戦モードに突入していたロウとサルガスだったが、ギルタブの意見で姿勢を正す。
「そういえば、俺が最初に感じた異変……血や肉が焦げるような臭いや立ち上る黒煙も、大魔術が放たれる前からしていたもんな」
(確かに。オークたちは何処かの戦闘から逃げてきたのかもしれんな)
会話を受けてロウが魔力感知を広げ、黒煙が上がる方へ意識を伸ばしていくと──巨大な魔力の反応に接触した。
「──げぇッ!? すげえなこれ……でけェ!?」
あまりにも強大な反応に少年は思わず呻き声を上げ、すぐさま強化された視力で反応のあった方角を見やる。
すると、金色の魔力を撒き散らし、悠々と炭化した死体の山を闊歩する、枯色の鱗を持つ威容を発見した。
進んでいる方角は、アルベルトたちのいる街道方面だ。
(あれは……竜!? 枯色竜っ!? まずいです、ロウ! すぐに退避することを推奨します!)
「お、おう?」
視覚情報を共有した黒刀の今までにない反応に意表を突かれるロウ。
(ロウ、あいつは危険だ。あの「枯色竜」ドレイクはまだ若いが、都市を消し飛ばし国を滅ぼしたというような、恐るべき逸話を持つ本物の竜の一柱だ。お前さんにも分かりやすく言えば、あの大都市リマージュを大魔法で吹き飛ばすくらいの攻撃力と、魔力を通したギルタブでも鱗を断てないくらいの堅牢な守りを持っている化け物だぞ)
黒刀の警告に付け加えるようにして、銀刀も珍しく長文で追従する。
「マジかよ。ギルタブでも斬れないって、鋼以上か?」
黒刀の刃は金属鎧すらやすやす切り裂く。それも歯が立たないとなると、魔法も剣術も学びの途上にある少年では打つ手なしである。
(彼らの鱗は魔力を通すことで、金属を遥かに凌ぐ硬度を発揮するのです。とにかく、逃げましょう!)
「と言っても、見捨てるのもな。弱点や苦手とするものはないのか?」
あればこういう反応はしないだろうなと思いつつ少年が問いを発すると、案の定の答えが返ってくる。
(無いな。亜竜ならば魔法耐性に穴があるが、真なる竜には基本的にない)
(ありませんね。強いてあげるなら、神や魔神のように若い竜をも上回る力を持つ存在でしょうか?)
「どうしようもねーな! あ、被膜は軟らかそうに見えるけど、あの部位を狙うのは?」
彼が指摘したのは四肢とは異なる翼だ。関節部に爪が生えており前肢が発達したとも思えるが、そうなったら最初は六つ足だったのだろうか? と、少年の思考がやや逸れる。
(あの巨体の翼を上手く狙えるならアリだろうな。魔力で保護されているだろうが鱗がない分、刃が通りやすいだろう)
(仮に被膜を傷つけたとしても腕部には鱗があるので斬り落とすことは難しいものと思います。その程度の傷であれば、竜は魔法で負傷個所の回復を行うでしょう)
「魔法も使うのかー……勝ち目ゼロだな」
武器の刃は通らず、仮に刃が通ったとしても相手は傷を回復する術を持っている。
倒すならば最低でも竜鱗を貫く術が必要となるだろう。
となれば如何にするか?
「俺がドレイクの注意を惹いている間に、馬車で駆け抜けてもらうしかないな」
倒せないならば時間を稼いだ上で逃げてしまえば良い。この身は盗賊、逃走などお手の物。ロウはそう考えたのだ
(はっきりと言ってしまえば、魔法でさえもロウより遥かに格上なのがドレイクです。逃げ回るだけでも非常に危険ですよ?)
(見なかったことにしてさっさと町へ向かった方がいいぞ。一緒に飯食っただけなんだろ?)
そう。曲刀たちの言う通り、高々一回飯を食べただけだ。
それでも、中島太郎とロウとが混ざり合った存在になってから、初めて出会った気の合う人物たちだ。
「友達だからな」
多くを語る必要などない。彼が助けようとする動機など、言ってしまえばこれだけのことなのだ。
「──それに竜相手なら全力の魔法で実験ができるしな!」
耐性を持つ相手にどれだけ効果が出るのか試しておくのも大切だと、ロウは考えていた。自身の手札を確認する上でも、竜は悪くない相手だといえる。そう結論付けたのだ。
(はぁ~。適当な所で切り上げるんだぞ?)
(四足の生物の基本として、背中側より腹側の方が守りが薄い可能性があります。仮にアレを斬るときは意識しておいた方がいいでしょう)
「ギルタブに折れられたらかなわんしな。と言っても、居合以外じゃ抜かないし、サルガスで斬りつけてみる予定だけど」
サルガスは硬さもさることながら非常にしなやかで粘りも強い。竜による全力パンチでも受けない限りは、たとえ全力で斬りつけたとしても折れることも無いだろう。そんなロウの無根拠な判断である。
(不穏なことを考えるなッ!)
サルガスが思考を読み突っ込んだその時──咆哮が響き渡る。
問答を切り上げ彼方の竜を一瞥し、ロウは街道へ向かい疾走した。