4-1 竜の住まい
今回より第四章が始まります。
魔導国首都ヘレネスに到着してから二日目、その未明。むくりと寝台から起き上がる俺。
おはようございます、魔神のロウです。
(おはようございます、ロウ)
(おはよう。今更何で魔神だなんて分かりきってることを自称するんだ?)
うがいに水分補給にと済ませつつ行った俺の脳内挨拶に対し、意志ある武器にして相棒である曲刀たちから念話が飛んでくる。
彼らは身に着けている対象の表層心理を読み取ることが出来るので、こちらの思考は常に丸裸だ。妄想だっておちおちできやしない。
「ノリだよノリ。そんじゃサルガス、今回は君がお留守番なー」
(へいへい)
例の如く短い睡眠時間で疲労が回復したため、日課の鍛錬を行うために空間魔法を構築。自前の空間──異空間への門を開く。
鈍色の曲刀サルガスにお留守番を頼み、いざ入場。
自身の空間に入れば、視界一杯に広がるのは相も変わらず白い空間だが──。
「なんだアレ……氷の城か?」
視線の先にはいつの間に建ったのやら、見慣れぬ巨大建造物が占拠していた。
俺たちが泊まったゴシック建築的な宿も霞むほどに、超特大な氷の城。
それはこことは異なる世界──地球で見た覚えのあるような造形。
高等教育を受けていれば一度は写真で見たことがあるであろう、あのミラノ大聖堂を彷彿とさせる。
凄まじく巨大でありながら神聖さも感じさせる、教会のような外観だ。
それは荘厳でありながら、氷独特の儚い美しさをも内包していた。素晴らしい芸術性です。100点満点であると言えよう!
「──って、寒ッ!?」
阿呆な考え事は氷の城より垂れ流される冷気によって中断させられた。
件の城のおかげで現在の異空間内は冷蔵庫を通り越し、業務用冷凍庫ばりの温度になっているようだ。異空間に保管してある衣類や食材は大丈夫だろうか?
(シアンたちの心配はしないあたり、流石ロウなのです)
「あいつらは頑丈だしまあ大丈夫だろ──お、噂をすれば」
[[[──]]]
サルガスと同じく意志ある武器である黒刀──ギルタブと念話トークをしていると、飛んでくるようにやってくる我が眷属、もといシアンたち。
冷気が及ばぬ場所に居たのか、この寒さにもかかわらず凍り付いてはいないようだ。
[──、──っ!][──……][──、──]
「そんな一度にジェスチャーされても分からないって。お前たちは喋れないし、順番に聞いていくからそう焦るな」
──カラフルな彼らから事情を聞いていくことしばし。
「──ここで生活してるウィルムがちゃちな石のベッドで満足できないから、氷の寝台を創り上げて、折角だからとそれを拡張していって、この氷の城が出来上がった、と」
[[[──]]]
聞いてみれば何のことはなく、歩く天変地異こと青玉竜ウィルムの所業であった。
この空間にはあいつ以外に魔法を使える存在なんていないし、当然っちゃあ当然だけど。
概ね予想通りの顛末を聞いて嘆息したくなる反面、逆によく無事だったなと感心する。
すると、眷属たちの末弟テラコッタが本来の姿である紅蓮の溶岩流体へと変形し、疑問を氷解させてくれた。彼を熱源代わりに冷気を凌いだのだろう。
「そういやテラコッタは溶岩だったか。悪いけど、お前らは避難させてる道具や食料のところで、冷気が及ばないように守っててくれないか?」
[[[──]]]
そう命じると、シアンたちは脱兎のごとく駆けていく。
寒いのは苦手なのだろうか? 万が一に備えて一緒にいたがるかと思ったけど、彼らは意外に薄情だった。
(あの子たちはロウの魔力を受け渡す時に、ロウの知識も一緒に渡っているのでしょう? 竜と魔神との争いになれば付け入る隙のない事は、彼らも十分承知しているのでしょう)
「ああ、それもそうか。正直俺も空間魔法無しじゃ全く勝てる気がしないしなあ」
こちらの考えを読み取った黒刀の答えになるほどと頷きつつ、身体強化を全開にして氷の城へ入場。
風通しの為か、それとも創るのが面倒だったのか。扉の無い正面玄関は竜も入れそうなほどに巨大だ。そこへちんまい子供が堂々入るというのも、得も言われぬ奇妙さを感じる。
十メートル近い高さの入り口を抜けると、青白い氷で満たされたエントランスに出迎えられた。
「あいつ、建築家か芸術家か何かなのか? 手が凝りすぎだろ」
幾何学的に配置されている装飾的な柱群に唸りながら進んでいき、祭壇があると思しき身廊に到着。
高さ三十メートルはありそうな、巨大なアーチ状の天井。薄っすらと青白い採光窓から差す、幻想的な光の筋。聖歌が聞こえてきそうな大空間である。
教会的に配された氷の長椅子の脇を通り、反射光で煌めく氷の床を歩き──祭壇に到着。
果たして、そこに美女がいた。
「……」
祭壇で寝息を立てている女性は、言わずもがな青玉竜ウィルムである。
俺に敗北して以降は人型となり行動しているが、今もしっかりと約束を守ってくれているようだ。
深い青色の長髪に、同色の布の衣服。細長く形の良い眉に、霜が降ったように白く染まるまつ毛。
彫りが深くはっきりとした顔は、雪のように白い肌のため生気が感じられないが……その唇だけは桜色に色づき、血の通った温かさを教えてくれる。
心奪われるような美しい頭部から肢体へと目を移せば、俺の握り拳よりも若干大きい魅力的なおっぱい。更には、布を巻きつけているものの下着が無いため、どうにかすると見えてしまいそうな、芸術的曲線を描くお尻。
マーベラス! 大変素晴らしい。この城の主に相応しいと言えよう。
(何を馬鹿なことを考えているんですか)
冷凍庫のような外気よりもなお冷たい黒刀の念話でスケベな想像を消し去りつつ、静かに胸を上下させている美女に声を掛ける。
「おーい、ウィルムー? どういう状況でこうなったのか、ちょっと説明してほしいんですけどー?」
「……」
声を掛けるも、身動ぎ一つしない。
呼吸しているし何か異常がある、という心配はしないが……どうしたものか。
「前みたいに水ぶっかけるのも、こんだけ寒いと凍結しそうだし……うーん」
(斬りつけますか?)
「怖ッ!? いくら相手が丈夫だからって、そりゃないだろ」
竜ならば斬りつけてもどうということはないだろう、という恐ろしい提案を棄却しつつ、頭を捻る。
彼女の身体を揺するというのは、少しばかり勇気がいるんだよなあ。
エロス的な意味合いよりも、身の危険的な意味で。触った瞬間腕が凍り付いたり全身が凍結したり、なんてあり得そうだ。
「──あ。あれやってみるか、空間変質魔法の『常闇』。あれなら周囲に被害は出ないし魔力を食らい尽くすしで、ウィルムを起こすのに丁度いいかもしれん。流石に垂れ流してる自分の魔力が食われたら、こいつも目が覚めるだろ」
豆電球が灯るように思いついたのは、最近創り出した新規空間魔法。
これは光や魔力を吸収するだけなので、下手な魔法でこの城を破壊するよりはよほど安全に起こせるだろう。
思い立ったが吉日だと、早速魔力を集束させていく。
(そうかもしれませんが、その場合彼女が起きた時に──)
「準備ヨーシ! 発動ッ!」
全開の魔力操作でも起きる気配の無かったウィルムへ、塗りつぶす様な黒を解き放つ。ギルタブが何かを言いかけてたような気がするが、大したことじゃないだろう。
発動と同時に周囲から光が消え、一帯が闇に閉ざされる。
魔力感知も無効化されるため、頼りになるのは聴覚と嗅覚、それに触覚くらいのものだ。
「──……っ!? なんだっ!?」
「お。起きたか、ウィ──」
「目がっ!? くぅ、奴の魔法かっ! 吹き飛ばしてくれる!」
「は? ちょッ!? 待──」
声を掛けるも猛烈な冷気により全身凍結。直後に背面強打。
パニックとなったウィルムが吹雪を解放したらしく、発生した烈風で全身が凍り付かされた上に氷壁へと叩きつけられたのだ。
なにしやがんだこのトカゲ!?
「ぐぉぉぉ……痛えな! いきなりなんてことしやがる」
全開の魔力で身体を覆っていたことが幸いし、身体の芯までは凍り付かなかったが……全身氷まみれである。死ぬわ。
氷を粉砕しつつ辺りの様子を探るが、「常闇」の中にいるため正確な距離は分からない。
体感では祭壇部分から数十メートル以上吹き飛ばされた気がする。寝起きに大爆発とか、どこぞの炎王龍かよ。
「おおおぉぉぉっ!」
「うげッ」
突っ込みを入れている内にガンガンと温度が下がっていき、身体強化している身でも震えるほどの冷気で満ちてくる。
「ちょっと説得は無理臭いな。とりあえず距離をとらないと不味いし、まずは離脱!」
暗闇の中で冷気の嵐に近づくのは不可能と判断し、ウィルムの声がする方向とは正反対に全力疾走。
氷の隔壁を十枚ほど突き破ったところで闇から逃れ、ついでに氷の城の外に出た。
そのまま駆け続け大きく距離をとったところで、改めてウィルムの方を見やる。
巨大建造物は塗りつぶされたような漆黒で覆われているが、その上部からは猛吹雪と銀なる炎が噴き出ていた。
これだけ離れてるのに寒いと思ったら、そりゃ寒くもなるわ。
「あれブレスか? あいつ錯乱しすぎだろ」
(彼女は元々あの空間変質魔法に良い思い出がないようでしたからね。その記憶が刺激されてしまったのかもしれません。しばらくそっとしておいてあげるべきでしょう)
「ああ、昔魔神に殺されかけたって言ってたもんな」
(だから私が止めようとしたのに、全くロウは……)
「ごめんごめん。まあ鍛錬でもしとけば収まるだろうさ」
小言を回避するためにサクッと套路を開始。
火山噴火の氷版といった地獄絵図を眺めつつ、「常闇」が晴れるのを待つことにしたのだった。
◇◆◇◆
(──放置の提案をしておいてなんですが、よくいつも通りに自己鍛錬が出来ますね)
「最近はこういうのに慣れてきてなあ。いきなり襲い掛かられたり首斬られたりするのに比べりゃ、なんてことないさ」
(恐るべき図太さなのです)
太極拳の老架式から始まり八極拳の連環拳まで套路を終えたところで、出し抜けにギルタブから声を掛けられた。
あれから三時間くらい経っただろうか?
信じがたいことに「常闇」は未だ継続中である。全力操作で発動したのが仇となったのか、かなりの持続時間だ。
「まだ『常闇』は続いてるけど、ウィルムはおとなしくなっちゃったな? てっきり飛んで出てくるかと思ったけど」
(全くの暗闇で飛行するというのは大きな抵抗があったのでしょう。ましてや彼女はあの空間が苦手なようでしたし)
「あれで意外と小心者なのか……? ちょっと可愛いかもしれない」
白い息を吐きながら噴き出た汗を拭い、黒一色の空間を眺める。
二時間ほど前は銀炎や猛吹雪が空間のあちこちから吹き出ていたが、今ではうんともすんとも言わない状態だ。
諦めたのか、何らかのトラブルが起きたのか。
(全く、今度はウィルムですか? ロウは本当に見境がないのですね)
「いや、可愛いってそういう意味じゃないし──お? ようやく晴れたか」
彼女のとんちんかんな物言いを正そうとしたところで、泡が弾けるように漆黒が消えだした。
沸騰した蒸気の末路のように、数秒ほどで闇が欠片も見えなくなるが──。
「あいつ、氷山に埋まってるな。自爆したのか?」
(さあ……。彼女は以前自身の息吹が直撃していましたが、傷を負いつつも行動に支障が出ない程度でした。それを考慮するに、あの状態でも命に別状はないでしょうね)
「そう考えると竜ってやっぱりとんでもないよな」
闇が晴れてみれば、竜の姿で巨大な氷山に閉じ込められているウィルムさん。
パニックの末自爆してしまったのか、あるいは氷山の内部に身を置くことで身の安全を図ろうとしたのか。
俺が魔力を解放した状態で近づいても反応が無かったため、前者かと思っていたが──。
「──滅茶苦茶小刻みに震えてるな」
(相当な恐怖を感じていたようですね……)
青白い氷山の内にいるウィルムが十分に観察できる位置までくれば、頭を翼で覆って蹲り小刻みに震える様子が見て取れた。
氷山の内部はある程度の大きさがある空洞となっていたようだが……それにしたってビビりすぎだろ、こいつ。
(長い間視界も魔力感知も一切利かない暗闇に居たのですから、こうもなるでしょう。私は彼女に同情しますよ)
目が覚めたら真っ暗闇。魔力は食われ視界も効かない。
その上暗闇はブレスや吹雪でも吹き飛ばせないし、いつまでたっても晴れる気配がない。
……列挙してみたら中々酷い状況だな。そんな状況を創り出したのは俺だけども。
話しかけようにも氷山の中には声が届かない為、火魔法を構築して氷を溶かしていく。
「これを溶かしきると異空間が水まみれになりそうだ。いや、温度が低いから凍結するか?」
(この氷山以外にも、あの城の残骸も残っていますからね)
ギルタブの言葉を受けて周囲に目を向けると、美しいゴシック建築物は見るも無残な廃墟へと変貌していた。ウィルムが放ったブレスや氷魔法で破壊されてしまったらしい。
諸行無常、栄枯盛衰とはいうが、あまりにも早い最期である。
(如何にも彼女のせいという風に考えてますが……ロウも脱出の際に壁や扉を蹴り破っていたように思うのですが)
などと突っ込みをスルーしつつ氷山を掘り進むこと数分。ようやく開通と相成った。
「おーいウィルムー? もう暗闇も晴れてるぞー?」
【……? っ!? ロウ、貴様! あれは何の真似だ!?】
「悪かったって。お前が氷の城なんて創ってるから話聞こうと思ったんだよ」
竜が入るにはやや手狭な半円空間で伏せるウィルムに声を掛ければ、がばりと身を起こした彼女から威勢のいい返事が返ってきた。
こういう態度を見ちゃうと、また「常闇」に閉じ込めてみるのも面白そうだと思ってしまう。
(ロウは性根が歪んでいるのです)
そんなお小言を頂きながらウィルムを宥め、話を聞いていく。
「──そもそも、何でいきなり氷の城を創ったんだ?」
「貴様がこの空間内では自由にしてよいと言ったのだろうが。妾は快適な住まいを創っただけだ。誹りを受ける謂れは無い」
竜から人型となった彼女に問えば、そのような答えが返ってきた。
確かに自由にしていいとは言ったが……。それにしたってなあ。
「俺やシアンたちに迷惑のかからない範囲で、な。今回は空間内の温度が大きく下がって、それで食料やら衣類やらに影響が出るかもしれなかったんだから、明確にルール違反だぞ」
ある程度は好き勝手にやってもらって構わないが、但し書きというものは当然つく。今回の件は俺が竜の規格外さを舐めていたということもあるので、あまり強くは言えないけど。
「ぬぅ。貴様の眷属どもが騒がしかったのはそういうことだったか。身振り手振りでは今一つ意図を読み取れんのだが、奴らは話せるようにはならんのか?」
「今のところそういう兆しはないかな。定期的に魔力与えてるし、その内話せるように進化するかもしれないけど」
「左様か。まあ、ロウの言い分はもっともなようだ。今回のところは妾が退いておいてやろう」
「そりゃよかった。ああいう住居を創るにしても、今後は竜の大きさくらいのものにしてくれよな」
思いのほかあっさりと矛を収めるウィルム。
普段の不遜な様子はすっかり鳴りを潜めているが、よほど「常闇」が効いたと見える。ガハハハ。
「……何か言いたげだな?」
「いやー、随分としおらしいなと思ってな」
「ふんっ。何を言うかと思えば、下らん。話が終わったのなら妾は寝るぞ」
「ほいほいっと。邪魔して悪かったな」
寝ると言い放ったウィルムが早くも氷の寝台を創り始めたため、溶かした道を通って氷山を後にした。
「鍛錬しに来ただけなのに、どっと疲れたなー」
(そうそうあることではありませんし、運が悪かったと切り替えていきましょう)
やる気のない作家を鼓舞するような黒刀の台詞に後押しされ、凍り付いた地面に足をとられながらもシアンたちの元へ向かう。
ブレスや吹雪によっていっそう温度が低下したため、土魔法で外気を遮断するための倉庫兼住居を設営せねばならないのだ。
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「なに? テーブルや椅子だけじゃなくてベッドも欲しいって? お前らって段々我がままになってきたよな」
最低限で済ませようとするとシアンたちから猛反発を受けてしまい、軽く終わらせるつもりが、一時間ほどみっちり家具やインテリアを創る羽目となる。
大量に生まれた氷の処理もしたおかげで、異空間を出たら夜明けどころか朝日が昇りきっていた。酷い話だぜ全く。
(ふふ。その割には熱心に家具を創っていたではないですか)
「そりゃ創るのならよりいいものを創りたいからな。魔力操作の訓練にもなるし」
(遅いぞロウ、ギルタブ。待ってる間にセルケトが来たりカルラが来たりで大変だったんだぞ)
異空間でのあれこれについてギルタブと話していると、留守番をしていたサルガスから不機嫌そうな念話が入電。
「遅れて悪かった。こっちはウィルムが城作ったり城ぶっ壊したりで大変だったけど、そっちはどんな感じだった?」
(……なんだそれ。後で詳しく聞かせろよ?)
聞きたそうにしつつも留守中報告をしてくれた銀刀に感謝を伝え、浴室に突入。
慌ただしく汗を洗い流し、すぱぱぱっと着替えてバッチリ外出準備が完了する。これなら朝食もギリギリセーフであろう。
──さあ、今日も一日張り切っていこう!