3-23 日々是好日
リーヨン公国の都市ボルドーを出発してから十二日目。俺の心のように空が澄み渡る、気持ちの良い朝だ。少し前まで暑かったのに、全くの秋空である。
朝食も済み荷物を荷車へ積み終え、逗留していた宿を後にする。そこからヤームルたちと一緒に馬車へと乗り込めば、再び長旅の始まりである。
「──もうすっかりお元気になられたようですね?」
「おかげさまで。エスリウ様もお加減がよろしいようで何よりです」
「うふふ、ロウさんが身を挺してワタクシを庇ってくださったおかげですね」
隣に座り笑顔で適当なことをほざくエスリウをジト目で黙らせるも、彼女は変わらず微笑みを浮かべている。
象牙色の少女──エスリウとは、数日前に本気で殺し合ったばかりなのだが……この対応。一体、どういう心境の変化なのか。
いや、元々裏で何考えているか分からない人だったし、今まで通りとも言えるか。
等々、隣人の心情を測りかねていると、ふと向かい側の席で美少女三人衆が合議を始めているのが目に入る。
聞き耳を立てれば、「距離が近い」だとか「笑顔が違う」だとか「雰囲気が怪しい」などという単語が聞き取れた。甚だ遺憾である。
「──ふむ。フュンの話によれば、今日の道は以前に比べて整備が行き届いているようだな? それならば、あの不快な酔いに苛まされる事も無かろう。楽しみなものよな」
俺を挟んでエスリウの反対側に座るセルケトは、変わらずのマイペースである。こいつのことは放っておいてもよさそうだ。
(両手に花ですか。あまり鼻の下を伸ばさないようにしてくださいね、ロウ)
ギルタブさんのチェックが入るが、下半身サソリ女と四本腕のムキムキ女傑に欲情するのは少し……いや、かなり難しいと思う。
(お前さんってかなり選り好みするよな。二人とも器量よしとしか思えないが)
彼女の念話に脳内で反論していると、サルガスも話題に乗っかってきた。
その言い分は分かるし、人型状態なら二人ともこの上ない美人だとは思うが……正体を考えると、どうにもねえ。
(なるほど。ふふふ、それなら私が人化するまでは問題ないようですね)
(……これを言うのは野暮かもしれないが。ギルタブが人化したとしても、正体が曲刀な以上は、ロウのそういう対象にならないんじゃないのか?)
(!!?!?!?)
「うおッ!?」「わっ!?」
ぼんやりと曲刀たちの会話を聞き流していると──強烈な念話が突如発生。向かい側にいたカルラと同時に飛び上がってしまう。
彼女も念話に耳を澄ませていたらしく、飛び上がった後で目が合い何となく気まずくなってしまった。
──そう、カルラも首都ヘレネス行の馬車に乗っている。
公国の公爵令嬢たるエスリウのバックアップに加え、本人が強い意志を示したことで、彼女の両親は娘が首都に行くことを許可していた。
誘拐された娘をすぐに遠出させることには、当然両親にも大きな抵抗があったようだ。
しかし、公爵家の娘エスリウが彼女の庇護を約束したこと、そして本人の努力次第ではあるものの、大学へ入学する際の支援を表明したこと。これらが決め手となったようだ。
魔術大学といえば魔導国内のみならず、外国からも才ある者たちが集い研究している学術機関。自国民として娘がそこへ行けるのは誇らしいものだった、らしい。
(──ロウ!? まさかサルガスの言う通りなのですか!?)
「──? どうしたのだロウよ? 奇怪な動きをしてからに」
「いや、ちょっと座りなおそうと思ってな」
「カルラさんも飛び上がっていましたが……お二人は気が合うのですね? 羨ましいことです」
そうやってカルラの顔を眺めながら考え事をしている間にも、両隣からステレオサウンドで先の奇行を問い質され、ギルタブからは鬼気迫る念話が飛んでくる。
こんなん頭おかしなるわ。
(……まあ、なんだ。頑張れ)
火種をばら撒いておいてこの言い草。折るぞこの野郎。
◇◆◇◆
俺が銀刀から地雷を設置されたり、黒刀から怒涛の念話攻撃を浴びせられている内にも、馬車は順調に街中を進んでいった。
十数分のうちに城門を抜け、首都への旅の始まりである。
そうして現在、街道を驀進中。街中でセルケトが指摘していたように、馬車が進む路面の状態は良好だ。
首都へと繋がる交通の要所でもあるらしいため、見回りの兵の姿も見られた。公国のリマージュとボルドーを結ぶ街道の様に、かなり手が行き届いているようである。
「ぐはっ……馬鹿なっ……道は、良い状態の、ハズだろうっ、が!」
「何時ぞやの草原地帯よりはマシだと思うけどなー。前見ろよ、アイラだって平気そうな顔してるぞ」
「我だけが、この悪夢に、囚われているのか……ぐは……」
青い顔で肩にもたれかかってくるセルケトを膝にいざないながら、彼女が居なくなったことで見えるようになった窓から、流れゆく景色を眺める。
青い空に、白い大地、そして僅かに張った水面に反射する青。
現在魔獣アルデンネが牽き爆走している馬車は、巨大な塩湖の傍にある街道をひた走っている。
この塩湖は、元々は淡水湖だったらしいが……ある時、万物の食事を司る豊穣神がこの地に顕れたことで、その在り方が一変する。
山や海から塩を得られないことを憐れんだその神が、湖の地形を変えて水の流入量と流出量を変化させ、更には魔法で湖を干上がらせることで、この塩湖を創り上げてしまったというのだ。
元々湖に住んでいた生き物は、全てその神が食らったらしい。のみならず、そこの土地で信仰されていた土着の上位精霊を、役に立たぬ邪神だとして封印してしまったそうだ。
総合して、神というか魔神じゃないかと思えるほどの所業である。
湖周りの生態系ぶっ壊しているし、そもそも殺しすぎだろう。その上異教の神を排斥しているし。
「──という伝説があるんです。その伝説も相まって、この地方で豊穣神バアルは特に信仰されている神なんですよ?」
「「「へぇ~」」」
「わたし、住んでる地元なのに詳しいことは知らなかったです……神様って凄いんですね~」
ヤームルの語る神様講座に異口同音で感心する俺たち。
豊穣神バアル……。伝説の内容はともかく、淡水湖を塩湖に変えてしまう力は凄まじい。単に蒸発させるだけなら、エスリウでも可能だろうけど。
「うふふ、どうかされましたか?」
「いえ、なんでもありません」
灼熱を操る三眼四手の魔神を思い出し隣のエスリウに目を向ければ、蠱惑的な笑みで迎えられた。
この美しい少女も、何某かの伝説を持っているのだろうか?
(私の知る限りではありませんね。彼女もロウと同じく若いようですし、恐らく世に認知されてもいないでしょう)
(まあ別の名を持っているって可能性もあるがな)
浮かんだ俺の疑問に答えてくれる曲刀たちだが……君ら、カルラも聞いてるってこと忘れていやしないかい?
結構ギリギリだぞ、内容的に。
((あ!))
(危なかった。うっかりロウやエスリウが魔──ごッ!?)
「──? ロウさん、どうかされましたか?」
「いえ、虫がいたような気がしたのですが、ただの埃だったみたいです」
語るに落ちそうになる銀刀の鞘を、握り固めた鉄槌打ちで黙らせる。
普段しっかりしてるくせに、時々信じられないくらい阿呆になるんだよな、こいつ。
(失礼しました。ですが、そういうロウも似たような側面がある様な……?)
やらかし気質がある俺だけど、流石に自分が魔神だとバレるようなへまはしないぞ。
そんな危ういやり取りを経つつ、塩湖周辺を離脱。少なかった緑が周囲に戻ってくる。
白い地面や水面に反射する太陽というのも良い景色だが、やはり旅と言えば緑が一番しっくりとくる。
背の低い木が疎らにある草原地帯をのほほんと眺めていると、馬車の歩みが停止した。お昼の時間のようだ。
調理担当の使用人たちのお手伝い(魔法で台を拵えたり水を創り出したり)すれば、あっという間に料理が完成。
内容は夏野菜をふんだんに使っているラタトゥイユっぽいものに、細長く切られた干し肉の入ったスープパスタである。
……ここ最近パスタばっかり食ってんな俺。
石のテーブルを皆で囲み、食事が始まる。いただきましょう、そうしましょう。
フォークの使い方をヤームルから教えてもらっているセルケトを尻目に、スープパスタをスルスルと頂く。
玉ねぎと香草、そして牛肉らしきものだけで構成されたパスタは、簡素ながらも味わい深い。シンプルな塩味を堪能しつつ完食した。
水を飲んで舌をリセットしつつ、深皿に盛られた夏野菜の煮込み料理を鑑賞する。
正にラタトゥイユといった風の料理だが、見慣れないものも混入している。細長くて茶色いものだ。……豆か?
「ふふ、気になりますか? それはこの地方の特産である穀物となります。野菜の様に塩ゆでするか、その後に油で炒めて食べるのが一般的なようですね」
スプーンですくい取り矯めつ眇めつ分析していると、隣に座っていた使用人のアイシャが解説してくれた。
「料理に使う大麦とは雰囲気が結構違いますね。どんな味なのか、楽しみです」
白くないし少し細長いが……米の一種だろうか? とりあえず頂いてみよう。
件の穀物を野菜と一緒に口へ運ぶと、にんにくの香りに混じり香ばしい風味も感じられる。
先に炒めてあったのだろうか? 軽い食感が実に小気味よく、野菜の味と一緒に食感も楽しめた。野菜は煮てしまうと食感が犠牲となりがちだが、これは実に良い。
カリカリとした歯ごたえを楽しみつつ、深皿丸々平らげる。ごちそうさまでした。
「ロウ様、如何でしたか?」
「とても美味しかったですね。今まで食べたことが無い感じの食感でした」
「ふふ、お気に召されたようで何よりです。この穀物はバースマティーと呼ばれていて、豊かな香りを持つことや、長期保存が利くことで知られています。実は、お嬢様もお気に入りの食材なんですよ?」
「ほぇー。保存も効くなら旅にはもってこいですね。個人用に買っとけばよかったな……」
「恐らく宿場町でも取り扱いがあると思うので、探してみては如何でしょうか」
軽く愚痴ってみれば、予想外の言葉が返ってきた。
考えてみれば、宿場町だってオレイユからそんなに離れていない……いや、百キロメートル以上は離れてるけど。まあ地方で言えば同じ地方だろうし、同様の特産品があってもおかしくない。
これは良いことを聞いたと心を弾ませながら食器を片付け、出発までの休憩時間であてもなく周囲を散策する。
木々も疎らなこの草原地帯には、魔物の気配は感じられない。小動物やそれを狙う肉食動物の姿はちらほら見かけるが、それくらいだ。
馬車を引く強靭な魔獣、アルデンネの気配を感じ取り近付いてこないのか、それとも見回りの兵士たちが魔物たちを駆逐しているのか。はたまた以前の草原地帯の様に魔力が薄く、魔物自体が少ない地域なのか。
いずれにしても、ここら一帯は魔物被害というものには無縁の地域のようだ。
「ん~……ふぅ」
どこを見てものどかな風景に、穏やかな日差し。日差しは強くとも秋口独特の涼し気な風が吹き、実に心地よい。
食後ということもあって、このような長閑な空間を歩き回っていると非常に眠くなってくる。瞼が重い……。
「──君のそういうところを見ると、本当に魔神なのか疑わしくなってくるよ」
「んぉッ!?」
丁度良い大きさの岩に登って腰を下ろし、手で隠しもせずに顎が外れるほどの大あくびをしていると──足元より深みのある声が響く。
動揺のあまり岩から転げ落ちれば、苔色の瞳をパチパチと瞬かせている若葉色の美女がいた。
「なんだマルトか。ちょっと前まで人間族気分だったからな。もう染み付いちゃったし、今更“らしい”振舞いなんて難しい」
転げ落ちた事実など存在しないかのように落ち着き払って応じたものの、眉をハの字とする彼女。先ほどの転落について、触れるべきかどうか迷っているようだ。
──真面目かッ! スルーしてくれよ恥ずかしい。
「もうすぐ出発するから探しに来たのだけれど、その……なんだか、ごめん」
「もうそんな時間だったか。教えに来てくれてありがとうな」
申し訳なさそうに表情を曇らせるマルトのためにスパッと話題を打ち切って、眠気の飛んだ意識で馬車へと向かう。
決して自身がいたたまれない気持ちになったからではない。彼女のために切り上げたのだ。
などと内面でおためごかしなことを考えている内に馬車に到着し、再び揺られる旅が始まった。
そのまま夕刻まで十二分に距離を稼いで宿場町へと辿り着いた俺たちは、明日以降も続く長い旅に備えて、早めの就寝をとるのだった。
本来12月23日といえば天皇誕生日で祝日なのですが、今年は祝日とはならないようなので、次回更新は通常通り12月23日(月)となります。