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異世界を中国拳法でぶん殴る!  作者: 犬童 貞之助
第三章 波乱の道中
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3-18 人型精霊の苦悶

 ロウたちがボルドーを出発してから十一日目。サン・サヴァン魔導国の南西にある都市オレイユ、その一角にある宿「湿原の楼閣(ろうかく)」にて。


「──ロウ様? 食事の時間となりましたが、お目覚めですか?」


 日が昇り始め人々が働きに出かけだす頃。宿の一室で眠りについていたロウは、控えめなノック音で意識を覚醒させた。


「おはようございます、今鍵を開けますので」


「ああ、お目覚めでしたか。お食事をお持ちしましたが、如何なさいますか?」

「はい、頂きます。運んできてくださって、ありがとうございます」


 ロウが戸を開けると、白のブラウスに墨色のロングスカートを合わせたフュンが、給仕台に湯気の立ち昇る料理を乗せて待っていた。


 いつもはシニヨン風に纏めている銀の長髪を、今日は首元で一纏めにしていた彼女は、ロウの普段通りな様子を見ると柔らかい微笑みを浮かべる。


「ふふ……エスリウ様の仰っていた通り、お元気そうで何よりです」

「おかげさまで。エスリウ様やマルトさんの様子はどうですか?」

「お二方ともロウ様よりは軽傷で、普段の行動には問題が無いようですよ」


 温かいうちにと勧められた色彩(しきさい)豊かな料理をモリモリと食べていくロウは、フュンから自身が寝ている間のことを聞いていった。


 (おおむ)ねこの宿の主人から聞いていた通りの内容を聞き終えたところで、卓上にあった料理群が消え失せる。


 二日ほど寝ていたからだろうか、彼は小さな身のどこに入るのかと思うほどの量を、ぺろりと平らげてしまう。成人男性三人前であれば大丈夫だろうというフュンの予想は、軽々と(くつがえ)されてしまった。


「──何だかのんびり寝ちゃってて申し訳ないです。旅程の状況って大丈夫ですか?」


「元よりロウ様やセルケト様のご活躍によりこの都市へは早く到着したものですから、本来の予定と比べても遅れはございませんよ。ただ、少し予定外のことが……ふふっ、これはご本人からお聞きした方が良いかもしれません」


 食事と話が一段落したところでロウが現在の行程へと言及すると、フュンは愉快気な表情で曖昧な返事を告げる。


 何かのサプライズだろうかと首を捻ったロウだったが、考えても思い当たる節は無く捨て置くことにした。


 分からぬものは分からぬと、素早く切り替えるのが彼の気質である。


「今後の予定はどうなっていますか?」

「今日までが休息日となっております。明日の早朝からまた馬車の旅となりますので、お体の具合がよろしくなければお気軽に仰ってください」

「お気遣い、ありがとうございます」


 上品なカーテシーと共に部屋を辞すフュンの後姿を眺めながら、ロウは小難しい表情で考える。


(──あああッ! 「フュンさんは髪型を変えても素敵ですね」って言うタイミングが見当たらなかったァッ! クソ、一体いつ言えば良かったんだ……はぁ。髪を降ろしても綺麗だったなあ)


 行程に遅れが出ていないか、さも申し訳なさそうな表情で問うていたのに、内面ではこれである。彼は病み上がりでも平常運転だった。


◇◆◇◆


 他方、ロウが一人懊悩(おうのう)としている頃、同じ宿の一室にあるエスリウの部屋では。


「──以上が彼の眷属(けんぞく)、シアンとコルクとの戦闘の詳細となります。自在に形を変じさせる肉体に、目にもとまらぬ奇怪な高速移動、精霊魔法を真っ向から打ち破るほどの膂力(りょりょく)と、それに耐えうる硬質化状態……。負けた身で言うのもなんですが、二対一では勝つ目がありませんでした」


「……改めて詳細を聞くと絶望的ね。貴女にはワタクシの勘違いで酷いことをしてしまったわ。本当にごめんなさい」

「いえ。まさか何の意図も持たない魔神がふらふらと気ままに旅をしているなどとは、誰であっても想像できない状況です。仮に事前にそのようなことを聞かされていたとしても、到底信じられずにやはり彼を討つべきという考えに至ったことでしょう」


 象牙色の魔神と若葉色の上位精霊が、先にあった激闘の反省会を行っていた。


 エスリウはマルトの意識が戻った時点で、ロウに敗れたことや戦闘に及んだ動機そのものが勘違いであったこと、かの少年には誠意を込めた謝罪を行うことなどを伝えていた。


 そうやって戦闘に及んだ経緯や戦闘後の行動方針などは既に確認し終えていたため、今行っているのは戦闘内容の確認である。


「ましてや、竜すら(ほうむ)り去る実力だものね。……全力を出してなお、魔力が尽きる寸前まで叩きのめされたのは、ワタクシも生まれて初めてでしたよ。それに、彼は人の姿のままで戦ってワタクシのように『降魔(ごうま)』状態にはならなかったし、底すら知れないわ」


「お嬢様が本来のお力を振るわれてなお及ばぬ存在ですか。私には想像すら出来ません」


 マルトは主人の本来の姿──三眼四手の威容を想像し、身震いした。


 破壊と暴力の化身たる魔神バロール、その娘のエスリウもまた破壊の権化である。


 “破壊”を(つかさど)る彼女が真の姿で力を振るえば、ものの数分で四方一里が焦土と化し、抗する者は何人たりともその魔眼から逃れることは叶わない。


 灼熱の魔法で焼き尽くされ、灰にすらなれず蒸発してしまうほかないのだ。


「あの姿になっても勝ち筋は見えなかったわ。勝てそうだと思っても、次の瞬間には空間魔法で切り抜けられるのだもの。魔眼と魔法を併用しても対応されたし、不意打ち以外ではどうしようもないわね。……その不意打ちも駄目だったけれど」


 そんな彼女をして勝ち目がないと言わしめる褐色の魔神、ロウ。


 とはいえ、これは空間魔法という圧倒的な優位がある故である。


 純粋な魔力制御力では竜に近い技量を持つエスリウと比べ、ロウのそれは彼女の五分の一程だ。


 その歴然(れきぜん)たる差を補うのは想像力と発想、そして空間魔法である。


 時に搦手(からめて)で相手を翻弄(ほんろう)し、時に真っ向勝負で惑わし。最終的には己の土俵(どひょう)たる接近戦に持ち込み、大陸拳法で叩き潰す。


 個々の要素では竜や魔神に後塵(こうじん)を拝する彼だが、要素を組み合わせることで彼女たちを打倒していたのだ。


「兎も角、貴女も彼にはしっかりとした謝罪をお願いね? 会う機会があれば、シアンさんたちにも」

「……はい」


 エスリウの口から零れたシアンという名で、僅かに表情が硬くなるマルト。


 主は気にしている風ではないが、あのシアンブルーの眷属は確かに主の心臓を潰し、蹴り倒している。当の本人が過失を自らにあるとしていても、彼女に忠誠を誓う従者としては簡単に割り切れるものではなかった。


 主から(うなが)され、彼女は足取り重くロウの部屋へと向かう。


 長い時を生きてきた上位精霊たる彼女だが……勘違いの果てに魔神を殺害しようとし、返り討ちにされた経験などは当然ない。


 一体どのような方法で謝罪をすれば良いのか、煩悶(はんもん)としながら(にぶ)く進んでいく。


(お嬢様はお金という形で誠意を示すみたいだけれど。私に示せる誠意は、何かあるのだろうか。彼の性根は魔神というより人に近いようだけれど……)


 思い悩めど、答えは出ない。


 長く生きてはいるものの、彼女は人との関わり合いが極めて薄い生活を送ってきていた。


 上位精霊として生まれ落ちてからは森で動物や自我の薄い精霊たちと静かに暮らし、神亡き後、魔神バロールの配下となってからは彼女の懐刀(ふところがたな)として傍で付き従い、今に至る。


 そんな彼女が人族と交流を持つ機会など、エスリウに仕えるようになってからのごく短い時間しか無かったのだ。


(答えは出ない、か。結局のところ、未だに人のことはよく分からないし、直接彼に聞いてみるのが一番確実なのかな。私に出来ることがあれば良いのだけれど)


 考え込んでいる内に二階の突き当り──ロウのいる部屋に辿り着いてしまうマルト。


 深呼吸一つで精神を落ち着かせた彼女は、扉をノックして中にいる人物へ呼びかける。


「──ロウ。今、大丈夫? 少し話をしたいのだけれど」

「はいはいどうぞー」


 話に応じてもらえないかもしれないと覚悟して呼びかければ、気の抜けるような返事である。彼女は脱力しながらもロウの部屋へと入っていく。


「おはよう。元気そうで何よりだよ。一度は首を斬り落とした私が言うのも、変な話だけれど」

「おはようさん。自分の身体を下から見上げるなんて経験を、生きてる内にするとは思わなかったぞ」


「……普通はあれで死ぬと思うよ」


 反応に困るような黒い冗句に、マルトは呆れたような表情を浮かべる。


 ロウの不死性に引いている当の彼女も、銀刀によって頭蓋を縦に分割された状態から復活を果たしていたのだが……。自分のこととなると、例外的に考えてしまうようだ。


「お嬢様はもう君へ謝罪したようだけれど、私はまだしていなかったから会いにきたんだ。ロウ、本当に申し訳ない事をしてしまった。君が私に望む“誠意ある謝罪”は、どういうものなのかな」


 ロウから簡素なテーブルへと案内され着席したところで、居住まいを正したマルトは本題へと入った。それに(なら)ったロウも、冗談めかした雰囲気を引っ込め真面目に応じる。


「エスリウは勘違いで俺の始末に動いた張本人だから簡単に許すつもりはないけど、あんたはただの実行犯だろ? 殺されそうになったことに関しては俺も全力でぶっ殺させてもらったし、特に求めるところはないかな」


「殺し合ったのだからそれで手打ち、ということかな? 私としてはありがたい話、なのかな」


 あっけらかんとした返事に拍子抜けした彼女だったが、続くロウの言葉に表情を曇らせてしまう。


「そういうわけで俺に遺恨(いこん)は無いけど……シアンたちはあんたに対して生中(なまなか)じゃない怒りを持っている。あいつらにも面と向かって謝罪をして欲しいってのが俺の要望かな? あんたもエスリウが心臓を貫かれた時は怒り狂ってたし、主に手を出された時の気持ちは分かるんじゃないか」


「……彼女たちへの謝罪、か。私もお嬢様がシアンに突き刺された時は視界が真っ赤になった。結局こちらの勘違いだったし、彼女たちにも悪いことをしたと思っている」


 頭では分かっているし、理性もそれが道理だと理解しているが……感情は簡単に制御できるものではなかった。


 マルトにとってエスリウは、仕える主という以上の存在である。


 生まれたての赤子の頃から、彼女はその小さな手に触れてきた。


 時にはあやし、時には母乳の出ない平たい胸を吸われ、時には椅子にも馬にもなって彼女の(たわむ)れに付き合い。その穏やかな成長をずっと傍で見守ってきたのだ。


 そこで親心のようなものが芽生えるのも、ごく自然な成り行きである。


 それだけに、エスリウを刺したシアンに対する怒りというのは、理屈で消化できるほど甘いものではない。


 未だ赤黒い怒りが(くすぶ)る彼女には、あの眷属に対し顔を見て謝罪するというのは、到底出来そうもなかった。


「まあ、あんたもシアンに対しては割り切れない思いもあるだろうな。でも、だからこそ謝罪するという行為に大きな意味が生まれるんだよ。あんたの持つその怒りを抑え込んで謝ることが出来れば、あいつもあんたに対する見方が変わることだろうさ」


 彼女の想いを斟酌(しんしゃく)したうえで、ロウは道理を説く。


 自身の感情に振り回され規律規範を(ないがし)ろにするのであれば、それは禽獣(きんじゅう)と変わらない。


 かつて前世において道場で子供に教え(さと)したように、彼は上位精霊に対し、社会的な動物である人の(ことわり)、人の道を伝える。


(う~ん。元盗賊で現在誘拐犯で、その上人外な俺が、人の道理を説くことになるとはなあ。あれ? 説得力の欠片もない気が……)


 魔神が道理を説くなどと、(はた)から見れば信憑性も説得力も無いように思われたが……マルトはロウの言葉に理を感じ、考えを改めた。


 人との付き合いが浅く純朴でもあった彼女は、相手の言葉を吟味し、誰が言ったかではなく何を言ったかで判断する、ロジカルで真っ直ぐな性根を持っていたのである。


 その言を()る人の正しさは度外視するため、騙されやすいとも言うが。


「……心の底からの謝るというのは難しいけれど。人の世で生きるなら人の規範に従うべきだと、お嬢様も常々口にしていた。君の言う通り、謝罪すべきなのだろう」

「そりゃよかった。じゃあ決心が鈍らないうちに実行してもらうか」

「? ロウ、一体何を──」


 眷属たちに会ってもらうようなことを言いながら室内の鍵を閉めるロウを見て、疑問を口にしかけたマルトだったが──直後に構築された空間魔法で大いに納得。彼が尋常の存在ではないことを思い出した。


「──そういえば、君は魔神だったね……」

「異空間に一名様ご案内~ってな。ほら、ついてきな」


 促されるままに室内に構築された白い門を潜り、白一色の空間へ踏み込むマルト。


 表情変化に(とぼ)しいと主からよく言われる彼女だが、奇怪なる異空間を目にすると作り物めいた美しい顔を大きく(ゆが)ませる。


 次いで地響きのような寝息を立てる青白い竜を視界に入れると、彼女は卒倒した。


「ちょ、マルト!? ……ああ、そういやウィルムも放置してたんだった。完全に忘れてたわー」


 崩れ落ちる彼女を抱きとめたロウの台詞である。天災の如き存在を捕えておきながら忘却するなど、彼以外ではあり得ないだろう。


 彼は以前創っておいた石の寝台に彼女を寝かせると、彼女が目覚めるまでの間、ウィルムが起きた時に備え対策を練るのだった。

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