3-16 魔神の夢
優しい明かりの灯ったシャンデリアが柔らかく照らす、落ち着いた雰囲気の客室。
光を受けて白く輝く、磨き上げられた大理石。その床と対照的なまでに黒い男が、艶やかな飴色のソファに腰掛けて優美な所作で茶を嗜んでいた。
金細工の施されたダブルボタンが特徴的な黒いジャケットを着る男は、ミディアムレイヤーな黒髪にやや黒みを帯びた茶色の肌。
褐色肌や髪の色、果てはクセのかかり具合まで、俺とよく似ているが……瞳の色だけは我が金眼と異なり、深い茶色だ。
そんなナイスガイを観察しながらも考える。
どこだよ、ここは。
ぐるりと辺りを見回してみても、全く身に覚えのない場所だ。
というより、ここに至るまでの前後の記憶もない。
確か、マルトの治療を行った後、力尽きて寝たはずだが……。
「──お待たせしました、ル……レオナール」
まさか、あのまま死んでまた転生したのか? と考えを飛躍させていると、男の向かい側──巨大な樹木の幹を輪切りにしたようなローテーブルの向こう側に、火球が出現。
そのまま燃え上がるように拡散すると、人型を模り象牙色の美女が出現した。イリュージョンかよ。
「こんにちは、ルネ。娘の世話が楽しくて仕方がないようだな? そんな玩具を持ったまま現れるなんて」
「ああっ!? ……ぐっ、そうですよ。お腹を痛めて産んだのは初めてなのですから、仕方がないでしょう?」
「ふ……暴力と破壊の象徴も、変われば変わるものだ」
吸い込まれてしまいそうなほど美しい茜色の瞳を持つ女性が現れると、相好を崩して立ち上がり気さくに応じる、褐色ナイスガイことレオナール。
両者は親しげな雰囲気ではあるが、夫婦という風ではない。どちらも仕立ての良い礼装を纏っており、落ち着いたこの客室も考えて身分が高いであろうことは窺える。
ちなみに、じろじろと無遠慮に観察している俺のことは完全にスルーされていた。
夢か幽体離脱か何かなのだろうか? 我が頬を摘まんでみても圧迫感はあれど、痛みは無い。
いずれにしても、見ず知らずの浮気現場を覗き見しているみたいでドキドキしてくる。褐色少年は見た、的な。
「貴方も素敵な異性を見つけると良いですよ。ジェリコと出会ってからというもの、世にある花々がこれほど色鮮やかで美しく、木の枝で歌う小鳥たちもこれほどまでに可愛らしく愛おしいものだったのかと、ワタクシは日々感動しています。今までの関心事だった破壊や支配など、もはや褪せてしまい魅力を感じません」
「バステトやモリガンが聞いたら卒倒しそうな言葉だ……。子育てを楽しんでいるところを邪魔しても悪いし、今日はルネの支配地域の状況報告だけにしておくか」
「ええ、ありがとうございます。ワタクシの部下からの報告だけでは、どうしても大雑把で細かな点が把握できませんから」
レオナールの言葉にルネが頷いたところで──テーブルの上に“深紅”の魔力が集束ッ!
指を鳴らす乾いた音が響くと同時に卓上へ漆黒が生まれ、それが晴れると茶器とお茶請けが現れる。
魔法を使ったのは男の方だ。レオナール……こいつ魔神かよ。
一目見ただけで力の密度が分かるほど、深く濃い紅の魔力。それに加えて、今のは空間魔法だろうか? 俺の大人バージョンみたいな奴だな。見た目的にも。
火の玉出現のインパクトで忘れていたが、あの火球の魔力もエスリウに似た茜色の魔力を纏っていた。彼だけではなくルネも魔神と見た方が良いだろう。
……魔神多過ぎじゃね? そんなにポコポコいるものなのか。
などと動揺する俺のことなど、彼らには文字通り目に入らない。とんとん拍子で進んだ話は五分足らずで終わってしまう。
ルネの領地を彼が空間魔法を用いて影から観察し、ありのままの現状を伝える。そんな内容だったが……。
「──そうでしたか。部下たちの報告と概ね一致するようですね。今まで散々こちらに手を出してきていたアノフェレスが、全く行動を起こさなくなったというのも不気味ではありますけれど」
「少なくとも私が監視する範囲内においては、奴の手勢や企みの気配を感知できなかったかな。君がいない今、攻めるには絶好の機会だと思っていたが……あれの考えは、よく分からない」
話の流れから察するに、彼女の領地にちょっかいを出すアノフェレスなる存在が居るのだろう。
魔神の領地に手を出すなんて信じられないくらいの命知らずに思えるが、そのアノフェレスも神や竜、魔神など超常の存在なのかもしれない。
もしくは、単純に彼女を魔神と知らないだけか。パッと見はただの美人だし、案外後者の可能性もあるか。
こちらが思索にふけっている内に話が終わったのか、再度指を鳴らし茶器や受け皿を消すレオナール。
格好いい空間魔法の使い方だなあと感心していると、深紅の魔力が彼の隣の一点に集中して黒一色の空間が出来上がる。
三次元の中にあるにもかかわらず、そこだけが二次元になった様な光を一切反射しない漆黒は、彼の操る空間魔法の一種なのだろう。
ルネに別れを告げた彼は、塗りつぶされたような黒にずるりと入り、姿を消してしまった。
その直後に視界が暗転。俺の意識も闇へと飲まれていく。
薄れゆく意識の中で、俺はレオナールの空間魔法を模倣すべく、今見た出来事を脳に刻み込むように必死に反芻するのだった。