女王との茶会
通された部屋は華やかさよりも落ち着いた雰囲気のいつもよりも小さめな部屋だった。ケイトリンは女王であったが私的な空間は華やかさよりも落ち着いたものを選ぶ。テーブルなどの調度品も部屋の雰囲気に溶け込むようなものであり、部屋の主の趣味の良さは一目でわかる。
部屋に入ると、待っていたケイトリンが嬉しそうに立ち上がった。美しい黒髪を結い上げたその姿は小柄で華奢にもかかわらず、とても存在感がある。
「ルーシェ、久しぶりね。元気そうでよかったわ」
「ケイトリン様。ご招待ありがとうございます」
ルーシェが膝を折り挨拶をした。
「そこに座ってちょうだい。今日はおしゃべりをするために呼んだわけではないのよ」
挨拶もそこそこに座るように言われ、素直に腰を落ち着けた。侍女が静かにお茶を淹れ、二人の前に置くとそのまま一礼して部屋を後にする。
人払いをされてルーシェは不思議そうに首を傾げた。侍女は普段は壁際に控えていて、護衛も見える位置にいる。誰にも聞かせたくない様子になんだか落ち着かなかった。
「ここまでしなくてはいけないような内容ですか?」
「ええ。先にルーシェに気持ちを確認したくて」
その言葉で祖国がらみだとため息が出そうになる。この国に来てから10か月以上経っているのに、今度は何を言ってきているのか。
「もしかして祖国に戻ってほしいとかそういう話でしょうか?」
「同じと言えば同じだけど、わたしの方は貴女の実家であるレトナーク侯爵家からよ」
「え、レトナーク侯爵家ですか?」
レトナーク侯爵家と聞いて唖然とした。
国を出てくるときにすでに両親には「運命の相手」と出会った時のウェンセスラスの様子を隠すことなく伝えている。二人とも高位貴族のため、王族の特殊性について理解していた。
運命の相手が現れた時の対応は婚約当初からわかっていたことであったが、まさか結婚後に出逢うなんて思っていなかったのかもしれない。内心はどうであれ、あの時は急ぐルーシェたちのために色々なものをかき集めて送り出してくれた。
両親の老いた顔を思い出し、子供たちの顔が見たいとかそういう事だろうかと首を傾げた。レトナーク侯爵家が連絡をよこす理由なんて、それぐらいしか思いつかない。
「どうもね、貴女の元夫の女……何だったかしら?」
「運命の相手ですか?」
「そうそう、その胡散臭い相手が間違いであったようなのよ」
「間違い?」
頭がついて行けなくて、ぽかんとする。信じられなくてケイトリンの整った美しい顔を見つめた。ケイトリンは不愉快なのか険しい表情だ。
「レトナーク侯爵からの手紙では出会ってから10日ぐらいで発覚したそうよ。その後どうしてそうなってしまったか調査していて、かなり時間がかかってしまったらしいの」
「はあ」
なんだか疲れてため息が出た。あれほどルーシェを悩ませた「運命の相手」が間違い。どう受け止めていいのかわからない。
「レトナーク侯爵は運命の相手とかいう女では王太子妃は務まらないから、王太子の精神を操った犯罪であったことを公にして貴女との離縁をなかったことにしたいと言ってきているわ」
「なかったことに?」
衝撃のあまりそれ以上の言葉が出てこなかった。何か言おうと口を開くが、言葉が上手く紡げずそのまま口を閉ざす。それを何度か繰り返して、諦めて肩を落とした。
しばらく沈黙が続いたが、ようやく気持ちが落ち着いてきた。ルーシェはため息交じりに呟いた。
「間違いだったからって……」
「気持ちはわかるわ。それで貴女はどうしたいか聞きたかったの。先日もプレスコット伯爵領に招待されているでしょう? 結婚まで秒読みだと聞いたから」
ルーシェはテーブルの上のカップに視線を落とした。今さら言われても困るというのが本当の気持ちだ。しかも、あの誰もが入り込めないあの状態が間違いだとは思えなかった。
クリスからの話が本当であれば、何かの儀式を行えば今後一切「運命の相手」に惑わされることはないようだが、すでに起こってしまったことをなかったことにはできない。
たとえ間違いであったとしても「運命の相手」と出会ったあの時に家族の愛や、信頼、それから未来は壊れてしまったのだ。ルーシェだけが辛い思いをしているのなら、表向き元に戻ることも可能かもしれないが、子供たちの心にも治らない傷がある。
「――フォルティア国に戻ることはありません」
「貴女の生家が望んでいても?」
「ええ。両親はわかってくれるはずです」
ルーシェの譲らない気持ちと物言いにケイトリンは目を細めた。その眼差しは先ほどの優しいものではなく、王としての厳しいものだ。
王太子妃であったルーシェとは違い、彼女は女王だ。物事の捉え方も決断の仕方も違う。ルーシェはケイトリンに引きずられないようにぐっとお腹に力を入れて気を引き締めた。
「恐らくこの先のことを考えて侯爵は戻ってくるように言っていると思うわ」
「そうでしょうか? わたしはそうは思いません」
「もっと視野を広げなさい。貴女が子供を連れて戻ることで国が荒れなくて済むのだから」
ケイトリンの強い言葉にルーシェは息が苦しくなってくる。体をこわばらせたルーシェに気がついたのか、ケイトリンが表情を和らげた。
「貴女を責めているわけではないのよ。プレスコット伯爵と結婚した方がいいとわたしも考えているわ」
「え?」
てっきり、国に戻って元通りの関係になれと言っているものだと思っていた。ルーシェの意外そうな反応にケイトリンが苦笑する。
「プレスコット伯爵と結婚するつもりがないのなら、国に戻りなさい。結婚するつもりがあるのなら、結婚できるだけの状況を作り出しなさい。貴女だってわかっているでしょう?」
淡々と言われてルーシェは目を伏せた。甘えて曖昧にしていたところを見透かされて恥ずかしくなった。じっと自分の手を見つめて肩を落とした。
「これ以上は泣かせてしまうから言うのはやめるけど、ちゃんと向き合った方がいいわ。ここに来てもう11カ月、経つのだから」
「わかっています。でも……」
声が震えた。これ以上口を開けば泣いてしまいそうだ。
「それにしても運命の相手を間違えるって、あの男もどうしようもないわね。運命の相手を見つけて後先考えずに盛るなんて頭に花が咲いていると思っていたけど、さらに相手を間違えるなんて」
くくく、とケイトリンの唇からかみ殺した笑いが聞こえる。可憐な姿からは想像できないほど暗さを含んだ笑いだ。
「……ケイトリン様はウェンセスラス殿下のことが本当に嫌いなのですね」
「ええ、大嫌いよ。あの男、わたしの王位継承式の祝いの席で何と言ったと思う?」
ケイトリンは第一王女であり、王位継承権を持っていても第一位ではなかった。上に二人も兄がいたので、王位からはやや外れていた。ところが、イーリック国の自由恋愛な気質が二人の王子を廃嫡にまで追い込んでしまった。
21年前、一人の令嬢を巡って二人は対立し、ありもしない罪でそれぞれの婚約者を排そうとした。この話を聞いた時には驚いたものだ。証拠もなく大貴族の令嬢二人を断罪したのだ。もし万が一それがうまく運んだとしても、国の中枢に位置する大貴族を貶めて国が治められるわけがない。
断罪したその日のうちに冤罪がわかり、二人の王子は失脚、当時14歳だったケイトリンが王太子となった。25歳の時に父親から王位を譲り受け、今に至る。
「……失言をしたことは想像できます」
「女王になって結婚できるようになってよかったな、ですって。しかも行き遅れていても、十分に美しいからと慰めまでもらったわ」
ルーシェは頭を抱えそうになった。王族の結婚は跡取りの問題もあるから10代の後半が多い。ウェンセスラスの性格を考えれば、いいことだと思ったのだと思うのだが、25歳の独身の女王に言う言葉ではない。
「女心がわからないのは今もそうですから」
「ふふ、あの男に女心がわかっていたらルーシェはここまで傷つかなかったでしょうね」
「わたしは……」
反論しようとしたら、ケイトリンが笑って遮った。
「嘘はいらないわ。貴女は傷ついているのよ。フォルティア王太子夫妻の仲睦まじさは近隣諸国でも有名だった。貴女がこの国にやってくると報告された時、誰もが羨む得難い絆をあっさりと切ってしまったあの男の正気を疑ったわ」
傷ついた。
そう、傷ついていた。
一番大切にしたいと思っていた世界が壊れたのだ。
傷つかない方がおかしい。
「わたし、クリスが好きなのかもしれません」
「あら? 認めるの?」
唐突に話し始めたルーシェにケイトリンが面白そうに目を細めた。赤く紅を引いた唇が嬉しそうに緩く弧を描く。
「ここまで突き付けられては認めないわけにはいきませんから。それにケイトリン様を味方にするには素直に話さないと駄目でしょう?」
「それがわかっているのなら上々よ。レトナーク侯爵にはすでに結婚を前提に付き合っている相手がいると返事をしておくわ」
「ありがとうございます」
何故か心からほっとした。
それだけクリスがルーシェの中に占める割合が大きいのかもしれない。
「ただ覚えておきなさい。どんなに嫌がっても、貴女が背負う義務はなくならないわ。自分の願いを実現するために先に手を打つのが賢い選択よ」
静かに伝えられた言葉にルーシェはずしりと重荷を感じた。