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気がつきたくない甘え


 クリスから領地に来ないかと誘われたのは突然だった。

 約束もなくいつものようにふらりと屋敷にやってきて、天気の話をするように誘われた。何を言われているのかわからなくて、何度か瞬いた。


 ルーシェが呆けている間に飛びついたのがジョルダンだ。人懐っこくて甘え上手なジョルダンは好奇心いっぱいにしてはしゃぐ。


「本当? 行きたい! エヴァンも行くよね?」

「うん」

「たまには王都を離れるのも気晴らしに良いだろうと思ったんだが……。どうだろうか?」


 想像以上に食いついてきた二人に押されながら、確認するようにルーシェに聞いてくる。欲を言えば、子供たちがいない時に先に相談してほしかった。むっと唇を尖らせたルーシェを見てクリスが申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「ごめん、こんなに喜ぶとは思っていなくて」

「わざとではないの?」

「違うよ」


 そんなやり取りをした後、結局親子3人で彼の領地に招待されることになった。

 プレスコット伯爵家領地は住んでいる王都から馬車で3日ほど離れた位置にある。その道中もなかなか楽しかった。

 時間制約のない移動ということで、クリスは一日の移動距離を減らし、大きめの街で必ず宿泊を挟んだ。早めに街に入り宿で体を休めることができるため、非常に体が楽だ。


 夜はゆっくりと寝台で睡眠を取っているにもかかわらず、馬車の揺れに次第に眠くなってくる。一定のリズムを刻む馬車の中でルーシェはうつらうつらしながら、子供たちとクリスの会話に耳を傾けた。


「クリスの領地は何があるの?」

「主に農産物と畜産だね。のどかな場所だよ」


 イーリック国は学問に力を入れているため、様々な産業の研究もなされている。農業に関してもかなり力を入れていて、1割程度の領地を国の研究機関の実験場として貸し出している。

 どの領地を持つ貴族も1割程度を国に貸し出しているそうだ。そうすることで、情報を集めまた研究するらしい。流石に学問の国と言われるだけある。


「へえ。フォルティア国は基本は鉱山だから、農業はあまり力を入れていないよね」

「あ、じゃあお肉料理が美味しいんじゃない?」


 国の産業に思いを馳せたエヴァンに対して、ジョルダンは食べる方に興味があるらしい。双子でとてもよく似ているのに本当に考え方が違うものだと可笑しくなった。


「母上、起きているの?」


 ルーシェの漏らした小さな笑い声にジョルダンが気がついた。ルーシェはどこかふわふわした夢見心地になりながら、ゆっくりと目を開ける。覗き込む緑の目が真っ先に飛び込んできた。


「ええ。ジョルダンらしくて」

「学校で聞いたんだ。家畜は食べているもので肉質が違うって。きっと最先端の研究をしている家畜の肉は今まで食べた肉以上に美味しいはず!」


 嬉しそうにはしゃぐジョルダンにエヴァンがため息をついた。


「もうちょっと落ち着け。まだ先の話なんだから」

「今日、宿泊する街も大きなところで色々物珍しいものがある」


 クリスも二人のやり取りを微笑ましげに見ながらとっておきの情報を披露した。キョトンとした二人にクリスはにやりとする。


「今日は早めに街に入る予定だから、護衛を連れて行くのなら、少しだけ自由に街を散策してもいい」

「え!?」


 二人の声が重なった。突然の朗報に二人の目が輝く。


「クリス」


 咎めるようにクリスの名を呼べば、彼は大丈夫だと朗らかに笑った。


「かなり大きな街なんだ。治安もとてもいいから心配いらない」

「でも」

「護衛も二人付ける。ルーシェも散策してみないか?」


 逆にクリスに誘われてしまった。治安がいいとはいえ、ルーシェが何かに巻き込まれれば問題が大きくなる。そのことを気にしてずっと宿にいることを選んでいたのだが、どうやらクリスには気がつかれていたようだ。


 迷っているうちに、馬車が街に入る。ジョルダンが我慢ができずに馬車の窓を開けた。その途端に外の喧騒が車内に入り込む。活気ある人々の会話や様々な音がルーシェの気を引いた。ジョルダンが熱心に見ている外に目を向けた。


「まあ、とても活気のある街ね」

「ここは他国との交易が盛んだから、見ているだけでも楽しめるよ。だからルーシェも一緒に行こう」

「そうね、わかったわ」


 クリスが誘うぐらいだから、きっと安全なのだろうと頷いた。


******


 クリスの選んだ宿は主に貴族が利用するこの街で一番高級な宿だった。慣れた様子で受付にいる男性と話しているところから、普段から利用している様子がうかがえる。


 クリスがあれこれと手続きをしているのを眺めていると、つんと服が引っ張られた。そちらに目を向ければ、ジョルダンがにっこりと笑う。


「母上、楽しい?」

「ええ、楽しいわ」


 隠すことなく素直に答えれば、エヴァンが腕を引っ張った。引っ張られるまま身をかがめれば、そっと囁かれる。


「僕たちのことは気にしないで、クリスと良い仲になっていいから。クリスなら母上を任せてもいいと思っているんだ」

「はい?」


 エヴァンの意味深な言葉に硬直した。


「もう10か月だよ。そろそろ母上も誰かと結婚しないと心配」

「結婚なんて……」


 二人の息子の言葉に狼狽えた。まさか旅行先でこんなことを言われるなんて思っていなかったのだ。

 クリスはゆっくりと口説くと言っていた通り、ルーシェには無理強いをしないし、強く迫っても来ない。ルーシェはこのままの関係を続けられるなら現状のままでいいと思い始めていた。


「ダメだよ。母上は元王太子妃で、今は侯爵家の人間なんだから。守りがないと」

「そうそう。僕たちも調べたんだ。今はまだ1年経っていないけど、それを超えたら母上は狙われる」


 どこからそういう話を知ることができたのか不安になってくる。ルーシェは毅然として二人を窘めた。


「前にも言ったと思うけど、クリスを利用するようなことはしたくないのよ」

「でも母上もクリス、好きでしょう?」


 エヴァンに単刀直入に聞かれて、言葉が詰まった。ジョルダンがにやりと子供っぽくない笑みを見せた。


「父上とは違うよね。仕事の話なんてしないし、話題が豊富だし」

「それ以上はやめなさい」


 聞いていられなくてきつめの言葉で遮った。二人はぴたりと口を閉ざして顔を見合わせる。双子だからなのか、二人はよくこうして目だけで会話をしていた。


「手続きは終わったよ」


 クリスが入ってきたことで、微妙な空気が散った。


「じゃあ、僕たち、街の探索に行ってくるから! クリスは母上をよろしく」

「ちょっと待ちなさい!」


 ぎょっとしてルーシェが声を荒らげると、二人は少し離れた位置にいる護衛達に声を掛けてさっさと宿を出て行ってしまった。残されたクリスは不思議そうに彼らを見送った。


「急にどうしたんだ?」

「……なんでもないわ」


 説明のしようがなくて、ルーシェは言葉を濁した。クリスは首を傾げながらもそれ以上の追及はしなかった。


「二人だけど一緒に出ようか」

「ええ」


 歩くのを促すようにクリスはルーシェの腰に腕を回す。あまりの近さにルーシェは慌てた。


「えっと、クリス」

「うん?」

「ちょっと近いかなと思って」


 クリスは何を言われているのかわからないのか、目を何度か瞬いた。


「いつもと変わらないだろう?」

「……」


 ルーシェは知らないうちに自然と彼を受け入れていたことに愕然とした。言葉が出てこないルーシェを気にしながらも、クリスは歩き始める。 


「少し中心から離れたところにある庭園の花が見ごろだそうだよ。ルーシェは花を見るのが好きだろう?」


 柔らかく微笑まれて、ルーシェは見とれた。あまり考えないようにしていたのに、子供たちの言葉でドキドキしてくる。王子として生まれたせいなのか、やや硬い性格のウェンセスラスとは違って、クリスは朗らかで優しい。


 政略結婚だからというよりも王子の妃であったために、ウェンセスラスとの間には男女の情というよりも同志のようなところがあった。一人では回しきれない仕事や他の人には言えない悩みなど聞くことが多かった。子供もすぐにできたから、会話はすぐに子供たち中心になっていた。


 そう思い返せば、恋人のようなくすぐったいような関係は初めてのことだった。


 さりげなくエスコートする腕も、ルーシェの歩幅に合わせていることも、いつも以上に意識する。意識すれば、二人の距離の近さや彼の柔らかな笑い方もひどく気になってしまう。


 あの子たちが変なことを言うからだわ、とルーシェは子供たちを少しだけ恨む。


 今はまだ気がついていたくない。

 ルーシェはまだウェンセスラスとの終わりをきちんと整理できていない。整理できていないうちに、クリスを意識したくない。

 そこまで思い至って、やはり甘えているかもしれないと自分自身を心の中で嗤った。


「ルーシェ?」

「何でもないわ。行きましょう」


 考えてしまったことで足が止まっていた。自分のズルさを無理やり振り払うと、笑顔を浮かべた。




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