気持ちを伝える
「うわ、本当にいるよ……」
先触れもなく屋敷にやってきたのはクリスだった。玄関ホールで顔を合わせた途端にクリスががっくりと肩を落とす。
「クリス、久しぶりだね」
にこにこと楽し気に挨拶するのはジェフリーだ。クリスとジェフリーは年が同じで幼馴染だ。クリスがイーリック国へ来る前までは親しく付き合っていた。
「なんで侯爵がこんなところにいるんだよ。暇なのか?!」
「私はまだ侯爵じゃない。父上が元気なんだ、現役で働いてもらっている」
「え?!」
ルーシェと話す時よりもさらに砕けた話し方に、二人の親しい関係が透けて見える。ルーシェは久しぶりに聞く二人のやり取りににこにこと笑った。何年経っても会えばすぐに同じような関係になる。とても羨ましい。
「クリスだ! 母上に会いに来たの?」
賑やかに玄関ホールで話していたせいか、自室にいた筈のジョルダンがひょこりと顔を出した。彼の後ろにはやはり不思議そうにしているエヴァンがいる。
「今日はジェフリーに会いに来たんだ」
「ふうん?」
よくわからないのか、ジョルダンが首をかしげている。二人の甥の様子に、ジェフリーは苦笑した。
「クリスとは幼馴染なんだ。とても信用している」
「あ! そうなんだ。じゃあ、ジェフリー伯父上はクリスが母上を好きだって知っている?」
「ジョルダン! それを話したらダメだ!」
エヴァンが慌ててジョルダンの口を押える。ルーシェはジョルダンの後先考えない発言に頭を抱えた。ジェフリーにクリスとのことを知られるのは非常に気まずい。
それにまだルーシェとクリスの関係は進んでいない。ようやくルーシェがクリスへの思いを自覚した程度だ。今後のことを考えて相談するつもりではあるが、まだ気持ちを伝えていなかった。
できれば聞かなかったことにしてほしいとルーシェはちらりとジェフリーを見た。ジェフリーの顔はやや強張っているようだが、すぐにいつもと変わらない穏やかな表情へと切り替わる。
「ジョルダン、どういう事なのかな?」
「うーん、何でもないよ? ね、エヴァン?」
ジョルダンはへらっと笑って隣に立つエヴァンに同意を求めた。エヴァンはため息をついて首を左右に振った。
「ジェフリー伯父上に隠すのは無理だ」
「えー……」
ジョルダンは困ったように頬を掻いた。そしてクリスにぺこりと頭を下げる。
「クリス、ごめん。余計なことを言った」
「ははは。別にいいよ。ジェフリーはずっと前から知っているから」
「え?!」
驚いて声を上げたのはルーシェだ。彼女はぱっと兄の顔を見上げる。ジェフリーは苦笑した。
「殿下がお前を気に入らなければ、クリスは婚約者になる予定だった。クリスはお前だけには優しいだろう?」
「そうだったの?」
知らない事実に目を丸くした。クリスはばつが悪そうに少しだけ視線をずらす。
「ずいぶん昔の話だ」
「その昔の話を引きずっている男が何を言っているんだ」
ジェフリーは呆れかえってクリスの気まずそうな顔を見ていた。何とも言い難い雰囲気が玄関ホールに広がった。
「ジェフリー様。サロンの準備が整いました」
「ああ、ありがとう」
ジェフリーはダナに笑顔で礼を言うと、クリスについてくるように告げた。ルーシェと二人の息子もその後に続こうとした。
「三人は遠慮してほしい。クリスと二人でじっくり話し合うつもりだ」
「でも」
心配でクリスの方へと視線を向ける。クリスはいつもと変わらない柔らかな笑みを見せた。
「心配しなくても大丈夫だ。ジェフリーとは仲がいいしね」
それでも迷っていると、クリスがルーシェに近づいてそっと囁く。
「そんな顔をされると期待するけど?」
「あ……!」
ルーシェはそこで自分がクリスに何も伝えていないことに気がついた。慌ててルーシェはクリスの両手を握りしめる。
まっすぐに彼を見上げれば、不思議そうな色が彼の目に浮かんだ。
「わたし、クリスが好きよ。できればあなたと結婚したい」
「ルーシェ? 本当に?」
驚きにぽかんとした顔になったクリスに、ルーシェはまくしたてた。ちゃんと伝えなければ、それこそ後悔しそうだ。
「ずっと甘えていたのは気がついていたの。だけど、何もなかったことにして国に帰って来いと言われて、それは嫌だった。クリスと一緒がいいと……!」
「そこまで」
慌ててクリスがルーシェの唇に指を押し当てた。唇を押えられてルーシェは続きの言葉を飲み込む。口を塞ぐクリスに不満そうな視線を向けた。
「特別な言葉は二人きりの時に欲しい。ここは少し観客が多いからね」
「観客……?」
そう言われて周りを見れば、あきれ顔のジェフリーと喜色を浮かべている二人の子供たち、そして生温かい目を向けるダナ。
恥ずかしさが全身を駆け巡って、ルーシェは真っ赤に染まった。クリスの顔を見ていられなくて、顔を伏せた。
「うん、可愛い。安心してほしい。ちゃんとジェフリーには納得してもらうから」
「おいおい、そんな約束していいのか?」
ジェフリーがまぜっかえすように茶々を入れた。クリスはひどく真面目な顔で頷いた。
「もちろんだ」
「ではサロンへ行こうか」
ジェフリーはそう促した。クリスはルーシェに軽く手を上げてから、その後に続く。
二人を見送りながら、ため息をついた。やってしまったことにひどく疲れた。
「母上!」
嬉しそうにジョルダンが飛びついてくる。エヴァンもどことなく嬉しそうだ。
「ジョルダン」
「心配しなくても大丈夫だよ! 僕たちがちゃんと母上を守るから! ね、エヴァン」
「そうだよ。母上は無理に父上の所に戻らなくてもいい」
任せておけと言わんばかりにジョルダンが胸を張り、エヴァンも真剣な顔で頷く。ルーシェは二人の気持ちが嬉しくて微笑んだ。
「ありがとう。あなた達がいるから心強いわ」
「うんうん、任せて!」
なんだかひどく嬉しそうに二人が笑うから、ほっとする。子供たちに反対されたらクリスとの結婚は考え直すつもりだった。
「でも、驚いた。母上、ずっと見ないふりをしていたのに……」
ぼそりとエヴァンが呟く。鋭い意見にルーシェは苦笑した。
「そうね。あなた達には伝えていなかったわね」
ルーシェは二人にウェンセスラスの「運命の相手」が間違いであったということを伝えていなかったことに気がついた。
「何を?」
「ちゃんと話したいから、わたしの部屋に来てちょうだい」
そう言って二人を普段仕事で使っている自室へと促した。