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恋する瞬間


 ――恋に落ちる瞬間って、わかるものなのね。


 どこか冷めた目でフォルティア国の王太子であり夫であるウェンセスラスと、夫の目を釘付けにしているまだ十代の初々しい少女の二人を見ていた。


 少女は平民にしては質の良い淡いオレンジ色のワンピースを着ており、ただただ夫だけを潤んだ目で見つめている。夫は驚きながらも、その目をしっかりととらえていた。


 冷静な目で見れば、とても美しい一枚の絵のよう。

 神からの祝福なのか、何故か柔らかな光が二人の上に降り注いだ。


 ルーシェは込み上げる吐き気を無理やり飲み下した。


******



 今日は珍しいことに二人揃って王都にある教会と併設されている孤児院へ視察に来ていた。数か月に一回は行っている公務で、大抵は別々の場所を視察するのだが、たまには一緒にということで二人揃ったのだ。


 ルーシェが王太子妃になってすでに8年。夫と一緒に視察を行うのはずいぶん久しぶりだ。


 二人揃っているということで、いつも以上に教会には平民たちがつめかけていた。王太子夫妻が揃うなど滅多にない機会に人々が集まってきたのだ。


 フォルティア国は小国であるが、隣国との関係は良好で平和そのもの。こうして何かあると、人々は集まってくる。警護に当たっている騎士たちは大変だろうが、近い距離でこの国に住む人たちの顔を見ることがルーシェはとても好きだった。


「ウェン。そんなしかめっ面をしていないで皆に手を振ってあげて」


 あまりの人の多さに険しい顔をしていた夫にそっと囁いた。人が多くなると隙ができるからと、こういう騒ぎはあまり好きではない。

 だからといって睨みつけるように国民を見るのはどうかと思う。普段から愛想のない態度だが、せめてこういう時ぐらいは笑みを浮べればまだ印象は違うはずだ。


「しかしだな」

「護衛だってちゃんといるのだからいいじゃない。みんな、楽しそうよ」


 人々が口々に二人を楽し気に呼んでくるので、思わず笑顔で手を振れば歓声が聞こえる。


「ルーシェ。私から離れるな」


 ついつい手を振ってくれる子供たちを見つけてそちらに足が向けば、腰を強引に掴まれた。体が浮き、離れないようにぴたりと寄せられた。ウェンセスラスに比べて頭一つ分以上小さいルーシェは彼にすっぽりと抱きしめられた。


「王太子殿下は妃殿下を本当に愛しているのね!」


 歓声やうっとりとした言葉まで聞こえて恥ずかしくなる。難しい顔をしていたウェンセスラスはにやりと笑うと、妻の頬に音を立ててキスをした。

 二人の仲がいいことはとてもいいのだけど、こうして人前で不意打ちを食らうと恥ずかしくて仕方がない。結婚して何年も経つのに未だに慣れなかった。


 恥ずかしさを笑顔で誤魔化しながら二人で歩く。少し前を歩く代表の話を聞いていたが、突然ウェンセスラスの足が止まった。


「ウェン?」


 不思議に思って皆が足を止める。するりと腰を抱いていた腕が離れた。驚いて彼を見れば、茫然として立ち尽くしている。


 その様子がいつもと違っていて、不安になった。心の不安を表に出ないように気を付けながら、柔らかな口調でそっと尋ねた。


「どうしたの?」


 突然ウェンセスラスはルーシェを置いて一人、走り出した。そしてある女性の前で立ち止まると、震える手で彼女の手を取った。


 護衛に当たっていた騎士たちも、同行していた大臣もウェンセスラスの行動に息をのんだ。


 二人の視線が絡まる。集まっている人々も信じられないのか、しんと静まり返った。

 だから余計にウェンセスラスの声は周囲に響いた。


「彼女は……俺の運命だ」


 そう言いながら、愛おしそうに見つめ抱き寄せる。先ほどまでルーシェを抱きしめていた腕は全く知らない少女を包み込んでいた。


「ルーシェ様」


 心配そうに大臣が声を掛けてきた。ルーシェは今にも崩れ落ちそうになる王太子妃としての顔を慌てて貼り付けた。ここで無様に泣き叫ぶことはしたくはない。


「大丈夫よ」


 何が大丈夫なのかルーシェ自身よくわからなかったが、うっすらと笑って見せた。


 王族で運命の相手に巡り合えた事例はとても少ない。一番最近のことで150年ほど前だったはず。だから、どこか遠い国のおとぎ話のように感じていた。


 眉唾ものだとは思っていたけど、妻を省みることなく周囲も目に入らず貪るようにキスをする二人に体が震える。


 そのまま長いキスをした後、ウェンセスラスは誰にも何も言わずに名前すら知らない彼女だけを連れて城に戻っていった。慌ててその後ろを護衛達が追う。

 もうすっかり頭の中は彼女のことだけになってしまったのか、一言も公務について指示をしなかった。


 残されたルーシェたちは呆然と二人を見送っていたが、ぎこちなく動き出す。

 特に王族の婚姻相手が運命の相手ではない時の取り決めというものが存在しているから、いざというときの心構えは婚約した時から叩きこまれていた。


 集まった人々も動揺しているのか、それぞれが囁き合っている。王族に運命の人がいることは有名な話であったが、先ほどまで王太子妃とのむつまじい様子を見ていたから余計に受け入れられなかったのだろう。一番多く聞かれたのは運命の人だという女性への憤りだった。


 息を大きく吸い気持ちを整えると笑みを浮かべ人々を宥め、残りの公務を続けた。ここで涙を流して、職務放棄をしなかったのは王太子妃としての意地だ。


 とはいうものの、腹が立つのも本当で。

 8歳の時に4歳年上のウェンセスラスと婚約してから8年。

 16歳で結婚してから8年。

 結婚した翌年には可愛い双子の息子を産んだ。

 王太子妃として、妻としてウェンセスラスに寄り添い支えてきた。


 それなのに一目見て運命だと妻の存在をすっぱり忘れ、目の前で濃厚なキスをする始末。

 この神の与えた運命はやっぱり呪いに違いない。


 時間を短縮するために予定を飛ばしながら、なんとか笑顔で公務を終えて城に戻ると、そのまま宰相の執務室へ向かった。

 すでに連絡が入っていたのか、執務室の前で護衛をしている騎士がルーシェの姿を見ると痛ましさをにじませながら扉を開けた。


「ルーシェ!」


 部屋の中に入ると同時にふわりと抱きしめてきたのは、この国の王妃だ。ウェンセスラスの生母でルーシェにとっては義母となる。どうやら騒動を聞きつけて、こちらにやってきたらしい。


 ルーシェの目にうっすらと涙が浮かんだ。ルーシェを娘のようにかわいがってくれた人だから、こんな時でも味方になってくれる。それが嬉しくて、そして押し殺していた気持ちが表に出てしまう。


「妃殿下、ルーシェ様が困っております」


 宰相が気を利かせて声を掛けた。王妃は慌てて体を離す。


「ごめんなさいね。うちのバカ息子が……!」

「気にしないでください。こういうことがあるだろうとはずっと聞いていましたから」

「でも、あれはないわ」


 王妃はルーシェの目の端に浮かんだ涙をぬぐいながら、ヒヤリとした声を出した。ルーシェは自分の代わりに怒っている王妃を見て笑ってしまった。


「そう言ってもらえるだけでとても心が軽くなりました」

「わたくしは絶対にぽっと出の娘なんて認めないから、気を大きくどんと構えていなさい」

「そうはいきません。王族に運命の人が現れたらすぐに離縁することが決まっているはずです」


 間違っていないか、確認するように宰相へと目を向けた。宰相はいつも以上に無表情で何を考えているのかわからなかった。


「離縁はもう少しお待ちください」

「何を言っているの。ああなったら一か月は出てこないんでしょう? 寝室に籠る前に指示ぐらいはするだろうから、その時に合わせて本人の承諾を取ってちょうだい」


 強い口調で要望を告げれば、王妃が慌てた。ぎゅっと力いっぱい腕を掴まれて、真正面からのぞき込まれる。強い眼差しに逸らすことができない。


「ちょっと待って! ルーシェは出て行く気なの?! 子供たちはどうするの?」

「わたしと一緒に連れていきますわ。運命の相手とやらが産んだ子供が王位につくのが慣例だと聞いていますし、継承権争いで国を乱したくないのです。子供たちにもそんな殺伐とした道を歩んでほしくありません」


 きっぱりと言い切れば、王妃は辛そうに顔を歪めた。ルーシェにいてほしいのも本当であるが、王族の典範も無視できない。王妃も嫁いできた身であるから、その内容についてはよく知っているはずだ。


「運命の相手が何よ。わたくしは貴女がずっとあの子を支えてくれていたことを知っているわ。お願いよ、早まらないで。何とかするから……」


 ルーシェを掴む手が震えている。ルーシェを思ってくれていることがよくわかった。


「ありがとうございます。そのお気持ちがとても嬉しいですわ」

「ルーシェ」


 ルーシェの決意を理解したのか、王妃の手から力が抜けた。そっとその手を握りしめる。王妃の気持ちが落ち着いたところで、宰相が提案をした。


「殿下が落ち着くまで待ってもらえませんか。王位継承権のある王子がいる場合に限って、双方が望むのなら婚姻状態を継続できる特例があったはずです。すぐに確認しますので、慌てて離縁などせずとも……」

「断るわ。これでもわたし、とても怒っているんですのよ」


 にっこりと笑えば、宰相はひどく苦しそうな表情を浮かべた。彼にしてもまさかウェンセスラスに「運命の相手」が現れるとは思っていなかったのだろう。


「……配慮のないことを申し上げました。離縁の手続きはできる限り早く行います」

「ありがとう」


 さて、これから子供たちに何が起こったか、説明しなくては。

 息子たちがどんな反応をするか、わからない。それでも二人は王族である。国を揺るがす「祝福」については幼いころから教えられていた。


 二人を傷つけることなく上手に説明ができるだろうかと、不安に思いつつ私室に戻った。




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