エメネの選ぶ道
「してやられたか」
わずかに苛立ちを見せたヘイトだったが、即座に気持ちを切り替える。
床に転がった剣を拾い、急いで百階に向かう。
玉座の間に到達するも、女の姿はない。
「どこに行った…」
ネズミ一匹見逃すまいと周囲に目を光らせる。
「ヘイト様、あそこ!」
左腕がひとりでに動き出し、玉座の奥にある扉を指差す。
「寝室か」
閉まりきっていない扉を蹴破ってヘイトは中に入った。
「いないですね…」
シルバが呟く。
そんなはずはない…。百階にあるのは、玉座の間とこの寝室だけのはずだ。
まさか、ヘイトにも知らされていない隠し部屋があるのか…?
だとしたら、それをあの女は見つけ出した…?
その時、フェガリのベッドの天蓋から垂れるカーテンが微かに揺らめいた。
窓一つないこの部屋で、風が通るのはおかしい。
やはり、どこかに別の部屋へ通じる扉があるのだ。
「シルバ、少し力を貸してくれないか?」
「はい、いいですけど…」
ヘイトは、シルバに分裂して部屋の中を隅々まで捜索するように頼んだ。
左腕から次々と小さなシルバが生み出され、目にも止まらぬ速度で散っていく。
「それにしても、ヘイト様…」
肩に乗ったミニシルバが言う。
「特異点って何なんでしょうね。あのアンクランって人も手に入れたみたいですけど、前とは全然雰囲気が変わってましたし…」
「そうだな…」
ヘイトは考えた。
あれ自体が力の源であると同時に、世界の本質に何らかの影響を及ぼす効果を有していると考えるのが妥当だろう。
フェガリ様が魔物の輪廻転生を生み出せたのも、この特異点が持つ力があったからに他ならない。
「フェガリ様は、何をお考えなのでしょうね…」
シルバも考え込む。
たしかに、魔神の考えていることは昔から想像の域を超えていた。今も、何を目的として行動しているのか見当もつかない。
それでも――。
「何を考えているにしろ、俺たちにできることは一つだ」
「そうですね。わたしたちは、信じて進むしかないですよね」
ヘイトの一言で、シルバの頭を覆っていた靄も多少は晴れたようだ。
「あ、ヘイト様!」
分身の一つが何かを見つけたようで、シルバたちが左腕に集まってきた。
「あっちの壁、少し隙間があるみたいです」
左腕が指し示した方向は、遠目から見ると何の変哲もない壁だった。
近寄ると、一部分が少し凹んでいる。
押してみると、それは軽い力で動き出した。
平均的な人間一人が通れそうな四角い穴が開き、薄暗い階段が現れる。
「この先に行ったのでしょうか…?」
シルバが疑うような声色で言うが、今は行ってみるしかない。
あの短時間の間にこれを見つけ出すとは、なかなかの観察眼だ。
そんなことを思いながら、ヘイトは上へと進んだ。
階段を抜けると、そこは屋上だった。
ヘイトが暮らしていた九十九階と同じような円形の空間が広がり、その淵に尖った水晶が不規則に突き出している。
その中央に、彼女の姿はあった。
「まさか、あたしがここを踏破する最初の一人になるとはね」
エメネが自嘲気味に笑う。
「こうして見ると、綺麗な世界だ。できることなら、ずっと旅をしていたい。あんたなんかとやり合わずに済むなら、さ」
ヘイトは黙って聞いていた。
「あたしは人付き合いも苦手だし、特別な力なんてのも持ってない。魔物やなんやに関する知識は少しばかり豊富だけど、それ以外には何もない。あっちの世界じゃ、友達も仲間もいなかった」
エメネが天を仰ぐ。彼女の言う、『あっちの世界』を思い出しているのだろうか。
「でも、ここじゃ誰とも関わらなくたって、一人で生きていける。好きなことしてさ。この世界にはいろんな生き物がいるし、知らないものがいっぱいある。だから、少しも寂しい思いをしなくていい。あたしは、ここが好きなんだ」
エメネはこちらに向き直った。
「だからこそ、この世界を壊すあんたみたいなのは、許せないんだよね。もちろん、調停者っていう責任を負っているからってのもあるけど、それ以上に、あたしの居場所を破壊することが、許せない」
そのセリフで、ヘイトはようやく口を開いた。
「それが俺を殺す理由か」
それを聞いたエメネは軽く笑った。
「フフッ。いや、あんたに何を言ってもしょうがないんだけどさ…」
「それは、俺がNPCだからか?」
「…その単語を言う時点で、あんたはNPCを超えた存在だよ。あたしらとも、NPCとも違う異質な存在…」
「お前に俺を倒せると思うか?」
挑発ではない。単純に興味があった。
「どうだろうね。フェガリがあんなにぶっ壊れる前に作られたなら、望みはあったかもね」
てっきり、倒せると言うものだと思っていた。
「負けるとわかっていて戦うのか?」
「言ったろ。あたしはあんたらが憎いんだ」
「憎しみだけでは勝てない。あの男のようになるぞ」
「ランダバードは憎しみだけで戦ってたわけじゃない。あの人も、この世界を愛していた」
ヘイトは口をつぐんだ。
エメネは続ける。
「この世界はね、一人の男を中心に、たくさんの人が関わって創られたんだ。クウィストっていう人を中心にね。彼は最初、完璧な世界を創ろうとして挫折した。完璧を追い求めるほど、理想がどんどん遠ざかっていくことに気が付いたんだよ。だから、チームを作った。いろんな人が関わって、いろんな思想が混ざって…。そうしてできたのが、この世界なんだ」
「何の話をしている…?」
「わからない? この世界を創った人たちはね、みんな同じ目的を目指して努力してたんだよ。方法は違ってもね。でも、きっとどこかでボタンを掛け違えたんだろうね…」
エメネの表情はどこか悲しそうだった。
「調停者っていうのは、クウィストが集めたチームにいた人たちだよ」
「そこに、お前も…?」
「そう。あたしもいた。だけど、ある時点でチームは二つに分裂してしまった。その後も些細な諍いで分裂に分裂を繰り返して、今に至ってる」
「チームには他に誰がいた?」
「知ってどうするの? 殺しに行く?」
「…いや、わからない」
ヘイトは正直に答えた。
恐らく、そのチームとやらにはフェガリも加わっていたのだ。そして、二つに分裂した際に、彼女らエメネの属する側とは対立することになった――。
「フェガリ、イージス、ヴィルジーナ、アンクラン、ハミルトン、ブランシェット…。他にも何人かいるけど、いなくなったか、あたしが知らないだけ」
「フェガリの陣営に着いたのは?」
「クウィスト」
…ただ一人? 創世の第一人者とはいえ、いったいなぜ――。
「厳密に言うと、クウィストの側に着いたのがフェガリだった。他はみんなイージスに着いた」
「イージスというのは?」
「グラン・イージス。調停者を束ねる者。彼女はエラーを許さない。クウィストが闇なら、イージスは光だね」
「エラーを許さなかったから、クウィストと対立したのか?」
「まあ、そうかな。エラーがあると、この世界は成立しない。だから彼女はエラーをことごとく排除すべきだと訴えた。だけど、クウィストはエラーこそ世界に必要不可欠な要素であると考えた。…そこまではよかったんだ」
エメネは再び空を見上げた。
「あたしもここにあった特異点を吸収した。だからこそ分かる。クウィストの主張する意味も、イージスの言い分も」
手遅れだった。やはり特異点はここにあったのか。
それでも――。
「それで、お前はどうするんだ? 両者の意見が理解できた今、どちら側に着く?」
吸収されたとて、彼女を引き込むことができれば、まだ解決策があるかもしれない。
「あたしは――」
彼女は一瞬、迷ったように見えた。
「あたしは所詮、ただの下っ端。アンクランのような野心もない」
エメネの手に、光とともに槍が現れる。
「最後まで使われる方を選ぶのか」
「いいのさ、これで」
ヘイトは剣を構えた。




