ある男にとっての復讐
セバスは兵士に憧れて王国軍に志願した。国や故郷を守ることに誇りを持ち、そのためなら如何なる犠牲もいとわない。身を挺して何かを守ることこそ、兵士の本分だと信じて疑っていなかった。
と同時に、とある人物を見返してやりたいとも思っていた。――自分の父親である。貴族の生まれであるセバスは身分のせいで贔屓にされる環境に満足していなかった。自分の実力で事をなし、身分の差に関係なく、自分を評価してもらいたかったのだ。そんな願いを、父は嘲笑った。
自分の家で使用人として雇っている者たちが、日夜父親に暴力を振るわれていることも、セバスの悩みの種だった。
しかし、それは仕方のないことでもあった。今日、奴隷を雇う貴族など珍しくもなく、父もその例外ではなかった。使用人として雇われた者も奴隷。人を家畜のように扱うことを是としてしまう仕組みが、セバスは許せなかった。
それらのことで討論になったセバスは半ば勘当された形で家を追い出されたが、当の本人にとってそれは願ってもないことだった。身分に縛られず、自由の身となって好きなことができる。そして、いつに日か父でさえ認めざるを得ないような功績を立てて帰郷する。そうすれば、自分を追い出した父を見返してやることができるのではないか。そう思った彼は人に役立つ仕事を探し求め、結果、今の職に就いたのだった。
配属は都市とは遠い、煤と埃にまみれた町だったが、セバスは兵士として市民の安全を守る仕事を誇りに思っていた。都市から離れれば離れるほど魔物との遭遇率が上がるこの世界では、たとえそれなりに栄えた町であっても、数多の脅威から町を守る兵士の役割は重要なものだ。町を出入りする商人が近郊で魔物に襲われる事例も少なくない。セバスはそういった町の警備や魔物の討伐などの任務をこなして日々を過ごしていた。
そこに降って湧いたような巨人の出現である。セバスの胸の高鳴りは増していた。この未曾有の魔物を退ければ、あるいは胸を張って父親に顔向けできる日も近いかもしれない。この機会を、なんとしても逃したくはなかった。
今回の鉱夫との小競り合いともいえる一件は、町を警備する兵士が『紫眼の巨人』の調査及び討伐を目的とした部隊に一部駆り出されることを視野に入れ、市民に自衛の意識を持ってもらうための先駆けとして行った作戦だ。発案者をセバスとして、鉱夫ならではの血の気の多さを逆手に取った計画だった。隊長のレオはこれを妙案として快諾し、結果、成功を収めたのだった。
王国軍の駐屯地に戻り、レオ率いる警ら隊は今日の任務を終えた。
「よし、ご苦労さん。今日はこれで解散だ。明日もまた、よろしく頼む」
レオの一言で、隊員たちは肩の力を抜いた。
これから飲みに行こうと誘う者。妻子の待つ家に急ぐ者。皆、一人の市民に戻るのだ。
セバスは年配の兵士からの飲みの誘いを断り、荷物をまとめてある場所へと歩き出した。
先日、この町に避難してきたレヌシアの森の村民がいる場所だ。彼らは一時的な避難場所として、市政部から教会をあてがわれている。この町の実権が有力者の集まりである市政部――つまりは貴族のもとにある以上、しばらくそこから出してはもらえないだろうが。
人通りの少ない道を選び、セバスは足早に教会を目指した。目的は情報収集だ。日暮れまでには着いておきたい。
やがて教会に着くと、セバスは重々しい門戸を開いた。
中には、広い講堂の隅に固まって身を寄せ合う避難民たちがいた。
ゆっくりと歩いていくと、避難民たちはこちらを一瞥してすぐに目を逸らした。嘲りに来たのかと言わんばかりの表情だ。こちらが完全に敵視されていることは分かっていたが、セバスは話せそうな人を探した。
何度か声をかけてみたが、誰も反応がない。意識はあるようだが、思考が極端に鈍っているようだ。相当な体験をしたのだろう。
話せそうな人がいないので、セバスは中庭に出た。
中央に枯れた噴水があるだけの質素な中庭を見渡すと、ふと一人の女性と目が合った。
ボロボロの服を着ていたので、一目で避難民だとわかる。
セバスは近づいて話しかけた。
「すみません、少し、話を聞いてもいいですか?」
女性は目を逸らしたが、首を横には振らなかった。
これが話を聞ける最初で最後のチャンスかもしれないと、セバスは強気に出る。
「私はこの町に駐屯する王国軍の者です。今日は、例の巨人の話を聞きに――」
「夫は」
セバスの声を遮るようにして彼女は言った。
「夫は、その怪物に殺されたんです。あの人は命を懸けて村の人たちを守ろうとした。私はあの人をなんとか助けたかった。その一心だったのに…」
こうなることは覚悟していたが、セバスは辟易した。
「お気持ちはお察ししますなどと、知ったようなことは私には言えません。ですが、これだけは約束します。あの『紫眼の巨人』は、必ず我々が倒します」
「仇をとろうと…?」
「そうです」
力強く、勇気づけるつもりで言ったが、彼女の反応は裏腹だった。
「私は、あれを倒してほしいとは思っていません。ただ、夫を返してほしいだけです。私は息子も失いました。そう、何もかも、失ってしまったんです。ああ、できるなら、もう一度昔のあの人に戻ってほしい…」
大切な人の死に目に会って、彼女が絶望の淵に立たされていることだけはよく理解できた。いや、それさえ、自分には理解できているか怪しかった。実際、経験してみなければわからないことなど山ほどある。これがそのうちの一つだと、セバスは感じていた。
そして同時に、彼女の言葉の選択にも違和感を覚えた。
「今、戻ってほしい、と…? まさか、旦那さんは死んではいない?」
違和感を口にすると、彼女の視線がこちらに向けられた。
「そうです。夫は死んでなどいません。私が他の人とは違う唯一の救いは、そこかもしれない。だからこそ、希望を失わずにいられるのです。でも、あの人は変わってしまった。巨人と戦って、目の色が変わってしまったんです」
巨人と戦っただと?
だとしたら、『紫眼の巨人』を間近で目撃しているかもしれない。
「すみません、奥さん、お名前は?」
「ノゼ・テロッサといいます」
「ノゼさん、あなたの旦那さんとお話がしたいのですが」
「かまいません。ですが、まともに話せるかどうか――」
そう言ってノゼは建物の暗がりを指さした。そこは建物の影になっていて薄暗く、とても人がいるようには見えない。
「ありがとうございます」
セバスは一礼すると、ノゼの指さしたほうへと向かった。
近づくにつれて、そこには紛れもなく何者かがいることが分かった。ただ、その気配は底知れぬ闇に包まれており、なんとも近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
「あの…」
声をかけると、闇の中から視線が向けられた。
「俺に用か…?」
「話を聞きたくて伺ったのです。少しお時間をいただけないでしょうか?」
セバスがそう言うと、ずるずると衣擦れの音をさせながら暗闇から一人の男が這い出してきた。
「話を? いいだろう」
それは、いかんとも形容しがたい姿だった。下半身はマヒしているのか力なく地面に伸びているだけで、腕だけで体を支えている。しかしその腕も左は肘から先がない。戦ったと表現できるものだったのか、疑問にすら思うほどだ。
男は自分をランダバードと名乗り、巨人について、くぐもるような声で話し始めた。
一連の騒動の顛末を聞いたセバスも、さすがに心が沈んだ。笑って聞けるような話ではない。そう分かっていても、ひどすぎる出来事だ。一言で表すならば、『災厄』だろう。
すべて話し終わった後、ランダバードはこう続けた。
「あんた、王国軍の兵士だろう? もうすぐ調査隊が組織されると聞いた。もしかして、あんたもその一員なのか? それで俺に話を聞きに来たのか?」
「私は――」
セバスは嘘をつこうか迷ってしまった。調査隊か討伐隊に配属されるかは、まだ方針が決まっていないからだ。その辞令はまだ下りてはいない。つまり、自分が巨人討伐に直接関わるかどうかは未定だったのだ。
王国軍が巨人を討伐する。それ自体には偽りはない。ただ、これほどまでに傷ついた彼を前にして、遠回しな嘘をつくことさえセバスにはためらわれた。
「たしかに私は王国軍の兵士です。それに、調査隊や討伐隊が組織されるという話も事実です。しかし、私がそこに配属されるかはわかりません」
「なら、なんで俺から話を?」
「真意を申し上げますと、ここに来て話を聞くまでは、たとえ討伐隊に入れずとも、一人で巨人討伐を成し遂げるつもりでした。その怪物を野放しにはしておけない、放っておけば、もっと酷いことが起きるだろうと思ったからです。でも、あなたの話を聞いて理解した。とても一人で挑んで勝てる敵ではないと」
「怖気づいたわけか…。ふん」
ランダバードは鼻で笑った。
「勇敢であることと無謀であることは違う――。言い訳にしかなりませんが、『紫眼の巨人』と戦うには、相応の準備が必要です」
「分かってるさ。俺も狩人の端くれだった。獲物がそんな化け物なら、最初から何らかの手立てを講じて行くというもの。だがな…、俺にはそんな猶予さえ残されちゃいなかった。息子がかかってたんだ。それに…、それにだ。誰があんな化け物が出てくるなどと想像できる? 分かっていりゃ突っ込むような馬鹿もいないだろうよ。誰でも逃げるに決まってる」
ランダバードの口調が激しくなっていくのを、セバスはただただ黙って聞いていた。
やがて彼が黙ったとき、その場には暗い沈黙が流れた。
未だ我々人間が遭遇していないような未曾有の脅威に立ち向かうとき、命を賭して戦う人間にはいったい何が必要なのだろうか。
戦う覚悟か。
培ってきた経験か。
敵を殺す技術か。
もちろん、どれも要素の一つには挙げられるだろう。
ただし、本当に必要なのは、入念な準備と下調べだ。何事も、その二つをどれだけ踏まえているかで、成果が大きく異なってくる。無論、それだけでは足りないかもしれないが、あるのとないのとでは大違いだ。
彼もそれは重々承知だった。しかし、災厄というのは突然現れるものなのだ。彼のやり切れない思いは計り知れない。
「なあ、あんた…」
ランダバードは泣いているかのような声で言った。
「あんた、名前はなんていうんだ?」
「セバス・ケンウィックです」
「ケンウィックさんよ、一つ、お願いがあるんだが…」
「なんでしょうか?」
「俺を、討伐隊に加えてはくれないか?」
セバスは言葉が詰まった。
うつむいて、今にも消え入りそうな声で彼はそう言うのだ。その足は動かず、腕も失い、戦える状態ではないというのに、その言葉に偽りの色は全く感じられない。固い決意と、沸々と彼の胸の内で湧き上がる憎悪が、復讐の二文字を実現させるためだけに彼を生かしている。
「お気持ちは分かります。ですが、その体では――」
「足手まといか?」
その瞬間、セバスは驚きのあまり目を見開いた。
ランダバードが、ゆっくりと立ち上がったのだ。
「見ろ…。これでも足手まといか?」
「い、いえ、ですが、それは…」
セバスが驚いたのにはもう一つ理由があった。
ランダバードを渦巻く黒いオーラ。いったいどこからそれほどの力を得たのか、不思議なまでの強大な力だ。
その黒く禍々しいオーラによって、失っているはずの左腕が形成されていく…。
「あの化け物が村を襲ったとき、俺は自分の家にいた。自分の家で、村人が殺される音や、その断末魔を聞いていた。そうしているうちに、段々と頭が何かに支配されていったんだ。それはどす黒く、俺には御しきれないほど大きな力だった。最初は抵抗したが、やがて俺は察した。この力は、あの巨人から溢れ出した力の片鱗なのだと。これを受け入れることで、あるいはあの巨人に対抗し得る力を得ることができるのではないかと。そうして俺は受け入れた。同時に凄まじい憎しみの感情が沸き上がってきたが、俺には好都合だ。この力で、俺は化け物を倒す…」
セバスは息を呑んだ。
――今の彼を止める資格が、果たして自分にあるのだろうか。
いいや、きっとない。身内や友人を殺された者の気持ちを当事者になって理解することは決してできない。これはおそらく、彼の戦いなのだ。
とはいえ、討伐隊を指揮する隊長の了承がなければ参加することは叶わないが。