薔薇の魔将軍1
その日もヘイトは、妥当魔神を掲げて攻め入ってきた人間たちの相手をしていた。剣を振りかざして襲い来る戦士。槍を手に飛びかかってくる騎士。杖を持ち上げて魔法を詠唱する魔道士。三人とも中年で勢いこそないが、経験と知識がそれをカバーしているといった印象だ。連携もよく取れている。
――だが、手ごたえはなかった。
別に手ごたえが欲しいわけじゃない。ただ、ここに来る者たちはみな、武器を振り回して俺を倒そうとする。理由は簡単だった。
クリスタルタワー。ヘイトはその99階に住んでいる。広い部屋には戸棚が一つあるだけだが、100階には魔神フェガリの居城があり、人間たちはそこを目指してこの塔を登ってくる。
――そういえば、もう長いこと魔神にも会っていない。
まあ、そんなことはどうでもいい。
とにかく、俺は魔神を倒すべく現れる人間を倒すために生み出された、この塔最後の番人というわけだ。
「うらぁっ!」
剣を持った戦士は怒号とともに俺に襲い掛かってきた。
体躯は良い方なのだろうが、それでも俺の前では小さく見える。それもそのはず、俺の身長は3メートル近いからだ。
刃渡り2メートルはあろうかという剣を片手に、ヘイトは反撃に出た。
剣を振ると、戦士はさっと身を引いた。さすがは手練れの戦士だ。
すかさず、槍の騎士が間合いを詰めてくる。これこそ、長年にわたっていくつもの戦火をくぐりぬけてきた者たちのチームワークか。
俺にはそんなこと無縁といわんばかりに、ヘイトは突進してきた騎士を蹴り飛ばす。
吹っ飛んだ騎士は壁に叩きつけられ、床にうずくまった。
一瞬、気を取られた戦士だったが、倒れた仲間を助けに行った魔導士のカバーに入る。
なるほど、な。これで長期戦にも耐えられるわけだ。でも、どちらかが倒れるか逃げるまで、この戦いは続く。悪いが、そう長く相手をしてやれるほど俺も暇じゃない。もうすぐ、午後のティータイムだからな。
ヘイトは裏地の赤い、黒のマントを翻し、金薔薇の紋様が入った黒い甲冑を鳴らして目の前の男たちに迫った。
剣を軽く振っただけで、戦士の首は飛んでしまった。
造作もなく踏みつけるだけで、騎士の体は潰れてしまった。
後ずさる魔導士に、ヘイトは剣を突き立てた。
ティータイムには間に合うだろう。
日がな一日の午後のひと時を、自慢のバルコニーで過ごすのがヘイトの趣味だった。紅茶には洋菓子を添えて、太陽が沈む直前まで、地上99階から眺める景色を堪能しながら物思いにふける。
時には紅茶が水になったり、酒になったりもする。洋菓子がパンや肉になるときもある。それは訪れる人間の気まぐれだ。
「さて」
と、ヘイトはウェーブのかかった白い髪をかき上げた。
今日のテーマは何にしようか。昨日は外の世界についてだった。今日は――。
いつも考えるのは同じようなことばかりだ。ティータイムを彩ってくれる友や仲間はいない。俺は自分の使命を全うするためだけに生まれた、ただのモンスターだ。
ヘイトがぼんやりと遠くを見ていると、突如、頭を割るような鐘の音が鳴った。
「またか…」
飲みかけの紅茶をテーブルに置いて、傍に立てかけていた剣を持ち、室内へと戻る。
人間の侵入を告げるこの鐘の音は、ヘイトにとって苦痛であり、そして希望でもあった。ため息が出るほどの鬱陶しさと、己の抱えている孤独をなくしてくれるかもしれないという可能性を秘めていたからだ。
物々しい音をたてて門が開かれ、99階へと到達した人間たちが現れた。
見たところ、かなり裕福そうな出で立ちの四人だった。まるでどこかの王国の騎士だ。まあ、王国の騎士がどんなものなのか、実際は知る由もないのだが。
四人は全員が剣を持ち、入るやいなやヘイトを瞬く間に取り囲んだ。
特に派手な男が一歩前に出て叫ぶ。
「私はベントラル王国の3番隊隊長、アウーレ・リドリアである。そちらの名を名乗れ」
ヘイトは自分の予想が当たったことよりも、律義に自己紹介をしてきた彼に驚いた。これから殺し合いをしようというのに、相手のことを知って何になるというのだろう。
「俺は――、ヘイトだ」
肩書きなど持たないヘイトは、短く名を言った。名乗る意味など知らないが、ほとんど反射的に声を発していた。
「ヘイト殿。かの有名な薔薇の魔将軍とご対面できて光栄だ」
アウーレは頭を軽く下げた。
薔薇の魔将軍? 俺が?
その二つ名も、頭を下げた意味も理解できなかったヘイトは眉をひそめた。
「ヘイト殿はご存知ないか? 自分が魔将軍と呼ばれていることを」
「いや、知らないが」
「我々の間で、あなたのことを知らない者はいない。クリスタルタワーの魔将軍といえば、ヘイト殿、あなたのことだ」
「そうか」
あまり興味を持てなかったヘイトは言った。
こいつらは、俺と戦いに来たんじゃないのか?
そんな疑問を持った時、アウーレは言った。
「すまない。あまり長話をするのもなんだから、そろそろかからせてもらおう」
――その日の最後の来客だった彼らは、今まで来た他の誰よりも強敵だった。