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115話 魔導学園16

夏休みも中盤。


購入した剣で素振りをすることを日課にする。


闘気を使わないと振るう筋力が足りないから、魔力を常に身体に満たす。


本で書いてある基本となる動きをトレースして、振り続ける。


一振りごとにやっぱり身体の軸がブレる。


安定して同じ斬撃を放てるようにならねば。


向上心に燃え上がる僕。


そこにマナの苦言。


『たまには街に出掛けましょう? ココ最近、部屋とこの空き地、図書館の往復じゃない』

「確かにそうかも……つい行動の最適化してた」


こう毎日同じだと、勝手に無駄を省こうとするんだよね。


前世でもいかに早く仕事を終わらせて、帰ってゲームをやるかばかり考えてた。


そこに飲み会とか遊びに行くという選択肢がないのはボッチだからか、それとも性質なのか……後者ならいいなぁ。友達が居なかった言い訳になる。


汗をタオルで拭って、部屋に戻る。


スピカを思う存分愛でてから、街に出掛ける。


僕がこうやって普通に街を歩けるのも、あと何度だろうか?


最近は終わってしまうもの寂しさばかり感じてしまう。


まだこの日々は続くのに。


寂しさを振り切るように、大きく伸びをして周りを見渡す。


すると視界に幼い女の子がガラス張りのお店に手を付けて中を覗き込んでいた。


お洋服でも見てるのかな? と、お店の中を見ると、そこで思わない再会をした。


「マリンさん?」


店……レストランのウェイトレスとして、働くマリンさんがいた。


レストランだからか、来ている客層はお金を持ってそうな人ばかり。


マリンさんに視線を向けてたら、コチラを向いた。


ギョッとしたように僕を見たあと、女の子に視線を向けて、大慌て。


急いで奥のホールに入っていった。


どうしたのだろう。


知り合いに働いている姿を見られるのがそんなに嫌だったのだろうか?


そう思っていたら、店の曲がり角からマリンさんが現れた。


「ちょっと来て!」

「えっマリンさん?」


僕と女の子(・・・)の手を引いて店の裏にまわる。


「少し待ってね」


僕にそう言い、マリンさんはしゃがみこみ女の子と目線を合わせる。


「ダメじゃないフィリア。店に来ちゃ」

「……ごめんなさいお姉ちゃん」

「姉妹ですか?」

「えっ……と、遠い親戚、かな?」

「何故に言葉が詰まります?」


姉妹というには似ていない。


遠い親戚なら納得! とはいかない。


でも、個人の事情もあろう。


僕は困っていたら、個人の事情でも友達は助けるスタンスだけど、細かいことまで詮索したくはない。


誰だって、言いたくない秘密の一つや二つはあるもの。


だから親戚の子というのは、信じる方針でいく。


「こんにちは。僕はクロエって言います。君のお姉さんのお友達ですよ。フィリアちゃん」


しゃがみこみ、微笑みかけるが怯えてマリンさんの背後に隠れてしまう。


「ガーン!」


何気に今世で初めての反応じゃない!?


怯えられた?


そんな、ばかな。


この僕が! この人畜無害の僕が!


お・び・え・ら・れ・た!?


『落ち着きなさい』

『もちつけレイン君』


はっ! おっと、動揺してた。


「だ、大丈夫?」

「はい大丈夫です。怯えられたのは初めてなので」

「あの魔導戦の後もわりと怯えられたよ?」

「あれは理由が分かってるじゃないですか。今回、僕は挨拶しただけです」

「あ、あはは。フィリアは人見知りだからね。フィリア〜この子はとっても優しいんだよ〜」

「見た目じゃわかんないもん」


フィリアちゃんがボソリと呟いた。


「ご、ごめんね〜」

「いえ。僕はいいのですが、お店は大丈夫でしょうか?」

「……あっ!? ご、ごめんね。私戻らないと!」

「お姉ちゃん行かないで!」


フィリアちゃんの悲痛な声が路地裏に響く。


「クロエ君! お願い! フィリアを少しの間だけ預かって!」

「分かりました!」

「ありがと!」


スタタとお店に駆け戻っていた。


追いかけようとしたフィリアちゃんを背後からがっしりと抱き留める。


「は、離して!」

「……血繋がってないよね?」

「……っ!」


僕の一言にフィリアちゃんが凍り付くように動かなくなる。


僕はフィリアちゃんの頭を優しく撫でながら、優しく言う。


「それでもね。フィリアちゃんとマリンさんの間には、姉妹のような繋がりを感じたよ」

「……ほんと?」


僕の言葉に目を輝かせる。


素直だなぁと感心する。


「その素直な反応とかマリンさんそっくりだもん」

「フィー本当にお姉ちゃんそっくり!?」

「うん! 僕が保証するよ」


くくく。懐柔完了。


『お兄ちゃん……子供を騙す悪党みたい』


失敬な。


仲良くなるのには、その子の大事な人を褒めて、その子も褒めるのが早いだけだよ!


テレビの受け売りだけど、成功して良かった。


僕は褒めて育てるスタンスです。


怒るのは、フォローが効く時だと思う。


「じゃあ、お姉ちゃんがお仕事を終わらせるまで僕と遊ぼうか」

「なにをするの?」


もう警戒心が迷子じゃん。


素直すぎて、お父さん若干心配。


「それじゃあ、魔法という概念に興味あるかい?」


僕はニヤリと笑った。



「フィリアを預かってくれてありがとうクロエ君」

「いえいえ。どういたしまして」

「お姉ちゃんお姉ちゃん」

「ん? なあに?」

「魔法ってすごいね!」

「へ?」

「こう線がびーってなって! ぐわっーてまがって! ぐわんぐわんってぐちゃぐちゃになったらすごいピカーってなったのっ!」

「クロエ君!?」

「すみません。少し魔法陣を描いてみせただけなのですが……」


僕の説明不足でこんな謎の説明をしてしまうなんて!


『いや。そこじゃあないよ?』

『ご主人様……張り切って専門用語を多用してただけです』


すみません。ちょっとイキってました。


こう、マウントを取りやすい子供だとなんか、説明しよう! みたいなノリになっちゃうよね。反省。


「あ、あはは。ともかく預かってくれてありがとう。フィリアも懐いたみたいで良かったよ」


マリンさんがホッとしたように胸を撫で下ろす。


それだけで、マリンさんにとってフィリアちゃんはとても大切な存在なんだと分かる。


「ねえ。もし良かったらで良いんだけど」

「はい。分かってますよ。マリンさんが忙しい日は僕がフィリアちゃんの面倒を見ます」

「本当にありがとう!」


こうして、夏休み後半はフィリアちゃんと過ごすことになった。




夏休みも終盤。


フィーちゃんとも仲良くなり、今日も働くマリンさんの代わりに一緒に遊ぶ予定だ。


それにそろそろマリンさんという呼び方を変えようと思う。


マー君、リンちゃんと二人の呼び方を変えてきた。


ジミー君はそのままだけど、この呼び方がしっくりくるんだよね。


マリンさんは、マリちゃんと少し略した呼び方にしようかと考えている。


人の愛称を考えるって、なんか仲良しの証って感じだよね。


マリンさん……マリちゃんはいつも僕の味方をしてくれたし、フィーちゃんのことも凄く大切にしている。


本当に裏表のない優しい女の子だよね。


マリちゃんは、学園関係者じゃないフィーちゃんのために、街の宿に泊まっている。


その関係上、お金が掛かり夏休みなのに働いている。


親戚の子を預かっているなら、親御さんから生活費とか貰うのが当たり前だと思う。


そこら辺の嘘は下手くそだなぁ。


でも、それは裏を返せば嘘をつかない人生を送ってきたとも取れるよね。


お金関係はシビアだから、僕が協力を申し出てもマリちゃんのことだから断るだろうし、僕に出来るのはフィーちゃんの面倒をマリちゃんの代わりにしっかりと見ることだ。


学園から出て、マリちゃんの宿に向かう。


今日は剣を携えて。


雑談の中で僕が剣術を学びはじめたと言ったら、見てみたいと二人に言われたのだ。


毎日素振りしかしてないよ? と言っても、それでも見たいというので、今日は少し緊張しています。


地味過ぎて、飽きられたらどうしよう。


やっぱりなんか付け焼き刃でも、技みたいのを覚えておくべきだったかな?


不安になりながら宿に辿り着く。


「こんにちは」


挨拶しながら宿に入ると、宿のおばあさんが眠っていた。


不用心だなあって思ったら、横の食事場にて食事を取っていたと思われるお客さんたちも、テーブルに突っ伏して眠っていた。


ゾワリと背筋が凍る。


『緊急事態みたいね。見て。テーブルに置かれたスープが冷めてるわ』

『この人たちが眠ってた時間は……二十分ぐらいだよ!』


マナと雛の言葉で、余計に事態がマズイことに気付く。


「マリンさん! フィーちゃん!」


さっきまでの浮かれ気分は吹っ飛び、僕は宿の二階に駆け上がる。


頼む! 無事で居てくれ!


そう願いながら、マリンさんたちが泊まる部屋の扉を叩く。


「マリンさん! フィーちゃん! 居ますか!? 居たら返事してください! クロエです! 扉を開けてください!」


返事がない。


視界がぐわんと歪む。


不安でしかたない。


「蹴破ります! 扉から離れて!」


返事出来ない状況だと考え、闘気を使い扉を蹴る。


ドカン! と、扉が吹き飛び直ぐに部屋に入る。


「マリンさん!? フィーちゃん!? ……居ない。どこにいるの! 返事してぇー!!」


泣きそうになった。


なんでこんなことに。


……悲観してる場合じゃない。


探さないと!


「スー! みんな居る!?」

「はい! 主様」

「ここに」


スーとドロシーが姿を表す。


「事態は……分かる?」


深呼吸して務めて平坦に尋ねる。


心臓がパクパクいっている。


「異変はこの宿だけだった。気付くの遅れてごめんなさい」


ドロシーが謝る。


「主様。宿の人達の症状を調べました。どうやら闇魔法による精神干渉による強制睡眠のようです。あと一刻もあれば目覚めます。私もこのようなことを想定していませんでした。申し訳ございません」


宿の人が無事で良かった。


スーも謝る。


「謝る必要は無いよ。二人は僕の護衛だ。優先順位を変えるわけにはいかないことは分かってるよ。それにこの短期間でそれだけ調べてくれたのはすごく助かるよ」


本当に感謝している。


時間にして一分程度でこの早さだ。


本当にすごい。


「マリンさんたちの行方は追える?」

「痕跡を辿れば……でも、その痕跡がほとんどない。プロの仕業」


ドロシーが部屋を一瞥しただけで答える。


僕には何ら変わらないように思えるんだけど。


「連れ去られた……と考えるべきかと。そうした場合は、生きてる可能性のほうが高いと思われます」

「うん。生きてる。絶対に生きてるよ」


半ば自分に言い聞かせる。


「ごめんなさい。痕跡を辿れきれない」


ドロシーは首を振る。


ドロシーでもダメだということは、相手はトップクラスのプロだ。


「……変身を解く。それで魔力領域(マナフィールド)を展開して、位置を特定する」

「……よろしいのですね」

「うん。それで学園に居られなくなっても、友達を失うより何百倍もいいよ」


大事にならないといいけど、無理かな?


「ドロシー。マリンさんたちはまだ街に居るよね?」

「……うん。街の外側にはライオットたちがいるから異変があったら直ぐに気付くはず」

「まだ街にいるのなら不幸中の幸いだ」


探索範囲は街全域で済む。


『正直変身を解いた時の反動が未知数よ。もしかしたらまともに動けないかもしれないわ』

(その時は気合いと根性でどうにかする)

『精神論キタコレ』

『解いてもしばらくは全力は出せないわ』

(どれぐらい出せる)

『今日丸一日は、一割程度ってどこかしら』


……一割か。


十分!


僕は首に提げていたブローチに魔力を込める。


それで術式が発動して、与えられていた効果が解除される。


「ぐっ……かはっ……」

「主様!」

「レイン!」


解除と同時に全身に電流が流れるような激痛が走った。


「だ、大丈夫。チクってするだけ」


できる限りの痩せ我慢を言う。


『ごめんなさい。こんなに……反動が大きかったなんて』


マナが珍しくしょぼくれている。


(はは。流石は賢者様の魔法ということかな。マナでも解くのに時間がかかるんだから。僕だと一生解けないよ)


反動に関しては、しょうがない。


種族そのものを書き換えてるわけだから。


つくづく変化が少ない獣人で良かった。


もし、これがドワーフとかだったら気絶しちゃうなこれ。


未だに痛みは引かないけど、慣れてきた。


(マナ。始めてくれ。みんなもフォローよろしく)

『全力でやるわ! もちろんあなたの負担が少ないように』

(ありがとう。いつも頼りにしてるよ)

『雛たちは広げた魔力領域でマリンさんたちを探すんだね!』

(うん。今の僕には意識を保つので精一杯だから。探すのはみんなに頼んだ)

『ほんっと。無理ばっかして! たまには怠けなよ!』

(怠ける時に怠けるよ。でも今は人の命がかかってるんだ。澪、力を貸してね)

『君の力だよ。君の|力(私)なんだよ! 貸すんじゃなくて頼って!』

(了解。頼りにしてる)

『ご主人様……私は常にご主人様のご意志のままに』

(心配かけてごめん。不安にさせてごめんね? でもライアがいるから無理出来るんだ。僕が倒れてもライアが僕の代わりになれるから)

『ご主人様の代わりなどいませんっ! 倒れないでください。その為なら私は……なんでも致しますっ』

(軽率だった。ごめん。そうだね。あとで美味しいミルクティお願いね)

『かしこまりましたっ!』


普段口数の少ないライアが珍しく感情を剥き出しにしている。嬉しくも、情けなくなる。


心配させすぎだよね。


「ドロシー。事情を他のメンバーに伝えに行って。スーは賢者様に事情を話してきて」

「主様を一人には出来ません!」

「分かった」

「ドロシー!? 今の主様が心配じゃないのですか!?」


慌てるスーにドロシーはいつも通り、無表情に答える。


「レインに頼まれたなら、それが私のすること。レインを心配するのは、レインのことを信じてないから」

「……っ。その言い方はズルいです」

「なら言い直す。信じよ? レインのすることに間違いはない」

「もうもう! 分かりましたぁ! ほら、行きますよドロシー! 主様! 必ずあとで追い付きます! 絶対に無理はしないでください!」

「はーい。行ってらっしゃい二人とも〜」


笑顔で二人を見送る。


二人で部屋から出ていった後に、床に座り込む。


「きっつ……」


身体から魔力が流れ出るけど、その速度はまだ早いとは言えない。


解除しても、直ぐに戻るわけじゃなくて、ゆっくり戻っていくわけか。


徐々に、知覚できるものが増えていく。


久しぶりに魔力領域(マナフィールド)を使ったからか、脳が混乱して処理しきれない。


でも、その代わり、マナたちが凄まじい速度で情報を処理していく。


もどかしいが、今は堪えるしかない。


待っていて! マリンさん! フィーちゃん!


…………。


そして数分が経ち、マナたちから報告が上がる。


「見つけた」


僕は腰を上げて、激痛に堪えながら目的地に向かう。






……………………


………………


…………


……


鎖により繋がれた少女は目を覚ます。


チャリと鎖の擦れる音で、自分の両手が拘束されていることに気付く。


「ここは……っ!」


声を発すると同時に、脳に激痛。


(確か……ぶたれたんだっけ)


意識を失う直前の記憶に、黒ずくめの男たちに囲まれて、自分より幼い女の子を庇うように壁になっていたら、ぶたれて意識を失ったことを思い出す。


そして、脳の痛みなど忘れたとばかりに、少女は周囲に視線を彷徨わせる。


「フィー! フィリア!」


少女の……マリンにとって、既に居なくてはならない大切な存在の名前を呼ぶ。


チャラチャラと鎖が鳴り響く。


マリンが拘束されているのは、円形の石造りの部屋。


薄暗い光を放つロウソクが壁に固定された燭台に乗っている。


マリンは視線を部屋の中心に向ける。


そこには小さな少女が石造りのテーブルに横たわっていた。


「フィリア! 起きて! フィリア! お願い! お姉ちゃんだよ! フィー!」


呼びかけるがフィリアは起きる気配がない。


もしかしたら……と、ゾワリと全身を恐怖で震わせる。


「大丈夫ですよ。生きてますよ、アレは」


ねっとりとした声が背後からする。


首を痛めるのも躊躇わずに、マリンは顔を後ろに向けた。


そこには黒い神官服を着た、温和そうな青年。


糸目に優しげは笑みを浮かべている。


商人の家系に生まれたマリンは、多くの人間の笑顔を見てきた。


そんなマリンから見たらすぐに作り笑顔だと分かった。


「貴方は、誰なの? どうしてこんなこと」


震える声で何とか尋ねる。


温和そうな青年なのに、その筈なのに、先程から身体の震えが増すばかり。


まるで死神と対面しているような感覚だった。


「私の名はカースです」

呪い(カース)?」

「ええ。呪い(カース)です」


不気味な名前だった。


「どうしてという質問に関しては、貴女は運が悪かったとだけ」

「ど、どういうこと!? 運が悪かったって……偶然というの?」

「いいえ。この結果は必然です。偶然があるとしたそこの娘に出会ったことです」

「フィリアがなんだって言うの! 普通の女の子じゃない!」


吠えるマリンにカースはクスリと笑った。


「普通? 表面上は確かにそうですね」


その言い方はまるでフィリアは普通じゃないと言っているようで、それ以上は聞いてはいけないと、マリンは直感で感じた。


「どういうこと……なの?」


なのに聞いてしまう。後悔すると分かりきっているのに。


カースは満面の笑みで答える。


「そこの娘は我が組織における実験体なのですよ。何の実験体? とお聞きしたいのでしょう? ……魔物ですよ」

「……っ!?」


カースの言葉を脳が理性が拒絶する。


だが、容赦なくカースから事実だけが語られる。


「無限に再生する魔物をご存知ですか?」

「え?」

「知りませんよね? それもそのはず。何せ禁忌指定されている沈黙の厄災(サイレント・ディザスター)の一体ですから」

「な、なに、言ってる、の?」


思考が追い付かない。


そんなもの聞いたことも見たことも無いのだから。


「至ってまともな反応ですね……説明は、面倒なので省きます」


混乱だけさせて、何も教えてくれない。


マリンの中で感情がぐちゃぐちゃになっていく。


「要はその娘は、魔物の因子を埋め込められた、人間もどきなんですよ」

「そんな……ひどい! あんまりよ! フィリアがなにをしたっていうの?」


初めて出会った時、フィリアは裸足で怯えながら路地裏に隠れていた。


なにか出来ないか? そう思い、話しかけたのがきっかけだった。


それからは兄弟に兄しか居ないマリンにとって、初めて出来た妹のように嬉しかった。


暗闇を嫌うフィリアはいつも灯りを灯した部屋で、マリンの手を握って寝る。


その様子に、フィリアはきっと辛い思いをしてきたことは、察せられたが、まさかこれ程に惨い仕打ちを受けてきたなんて。


能天気に過ごしてきた自分に怒りが湧き、フィリアの境遇に涙が溢れる。


「ソレは我々の施設を愚かにも脱出したのですよ。直ぐに捕まえようと思っていましたが、その時にお人好しの貴女がアレを回収した」


フィリアを物扱いする言い方に、凄まじい怒りと嫌悪感を抱く。


「フィリアは“ソレ“でも“アレ“でもない! フィリアはフィリアだ!」

「それですよ。そんなゴミみたいな実験体に、人間としての価値を見出す貴女が接触したからこそ、我々は経過観測に切り替えたんです。果たして実験体が人間らしい生活を送ったら、どのような変化をもたらすか。興味が湧いてきましてね〜」

「この悪魔! 地獄に落ちろ!」


あまりにもあまりな理由に、怒りで視界がおかしくなる。


カースはマリンの怒りなどそよ風のように聞き流し、くつくつと笑う。


「私からしても、もう少し見届けたかったのですが、如何せん、あの方が関わってきた」


怒りで既にカースの言葉が耳に入らないマリンは、腕を痛めるのも躊躇わず、鎖を引きちぎろうとする。


それを無駄なことを、と蔑んだ目をしたカースは、なおも言葉を続ける。


「流石の私も、あの方と敵対して生き残れるか分かりませんからねぇ。残念ながら時間切れということで、次の段階に移ることにしました」

「殺す! 絶対にお前は殺す!」


マリンは生まれて初めて人を殺したいと思った。願った。


手首は赤く晴れ上がるだけでなく、錆びた鎖のザラザラした表面により、血まみれになる。


「さて、もうそろそろですかね? 魔物に変異するのは」

「……へ?」


その怒りも、一瞬にして消え去るような一言だった。


「おや? 言ったでしょう? これは実験体だと」

「う、うそ。うそだ。そんな……こんなことって」


マリンはフィリアに目を向ける。


フィリアは皮膚が徐々に変色し始めていた。


「ふむ。まずは肌色が変わりますか……他の個体と違って変化が緩やかだ。ちゃんと記録してますか?」

「はい」


気付けば、フィリアの周りに、カースと似た装いをした集団現れた。


その者たちは皆、顔を布で覆い隠し、手元にはボードとペンを持って、何かを書いている。


その光景に、先程聞き流した言葉が思い出される。


(経過、観測)


この連中は、フィリアの変化を余すことなく記録しているんだ。


そう理解したマリンは吠えた。


「お前たちはそれでも人間かああああああ!!!!!」


喉が枯れるのも厭わず、叫ぶ。


「そんな小さな女の子にそんな仕打ちして、何も感じないのかああああ!!!!!」


集団は無視する。


だがカースは反応する。


「はて? こんなゴミが人間? 面白い冗談ですねぇ」


マリンはあまりの一言に絶句した。


思考が停止する。


脳裏にこれまでの、フィリアとの思い出がとめどなく流れる。


(フィリア……フィリア……フィリア!)


胸の底から溢れる思いが、魔力として溢れる。


身体全身に魔力が滾り、脳が焼ききれそうなほどの集中力を発揮する。


(助けるんだ! 助けて帰るんだ! あの陽だまりの日々に! フィリアと一緒に! ……もう、フィリアに辛い思いなんかさせるもんか! 私……私!)


「フィリアのお姉ちゃんなんだああああああ!!!!!」

「無駄な……ん? 面白い!」


これでもカース用心深い。


錆びただけの拘束具のように見てて、強度を強化する付与(エンチャント)が施された魔導具だ。


仮にも魔導学園の生徒であるマリンの底力をも見越しての措置であった。


だがそんなカースの予想を裏切り、一人の少女がその拘束を解こうと……引きちぎろうとしていた。


「ああああああああ!!!」


鎖は歪みはじめる。


天井に固定されていた留め具は、剥がれようとする。


それは非力な少女の力ではなかった。


カースは歓喜する。


拍手喝采をマリンにおくる。


「素晴らしい! この局面で殻を破ってきますか!」


マリンはこの瞬間、身体強化を無意識に発動させていた。


それは現存する技能(スキル)の中でも難度が高く、冒険者の中でも限られたものだけが扱えるほどのもの。


魔力の扱いに長ける魔導学園生とはいえ、発動させるのは容易ではない。


だが、今のマリンにそんなことは関係なかった。


必要だから使っただけだ。


身体強化なら目の前で見た。


あの幼い体躯から想像できないほどの……自分すら抱き上げる少年の力を見た。


マリンは大切な友人……もしくはそれ以上の想いを抱く少年を脳裏に浮かべる。


(クロエ君! 私に力を貸して!)


「はあああああああ!!!!」


鬼神の如く、万力によりマリンは拘束から解き放たれた。


「想像以上です! どうですか? 私と共に世界を変えませんか?」


人外の力を見ても、なおも涼しげなカースの戯言などマリンには聞こえてなかった。


極限まで集中したマリンには、世界が色わせ、フィリアだけが色付いていた。


(フィリアを助けて帰るんだ! そのためには……)


「お前は邪魔だあああーー!!!」

「傲慢な……その程度で私が倒せるとても?」


マリンはカースに向かって駆けた。


両手を魔力を集中させ、一つの魔法を発動させようとする。


(私の出来ること……やれる限りのこと……例えこの身朽ち果てても、アイツを倒してフィリアを連れ帰る!)


マリンは脳が焼ききれる痛みを感じた。


だが尚も、思考は加速し続けていく。


あまりの処理量に、鼻血が吹き出る。


構わずに脳裏に浮かぶ、ありとあらゆる魔法陣をバラして、もっとも威力のある組み合わせを直感で組み立てていく。


両目の血管から血が吹き出し、血の涙を流す。


加速的に死滅していく細胞など気にせず、魔法陣を構築。


「これは……マズイ!」


どんな攻撃でも所詮は学生の魔法。


そう考え、中級程度の防御魔法しか展開していなかったカースは慌てて、上級の防御魔法を発動させようとする。


(間に合わない!)


そう察したカースは魔力を込めた両手をクロスさせ、防御体勢をとる。


「そこを退けぇぇえ!!!!」


構築された魔法は複数の色……属性が混ざり合い、虹色に輝く。


マリンは魔法陣をカースの証明に展開させ、拳を振り抜いた。


魔法陣を通過した拳は、虹色の魔力を纏い、カースの防御魔法などなかったように砕き、クロスした両手の間に覗かせていたカースの顔面を殴り抜いた。


「ぐぼっ!?」


カースは背後の壁にまで吹き飛ぶ。


そのまま壁にぶつかり、大きなヒビが壁に走る。


土煙が立ち込め、カースの安否は分からない。


マリンは確かな手応えを感じ、フィリアの方に脚を引きずるように歩き出す。


「ひ、ひぃぃ!」


黒ずくめの男たちはそんなマリンに怯えて距離を取るように後退りし壁際まで下がる。


マリンは気にせずフィリアの元に向かう。


皮膚の一部が変色し始めていた。


「おね……ちゃん?」


フィリアが虚ろな目を開き、マリンに顔を向ける。


マリンは悲痛そうな顔を浮かべたあと、いつもフィリアに向けている優しい笑みを浮かべ、汗ばみ額に付いた髪を払ってあげる。


「大丈夫だよフィリア。必ず助かるからね。……そうしたら、今度は一緒に」

「それは叶わぬ夢であり、実現しない未来ですねぇ」

「え……? っ!」


マリンは横殴りの衝撃を受け、吹き飛ばされる。


低空に飛び、地面に何度もバウンドして、そのまま動かなくなった。


「お、お、お、お姉ちゃん!!!」


虚ろな目がしっかりとした自我を取り戻し、今起きたことを理解し、悲痛な悲鳴をあげる。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん! 起きて! ねぇ! 起きてよ! おねえーーーちゃーーん!!!」

「ほう。侵食が始まった段階で自我は崩壊するものですが……いいデータが取れそうですね」


倒れ伏したマリンのことなど気にせずフィリアに視線を固定する無傷のカース。


「お姉ちゃんを助けてぇ! おねがい! おねがいします! フィーがどうなってもいいから! いいですからぁ!」


涙を零し懇願するフィリア。


カースは家畜を見下ろしたような目をフィリアに向ける。


「無価値のゴミの分際で、人間の言葉を喋るな」

「あ……」


その一言で、フィリアは自分が今まで受けた扱いを思い出す。


そこでは喋ることも、歩くことも許されず、這いつくばって、頭を上げてはならない。


無価値であることが罪。


価値を示せぬゴミ。


そう蔑まれ、罵られ、嬲られた。


全身を恐怖で震わす。


幻想だった。


マリンとの日常は幻想だった。


フィリアの中で、大好きな人の姿が薄れ、次第に感情が失われてゆく。


「違う……っ! ごほっごほっ」

「お姉ちゃん!」


それは否。断じて否。


その考え方はダメだと、マリンは全身をもって伝える。


「生きてました……ですがそれ以上動けば、死にますよ?」


全身の骨が砕けようが、呼吸する事に、血反吐をはこうが、マリンは立ち上がろうとすることを、決して諦めない。


「フィリアは人間だよ。紛うことなき人間だよ! 優しくて温かい可愛い……世界一の私の妹だよ!」

「あ、あ……ああああああっ!」


マリンの言葉で、フィリアは人で居られた。


流れる涙は、もう二度自分を失わないように、自分が人間である証だ。


「いま……ごぼっ……そっ、ち、に……いく……がらっ……」


血まみれ体を起こし、這いつくばってフィリアの元に向かう。


それは人によっては狂気とも思える執念だった。


現に黒ずくめの男たちは、恐怖とおぞましさに身動きひとつ取れない。


だが、だがそれでもだった一人だけは痛痒にもせず、涼しげに顔をあげる。


「茶番」


カースは両手を上げて笑う。


「奇跡が起きるとても? ハッキリ言いましょう。コレは魔物になり、あなたは出血多量でもう時期死にます。これが現実! 所詮ゴミと無能の茶番だったんですよ!」


二人のことを嘲笑うように、フィリアの皮膚はどんどん侵食されてゆき、マリンは意識が薄れてゆく。


そんな最後。二人は思った。


(フィーはどうなってもいい……)

(わたしはどうなってもいい……)


((どうか……))


(お姉ちゃんを)

(フィリアを)


((救ってください!))


フィリアとマリンは意識をそこで途切れさせた。



「事切れましたか」


沈黙するマリンを見下ろす。


「そしてこちらも、魔物化が加速してきましたねぇ」


全身の皮膚が変色、そして身体の一部が肥大しはじめる。


「さて、この魔物が暴れる間に撤退しましょうか……撤退の準備を」

「は、はい!」


黒ずくめの男たちが急いで動き出す。


「さて、私も引き上げますか」


踵を翻し、立ち去ろうとするカース。




「それを許すつもりはありませんよ?」




カースは不意に聴こえた声の方向に顔を向けようとした瞬間。


極光が視界を焼いた。


「!?」


マリンから受けた一撃にも劣らない衝撃に、カースはまたしても壁に叩きつけられる。


倒れ込むカースだが、ものの数秒で立ち上がり砂埃を払う。


「いやはや。まさか小娘一人の為にここまで来ますか」


にこやかな笑みを浮かべ、正面。入口からゆったりと歩み寄る人物に気さくに話しかける。


薄暗いはずの室内は、その人物の登場により、強い光に照らされた。


「小娘? 違いますよ。友達二人の為です」

「これは失礼しました……神子様」


無表情の神子。


現神子であり、救済の二つ名を持ちし者。


表舞台に立ったことはほぼ無いが、それでなお世界の中心だと、誰もが認識する存在。


「やはり癒しの力だけではないのですね? まさか出会い頭にこんな挨拶されるとは……育ちの悪さが出てますよ? 神子様」

「村育ちですから。それに礼儀を尽くす価値が貴方にはありませんよ。下郎」


神子の予想以上に辛辣な言葉に、カースは少し驚いた。


(神子は案外御しやすい存在と思っていましたが……)


カースは集めた神子のデータから、神子は流されるまま神子になり、流されるまま人助けをしている人形のような人物だと思っていた。


だがこうやって対峙して、その考えが大きく外れていたことに気付く。


神子から発せられる闘志は、誰かに指示されたものでは無い。


紛うことなき己の意思。


「私が下郎? はてさて。資源の有効活用ですよ。所詮無能のまま朽ち果てるゴミ共に、救い……そう貴方が成すように、救済をしているのです」


自分が正しいことをしている。


そう信じてやまないカースの態度に、レインは興味を示さない。


「最近何かしらと耳に入る『黒の救済』のメンバーですか……」

「おや? よくご存知で」


自分たちを知ってもらえてたことに、カースは気分が良くなる。


レインはその様子を一瞥して、倒れ込むマリンの元に。


黒の救済……稀有な才能を持ちながら、その才能を活かす環境に恵まれなかった者たちを救済し、その原因の一旦にもなった無能な者たちを見下し、有効活用と称して悪逆非道な限りを尽くすという組織。


レインは数ある闇の組織の一つとして記憶していたが、実際にこういう現場に立ち会い、己の認識の甘さに怒りを覚えた。


その結果が、目の前で倒れている友人なのだと。


怒りが全身の痛みを凌駕する。


レインは後ろで自分たちがいかに崇高な志しの元に募った者たちなのか熱弁しているカースを無視。


跪き、マリンを抱き起こす。


「怪我がひどい」


全身血まみれになろうが、フィリアを助けようと奮起したのだろうと容易に想像がつく。


「大丈夫です。ちゃんと聴こえました。マリンさんの声。フィーちゃんの声。しっかり届きましたから」


優しくマリンを抱きしめる。


二人は優しい光に包まれ、マリンの傷が目に見えて消えてゆく。


「ほう……これが噂の力ですか。想像以上ですねぇ。その力を我が組織に使って下されば、もっと多くの実験が行えるのですが」


能天気にそんなことを宣うカースに、レインは冷めた眼差しを向ける。


「少し黙れ」

「……っ!?」


それだけで、カースは身体が動かなくなり、口が開かなくなった。


(な、何が起きたのですか)


殺気による硬直ではない。


これでもカースは多くの修羅場をくぐり抜いてきた。


例えどんな相手だろうが、臆して動かなくなることは無い。


つまり今、カースは物理的に拘束されているのだ。


(しかし何に? 魔法を使った様子はなかったのですが……)


それにカースは魔法の効果を大幅に軽減する魔導具と装備を着込んでいて、生半可の攻撃ではダメージを受けないし、受け付けない。


もちろんそれだけでカースが、マリンやレインの攻撃を無傷で乗り切ったわけではない。


カースは魔視を使い、なにかヒントはないか調べようとする。


(なっ……!?)


その結果は、カースですら驚愕を隠せない代物であった。


(こ、こんなことがあります……か? 空気中に存在する魔力が全て神子様の魔力になっているだなんて、あまりもの密度に動けなくなるだなんて……)


単純なことだった。


この部屋の大気中にある魔力のほぼ全てが、レインに発せられた魔力によって、押しのけられレインの魔力のみが存在する空間と化していた。


魔力領域(マナフィールド)のように、魔力を空気中に拡散させて、ソナーのような働きをさせるのでなく、領域内の全てを支配するための、無限に近い魔力を保有する神子だけが出来る技能(スキル)


魔力により物理的な影響を与えることが出来る魔力の手(マジックハンド)魔導騎士(マジックナイト)と同じ代物だ。


要はこの空間ごと、魔導騎士の中、魔力の手の中と同じ。


この空間内なら、レインは触れずに物を浮かべたり、好きにいじったりできる多様性に長けている。


本来なら空気中に魔力を拡散させたら、制御を失いその分の魔力を消費するのだが、マナたちの補助により、拡散した魔力をいつでも回収出来るため、魔力ロスはほぼゼロと言える。


これに名を付けるのならば……


神子の領域(サンクチュアリ)


神の代弁者にふさわしい力と言える。


『旦那様……この男』

(うん。気付いてるよ)


マナの言葉に肯定で応えるレイン。


「用心深い人ですね?」

「はて? 何の話でしょうか?」


口周りだけ拘束を解く。


喋った後に、喋れることに気付くカース。


「反応が遅れてますよ? お人形さん」

「……バレちゃいましたか」


感覚が備わっていないから、拘束されたことも、解除されたことにも反応が遅れる。


何より、神子を前にしては余裕がありすぎた。


逃げる素振りすら見せないのは、あまりにも傲慢だ。


「あなたの才能(ギフト)ですか?」

「さあ? どうなんでしょうか」


未だに余裕を隠さないカース。


「ああ。そう言えば、言い忘れてました。その獣人のお姿もお似合いですよ神子様」

「……世界一嬉しくない賛辞をありがとうございます」


変身を解除されたとして、直ぐに姿が戻るわけではないようで、レインの姿は依然、黒髪獣人のままだ。


そのお陰で神子だと気付かれずに街の中を駆けることが出来た。


「その姿では本気を出せないのでしょう?」


どうやらカースの余裕の一端がそれのようだ。


レインは無表情に首を少し傾ける。


「試してみます?」


特に戸惑う様子を見せないレインに、カースはニヤリと笑う。


「ええ。……是非!」


身体強化を使い、拘束を引きちぎる。


そのまま一歩でレインの間近まで迫る。


(残念ながらここで死んでください)


カースは惜しい。そう思いながら未だ動かない。動けないレインの胸部に向かって、隠し持っていた毒塗りのナイフを突き刺す。


(殺った!)


ナイフがレインの胸部に触れる。その瞬間にカースは勝利を確信した。


「遅い」


だが、超高速の世界で、聴こえるはずのない“言葉“が耳に届く。


次の瞬間。


カースはレインの小さな手により、顔面を鷲掴みにされ、そのまま地面に叩きつけられた。


あまりもの威力に、地面は大きく陥没。


「かはっ!」


痛みは無くても、反射的にカースは悲鳴を上げた。


「な、なぜ? ……私より早く動けるのですか?」


カースの身体は流石に、限界を迎えたのか至る所がひび割れる。


そこに血の一滴も零れはしない。


カースの顔面から手を離し、ゆったりとレインは立ち上がる。


そして倒れ伏すカースにゾッとするような視線で一言。


「さあ? 獣人だからじゃないですか?」

「は、はは……所詮、私など相手にならなかったわけですか」


ハナから自分など、その力の一端すら引き出す相手に値しなかったと理解したカースは力無く笑う。


「どうせ、本体に戻るのでしょう? その前に見て行ってください」

「はて? なにをですかな?」


もはや後は、人形が壊れるまで寝っ転がっているつもりのカースはレインの言葉に、素直な疑問をぶつける。


「あなた方、『黒の救済』の希望を僕の希望で塗り潰される瞬間を」


カースに背を向け、魔物化を果たし、既に原型を留めていない、肥大化した肉塊に向けて歩く。


「もしかしてお救いになるつもりですか? 分野が違いますよ? あなたの力は、傷を癒すものです。ソレは傷でも病でもなく、純粋な進化ですよ」


呆れたようにカースは零す。


フィリアは魔物の因子により、生物として進化を果たしたのだ。例え寿命が大幅に減ったとしても。


「それともあなたにとって、ソレに死を与えることが救いになると? 希望に繋がると? 残念ながらそれはべぶっ!?」

「いいから、黙って見る」


ゴタゴタ宣うカースの頭部を、小さな足が踏みつけた。


いつの間にか到着した、ドロシー。


そしてその背後には星騎士団(アスタリスク)のメンバーが勢揃いしていた。


更にスーニャの背後には、賢者や学園の教師と思われる者たちも到着したばかりだった。


中には、レインの担当教師であるレーズンもおり、戸惑う教師陣と違い一人だけ興奮したようにレインに視線を向けていた。


「まさか。まさかクロエ君が神子だったとは……! あはは。私は神子様に教鞭を振るっていたのか」


一人だけ異質だとは思っていた。


獣人ということを差し引いても、聡い。聡すぎる子であった。


教師である己にすら比肩する知識量。


無属性魔法という高難易度の魔法を、改変して魔導戦で使って見せた圧倒的天武の才。


双子の兄弟トーストも、レインに教えを請われたと聞き、一視点だけでないものの捉え方だと関心したものだ。


将来が楽しみだった少年が、実は大陸最大国の 、エディシラ神聖国の三大聖者の神子だったとは。


レーズンは納得しており、そしてこれから起きることは、神の所業だと確信もしていた。


「良く見とくんじゃ。これから行われる奇跡を」


賢者はその視線をレインから外さず、ざわめく教師陣に言う。


その一言で、教師陣も察して、静かに脳裏に焼きつかんと、視線をレインに集中させる。


場が静寂に包まれ、魔物化したフィリアの、低くおぞましい吐息だけが響き渡る。


「ググッ……ググッゥ……」

「フィーちゃん……僕だよ。クロエだよ。分かる?」

「ググッ……ゴギィギィヂァン?」

「うん。お兄ちゃんだよ」


ノイズの激しい音階の低い声に、レインはフィリアはまだ生きていると喜ぶ。


「オネゲァヂァンバァガ?」

「大丈夫。マリンさんは生きてるよ」

「ヨゴォガッカッガダァッ」


フィリアはレインの言葉を聴いて安心したように、肉塊を震わせる。


「フィーちゃんも今助けるからね?」

「………………ヴゥン」


レインの一言に、フィリアは察したように返事をする。


フィリアは自分の最期を悟る。


「……アリガェドォェウォ」


フィリアはレインに感謝を言い、その場に大人しく沈み込む。


全てを受け入れ、佇むフィリア。


「強いなぁ。強いよフィリア。君は誰よりも強い」


レインはフィリアにそっと触れる。


そして額をフィリアの肉塊にくっつける。


「偉大なる我が神よ、汝の下僕たる神子レインが懇願する。欠けたる肉体を原初(はじまり)の姿に戻さんとせし神の奇跡を起こし給え…………『神の秘跡(サクラメント)』!」


金色が混じった光がフィリアを包む。


「おぉ……」


あまりにも幻想的な光景に誰かが感嘆の声を零す。


「くくく……無駄だというのに。例え神のグボッ!?」

「黙ってって言った」


光はフィリアを完全に包み込む。


だがそこで終わらなかった。


「『過大深化(オーバーアップグレード)』」


光の光量が跳ね上がり、見るもの全ての視界を光で塗り潰した。


かけ離れた魔力の放流により、その日魔導国全土に小さな揺れが観測された。


だがこのままでは、癒しの力を跳ね上げただけだ。


だからこそ。


『今の身体でやるのは、自殺行為よ……』


止まらない。止められない。


分かっていながら、マナは進言する。


レインはにこやかに笑う。


「大丈夫。二人の勇気が僕に無限の力をくれるよ」


精神論じゃない……とマナはしょうがないと溜息を零す。


『いつも無理してばかりの私たちの主人を手助けするわよ』

『うん!』

『しょうがないなぁ』

『かしこまりましたっ!』


マナたちの助けを得て、レインは一つの奇跡を発動させた。


「『運命改変(モイラ・シフト)』!」


定められし運命すら捻じ曲げ、書き換える神子の奇跡。


「ゲボっ」


口から血を吐き出す。


全身の痛みに加え、血管を刺々しいなにかが表面を抉りながら駆け巡る感覚を感じた。


痛覚で感じられる上限を超えたのか、痛みではなく肉体にその結果が現れる。


徐々に縮小していく肉塊に比例して、目から、鼻から、耳から、口からとめどなく血が流れ続ける。


「はぁ……はぁ……っ!」


もはや気力だけで立っているレイン。


だが、血涙を流すその瞳には、依然強い意志を感じさせた。


手の血管が弾け飛び、両手がずり落ちる。


それでも尚、力の行使をやめない。


踏ん張るように歯をかみ締める。


あまりの強さに、歯が欠ける。


それほどまでして、ようやく一つの奇跡が起こせる。


肉塊はすでに、少女の形に戻っていた。


眩い光が引いてゆく。


「はぁ……はぁ……」


宙からゆっくり降りてくるフィリアを抱き留めようと手を伸ばそうとして、自分の有様を知る。


(うぉー!? 血だらけやんけ! 不味いよ! こんなのスーたちに見られたら心配される!)


間違いなく療養生活がスタートする。


それだけは回避せねばと、レインは雛にお願いする。


(雛! 僕の傷を癒して! あとリフレッシュを掛けて血だらけの服を綺麗に!)

『でも過剰な回復は……』

(お願い! これ以上無理はしないから!)

『うん! 約束だよっ!』


雛により全身の傷が癒えてゆく。


同時進行で服の血の汚れも無くなる。


この間、僅か数秒。


光が完全に引いたことで、静観していたスーニャたちはフィリアをお姫様だっこして、佇む無傷の神子を視認。


その姿はあまりにも神々しく、皆が一様に見蕩れる。


(しっ! セーフセーフ。危うく僕がギリギリだということがバレるところだったぜ)


そう軽口でも言わないと、全身の痛みで泣き叫びそうになる。


それでも。


(助けられた。助けられたよマリちゃん)


横たわるマリンに視線を向けるレイン。


そしてお姫様だっこしたフィリアを優し眼で見つめる。


『……裸体の幼女をお姫様だっこした少年の絵面だねぇ』

(ちょ!? 澪さん!? 言いがかりはよしてください!)

『ちょっとラピ〇タぽかったよね』

『空から女の子が降ってきたシーンだね』

『ま、裸体の……だけどね?』

(どうしてもその方向に持っていきたいの!? よし。ならば戦争だぁ!)


しょうがないでしょ? 服を復元する余裕はなかったの! 決して幼女の裸を拝みたかった訳じゃないんだからね!!


そうして、澪によるありがたい気の紛らせかたで、痛みにさく意識も減った。


「主様……こちらを」

「あ、ありがとうスー」


スーが沈痛な表情でタオルを差し出す。


なんだろう。


分かるよ? 僕の痩せ我慢を見抜いた上で、何も言わないことも、その表情から伝わるよ?


タオルを差し出すのもフィリアをこのままにするのは宜しくないからマナー的な理由だと分かるよ?


でもこのタイミングで!


この表情で!


タオルを手渡されたら、まるで僕が幼女の裸体を舐め回すように見るのを咎める為に、割って入ってきたみたいに感じちゃうよ!?


その表情とか、もう出遅れ。みたいに感じちゃうよ!?


「レイン。大丈夫?」


ふらつく僕の背中を手で押えて支えてくれるドロシー。


「……うん」


頭大丈夫? みたいに翻訳されそうだよ!?


僕はロリコンじゃないぞ!?


……本当だよ?




レインたちがそうやってやり取りしている傍らで、ライオットたちと学園の教師陣が『黒の救済』の残党を取り押さえる。


皆が皆、奇跡を目の当たりにした興奮が冷めず、早く魔法の研究をしたい気持ちが膨れ上がっていった。


中にはレインに話しかけたいと思う者も居たが、賢者兼学園長により止められていた。


レインはカースに目を向ける。


既に事切れており、人形の部分は砂のように粉々になっていた。残っていたのは、身に付けていた魔導具と服だけだ。


カースは何を思ったのだろうか。


レインは出来ればこれでもう犠牲者が出なければと願った。


フィリアを抱えたまま、少し先で横たわるマリンの元に歩いて行った。


マリンの横にフィリアを寝かせると、フィリアが無意識にマリンの手を握り締めた。


スヤスヤと眠る二人の少女に、レインは自然と優しい表情になった。


「フィリア……という少女は、どう致しましょうか?」


スーニャが問題を提示する。


「主様により、元凶は取り除かれたとはいえ、魔導国にもプライドがあります。恐らく、身柄を寄越せと言ってくるかと」

「魔導国も一応は王政だから……このままは無理」


魔導国のトップはよく賢者だと勘違いされるが、この魔導学園のある街とは違い、王族が住む王都が存在する。


今回の一件は、魔導国の中で行われた非道な行い。


このまま何もせずに、黙ってれば魔導国は御しやすいと他国や、同じような組織に狙われる。


「ですが今回の一件は、魔導国において国賓待遇の主様が解決なされました。その借りを使えばいかようにも出来ます」

「それでダメなら、神聖国として正式な抗議文を出せばいい」


国賓の友人が攫われた。


それだけで魔導国を脅すことができる。


それだけの力を神子という存在は所有している。


レインは軽く考え込むように、視線を虚ろにし、そして頷く。


「うん……この子は、フィリアは神聖国で預かろう。神聖国に伝わる秘伝の魔法を用いた為、その身体には痕跡が残っている。機密に該当する痕跡の為、エディシラ神聖国が責任を持って面倒をみますって感じで」


クスッとスーニャは笑う。


「適当にも程がありますよ?」


レインはニヤリと笑う。


「育ちが悪いもんで」


ドロシーはなるほどと納得。


「確かに。私も育ちが悪い」


ドロシーの本気かボケか分からない言葉に、スーニャとレインは吹き出す。


「ごほん。聴こえておるぞ? 神子殿」

「聞こえるように言ったんですよ賢者様」

「食えぬ御方だ」


賢者はやれやれと肩をすくめる。


「お力添え出来ますか?」

「この度は、儂が管理しておる街で起きた事件じゃ。責任は儂にある。もちろん協力は惜しまんよ」

「ありがとうございます」


こうして、事件は幕を閉じた。




後日、学園の病室で目を覚ましたマリンにレインは、少し嘘を混ぜながら事の顛末を語る。


クロエが宿に赴いた時には、マリンとフィリアはおらず、不安になったクロエは街を駆け巡る。


その時、『黒の救済』を追いかけていた魔導国の人達と神聖国の人達に遭遇。


事のあらましを言うと、めぼしい場所があると言われ、ついて行く。


そこで倒れているマリンと皮膚が変色し始めたフィリアを発見。


カースは魔導国と神聖国の人達が応戦し、取り逃してしまうが、他のメンバーは捕獲に成功。


フィリアの魔物化の進行を神聖国の魔法で抑え、魔物化しないように、神聖国に連れて帰り、神子の力を借りる予定だと。


そこで、マリンはフィリアは無事なんだね? とレインに尋ね、レインは自信を持って頷く。


嘘が下手なレインの表情から、嘘を感じないマリンはそこで安堵する。


クロエが何かを隠している。それはすぐに分かったが国が関わっている以上言えないこともあるのだろうと察していた。


だから一番重要な、フィリアの無事が確認できただけでマリンは満足していた。


レインは安堵したマリンを喜ばせるために、あと数ヶ月もすれば治療が終わって、手紙のやり取りは出来るようになると伝える。


神聖国の預かりは変わらないが、次の長期休暇の時にでも、会いに行けるだろうからと続ける。


マリンは涙を流し、絶対に会いに行くと強く頷く。


そして、フィリアを守れるぐらい強くなってみせると強い意志を見せた。



レインは一つの決意をした。


残り少ない夏休み。


レインは街の人達に会いに行き、友人たちと出来る限り、一緒に過ごした。


きっと、最後の夏休みだからと。

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