109話 魔導学園10
「本日の授業はこれでおしまいだよ」
レーズン先生が教室を出ていくと同時に、クラスが騒がしくなる。
「じゃあ、私帰るね!」
鞄に教科書を慌ただしく詰め込みながらマリンさんは教室を飛び出して行った。
「もう。一週間ぐらいあの調子ですよね……」
「同じ寮に住む女子に聞いたら、寮に帰ってないってよ」
「も、もしかして、わ、悪い仕事とかを覚えちゃったんですか!?」
それはいけねぇ! すぐに止めねば!
慌ただしく立ち上がり、マリンさんの後を追いかけようとしたら、ジミー君に首根っこを掴まれた。
「それはねぇーよ。俺、あいつがバイトしているところ見たぞ」
「え? マリンさんバイト始めたんですか?」
「色々やってるみたいだぜ。店番から皿洗い、清掃に子守りとか。オヤジさんに聞いたら、魔導学園の生徒は身元がちゃんとしてるし、将来有望だからバイト先に困らないんだとよ」
確かマリンさんの実家は、小さいなりに立派な商店で、生活に不自由するわけじゃない筈だ。
「は! まさか、実家の経営が傾いて学費が支払えなくなって……!」
「私も気になって、調べましたけど、実家の方は特に問題がある訳ではないようですわ」
「じゃあ……何故」
「女性には秘密が多いものだよ」
背後の席に座っていたキャシーさんとマイクさんが話に加わってきた。
「そうは言っても、困っていたのならば頼って欲しいのが友達というものです」
「相変わらず君は優しいね」
「ですわね」
「だな」
三人に暖かい目を向けられて、恥ずかしくて顔を逸らす。
逸らした先で、取り巻き二人に話しかけられているにも関わらず、方杖ついて僕を見つめていたノットさんと目が合う。
カーッ。
って、ちがうちがう。
なに、頬を赤らめてるの!?
もういい加減、克服せいや!
あれは男。僕も男。
ノーラブ! ノービーエル!
そうして、逆方向。教室の扉側に顔を向ければ、眼鏡をかけた見慣れない男子生徒が扉の前に立っていた。
雰囲気的に上級生だ。
「あら。生徒会の方ではありません?」
「ああ。本当だね。確か三年だった筈だよ」
「お前らは上級生の顔すら覚えているのかよ……」
「「貴族なら当然」」
「まじかよ。すげぇーな貴族」
当然とか言いながら、少し目が死んでいるキャシーさんたちに憐れみを抱いていたら、上級生の方が教室に入ってきた。
よく見れば腕に生徒会の腕章を付けている。
突然の上級生かつ生徒会役員の登場に、クラスの注目が一斉に眼鏡の先輩に注がれる。
はたして眼鏡の先輩の目的の相手は……!
あれ? なんか見覚えのあるパターンじゃ。
「君がクロエ君だね?」
「へ?」
って! また、僕かよぉぉぉ!!!!
なに!? 僕なんかやらかした!?
身に覚えは……なくもないけど!?
で、でも可愛いものでしょう?
わざわざ生徒会の方が咎めに来る必要はないと思われます!
「ご、ごめんなさい!」
「な、なぜ謝る? 俺は君を呼びに来ただけだぞ?」
「へ?」
セーフ? オールグリーン?
いや、待てよ。お呼び出し? 生徒会の役員を使って? これはつまり……理事長の呼び出しでは?
「分かりました。行きましょう」
ちょっと文句がダースで貯まってたところだ。
「話が早いね。生徒会長が気に入るタイプだよ」
「理事長のお呼び出しじゃないんですか!?」
衝撃! どうやら本日二度目の勘違い。
「理事長が君になんの用があるんだ?」
「な、ナンモアリマセンヨ? ハイ」
勘違い恥ずかしい。
机の上でスヤスヤ眠るスピカに顔を埋める。
「どうしたんだ? 彼」
「あー。多感なお年頃なんですよ」
「ところで生徒会長がクロエ君に何用ですか?」
マイクさんナイス! そう。それを聞きたかったの。
そのまま顔を伏せていると、何やら僕のケモ耳を撫で回す不届き者が現れた。
間違いなく犯人はキャシーさんなんだけどね!
「賑やかだなここは」
「あはは」
先輩が苦笑したような言い方と、マイクさんの楽しそうな笑い声が耳に入った。
「詳しくは知らない。生徒会長が誰かを呼び出すなんて滅多にないからな。でも怒っているわけでもビリビリした感じでもなかったよ。しいって言えば期待するような感じだ」
「僕に期待?」
何かをやらせるつもりなのか?
「俺の感だけど、君に何か依頼しようとしているのかもしれない。ああ。もちろん嫌なら断ってもいい」
「いえ。お話だけでもお伺い致します」
スピカを抱き上げて立ち上がる。
キャシーさんから悲痛な声が上がるが、無視だ。
「マリンさんのことも気になりますが、ご本人が健在で尚且つその活動範囲は良識の範囲内である以上、変に探りを入れるのは失礼に当たります。親しき仲にも礼儀ありです」
「急に真面目になったな」
「照れ隠しなんだろうね」
「顔が赤いですわね」
「顔が赤いのはキャシーさんのせいですからね!?」
人のケモ耳を散々撫で回しやがって!
「さあ、行きましょう先輩」
「っ! わ、分かった。生徒会室に案内しよう」
先輩は眼鏡をクイっと位置を直し、そのまま教室から出ていくその後ろを追従してついて行く。
「先輩は生徒会長いんですか?」
「っ……まあ、そうだな。既に二年在籍しているよ」
「先輩は優秀な人なんですね。尊敬します」
「そ、そんなことはないよ。ただの器用貧乏なだけだ」
ふふふ。伊達に社会人経験がある訳では無いのだよ。
こういう初対面で立場が上の人には、場を持たせるためにひたすら相手から自慢話を引き出して褒めちぎればなんとかなる。
……と言ってみたけれど、前世だとまったく実践出来でなくて、よく上司に怒鳴られたなぁ。
転生して数多の経験を得てようやく使えるようになったスキルです。自分の対人スキルの低さに泣きそうです。
「そにしても、あんなに明るいクラスは初めて見たよ」
「ん? そうなんですか?」
褒められるのが照れるのか、急な話題を変えられた。
「ああ。大抵どのクラスも貴族達が悠々自適に生活し、平民達がひっそりと物音を立てないように生活している。自分で言うのもなんだか、俺達貴族は平民の彼らにとっては猛獣の傍で生活しているようなものなんだろう」
「そんなに……僕のクラスは最初からそんなに差があった訳じゃなかったです」
「それはきっと君のお陰だろう」
「僕ですか?」
僕は元来、クラスの日陰者みたいな性格だ。クラスの為に何かしようなど、考えたこともなかった。
「ああ。君は入学したその日に貴族の中でも地位が高い者たちと親しくなり、それ以降も学園内の至る所で君たち、貴族と平民の混合集団が仲良くしているのを多くの生徒が目撃している」
「注目されていたんですね……目立たないように心掛けていたのに」
「いやいや。むしろ有難いよ。お陰で少しづつだけど、学園の雰囲気が変わり始めているんだ。決めつけはあの魔導戦。ポット君との一戦は今でも語り草だ。特にポット君の対応は理想的なものだった」
「えっ……」
言われて、脳裏にフラッシュバックされるとあるワンシーンに、顔が赤くなる。
「貴族は総じてプライドが高い。だから平民に負ければ、何かしら言い訳したり不正を疑ったりと非常に厄介な存在なんだよ。そんな貴族の一人の筈のポット君が負けた後に、君の手を掴んで立ち上がったのは、非常に清く正しい貴族の模範的な行動だと俺は思う。特に君の場合は、純粋な実力を示したからこそ不正を疑う者は多くない」
「不正と思う人はいるんですね」
「安心しろ。不正を疑っているのは実力がない馬鹿ともだ。少しでも腕に覚えがあるなら不正はありえないと分かるものだ」
それにしても随分とあの一戦に詳しい。
「もしかして、あの場に合わせました?」
「ああ。生徒会長と一緒にな。本来は貴族が平民の獣人を公開処刑するって話が流れてきてな。慌てて止めに入ろうとしたら、生徒会長に止められたんだ。彼は負けるつもりがないって言ってな」
「止めようとしてくれたんですね。ありがとうございます。でも随分平民の僕や他の人たちのことを気に掛けるんですね」
この先輩はさっきから僕と目を合わせて会話するし、平民と言った時も、特に見下している様子もない。
キャシーさんやマイクさんと似た雰囲気を感じる。
「先輩からは優しい雰囲気を感じます」
僕は嬉しくてついそんなことを言ってしまう。
「そ、そんなことはないぞ!? 俺は貴族だからと威張るのは違うと思うだけだ。そもそも貴族と言っても子息と令嬢はただの家族だ。実際に貴族として何かをして得た地位ではない。偉いのは御先祖様方であり、決して俺達子孫ではないのだ」
「素敵な考えたことですね」
「えうぉ!? と、突然の、か、考え……だよ」
さっきから先輩の様子が変だぞ?
『間近で神子の微笑みを受けたのだから仕方ないわ』
『あと、さっきから“先輩“という単語にも敏感だよね〜呼ばれ慣れてないんじゃない?』
迂闊だった! 先輩って普通ももう少し親しくなってから使うものだよね!? 今からでもさん付けにしないと……って、名前聞いてない!
「す、すみません。気付きませんでした。先輩という呼び方は少し失礼でしたね」
「え? ち、違う! 失礼じゃないよ!」
「そ、そうですか? でもさっきから様子が」
「こ、これはら……あ、あれだよ! 先輩って呼ばれ慣れてないんだ。知っての通り、平民は貴族に近付かないし、貴族はそれぞれ地位があるから、そういう呼ばれ方は、周りから上下関係を決めていると勘違いされてしまうし、場合によってはその派閥に取り入ろうとしているようにも見える。決して嫌とかではないし! むしろ持って呼んで欲しいぐらいだよ! うん!」
「そ、そうです? ならこれからも先輩とお呼びさせてもらいますね」
「ああ! 大歓迎だよ! ……俺、年上に生まれてよかったぁ」
後半ぼそっとなんか言って、かんきまわってたけど、どうやら許されたらしいから一安心だ。
「っと、ここが生徒会室だ。会長からは君一人で入れと言われてるから、名残惜しいがここでさよならだ」
「案内ありがとうございました」
「気にするな。もしも何か困ったことがあったならこの“先輩“に相談してくれ! そう! この頼れる“先輩“にな!」
やけに先輩を主張して立ち去った先輩を見送って、生徒会室の扉をコンコンと叩く。
「どうぞ」
扉越しからでも分かる澄んだ声に促され、扉を開く。
「し、失礼します! 一年のクロエです!」
そのまま部屋に踏み込んでから扉を閉める。
「よく来たわね」
長い金髪を手で後ろにはらいながら僕に近づいてくる。
入学式の時も見たけど、相変わらず出来るオーラバリバリの美人さんだ。
マナたちを見慣れてなければ、思わず見蕩れてしまいそうだった。
『ナチュラルに褒められたわ。……照れくさいわね』
『その中に雛も入ってる?』
(もちのろんだよ!)
『わーい!』
『なんだよ! 結局あんたらも照れるんじゃない! 私ばっかおちょくってたくせに!』
『澪ちゃんは反応が可愛いから、からかっちゃうんだと思います』
『は!? 全然きにしてませんし!? 嬉しくも全然ありませんけど!? それ、あなたの意見ですよね!?』
(こらこら、出てきてはいけない人のネタが出てるよ)
脳内が賑やかになったところで、生徒会長が僕の側まで近付いてきていた。
「えっ?」
そしてそのまま跪いた。
いきなりのことに、思考がフリーズ。
え? 招待バレた? 理事長経由? 関係者? 神聖国出身? 協力者? 信者?
脳裏に複数の単語が浮かび、どういうことか尋ねようとしたら。
「……違った?」
その前に立ち上がり、裾を払い何事も無かったように、手を差し出した。
「生徒会長のセーラよ。よろしく」
「あ……よ、よろしくお願いします!」
「さあ、席に着いて。紅茶を淹れるわ」
本当にさっきの奇行は無かったような振る舞いだ。僕自身も幻覚に感じ始めてきた。
『とんだ女狐ね』
(ど、どういうことだってばよ!?)
『雛も知りたい!』
『マナちゃん。あれだよね? 確かめたんだよね?』
『ええ。流石ね澪』
(二人だけでわかったように話すのやめてぇ)
本当に僕から生まれたの? 僕にはさっぱり分からないんだけど?
『それより、ライア』
『はい。なんでしょう?』
『旦那様の身体に憑依して』
『え? よろしいのですか?』
『時間が無いの。予想通りなら……旦那様もそれでいいわね?』
(えぅ? わ、わかったよぉ……)
わけも分からぬまま、ライアに身体の主導権を渡す。光の精霊であるライアにしか出来ない芸当だ。
「あ、どころで、チバ茶葉とミロウ茶葉、ウルル茶葉にメイヴ茶葉、あと……エル茶葉」
(エル茶葉で!!)
『こうなると予測出来たからライアに任せたのよ』
『なる〜』
「はさすがに無いから四つの中から選んで」
「えっ……と。それじゃあオススメで、お願いします」
完璧だった。
ライアの僕のフリは、僕自身見ても、僕本人にしか見え
『僕っていつもこんなにビクビクしてたの!?』
『こんなものじゃない』
『いつものレイン君だね』
『お兄ちゃん? 今更何を言ってるの?』
だって、目がキョロキョロしてるし、両手を合わせて忙しなく動かしてるし、ケモ耳と尻尾のやつなんかパイプレーションでも起きてるのかってぐらい揺れてますけど?
『神子モードじゃない時かつ初対面の人が相手だと、小動物みたいになっているわ』
『こういう人がネットとかで悪口を言いまくってるんだよね〜』
(風評被害ひどい!)
そもそもネットで書き込みなんかしたことないし!
『そもそも分かった? あなたを引っ込めた理由』
(えっ……と。身バレの危機?)
『半分正解。正解はね、神子とはバレてないけど、やんなき身分だと疑われてるのよ』
(だから跪いて反応を見てたんだ。でも交代したのはその後だよね? 問題でも?)
『今言われた茶葉。共通してるのは?』
(全部高級茶葉だよね? しかも希少な)
四つの茶葉は全てエル茶葉ほどではないけど、特定の地域でのみ栽培されている厳選茶葉だ。
エル茶葉は本当に希少で、神聖国でも毎日僕が一杯飲む量を確保するのがやっとだ。ここにあったら仰天しちゃうよ。
『それで質問。一般人の平民のあなたがこれらの茶葉を知っている理由は』
(あ……そういうことかぁ)
『そう。あなたのまま対応してたら、貴族でもなければ飲む機会がない高級茶葉の銘柄なんて知らないのよ。この女狐は茶葉を銘柄を言ってあなたの反応で、あなたの正体を突き止めようとしていたわけね』
(こわっ! すんごくこわっ!)
まさかさり気ないやり取りにそんな罠が潜んでいたとは。
「オススメはこちらよ」
「それはどの茶葉なんですか?」
「セーラ茶葉よ」
「え!? さっきの中から選んだんじゃないんですか!?」
(何その茶葉! 知らないよ。僕が知らないよ! 飲みたいぞ!?)
『落ち着きなさい』
『もちつきなさい』
『ビークール』
三人から総ツッコミをされて大人しくする。
「うふふ。私が今、力を入れている商品よ。神聖国の神子様が無類の紅茶好きだと言うから、各国各貴族各商人が茶葉の開発に注力しているの。私もその波に乗ったというところね。これはその試作品。まだ味にムラがあるし、安定した量は供給できないけど、いずれ神子様に献上して私の評価を上げるのよ」
「神子様とお近付きになりたいのですか?」
ん? ライア? その質問は僕らしくないんじゃない?
「ええ。何せ神子様は世界でもっとも価値のある存在だもの」
「存在価値ですか?」
「だってそうでしょう? 数世紀にだった一人よ? 神子が生まれた……それだけで神聖国に喧嘩を売ろうとする国なんて無くなるのよ? 鎖国している帝国ですらね。それに、神子の趣味趣向により経済はまるっきり変わるの。神子様が紅茶を好むならと畑違いでもその手の事業に手をつける者は後を絶たないわ。かの御方が好きと言ったものはどんなものも流行し、かの御方が嫌いと言った物は淘汰される……まさに世界の中心だわ」
「それがあなたの神子様にお近付きになりたい理由ですか?」
あれ? ライアだけでなく、マナたちも何処か冷たい表情を浮かべる。
ライアさん!? 忘れない? 僕そんな冷めた表情浮かべたことないよ!?
「というのは建前よ」
「……建前?」
さっきまで興奮していたとは思えないような寂しそうな笑みを浮かべる。
「聞いてみたいのよ。この世界の中心になれて……幸せですかって」
「聞いてどうするんですか?」
「私はこれでも貴族の娘よ。最初から恵まれたし、花よ蝶よと愛でられながら何不自由なく生きてきたわ。だからその対価としてこの人生を貴族の娘として捧げる覚悟は出来ているわ。でも、違うじゃない。神子様は」
「どう……違うのですか?」
え? 何このシリアスな空気。
生徒会長? なぜ急にこんな話を?
「望んで神子になったの? 望まれて神子になったの? 同じようで全然違うわ。自分の何気ない行動が全て何かしらの影響を生み出す……ゾッとするわ。だった一言で国家バランスすら崩れる……目眩がするわ。私が思うにね。この世界でもっとも不自由な存在は神子様だと思うの。自分で神子に望んでなったなら覚悟が出来ているでしょう? でも、望まれてなったのなら……それはもはや生き地獄よ。だから会って聞きたいの。幸せですかって」
「幸せではないと言われたら?」
「その時は神子様を連れて逃げようかしら?」
「あらまあ」
ライアさん!? 口調が変わってますよ!
あと生徒会長! あなたと接点ないのに、どんだけ犠牲にするつもりですか!
あと安心して欲しい。びっくりするぐらいほのぼのライフ過ごしてますから。
「どうして僕にそのような話を?」
そう! それだよぉ! それが聞きたかったの!
「真反対かもしれないと思ったからよ」
「……神子様とですか?」
「ええ。才能を与えられて望まれてなった神子と、才能をあたえられなくても望んで魔法使いになった獣人」
「なんだか無理やりな気がします」
「そうかも。でも不思議とあなたを見ると神子様のことを思い出すのよ」
「神子様の御姿を拝見したことは?」
ドクン。
この返答次第でこの先の僕の学園生活が変わる。
生徒会長は首を横に振る。
外国人風のYESじゃないよね!?
「残念ながら個人の解釈や後光が刺しまくった肖像画しか見たことないわ。聞けばどこまでも透き通った肌と穢れひとつない純白の髪を靡かせる幼き天使のような御姿だとか」
「ぶふっ」
『ぷっあは、あはははっ!』
『う……うふふ……うふふふふ』
『ぎゃははははけほっ! けほっ!』
そんなに笑うこと? あと、澪さんや慣れない笑い方してむせとるやないか。
悪かったね! 本当はただのチキン野郎で!
もうしばらくみんなと口を利いてやらん!
「そ、それで本題についてなんですが」
何とか腹筋で笑いを堪えたライアがようやく当初の目的を尋ねる。
「あ、忘れてたわ。ごめんなさいね。もうすぐ詳しい人が来るから」
コンコン。
「どうぞ」
「ちわーっす。ブンブン新聞のお時間ですよー」
「いらっしゃいブンブン。紹介するわ。彼女は私と同じ三年のブンブンよ」
「こんちわーす。自分、ブンブンといいまーっす」
……え? 人の名前!? てっきり新聞名だと思った。
「あ。変な名前だと思ったっしょ」
「え? あ、いえっそのような事は」
「隠さなくてもいいーっす。自分ても変だと思ってるっすから」
チャップを被った緑色のショートカットで丸メガネという属性の盛り込み具合だ。
「今の親に拾われたんすけど、字が少ししか読めなくて、同梱してあった紙に書いてあった名前を間違えて覚えたみたいっす。書いてあった名前はフレデリカと言うらしいっすよ」
いきなりの情報量にフリーズしてしまう。
「それじゃあ、なぜ、フレデリカの方をお使いにならないのですか?」
ライアが至極真っ当なことを言う。
僕ならそっちの方が断然いいけど。
「は? なんで自分を捨てた親の付けた名前なんか名乗らなちゃいけないんすか?」
いきなりの真顔に見ているだけの僕ですらビクッとしてしまう圧力があった。
「捨てた親が寄越した大層な名前よりも、学がない。金もない。でも人一倍愛して育ててくれた親のくれた名前のほうが一千倍の価値があるっすよ」
ウルッ。僕だけでなく、マナたちも涙を抑えるように指で瞼を抑える。
なんて……なんてええ子なんだ。
「ぐすっ……きっと今の御両親はブンブン先輩を誇りに思うと思います」
「ちょ、照れくさいんでそう言わんでくんさい!」
「私が彼女を好きな理由の九割がこのいい子っぷりなのよ!」
「ちょこら! セーラてめぇ! どさくさに何言ってんすか!」
「いやーん! 犯されるぅ〜♪」
「楽しそうに逃げ回るなこらぁ!」
さっきまで大人びいていた生徒会長とは裏腹に、今の会長は年相応の女の子に感じた。
『お二人は……親友なんですね』
ライアがボソリと呟いた。
そうだね。うん。
僕もマナたちやスーたちと一緒にいる時は、自分が想像以上に幼くなったような感覚になる。
(きっと気心の知れた無二の親友なんだろうね)
しばらくは会長とブンブン先輩のイチャイチャを眺めることになった。
「こほん。そういえば紅茶を出すのがまだだったわね」
「早く淹れるっすよ。自分、もう喉がカラカラっすよ」
「はいはい。……これがセーラ茶葉で淹れた紅茶よ」
「自分の茶葉を出すなんて、どこまでがめついんすか」
「文句は飲んでからになさい」
「頂きます」
精霊の箱庭にも紅茶が注がれたコップが現れる。
ライアが飲んだ瞬間から、その味はこの世界に記録され、好きな時に飲むことが出来る。
僕はコップを傾け、匂いを楽しみながら一口飲む。
(これは……! 大抵の高級茶葉というのは香りが強く後味スッキリなものが大半を占めているのに対して、香り控えめで後味が非常に残っているよ! ミルクティーにしたら一体どれほど濃い味になるか! 未来が凄く楽しみで仕方ないよ!!)
「凄く美味しいです!」
僕の感想は無慈悲にライアの一言にまとめられた。
「気に入ってくれたならよか……ブンちゃん! 水じゃないのよ!? もっと味わって飲みなさいよ!」
「葉っぱが入った水じゃないっすか」
「それを人は紅茶と名付けたの! 私の要求に応えて作ってくれた人達に失礼よ!」
「あー感謝感謝っすよー」
「んもうっいい加減なんだから!」
ブンブン先輩は随分ズボラな性格のようで、今は逆に会長が翻弄されている。でも、少し楽しそうだ。妹の面倒を見る姉みたいに感じた。
「一息ついたところでブンブン」
「ブンちゃんでも良いんですよ?」
「忘れて」
とっさに普段の呼び方が出たらしい。
「今回クロエ君……って呼んでも?」
「全然いいですよ!」
「あざーす。クロエ君が呼ばれたの、シンプルに戦闘能力っすね」
「僕に何をさせるつもりです?」
戦闘能力が必要とか、面倒事に違いない。
「事件の発端は先月の初めっす。図書館で本を探していた男子生徒が、同級生の男子生徒が倒れてたの目撃したっす。貧血かなんかだろうと保健室に運んで終わり。そのはずが翌日、さらに翌々日、同じように図書館で倒れている生徒が見つかったっす。保健室の先生はみんな共通して、怪我ひとつもない健康体で貧血の兆候もないと発言してるっす。じゃあ何が起きたのか? 情報屋ブンブンが本人たちに事情を聞きに行ったっす」
情報屋だったんだ。
「兼生徒会の書記よ」
「それは押し付けられたっす」
「でも引き受けてくれたわ」
「む……」
会長は目を細め微笑み、ブンブン先輩は頬を赤く染めてそっぽを向いてしまう。
「続き話さないの?」
「ごほん……。被害者全員にお話をお伺いしたところ、皆共通して気が付けば、図書室の奥に辿り着いて道が分からなくなって、彷徨っていたら突如怪物が現れて、襲いかかってくると。魔法で対抗しようにも魔法が何故か使えず、対抗する手段は傍にいつの間にか、転がっている剣一本だけ。怪物の姿は千差万別で二本足の人型もいれば4本足の獣いるっすが、共通して黒く塗りつぶされたような影
であることっす」
「魔法が使えないという部分で僕の出番なんですね」
「察しがいいわね。そうよ。どう考えても設置型の結界だもの」
「入場条件は一人であること。脱出条件は剣を用いての影の撃退。結界内では魔法の行使は禁止及び敗北時は肉体の状態を入場時に巻き戻して結界外に排出といったところっすね」
「もたらした結果から考えるに、複数の属性魔法を用いた混合魔法で消費魔力は生半可の量ではないですよね?」
「だからこその図書館かもしれないわ。個人で補えないから図書館に数多貯蔵されている魔導書の魔力を結界の発動と維持に当ててると考えられるわ」
発動と維持か……なら、魔導書の位置を魔法陣の要点に配置して、結界の規模を図書館全域に展開出来るようにしているのかもしれない。だとすれば。
「魔導書の位置をズラせば結界は解除されるかも知れません」
「言いたいことは理解したけれど、検証済みよ。念の為に生徒会メンバーをグループ事に図書館に向かわせて要となる魔導書をズラすか図書館から持ち出そうとしたけど、一定時間経つと、必ず納められた位置に戻っちゃうのよ。図書館から持ち出そうとすると、扉をくぐるタイミングで戻るわ」
「正規の手段でしか解除出来ない結界ですか……準備するのに一体何年かかるやら」
どう考えても人間の仕業ではない。図書館という言葉通り、その広さはこのマンモス校の本校舎にすら及ぶ広さだ。世界でも有数の魔導図書館で、その質は我が神聖国の神聖図書館にも及ぶ。
僕がこの学園に入学してから一度も足を運ばなかったのも、神聖国で神聖図書館に足を運んだし、三大聖者や上位の神職に就いた神官でしか入ることが出来ない禁書保管室がある上位神聖図書室に通ってたこともあって、もう本はあなかいっぱいだったからだ。聖室に関しては三大聖者しか入室出来ないし。既に知識は十分身に付けたと思っていたけど、今回の件で少し興味が湧いてきた。
「今回の件で最も可能性が高いのは精霊だと思うわ。部外者だとそもそも賢者様の結界を通れないし、先生方も図書館に通い詰めるような方はいらっしゃらなかったわ。生徒に関しては三年しか在籍できないし時間が足りないわ。どこにでも居て姿を見られる人が限られる精霊なら全ての条件を達成できるわ」
「無属性の天才でもあるクロエ君なら、何年で設置出来るすか?」
「え? そうですね……」
『ご主人様。どう答えましょう?』
ライアが言葉を濁すのも仕方ない。彼女の専門分野は光魔法であり無属性でないし。
(そうだね……僕一人なら。まだ直接見てないからハッキリは分からないけど……まず規模を設定……これは図書館の大きさを隅々まで把握する必要がある。あの大きさからして一ヶ月はかかるか。次に触媒に使われている魔導書の魔石の属性と質……そして量を把握してそれを魔導陣の要所に配置するのに……一年? いや二年か? ……人間の尊厳を守れるぐらいの生活をしながらなら五年は掛かるよね? 次に魔法陣を気付かれないように描くのには魔力を極限まで薄めて、途切れないように刻む……いや、違う。そうか! 僕は大きな魔法陣を一つ作る想定だったけど、違うんだ。小さな魔法陣を複数作って、最終的に一つの魔法陣として発動させているのか! それなら何年短縮出来る? ……人を閉じ込める結界に三ヶ月……魔物モドキの影を生み出す魔法陣を一ヶ月……起きたことをなかったことにする魔法陣は……なんだ? 回復魔法と氷魔法と闇魔法と……ダメだ。それに関しては僕の“ズル“を使わないと発動出来ない。それこそ伝説に出てくる時魔法と空間魔法でもないと……までよ? それなら仮想ならば? 被害者はみんな気が付けばと言っていたんだ! つまり、始まり……結界内に足を踏み込んだ自覚がない。仮にも魔導学園の生徒が一人も感知出来ないのはおかしいのかもしれない。それに肉体になんの影響も及ばさないのは何も起きてないのでは無いのか? 全て精神世界で起きたことではないのか? そう仮定すると……今回用いられた魔法陣は、結界を維持するものが一つ。精神世界に干渉する闇魔法が一つ。闇魔法の効果を条件に当てはまった人物に付与させる範囲付与結界が一つ。計三つの魔法陣が一つの大掛かりな結界魔法として作用しているように感じさせてるいるんだ! すごいよ! こんなの思いついてもやりっこない!)
僕が感動に浸っていると控えめにライアが尋ねてきた。
『あ、あの〜ご主人様? 盛り上がっているところ申し訳ございませんが……そろそろご返事をしないと、私が考える人のポーズを取り続ける変人になってしまいますぅ……』
(あ! ご、ごめん!)
『ライア。この魔法狂いの代わりに計算して無難な答えを用意しておいたわ。答えは十年よ』
『わあ! ありがとうございますマナちゃん!』
「十年……というところでしょうか?」
「そんなに早くできるっすか!?」
「さすがね……私でも半世紀は掛かる見込みなのに」
『あれぇ!? マナちゃん!?』
予想外な驚かれ方にライアから悲鳴が上がる。
僕の横に座っているマナを見れば突っ伏していた。覗く耳や横顔は真っ赤に染まっていた。
『えっとなんだっけ? 無難な答えだっけ?』
『マナちゃん顔が真っ赤だね!』
『うるさぁ〜い……まさかこれでも規格外だと誰が思う? 私達が本気出せば五分できるような代物よ? ……そうよぉ。そもそもぉ人間のレベルがぁ低くすぎぃるのよぉ〜』
初めて見た。マナの駄々っ子モード。
思わず抱きしめたくなるような愛らしさなんだけど!?
『ちょっと〜抱きつかないでよぉ〜あなたたちぃ』
『はいはい。大丈夫大丈夫だからね〜』
『誰にでも失敗はあるもんだよ〜ね? 元気だそ? マナちゃん』
(スンスン……マナって凄く安らぐ匂いがする)
『人の匂いを吸うな!』
『うぅ……私も参加したいですぅ』
(そういえばマナは精神干渉で計算したの?)
『いいえ。普通に一つの大掛かりな結界魔法だと仮定しで計算したわ』
(……)
人が無理だから精神干渉した精神世界の出来事だと仮定している横で、ナチュラルに無理な方を五分で展開出来るとか言わないでよ……。これだから天才は。
『でも現実的に考えれば旦那様の仮説の方が遥かに高いわよね。精霊は基本的に一つの概念から生まれるわ。でも今回の魔法は他属性の魔力を魔導書で代替してもさすがに、組み立てるのには難解過ぎるわ。……旦那様の方式で展開させようとすれば、最低でも上位精霊級の頭脳はないと無理よ』
上位精霊級ということは、水の上位精霊であるディオ様クラスか。あの方クラスだと、魔法ではなく概念、事象として属性を行使していたからね。
『この回りくどいやり方からして、属性を冠する精霊ではないわね』
(考えられるとしたら?)
『戦いを好む戦の精霊。勇気を好む勇気の精霊。精神を操る精神の精霊』
やっぱりそこら辺か。
精霊は日本の八百万の神に似ている。万物に神が宿るように、この世界では色んな物、出来事、感情から精霊が生まれる。だけどどれも、上位精霊になることが叶わないレベルで留まる。それほどまでに上位精霊というのは広く知れ渡った何かしらの概念なのだ。
『もしくは剣の精霊の仕業かもしれないわね』
マナが最後に零した可能性に僕は、妙に頭に残った。