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千歳狐の誠と狐草紙  作者: つゆのあめ/梅野歩
第一ノ巻:化け狐と誠
1/1

序.はじまりの手跡




「もうすぐっ、もうすぐっ……あと少しで家だ」


 夏虫が寝静まった田畑の夜道。まことは死に物狂いで走っていた。


 すでに息は切れ切れで、空気を入れる度にぎしぎしと肺が痛む。

 動かす足は今にもりそうで、振り子のように前後へ振る腕は痺れ始めていた。季節が真夏ということもあって、こめかみを伝う汗は玉のよう。体中の水っ気がなくなりそうな勢いだ。

 それでも。誠は足が止められずにいる。


 ざっ、ざっ、ざっ。

 ざっ、ざっ、ざっ。


 背後から土草を荒々しく踏み分ける音が聞こえた。その音は近くもなく、遠くもない。 しかしながら、確実に誠の背中を追って来る。おかげで恐怖心が増した。誠がいま死に物狂いで逃げている理由は、追って来るその音にあったのだから。


――ようやっと見つけた。千歳狐ちとせぎつね


 ああ。ほら、追い風に乗って。


――ずっと、ずっと、探していた。


 妙ちきりんな声が聞こえてくる。


――千歳狐、ああ、選ばれし千歳狐。我らののろいを解き放つ者。


(千歳狐ってなんだよ。狐って何なんだよ!)


 ひえっ。誠の口から間の抜けた悲鳴がもれる。誰かが前後に動かしている腕を、ぐいっと力強く引いてきたのである。


 急いで振り払うも、まだ誠を引き留めようと手が追ってきた。

 それは妙に毛深く太い爪を持っていたが、誠は逃げることに必死であった。爪が引っ掛かり、制服のシャツが破れる音がしても、腕の皮膚が裂けても、まったく気を留めなかった。


 軽いもみ合いの末、どうにか手から逃れることに成功した誠は一目散に夜道を辿って行く。足が縺れ、何度も転んだような気もするが記憶は定かではない。


 逃げて、逃げて、逃げて、なだれるように平屋の我が家へと駆け込んだ。


「坊ちゃん。誠坊ちゃん。引き戸は静かに閉めなさい。何度、同じことを言わせるんです?」


 やかましい物音が家内に響いたのだろう。

 奥の部屋から「まったく。今年で十六とは思えない」と、嫌味ったらしいお小言が飛んでくる。いつもは腹を立ててしまうお小言だが、今日はやけに心地良い。無事、家に帰って来たのだと信じさせてくれる。


「坊ちゃん? いつまで玄関にいるんです? はやく部屋に上がってきなさい。夕飯が片付けられ……坊ちゃんっ、誠坊ちゃんっ!」


 家の者が血相を変えて駆け寄ってくる。無理もない。引き戸に凭れて座り込む誠の衣服は所々引き裂かれ、利き腕からはポタポタと血が滴っているのだから。


「なっ、何が遭ったのですか。ああっ、こんなに血が出て」


 顔を真っ青にして止血を始める彼、節仁せつひとをのろのろと見つめて誠は尋ねた。


「節仁。おれって人間だよな?」


「何をばかなことを」


 今はふざけたことを言っている場合ではない、と叱ってくる節仁に心から安堵した。そうだ、そうなのだ。これはふざけた問い掛けなのだ。彼が叱って当たり前なのだ。


 だから――自分を千歳狐ちとせぎつねとか、なんとか言って追い回してきた、あれがおかしい。そうだ、そうに違いない。


「おれは人間なのに、なんできつね、だなんて」


 ぐらり。視える世界がまわり、まわって、体が崩れてしまう。

 間一髪のところで、節仁の細腕に受け止めてもらうものの、彼はたいそう慌てふためいていた。幾度も、誠の名前を呼び、気をしっかり持つよう体を揺すってくる。すぐにでも答えてやりたいが、ああ、申し訳ないことに意識が遠のいていく。


 ぐったりと目を瞑る誠の破れたシャツには、たくさんの跡がついていた。それはもみ合った時についたであろう跡。砂土で汚れた獣の足跡であった。



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