後編
「璃浦! 璃浦……!!」
「落ち着いて、かおるん」
私は昼下がりの病室にいた。香凛も一緒に、ベッドに伏せる璃浦を見つめていた。
「だって……」
「足をちょっと引っかかれただけだって、お医者さんも言ってたでしょ。どれだけ入院が長引いても三日だって」
璃浦を襲った妖獣を、私は討伐できなかった。結局直前になって草壁先輩がその存在に気づいてくれて、璃浦が大ケガをする前に妖獣は息絶えた。
「そうだ、遼賀。あのスピードで接近されては、空からは追いつきようがない。璃浦君も最小限のケガで済んだし、気に負う必要はないさ」
私のもう片方隣にいた草壁先輩がそう声をかけてくれた。しかしそれでも、私の気分は晴れなかった。璃浦が目を覚ましても、それは変わらなかった。
「姉ちゃん……」
「……ごめん、私のせいで」
「姉ちゃんは悪くないよ」
何度香凛や草壁先輩に気にするなと言われても、私は璃浦にそう声をかけずにはいられなかった。足を怪我しているので起き上がれないらしく、璃浦は寝転んだまま少し私に笑いかけてみせた。
「あの時はオレなりに考えてた。妖獣が退妖獣使と出くわした時にとりやすい行動を考えて、一番効率のいい方法をとったんだ。けど、効率をよくすることに集中しすぎて、別の方角から敵が来てることに気づけなかった。あれはオレのミスなんだ、もう少し周りに気を配れてたら……」
「……初めてなんだから、あまり周りを気にしすぎてもかえって逆効果になるかもしれない。璃浦が目の前に集中しすぎて周りの確認がおろそかになることを、もっとちゃんと考えとくべきだった」
私たちはお互いに、自分を責めるようなことを言った。そんなところにまで姉弟らしさが出ていた。
「ま、今回で痛い思いは十分したでしょ。幸いすぐ退院できそうなケガだったし、次に生かせばいいんだから」
結局私と璃浦が話すだけでは解決せず、香凛がそう口出しすることによって面会は終わった。用事があるから、と先に帰ってしまった草壁先輩の後を追うように、私と香凛は病院を後にした。
「……大丈夫かな」
「何が?」
気づけば隣を歩いていた香凛に、私はそう漏らしていた。結局私にとって一番相談しやすいのは、一番の親友で恋人でもある香凛なのだ。
「璃浦の話。確かに退妖獣使って危ない仕事で、気を抜いたら死ぬことだって全然あるけど、私は退妖獣使の仕事を辛いと思ったことはない。三年前大ケガした時も辛いとか、やめたいとか思わなかったから、たぶんないんだと思うの」
「……でもあきらくんは今回のケガで心が折れて、やめちゃうんじゃないか。そう言いたいの?」
「……よく分かってる」
香凛は自分の将来のことをあまり真剣に考えないくせに、時々人の言いたいことを的確に当ててくる。他人の気持ちを推し量ることに関しては、得意なのかもしれない。
しかし香凛は私の言いたいことを分かった上で、違うよ、と言った。
「あきらくんも今回のことで、理論だけじゃ妖獣相手に有利には戦えないってことは、分かったと思う。けどそれは退妖獣使の仕事を諦める理由にはならない。かおるんがあれだけ死にかけてもなお、往生際悪く仕事を続けてるようにね」
「往生際悪いって。もうちょっと言い方あるでしょ」
「遼賀家の血にはきっと、遺伝子レベルで人間に悪さをする妖獣を滅ぼす使命が刻み込まれてる。かおるんやあきらくんには刻み込まれ始めてるだろうし、これから先も遼賀家は、ずっとその宿命を背負ってくんじゃないかな」
確かに私たちの家は、最初に退妖獣使の仕事を確立し、先導したという誇りが忘れられない限り、これからもずっと退妖獣使の仕事を続けていくだろう。
璃浦がこの先退妖獣使をやろうとやらまいと、退妖獣使という役割が消えることはない。けれど、それで遼賀家の存在意義は消えやしないか。あるいは、璃浦自身がどう思うのか。
「……遼賀家の血の誇り、か」
「あきらくんも、それは分かってるはずだからね」
人の気持ちを推し量ることに関して、私はまだ香凛には及ばないらしかった。
* * *
「心配したぞ、璃浦。ケガが治って、本当によかった」
「過保護すぎるって、お父さん。ちょっと足ひっかかれたくらいなのに」
「それでも怖かったろ。何せ初仕事でケガしたんだからな」
数日後、璃浦は無事退院した。私が香凛の影響であまり心配していなさそうなのを見て、お父さんが過度に璃浦を気遣っていた。そして案の定、璃浦は少し疎ましそうな顔をしていた。
「心配要らないって。もうピンピンしてるし、次は同じミス、しないから」
なあ姉ちゃん、と璃浦は私の方を見てきた。私は一瞬返事に迷ったが、すぐにうなずいて返した。
まるで学校から帰ってきただけかのように、じゃ、とだけ言って璃浦が二階の自分の部屋に行ってしまったので、私は慌てて璃浦の後を追いかけた。
「お、姉ちゃん。どしたの」
「……いや、別に。なんだか、璃浦が妙に元気すぎる気がして。空元気、みたいな」
「オレはむしろ、姉ちゃんの方こそ元気ない気がするんだけど」
「え?」
「あれだろ、今回のことで嫌気がさして、オレが退妖獣使なんてやめてやる、って言うんじゃないか。そう思ってただろ」
「……!」
その通りだった。それが心配のタネでもあった。
「やっぱりな。姉ちゃんのことだし、なんかそういう相談、香凛さんにして話聞いたんじゃないかと思って」
「的確に当ててくるじゃん」
「すげえ。オレ姉ちゃんの予言者になれるかも。今から姉ちゃんは香凛さんとイチャイチャしに行くでしょう、とか」
「ならんでよろしい」
「冗談冗談」
璃浦はひとしきりくつくつと笑った後、「でも、」と話を続けた。
「オレはやめないよ。残念だけどオレも姉ちゃんと同じで、諦めが悪いから。あれくらいで心折れたりはしない」
「諦めが悪いって言い方やめて」
「諦め悪いじゃん。三年前。あれだけケガしといてまだ退妖獣使やめないなんて、妖獣たちもさすがにしぶといと思ったよ、たぶん」
「……まあ、それは認めるけど」
ま、正直甘くはない仕事だな、って再認識するいい機会にはなったかも、と璃浦はぼやくように言った。
「あの時別に油断はしてなかったけど、それでも危ない仕事なんだってこと、相応の覚悟を持ってやらないといけないってことがよく分かった。オレは続けるよ。退妖獣使の仕事」
それに、もう少しやってみないと分からないこともあるだろうし。
璃浦が付け加えてそう言う頃には、私の顔は笑みでくしゃっとなっていた。
* * *
「お、あきらくん。続ける気になったんだ」
「オレは最初から続ける気でしたよ。姉ちゃんが辞めるんじゃないかって勝手に心配してただけで」
「だってさ、かおるん。あきらくん、過保護だって言ってるよ」
「うるさい。普通の人だったら十分心折れる案件かもしれないでしょ?」
数日後。私は香凛、璃浦の二人と一緒に、夜の暗さに沈んだ住宅街を歩いていた。もう数分も歩けば、市境になっている少し低めの山と、そこに突き通されたトンネルが姿を現す。その近辺こそ、妖獣による被害報告が頻繁に上がっている場所だった。
「……来るよ」
しかし目的地にたどり着く一足前に、香凛の発する声が緊張を帯びたものに変わった。
「あきらくんのいる方から。今度は気を付けてよ」
「分かってるって」
並んで歩く私と璃浦の換装が同時に始まり、まとった白い煙が体から離れる頃には、ともに白装束となっていた。同時に香凛は翼へと姿を変えて、私の背中に潜り込んだ。
「行くよ、璃浦」
「いつでも!」
それぞれお揃いの短刀を手に、私たちは目標に向かって走り出した。