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どうどうものがたり

作者: tea(緑茶)

童童物語

 むかしむかし、日ノ本の国のあるところに仲睦まじい三人の家族がおったそうな。

 

 心優しい父は一日中畑を耕し、穏やかな母はとれた野菜を町へ売りに行っていた。

 一人娘の(たえ)は、毎日野山を駆け回る体の丈夫さと朗らかな素直さが取り柄の女の子だった。

 

 妙が(とお)になる頃、父が病に伏した。一家が住む地域では体の具合を悪くする人が多かったが、とうとうこの家族にも及んできてしまった。

 母が父の代わりに農作業をし、妙は物売りをするようになった。


「いい薬ねえかな?」


 いつも野菜を買ってくれる町医者に妙はたずねた。


「どんな病かもわからんからなあ」

「じぁあ、今度みにきてくれねえか?」


 町医者は馴染みだという理由で父をみにきてくれると言う。

 妙は、これでおとうも元どおりだと喜んだ。


 町医者がみにきた日はひどい雨が降っていた。こういう天気の悪い日は父の具合がいっそう悪くなる。

 天井からポタポタと雨が漏っているなか、布団の中でうなされている父の診療がおこなわれた。

 しかし町医者は首をひねるばかりで、病がなんなのかわからないと言う。

 てっきり父が元気になると思いこんでいた妙は町医者につめよった。それを母がなだめる。

 町医者が言うには、体に悪いところはないらしい。それを聞いて、妙は声を荒げて問いつめた。


「だったらなんだってんだ! 見てみろ、おとうは苦しんでるじゃねえか!」

「そう言われてもなぁ。ここのところ原因のわからん病が増えていてなあ」


 そう言うと、町医者は頭をかいた。


「儂にゃあ分からんが、卜山(うらやま)の薬売りなら見当つくんじゃないかなあ」

「うらやまか。どこにあるんだ?」

「ここから南に行った三つ目の山だ。山ん中の小さな小屋で万病にきく薬を作っとるらしい」

「そうか、そん医者に頼めばいいんじゃな!」


 妙は今度こそ! と大きな目を輝かせた。


「ただなあ。薬を作るためにやっかいなもんを必要とするらしいから、無理はすんなよ」


 と、町医者は妙を心配したが、妙にはそんな言葉は届いていなかった。


 翌日、善は急げということで、妙は家を飛び出した。母が風呂敷に旅の道具を包んでくれ、すこしばかりのお金も渡してくれた。

 妙は飛ぶように山を駆け抜け、二日かけて卜山にたどり着いた。大人でも普通に三日はかかる距離だったが、父を元気にしたいという妙の気持ちが足取りを早くした。

 

 

 

 妙の目の前に物々しい感じのする山がそびえ立っている。闇に包まれた木々が風にゆらされ、生きているかのようにざわめいている。どこからか獣の遠吠えがした。


(待ってろ、おとう。すぐにいい薬、持って帰るからな)

 

 山の麓には妙の背丈ほどもある草が生い茂っており、妙はそれをかきわけ歩いていく。そのまま獣道すらないような山の斜面に入った。木にしがみつき、地を這いつくばって少しずつ登っていく。元気が取り柄の妙もこれには息も切れ切れだ。だが止まるわけにはいかないのだ。父が待っている。

 

 山の中腹にさしかかったころ、平らになった場所があり、そこにみすぼらしい小屋があった。


「ここか……」


 ここに来るまで三刻ほど登りっぱなしの妙はふらふらとした足取りで小屋の前に立った。


「おおーい、薬売り、おるかー?」


 どんどん、と戸を力強くたたく妙の声はかすれている。


「おーい、たのむ、開けとくれ……」


 体から徐々に力が抜けていき、妙は戸の前でへたりこんで眠りにおちてしまった。





「起きたか?」


 幼子(おさなご)の声がした。食欲をそそられる良い匂いがする。

 六畳の間に敷かれた粗末な布団のうえで目を覚ました妙は、囲炉裏の火にかけられた鍋の中を、木杓でくるくると回しているおかっぱの(わらし)を見た。綺麗な藤色の着物を着ている童からは神秘的な物を感じる。


「薬売りか?」


 見た感じ、男にも女にも思える童は鍋から汁をすくうと、木の椀にうつして妙の枕元においた。


「山でとれたコオロギの汁だ。食え。温まる」

 

 童がもといた場所に正座し、コオロギ汁をうまそうにすすりはじめた。それを見て妙も椀をとる。もしゃもしゃとコオロギをかみしめながら、体に力が戻っていくの感じた。


「それでじゃ」


 と、妙は布団から出て童のそばに腰をおろした。


「おとうの病にきくいい薬を作ってくれ」


 妙の言葉を聞いてか聞かずか、童がずずずー、と汁をすすりあげる。


「聞いておるか? どうしても薬がいるんじゃ! たのむ!」


 なにがなんでも薬を手に入れたい妙は頭を畳にこすりつけた。


「たのむ」

 

 童がことり、と椀をおいて妙に正対する。その感情を感じさせない切れ長の目は何を考えているのか分からない。


「面をあげろ。儂は薬売りではない」


 妙は顔をあげて童を見据えた。


「ここに薬売りがおると聞いてきたんじゃが?」

薬法師(やくほうし)なら、山頂だ」

「やくほうし?」

「麓にある寺の坊主だった男だ。何年か前、ここいらで流行り病があった時、その坊主が薬を作って皆に配ったことから、そう呼ばれている。今は寺を出て、薬作りに励んでいる」

「なんでこんな山ん中で?」

「いい草がとれると言っていたが」

「草をとってどうするんじゃ?」

「それで薬を作る」

「草から薬ができるんか?」

「それは儂にもわからない。そんなことより、ここから山頂まで行くのは無理だ」

「なんでじゃ?」

「ここまで来るよりはるかに険しい道のりだ。お前みたいな子どもが登りきるのは難儀だろう」

「やくほうしは登ったんじゃろ? なら、おらだって登ってみせる」

 

 すくりと立ちあがった妙は小屋を出て、裏からつづく急な坂道を登りはじめた。無理だと言われて、諦められることではない。

 はじめは順調に登っていたが、次第に普通の人間が登れるようには思えないほどの急勾配になっていき、妙の顔が歪む。それでも爪をたて地にしがみつく姿には父を助けるという意思の強さが感じられる。

 

 妙が出ていったあと、童は小屋の裏に(ござ)を敷き、茶をいれた。妙がすぐにあきらめるのを眺めようというのだ。気分は物見遊山というところか。

 半刻ほどたつと、山の上から何かがころころと転がり落ちてきた。妙だ。質素な身なりをしていた妙の服がいっそう無残なものになっている。


「だから言った。無理だと」


 童が茶をすすりながら無表情で言う。


「黙っとれ。必ず登りきってやるからな」


 めげずにまた登りはじめる妙を見て、童はため息をついた。童から見ると、妙はただの馬鹿だとしか思えない。無理なことは無理なのだ。

 

 しばらくすると、妙がまた転がってきた。童は地べたに這いつくばっている妙の頭の上にしゃがみこんだ。


「あきらめろ。これ以上つづけると死ぬ」

「あきらめるくらいなら、死んだ方がましじゃ」

「死んだら、父の病はどうするつもりだ?」


 妙は唇を噛みしめた。そんなことは言われなくても百も承知だ。


「うるさい! 子どものくせに偉そうにすな!」

「お前よりは長生きしているが」


 と、幼子のような童が言う。


「なに戯れ言(ざれごと)いうとる」


 立ち上がろうとするが、膝に力が入らない。どれだけ野山を駆け回っても疲れ知らずの妙だったが、こんな大事なときに体がいうことをきかず、悔しくて涙が出てきた。


「……仕方がない。儂が連れていってやる」


 童の手が妙の頭をつかむと、とたんに二人の姿が消えた。





「たのむ、このとおりじゃ、何でもするから薬を作ってくれ!」

 

 独特の匂いが立ち込める部屋の中、坊主頭のひょろりとした男が鉢の中にある薬草を棒ですりつぶしている。

 妙はもう二刻はこの男に頭を下げつづけていた。


「しつこいな。さっきから言ってるが、その病には薬はきかねえよ」


 ぶっきらぼうな物言いのこの男が薬法師である。僧形をした薬法師の飄々とした感じは、どこか浮世離れしている。


「町医者はあんたなら治せると言うとった。たのむ! 後生じゃ!」


 妙の切羽つまった声が小さな小屋のなかに響く。

 顔をしかめた薬法師は手をとめ、息をはいた。この厄介者はいつになったらあきらめるのだ。


「いいか、ようく聞け。町医者がどこも悪くないって言ったんなら、それは病なんかじゃねえよ」

「おとうは本当に苦しんどるんじゃ。病じゃないんなら、なんだと言うんじゃ!?」

「悪い(むし)だ」


 今まで姿のなかった童が部屋の隅の影からすうっと現れた。


「近頃、日ノ本では悪い蟲が増えている。お前の父もそれに憑かれているはず」

「だそうだ。分かったろ? さあ帰れ帰れ」


 薬法師が妙を追い払うように手をひらひらとさせる。


「むし? 虫がなんじゃ、ワケわからんこと言うな!」


 ため息をつく童。


「お前の知っている虫ではない。物の怪の一種だ」

「物の怪……。そんなん本当におるんか?」

「いる……お前の目の前にいるだろう」


 童が自身をさして言った一言を妙はすぐに飲み込むことができなかった。どう見ても童は人間にしか見えないからだ。


「……その悪い虫はどうすればいいんじゃ?」

(はら)えばいい」

「どうやってじゃ?」

「普通の人間には無理だ。あきらめろ」


 冷たい童の物言いに妙が声を張り上げる。


「絶対にあきらめん!」


 一点の揺らぎもない妙の眼差しに耐えられず童は目を背けた。


「神気を満たした紺碧の水晶玉を持ってこい。俺がどうにかしてやる」


 それまで黙って二人のやり取りを聞いていた薬法師が冷たく突き離した感じで言うと、妙の大きな目がさらに大きく広がった。


「それはどこにあるんじゃ?」

「東に百里。東条寺という寺の坊主が持っている」

「百里……」

「早く行かんと父が死んじまうぞ」


 妙は無言で薬法師の小屋を出ていった。


「どういうつもりだ?」

「どうもこうも、互いに利のあることだ。何でもすると、奴が望んだことだしな」

「殺生な奴だ」

「殺生もなにも、連れてきたお前に責任があるだろう」

「……そう言われても。放っておいたら間違いなく死んでいた」

「本当に人にあまいな。もう人間とは関わりたくないんじゃなかったのか?」

「仕方ない。向こうからやってきた。薬法師と同じだ」


 薬法師の顔に微笑が浮かぶ。


「あんな小便くせえ餓鬼のようなのと一緒にするな」


 薬法師が薬草をすりつぶし始めると、童は部屋の隅の影に溶けこんで消えた。





「行くのか?」

 

 山頂から遠くの方を眺めている妙の背後に童が立っていた。大地はどこまでも広がっている。百里先の東条寺は妙の瞳に写る景色のはるか遠くにある。


「行くに決まってるだろ」


 童は眉をひそめた。百里もの道のりだ。そうやすやすと行けるものではない。


「お前の足で何日かかると思っている?」

「十日かそこらじゃろうか?」

「家に帰るまで一月かかるぞ?」


 妙はくるりと振り返り、童に歩みより手をとった。


「おらの足で行けばじゃ。お主の力ならひとっ飛びじゃろ?」

 

 妙は山の中腹から山頂まで一瞬で来れた童の力を借りる気満々だ。満面の笑みの妙に童はあとずさったが、妙の手が童をしっかりと掴んで離さない。


「何を言っている。力を貸すなどとは言っていない」

「ケチケチするな。はよう連れてけ。ここまで連れてきてくれたじゃろ」

「それとこれとは話が別だ」

「細かいことは気にするな、ほれ、はよう」

「……お前は儂が怖くないのか?」


 童がうつむくと、妙は童の手を放した。


「儂は人間ではない」

 

 童はかつて人と生活を共にしていたこともあったが、やはり理解を超える存在というものは受け入れられないものなのだ。童もそれはよくわかっており、人とは距離をおいた方がいいと考え、卜山に住むようになったのだ。


「それがなんじゃ? おらと大して違わねえだろ?」

 

 おおざっぱな妙からすると、人だとか人じゃないとかは重要なことではない。今すぐ東条寺に行けるなら物の怪の力でさえ利用したかった。


「見た目の話をしているのではない。儂は人にはない特別な力を持っている。そもそも人間から見えるということも稀なのだが」

「まあ、そんなことどうでもいいんじゃ。はよう連れてってくれ。それに見えるんが稀なら、これもなにかの縁じゃろ」


 あくまで自然体の妙に童があきらめたかのように弱々しく手を差し出す。


「連れていくだけだ。他はいっさい力を貸さない」


 ニコリとした妙の温かな手が冷たい童の手を包んだ。


「それだけで十分じゃ」


 

 

 東条寺。物の怪退治の僧がいるこの寺は、日ノ本の国でも知らない者はいないと言われるほど有名だ。もちろん妙はそんなことは知らないが。

 砂利が敷き詰められた境内で三人の坊主が錫杖(しゃくじょう)を遣い相対していた。三者は等しく距離をおき、その間にはピリピリとした空気が張り詰めている。

 そのど真ん中に妙と童が突然現れた。

 坊主たちが咄嗟に身構える。


「東条寺か?」


 妙は隣にいる童にそっと聞いた。


「そうだが、まずい所に出てしまった」


 童が妙の影に溶け込むと、坊主の一人が言った。


「何者だ?」


 もう一人の坊主が言う。


「物の怪に違いない」


 最後の坊主も言う。


「物の怪だな」


 三人が同時に妙に打ちかかる。

 妙はころりんと身軽に転がり、それを巧みに避けた。毎日野山を駆け回っているのも伊達ではない。


「なにすんじゃ! クソ坊主ども!」

 

 坊主たちは無言でじりじりと妙を取り囲む。三人は一糸乱れぬ統率で妙が逃れる隙を作らない。

 追い詰められた妙もさすがに冷や汗が流れるのを止められなかった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ。クソ坊主言うたのは謝る。じゃから話を聞いてくれ」


「物の怪には慈悲も無し」、上段、中段、下段、と完璧な連携で三人が妙に襲いかかると、妙の体から突風が吹き荒れた。風が坊主たちにまとわりつき、その身を縛る。


「物の怪には慈悲も無し、か」


 風神の水彩画が描かれた扇子をはらりと(ひるがえ)し、妙に寄り添う童。


「お主、こんなこともできるんか?」

 

 童は顔色一つ変えていないが、どうやら怒っているようだ。坊主の言葉が気に入らなかったのかもしれない。もう一度扇子を扇ごうとしたのを妙がとめる。


「傷つけてはいかんぞ」

「なぜ? 儂が割って入らなければ、お前は大怪我をしていたところだ」

「それでも人を傷つけていい理由にはならん」

「目には目を歯には歯を、という言葉を知らないのか? 奴等が悪い」

「そんなん知らん! 駄目なものは駄目なんじゃ!」

 

 妙は坊主たちに向き直り、頭を下げた。


「坊主たち。おらは紺碧の水晶玉がほしいだけじゃ。どうか譲ってくれんか?」


 無言で妙を睨みつける坊主たち。物の怪とは話すつもりはないらしい。

「勝手に持ち去ればいい」


 童が酷薄な眼差しで坊主たちを蔑む。


「なに言うとる。そんな盗人みたいな真似できるか。元気になったおとうに顔向けできんようになるじゃろ」


 妙はひざまずいて、額を砂利におもいきり叩きつけた。


「たのむ! おとうの命がかかっとるんじゃ! どうか、どうか!」

 

 何をしているのだ? といった感じで童が妙を見下ろしていると、本堂の奥からヨボヨボとおぼつかない足取りの老僧が出てきた。一見すると弱々しいが、その顔つきには精悍なものがある。

 不意に老僧から気が放たれると、三人の坊主たちを縛っていた風が霧散する。妙はその気に気づかなかったが、童の肌には(あわ)が生じていた。この老僧はただ者ではない。直感が童を身構えさせた。


「まあまあ、待ちなされ」


 童は老僧と目があったのを確かに感じた。見えている。警戒はとけない。

 老僧が妙の前にそっと座ると、懐から深く碧い光沢を放つ石ころを取り出した。


「これかの?」


 妙が頭を上げると、目の前に紺碧の水晶玉があった。それは思っていたよりも小さく、人の目玉ほどの大きさだった。

 これだ! 

 額に血を滲ませた妙の目は、それに釘付けになった。


「じいさま、これを譲ってくれ! おとうの病を治すのにどうしても必要なんじゃ!」


 妙の輝く瞳にやわらかいものを感じた老僧は穏やかに頬を緩ませ、紺碧の水晶玉を妙の手に握らせた。


「いいのか?」

「いいとも。父の為に必要なら持っていきなさい」

「ありがとう。恩に着る。このご恩は絶対に返すからな」

 

 そのやり取りを端で見ていた童は何か裏があるのではないのかと(いぶか)しげな視線を老僧に向けていた。


「童よ、そんなに警戒するでない」


 老僧が童に笑いかける。


「こいつが見えるのか?」

「まあな。お主の友か?」


 妙はう~ん、と首をひねって考えた。


「まあ、そんなところじゃ」

「……儂はお前の友ではない」

 

 童は妙が言ったことに戸惑った。昨日今日会ったばかりの人間に友と呼ばれるのは不思議な感じがするのだ。そもそも人と物の怪が相容れないということは身にしみて分かっている。


「いちいち細かいことを気にする奴じゃ。ここまで力を貸してくれたじゃろ。おらはもう友だと思うとる」

「そんなことで。お前は素直すぎる」

「頭のかたいお主よりはいいじゃろ!」


 二人のやり取りに目尻を下げている老僧に気づいた童はばつが悪くなり、妙の腕を力強く握った。


「行くぞ」

「ちょっと待て。じいさま、本当にありがとう。またな!」


 二人がいなくなると、境内は静寂に包まれた。



 

 

 左目に包帯を巻いた妙が山中で薬草採りに励んでいる。背には大きなかごを背負っており、集められた様々な薬草が雑然と入っている。手には薬法師からもらった手帳があり、薬草の絵と特徴が走り書きしてある。平地ではお目にかかれないものが多く、最初は渋々やっていた妙もあれもかこれもかと、夢中になって集めていた。

 左目が少し疼く。妙は腰にさげた麻の袋から薬法師にもらった丸薬を一粒取り出し飲み込んだ。


 妙が卜山に戻って四日たっている。

 東条寺から戻った妙に薬法師がかけた言葉は、「目玉を一つもらうぞ」だった。

 蟲を祓うのに必要だと言われた妙は躊躇なく左目を差し出した。自分の目玉一つで父の病が治るなら安いものなのだ。

 目玉をくり貫かれた後、東条寺から持ち帰った紺碧の水晶玉を目玉の代わりだと言って、ぬるりと押し込まれた。薬法師はこの為に紺碧の水晶玉を取らせに行かせたのだ。

 

 目玉が要るなら代わりなど無くても妙はそれくらい提供しただろうが、実際の所、蟲祓いに目玉などは必要ない。単に薬の材料として使うだけだ。

 蟲祓いに必要なものは紺碧の水晶玉だった。神気を宿し、この世の目に見えない物を写し出すと言われる紺碧の水晶玉は妙に特別な力を授けるだろう。蟲祓いは自分でやれということだ。

 

 薬草採りを終えた妙が製薬の作業をしている薬法師のそばで大の字になって寝そべっている。


「邪魔な奴だな。どこかへ行け」

「もうそろそろ包帯とってもいいか? いつまでもこんな所にはおれん」

 

 薬法師から七日は様子をみると言われていたが、さすがに妙も我慢出来なくなってきていた。痛みも落ち着いてきているのだ。それ以上に蟲祓いの準備には時間がかかるといって勿体ぶっている薬法師に不満が募りはじめていた。


「本当に準備をしておるんじゃろうな?」


 薬法師は妙が採ってきたかごの中の薬草を無言で選別している。妙のことなどどこ吹く風だ。


「おい、薬法師、聞いておるんか!?」


 妙は起き上がって、床をバンッと勢いよく叩いた。


「落ち着け」


 部屋の隅で団子を食べていた童が言う。


「薬法師よ。そろそろ帰してやったらどうだ?」

「まだ目が馴れてねえだろ」

「もう痛みはなくなっておる」

 

 じっと見つめてくる妙に、薬法師はつるんとした頭を撫で舌打ちをした。本当はもう帰してもよかったが、妙は薬草採りとして使い勝手がよく、もう少し留めておくつもりだったのだ。


「分かったよ。好きにしな」


 その言葉を聞くなり、妙は左目の包帯をくるくると外した。見開かれた左目は澄んだ碧色をしている。


「どうだ、見えるか?」


 そう聞く童の声色は心配しているようでもある。


「見える……見えるが、なんか白いもやもやが飛んでおる」


 妙は目の前で飛んでいる白い何かを掴んだ。温かい。ふわふわと柔らかな触感がする。


「離してやれ。それは人間の魂だ」

「たましい?」

「この山は死んだ人間の魂が天に昇る通り道だ。お前はその目で人には見えぬ物が見えるようになっている」


 ほおお、と感心しながら、周りでふわふわと浮いている魂を目で追う妙。その目はキラキラと輝いている。


「よし、じゃあ行くぞ」

 

 妙は自分が蟲祓いをするとはこれっぽっちも頭の中になく、当然のように薬法師も一緒に行くものだと思っていた。


「あとは上手くやれよ」

「何言うとる? お主も行くんじゃろが」

「俺に蟲祓いの力なんてねえよ」

「準備をしとったじゃろ」

「準備なんてしてねえよ。祓うのはお前自身でやれ。その目があれば、物の怪を見、触れることもできるだろ」


 突然そう言われた妙の目はまん丸だ。


「そうか……おらが祓えばいいんじゃな! わかった!」

 

 妙がもっと戸惑うかと思っていた薬法師は口の端に笑みを漏らした。普通の子どもに蟲祓いをしろと言ったら、恐怖で身を震え上がらせそうなものだ。だが妙は違った。その気持ちの強さに薬法師は感心するような呆れるような気持ちになった。


「餞別ってわけじゃねえが、そいつに家まで送ってもらえ」


 指差された童があきらかに嫌そうな顔をする。


「なぜ儂が……」

「よし、行くぞ」、となんの曇りもない妙。

「これで最後だ。送ってってやれよ」

 

 もう五年ほどの付き合いだろうか、薬法師には童が妙に心を許し始めているようにみえていた。自分にもまだこんなお節介な心があったのかと不思議に思ったが、童がいつまでも頑なに人間を拒絶するのをどうにかしてやりたかった。自分には無理だが屈託のない妙ならうまくやってくれるかもしれないという望みがあるのだ。

 童も薬法師の余計な気遣いがみえて構えてしまいそうになったが、妙の笑顔をみるとついつい気が緩んでしまった。


「覚えていろ、薬法師」


 

 


 妙は自宅の前に立っていた。七日ほどか? これほど長い時間、家を離れたことがなかった妙の目に涙が浮かぶ。まだ十歳の子どもなのだ。父と母が恋しくなってもおかしくはない。

 空はどんよりと分厚い雲に覆われている。昼時だというのに辺りは薄暗い。母はおそらく畑に出ているだろう。

 妙は涙を拭って家に飛び込んだ。


「おとう、今帰ったぞ!」

 

 じっとりとした部屋の中、布団で寝ている父が苦しそうに呻いている。その腹の上に猫の大きさほどの黒い塊がのっていた。(のみ)のようなそれは、口から生えた棘のようなものを父の胸に突き立てて何かを吸いとっていた。

 

 蟲。考える前に妙の体が動いた。居間にかけ上がり、黒い蚤をおもいきり蹴り飛ばす。壁に叩きつけられてピクピクと痙攣している黒い蚤。妙は土間に立て掛けてあった身の丈ほどある(くわ)をとり、上段から勢いをつけて黒い蚤に振りおろした。鍬がめり込んだ黒い蚤が奇怪な鳴き声をあげ動かなくなる。妙がふうっと息を吐くと、天井からゴソゴソと音がした。


「まだ、いる」

 

 戸口に立っていた童が言うと、屋根裏に潜んでいたもう一匹の黒い蚤が屋根を突き破って外に出てきた。

 妙は鍬を肩に担ぎそれを追った。

 威嚇するように鳴く黒い蚤に対した妙の額から汗が流れ落ちる。目の前にいる黒い蚤はさっき仕留めた物の倍の体躯をしていた。小さな体の妙からはとてつもなく大きく見える。

 妙は大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。鍬を頭上で構え、そのまま一直線に黒い蚤に突っ込んでいく。振り下ろされた鍬を余裕で避けた黒い蚤の体当たりが妙を強烈に吹き飛ばした。ごろごろと地面を転がる妙に黒い蚤が飛びかかる。


「世話のかかる奴だ」

 

 もう見ていられなかった童が懐から風神の扇子を出し、黒い蚤に向かって十字に扇いだ。スパッという音と共に黒い蚤の体が綺麗に十字に割ける。ぼとりと地に落ちた体はしばらくすると塵となって消え去った。

「おおーい」と大きく手をふる妙に、童は小さく手をあげ応えた。


 



 それから七日間、童は様子見のために妙の家に留まった。また蟲がやって来ないともかぎらない。ここまできたなら最後まで見届けようというのだ。

 妙は父が心配でずっと側についていたが、「大丈夫だから、遊んでおいで」と言われ、近くの川に来ていた。澄んだ浅瀬をバシャバシャと歩き、素手で鮎を捕まえようと必死になっている。

 童は川辺りに座り、「素手では無理だからあきらめろ」と口に出しかけたが、もう少しだけ見守ろうと思った。妙を見ていると、無理ではないような気がしてくる。

 妙が石で足を滑らし、盛大に転んで水しぶきをあげる。


「ああー、もう無理じゃ!」

「……あきらめるのか?」


 童には妙があきらめるのが意外だった。今まで何に対しても「あきらめない」と言っていたからだ。


「これは無理じゃな。釣竿、持ってくればよかった。そうじゃ! お主が風で舞い上がらせてくれれば上手くいくぞ」

「そんな事はしない」

「じゃろうな」

「なぜ、あきらめる?」

「無理なものは無理じゃろ」


 それは童の考え方だった。それが妙の口から出てきたのが童には信じられなかった。


「今まで何度も『あきらめない』と言っていたお前が言うことか?」

「それは、おとうの為じゃ。こんなどうでもいい事と一緒にするな」

「そういうものか?」


 童が納得いかずに首をひねっていると、妙は襟を正して童に向き合った。


「お主には世話になったな。本当にありがとう」

 

 日の光が照り返す水面に立つ妙の姿が眩しくて、童は目を細めた。そろそろ帰る頃合いだ。長居すると情が移ってしまいそうになる。


「儂はもう帰る」

「晩飯に鮎の一匹ぐらい捕まえたいのじゃが」

「卜山に帰ると言っている」

「もう帰るのか? もうちょい居てもいいじゃろ」


 能天気な妙は、童が卜山に住んでいることなどすっかり忘れて近所の友だちのように接していた。


「儂とお前は住む世界が違う。馴れ合うのはここまでだ」


 冷たく言い放った童を見て、あっけらかんと妙が答える。


「そうは思わんが。おらにも特別な力があるんじゃから」

 

 紺碧に光る妙の左目を見て、確かにそうだ、と童は思った。不意をつかれた気がして思わず口の端を持ち上げてしまう。それに気づいた妙が嬉しそうに言う。


「お主、意外とかわいいんじゃな」


 かわいいなどと初めて言われた童はどぎまぎしてしまった。


「……帰る」

 

 突風が吹いたかと思うと、童の姿はなくなっていた。

 妙は青く晴れ渡った大空に向かって、「またなー」と大声で叫んだ。

今月中にもう一本書きたい、ような気がする。

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