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雪の森と群れの生活 その1 新たな家族




 ――月日が経つのは案外遅いもので、ようやく俺が転生してから今日で五年が過ぎた。


 過酷な日々だった。寒さで死ぬかと思うような日々だった。

 一応上下に毛皮を纏っているが、上着の毛皮は一枚布に穴を二カ所だけ開けてそこに腕を通してチョッキのようにして着ている。

 また、下も同様に二カ所穴が空いている。

 下半身は銭湯でタオルを巻くような巻き方でかなりきつく巻かれる。

 そしてきつく巻いたときに穴がぴったり重なるように背面真ん中に来るようにする。

 そこに尻尾を通してから手を離すと布地は広がろうとするが尻尾がつっかえ棒代わりとなって留まる。多分、獣人しか出来ない着方だな。

 慣れるまでは二枚の布地で尻尾がきゅうきゅう締め付けられてちょっと痛い。

 狼人の尻尾はだらりとぶらさげた脱力状態なら肉の芯はふくらはぎの辺り、毛の先端ならば足首に達する程長い。熊や兎の獣人ならともかく、狼人の尻尾は早々この穴を抜けることはまず無いのでこの着方は割と理に叶っていると言える。

 尻尾についてなんだが、残念なことにただでさえ大きめな尻尾をしている狼獣人の中で俺の尻尾は平均よりも大分長くて大きいらしい。

 具体的には肉の芯が地面すれすれ、おまけに毛量まで多い。

 なので得に意識もしないで歩くと毛先が地面を引きずることになってしまいちょっと困った事態を引き起こす。

 尻尾があるのになれないうちに何度も踏んづけて転んだのだ。もう少し尻尾が長かったら肉の部分を踏んで絶叫していたに違いない。脊髄に直結するからか神経がやたら集中していて尻尾は体の中で一、二を争うほど敏感な部分である。

 足下の余り分が毛先だけに留まって本当に良かったと思う。

 流石に尻尾を野放し状態にするわけに行かないと学習した俺は、最近では転ぶのを避けるため、基本的に尻尾を方足に巻き付けるようにして生活している。

 今の所、腰の毛皮の固定具以外に役立つ要素の見当たらない尻尾だ。

 無ければ困るが、踏んで転ぶような不便するくらいならいらなかったとも思う。

 だからといって丁度いい長さにカットするという考えは余りに恐ろしい。

 結局、俺はこの邪魔くさい尻尾と一生つき合うことになるのだろう。


 衣服についての更なる補足だが、腕は肩口から露出している。腿から下は歩きやすいよう布地が無い。殆ど半袖短パンの状態だと思ってくれていい。

 帯もなければ糸もない。服に加工出来ないからこの身に付け方しかない。

 ほんと、何にも無くて嫌になる世界だ。

 俺が転生した日はあれで夏だったらしい。つまり暖かさのピーク。

 どんどん気温が下がっていき、冬になるとブリザードが荒れ狂うこの世の地獄に豹変した。

 万年雪が降り積もるこの地で俺は必死に生きた。

 赤ん坊で殆ど何も出来なかったけれど、周りの大人達の会話を聞いて必死に言葉を覚える事に専念した。


 俺も五年も生きればある程度俺の所属している集団のことがわかってくる。

 俺が今いるのは野営拠点。森のうろに熾した巨大なたき火の前で体を温めている。

 薪の代わりに雪の重みで倒れた倒木を何本も使っているのでその巨大きさはわかって貰えると思う。やり過ぎと思うかもしれない大きさだが、野外なので熱を閉じ込めて置くわけにも行かずこれくらいの熱源がないと寒いのだ。

 その巨大たき火の周りには狼人達がぐるりと火を囲むように並んで座っている。

 どうやらこの集団は三家族から構成されているらしく、俺は勝手に『群れ』と呼ばせて貰っている。

 俺の家族は俺を含めて五人。全員俺のすぐ側に座っている。

 父親が二本足で歩く真っ黒い狼で名前をヴェリドという。

 俺も最初はびっくりした。

 まさか転生初日にその凶悪な姿を見て泣いたアレが父親だったのかよって。

 最近はその容姿にも慣れた。と、いうか慣れるしか無かった。この過酷な環境で犬嫌いとか言っている場合じゃない。頼らなきゃ死ぬのだ。犬好きとまではいかないけれど、最近は普通に接することが出来るようになった。

 

 そして、その妻であり俺の母親であるのがリーナ。

 俺に授乳をしてくれた中学生くらいにしか見えない小柄なケモミミ少女のことである。

 人間にケモミミ尻尾がついているような容姿だが、父さんと同じ種族になるらしい。

 神の爺さんはビスティアって言ってたっけ。見た目が二種類あるなんて不思議な種族だ。

 母さんの尻尾や髪などの体毛は父さんと対極で総じて白い。 

 

 その息子であるアドルフ。俺の兄弟で一番年上。

 見た目は十歳くらい。全身白い毛に覆われた二本足で歩く狼だ。

 容姿は父さんそっくりだけど、毛の色だけ母さんのが遺伝したんだろうね。

 まだ幼いので子犬に近い印象を受ける。

 ちなみに見た目年齢で勝手に判断しているのは、年齢を数える習慣がないから。

 

 次に俺が転生初日に見かけてケモミミ少年。名前はエミリオ。見た目は七歳くらい。

 見た目は母さんを小さくした感じだが、毛の色が黒い。

 多分、毛の色は父さんの遺伝子を色濃く受け継いだんだと思う。

 実は背丈が俺とあんまり変わらない。発育不良なんだろうか?


 最後に俺。ヴェルクって名前が付けられた。

 中々異世界っぽくて格好いいんじゃないだろうか。

 割と気に入っている。


 とりあえずこれが今世における俺の家族。

 見事に白黒に別れているな……と、思いきや俺だけちゃっかり中間色の灰色である。

 髪や尻尾が薄汚れているような気がしてちょっと悲しい。 


 とりあえず今の俺の目標は家族に嫌われないこと。

 前世みたく「クズ」だとか「出来損ない」と言われないように、失望されないように何事にも一生懸命取り組むつもりでいる。 


 さて、俺達家族と一緒に行動している人達も一応紹介しておこうかな。

 少し離れたところでたき火を囲んでいるのがノルド一家とクロード一家。名字は無いので家長の名前でそう呼ばせて貰っている。どちらも熟年の夫婦で父さんより二回りほど年齢は上だと思われる。

 クロード夫妻が人間に耳と尻尾が生えているタイプのビスティアで、ノルド夫妻はどちらも狼そのものな風貌をしている。そして、その子供も同様。

 両親とも一致すれば子供は男女関係なく同じ見た目で産まれるみたいだね。

 証拠にノルド夫妻の子供は全員全身モフモフタイプのビスティアだ。

 そしてクロード夫妻の子供はその逆。

 で、俺の家のような不一致の場合は確率半々で生まれてくるんだろうね。


 どうやら小さな子供がいる若い夫婦の家庭を複数の家族でサポートするのが『群れ』の基本になっているらしい。過酷な森の生活では一つの夫妻だけでは子供の世話をする余裕なんて到底ないからだ。

 だが、だからといって子供を作らなければ遠い将来狼人達は絶滅する。

 過酷故に子供が病気や事故で死ぬ可能性も高い。

 俺の兄弟にも既に亡くなっている者が二人いるそうだ。兄と姉が一人ずつでアドルフ兄さんの上と下に当たるらしい。

 つまり俺は三番目ではなく五番目の子供だったことになる。

 過酷な森の暮らしでは大人でも命を落とすことが珍しくない。

 あまり知りたい事実ではなかったけど数日前にした父さんとのやりとりが凄く印象に残っている。



 ■□□■



 話は少しだけ遡る。

 時系列的には俺が五歳になる三日ほど前になるだろうか。

 今の場所に野営の拠点を構える前、つまり前の拠点だった場所での出来事だ。

 俺達狼人の群れは一カ所に数日しか長くても滞在しない。理由は簡単。食糧の問題だ。

 これは狼人達が集落を構えていないことにも関係する。

 寒い土地なのでまず畑作が出来ない。

 よって食料は全て狩りや採集で賄わなければならない。

 だが、この寒く過酷な冬の森には木の実などの食料が少ない。

 おまけに肉となる魔物の数も少ない。

 木の実が少ないと言うことは木の実を食べて育つ魔物も少ない事を意味するからだ。

 よって同じ場所で狩りを続けていてはその場所から食料が枯渇してしまう。

 一カ所に集落を構えたところで集落のそばの食料が無くなることは目に見えているのだ。

 だから俺達は一カ所に留まらず森の中を流動する。僅かな食料を求めて広い森の中を歩き続ける。

 だったら、最初から森の中に小屋などの拠点を点々と建てておけばいいじゃないかという意見もありそうだが(実際に俺が父さんに聞いた)それは無駄な努力らしい。

 どうせ冬になると恐ろしいまでの雪が降る。

 降り積もった雪の重みに建物が耐えきれないからだそうだ。

 

 

 早朝、名残惜しく思いつつもたき火の火を消した。

 俺達は拠点を移すべく後片付けをしている。

 群れの皆が一つの家族だ。協力しあっててきぱきと作業をこなす。

 ある程度片付いたところでノルドのおっさんは群れの全員の顔を見て回った。

 いない人がいないかの最終確認である。


「それでは移動を開始する。遅れないようにしっかりついてこい」


 濃蒼の体毛を持ち、群れのリーダーであるノルドのおっさんが言った。

 そしてその言葉を皮切りに俺達は新たな拠点へ向けて歩き始める。

 拠点の候補については群れの男達が狩りのついでに見つけているので、俺達は彼らの先導に従ってついていくだけである。


 凍てつくような沢を越え、踏み締められていない深雪を乗り越えて俺達は進む。


「ノルド。ちょっとだけ待って欲しい」


 不意に、ヴェリド父さんがノルドのおっさんに言った。


「……なんだ?」


 ノルドのおっさんは訝しげな顔で父さんを見た。そして父さんの視線の先に顔を向けた。

 俺も釣られてそちらを見ると、巨大な樹木が屹立しているのが目に入った。

 屋久島の樹齢数千年の杉の木のように太い幹を備えた立派な木だった。

 

「……はぁ、仕方ない。丁度休憩を入れようと思っていたところだ。ここで待っててやるから手短にすませろよ」


 トイレか?

 丁度俺も行きたかったんだ。  


「俺も行く」


 父さんの元に駆け寄って俺はそう言った。拠点を構えている間は大人達が安全圏を確保してくれているからその中を子供が自由に行動できるけど移動暮らしの間はそうもいかない。

 いつ、外敵の襲来があるかわからないからだ。

 



 俺とヴェリド父さんは二人で巨木へ向かう。

 始め、リーナ母さんとアドルフ兄さんも同行を申し出たのだが、歩き通しで疲れたエミリオ兄さんが置いていかないで欲しいとぐずったのでリーナ母さんとアドルフ兄さんは群れに残ることになった。


 巨木の根本まで来ると父さんは木の幹に手を当て、知らない人の名前を呟いていた。そして何度も何度もあやまっっていた。至らない父親ですまなかったと。

 よく見ると巨木には目印としていくつかの傷がついていた。

 俺はその様子から誰かが死んだのだと俺は推測した。


 「誰か死んだの?」


 「……いや」


 ヴェリド父さんは何か思案した後、悲しげに呟いた。


 「こんな話をすれば俺はお前に怖がられるかもしれない。嫌われるかもしれない。だが出来るだけ隠し事はしたくはない。誠実でありたいと思っている。だから真相を話そう」


 一拍おいて父さんは重々しげに口を開いた。


 「……ここに眠る者はただ死んだんじゃない。俺が殺した。俺が殺したのはお前の兄と姉だ。病でな。病に犯されたらもう助からない。そして病は放置すれば群れにも広がる。だから群れに広がる前に……この手を血で染めるしかなかった」


 震える声で悲痛に語られた内容に、俺はちくりと心が痛んだ。

 父さんの様子から決して猟奇的な犯行でなかったことは窺える。

 悩みに苦しんだ末に手をかけた。そんな印象だ。

 本来なら墓場まで持って行きたい事実のはずだ。

 隠し事をしているのは父さんだけじゃない。俺もなんだ。

 俺は前世の記憶を持っている。そんなことを話したら気味悪がられると思ったからだ。

 俺は迷っていた。父さんが秘密を暴露したならば、こちらも暴露した方がいいんじゃないかって。

 だけど、その迷いは一瞬で掻き消えた。

 父さんの背中が小さく震えていたからだ。

 ここで育てている息子が実は他人でしたと追い打ちをかけることはしたくないと思った。

 だけど、いつか折を見て話すべきだとも覚悟が決まった。

 この人に対しては俺も誠実でありたいと思ったのだ。


 俺はどう声をかければいいのかわからなかった。

 病気になったら病院に行けばいい日本の生活とあまりにかけ離れていたからだ。

 

 「ここで火送りをしたんだ。大きな木の本でなら安らかに眠れると思ってな。灰をこの木の周りに撒いた」 

 「火送り? 火葬って事?」

 「ああ。遺体は燃やさないと遺体に悪い者が取り憑いてアンデッドとして復活する。それはもう別人だ。意思も持たず永遠に当てもなく彷徨う憐れな不浄の者だ」

 

 ヴェリド父さんはしばらく黙祷を捧げるとその場から立ちあがった。


 「そろそろ戻ろうか」


 父さんが言った。

 仕方なく、俺は空気の読めない発言をするしか無くなった。

 まだ果たしていないじゃないか。俺が父さんにくっついてきた理由を。


 「父さん。トイレ」

 「……」


 無事用を足した後、元来た道を戻る。

 道中、もう居なくなってしまった俺の家族の話をした。俺の会ったことの無い兄と姉。

 ヴェリド父さんは彼らとの思い出を語ってくれた。アドルフの上の長男を初めて狩りに連れて行ったときの話。アドルフの妹でエミリオの姉に当たる少女の好きだった森の木の実について。後半父さんは語りながら泣いていた。

 もし、俺が死んでも父さんは俺が生きたことを覚えていてくれるだろうか?

 悲しんでくれるだろうか?

 などと考えると父さんは俺にこんな問いかけをしてきた。

 

 「なぁ、ヴェルク。死んだらどうなるんだろうな?」

 「……どこかで新しい命になるんじゃないかな?」

 

 俺は一度死を経験している。死んだら全ての世界の人間の魂は一度天国に集められてそこから再度希望する世界に振り分けられることを事実として知っている。

 だが、そんな事を俺が知っていてはおかしいので今のこの場ではこう答えるだけに留めておいた。代わりにこう続ける。


 「きっとこの世界のどこかで生まれ直しているんじゃないかな?」


 「もし、そうだとして幸せに生きているだろうか? 俺は幸せにしてやれなかった。それどころかその命をも奪ってしまった。恨んでいないだろうか? いや、恨んでくれていい。それだけのことはした。ただ、幸せに生きているかだけが気がかりだ」


 「……少なくても俺は父さんの子で良かったと思っているよ」

 「……!」

 「それに、俺は意地でも死なないよ。父さんも母さんも兄さん達も誰も殺させやしない」

 「……ははっ。頼もしいなヴェルクは」


 あとは有言実行あるのみだ。

 誰も悲しむことのないように、改めてこの世界で精一杯生き抜こうとこのとき俺は誓ったのだった。 





 ■□□■


 早朝。新たに開かれた森のうろの拠点。

 たき火の側に俺は蹲っていた。

 寝起きで低くなった体温を巨大なたき火で温めるところから狼人達の一日が始まる。

 

 俺は目の前で揺れる赤々とした炎と立ち上る煙を前に、ぼんやりと死と生について考えていた。三日経った今でも父さんの話が心の奥底に引っかかっている。

 死が軽い世界。体力の無い子供はすぐに死んでしまう。病気になったら命を諦めなければならない。親の方も病気になった子供を殺さなければならない。

 今生きているアドルフ兄さんやエミリオ兄さんも何かの拍子で病気にかかって死んでしまうことがあるかもしれない。俺だって例外じゃない。

もし、俺がヴェリド父さんの立場だったら大を活かすために小を殺すことが出来るだろうか?

 答えの出ない自問自答。


 折からの風に俺はびくりと身を震わせた。冷たい風だった。


 三日前。群れに戻った父さんにノルドのおっさんは小言を言っていた。

 死んだ子供を思い出す暇があったらも今生きる子供を考えてやれと。今生きる子供も死んだらまた子供を増やさなければならんぞと。

 ノルドのおっさん曰く子供は最低でも三人以上成人させるのがが望ましいらしい。理想は余裕を持って五人ほど。

 計算すればわかることだけど夫婦二人に子供二人だとギリギリ数を維持し続ける事しか出来ない。過酷な狩り暮らしでは大人だって死ぬ。そうなると作れる夫婦の数が徐々に減ることになる。夫婦が減れば出生が減る。負のスパイラルが始まってしまう。

 だが、三人成人させれば一人死んでも数はなんとか維持できる。

 ノルドのおっさんの言うことは正しい。正しいが数学的でドライだ。

 しばしばノルドのおっさんに父さんが口出しされている様子を見ることがある。

 この前聞いた内容だと、雪の森の奧で何やら絶景スポットを見つけたらしく子供に見せてやりたい父さんと、子供を拠点から出すのを危険だと認めないノルドのおっさんが対立していたかな。締めに景色じゃ腹は膨れん。冬に備えて獲物を狩れとノルドのおっさんは淡々と言った。多分、この件に関してノルドのおっさんが正しい。正しいし厳しい。

 口五月蠅い奴だが必要な存在だ。

 ここからは俺の勝手な推測だけど、ノルドのおっさんの目がなかったら父さんは病に冒された子供を殺すような判断にはならなかったと思う。殺すくらいなら自分も病にかかって死ぬとか言い出しそうな気がする。基本的に父さんは子供に優しい。そして甘い。 

 父さんは情愛が深い点は美点だと思うけど、弱点でもあると思う。

 この過酷な環境で家族を守るには時として非常さが求められるのだから。

 そしてその判断には常に完璧さが求められる。

 だが、新米お父さんが全てを完璧にこなすことは不可能に近い。

 故に自分達の子育てを終えたような経験豊富な夫婦が同行するのだ。

 勿論、彼らもまた今の父さんと俺達のようにベテラン夫婦に自分達の子育てを手伝って貰ってきた言わば先輩である。そして父さんも僕たちを成人まで育てたら今度はベテランの立場になって若い夫婦を支える。

 そうやってこの過酷な万年冬の森で狼人達は子孫を繋いできた。

 クロード夫妻やノルド夫妻に同行する子供は既に立派に成人している。

 彼らは子供を持つにはまだ未熟で年若く、自分の家庭や子供を持つ前に俺たち兄弟相手に育児の練習も兼ねて親元で経験を積んでいる最中と言ったところかな。


 俺たち家族五人とノルド夫妻とクロード夫妻。両ベテラン夫婦に子供が一人ずつ。

 合わせて十一名。これが俺の所属している群れ。

 群れを形成するのは基本的に春先から秋の中頃まで。

 冬は厳しい寒さを乗り切るために僕らは山間の大洞窟に開かれた拠点へと帰る事になる。

 そして、その洞窟には冬の間だけ沢山の群れが集まってくる。

 群れの数は俺たちと同じ規模のが十ほど。

 冬の間洞窟は百人くらいの集団になるから一応小規模な村くらいには見えるかもしれない。だから俺は冬の期間が結構好きだったりもする。洞窟の岩肌とはいえ、屋根のある生活が出来る点も大きい。


 ……ま、冬の話はこれくらいにしておこう。そのうち嫌でも冬が来る。 



 「――では、訓練を開始する。各自武器を持て」


 ノルドのおっさんが言った。

 ノルドさんの指導によって日課である朝の訓練が丁度開始されようとしている。

 訓練に参加するのは群れの男連中のみ。群れの女性はこの間に食事の支度などをしている。

 訓練で適度に体をほぐした後に出来上がった朝食をたっぷりととり、群れの男達は森へと狩りに出かけていく。

 その様子を見ていて俺は思うことがある。

 持っている武器はもう少しマシにならないものかなぁって。

 今時木の棍棒とかゴブリンくらいにしか流行らないでしょ。

 まぁ、この原始的生活から鑑みるに製鉄技術など無いんだろうけども。

 

 ……などと思っていると。


 「お、坊主も参加したいのか?」


 俺の視線に気づいたのか、ノルドのおっさんが声をかけてきた。

 この訓練、長男のアドルフは参加しているが次男のエミリオは参加していない。

 年齢的な理由かなと思ったけどノルドのおっさんの反応を見るとそうでもないみたいだ。

 俺は前世で散々自分の無能さを味わってきた俺はこの話に乗らない手はなかった。

 人より劣る俺は人より先に努力を開始しなければならない。

 俺は二つ返事で訓練への参加を申し出た。



 準備体操やストレッチも無しにいきなり訓練の開始。

 言い渡された訓練の内容は至ってシンプルかつ、お粗末な内容だった。

 訓練内容は手渡された70センチほどの棍棒を力任せにそこら辺に生えている木に叩き付けるだけである。型の練習とかそういった洒落たものはない。ただ棍棒を力任せに振るうだけ。

 何度も振るって何度も振るって正解の動きを総当たりで探し当てていく。

 どうやって訓練の成果を見るかというと木に棍棒を叩き付けたときの音で判断する。木を叩く音でインパクト力を測定するわけだな。そしたら後は快音をいつでもたたき出せるように精度を上げていく。棍棒にいかに威力を乗せるか。そういった趣旨だ。

 言わば全員が自己流の開祖な訳だな。自分の体と相談して自分の型を決める。

 シンプルな訓練としては意外と理にかなっていると俺は思う。

 ただ、一つ文句を言うとすれば俺はファンタジー世界における騎士や剣士に憧れていた。

 獲物のイメージは美しく白銀に輝く剣。

 逆に棍棒のイメージは山賊やゴブリン。

 決して蛮族スタイルに憧れていたわけではない。そこだけは遺憾である。

 しかし、この棍棒意外と重い。しっかり身が詰まっていて結構堅い木材だろうな。遠心力使って振り回すのがやっとだ。

 木刀のが振りやすそうだけど、対人を想定していないから多分軽いそれじゃ決定力が足りないんだろうな。

 明日絶対筋肉痛だろうな。


 俺が無心に棍棒を木の幹に叩き付けていると、黒狼であるヴェリド父さんが近くまでやって来た。


 「ヴェルク。別に無理はしなくていいんだぞ。もし訓練が嫌なら俺からノルドの方に言っておく。俺はまだお前の訓練の参加はまだ少し早いと思うんだよな」


 ヴェリド父さんはノルド一家とクロード一家に子育てを手伝って貰っている立場のため、実は群れの男の中では発言権が弱い方だ。ノルドさんやクロードさんよりも大分若いって事も関係しているかもしれないね。

 どちらかと言えばノルドさんやクロードさんの息子に近い年齢である。

 群れのリーダーであるノルドさんから見れば若造が何を偉そうにって事になるんだろうね。

 表だって俺の訓練参加を突っぱねることは中々厳しいのはそれとなく俺もわかっているつもりだ。

 そもそも父さんは勘違いをしている。

 俺はノルドのおっさんに無理矢理やらされているのではなく自分からやると決めたのだ。


 「いや、大丈夫。早く強くなりたいし」


 「……そうか。だったらアドバイスだ。ヴェルク。重さに負けて腰が引けている。それじゃ腕の力しか乗らない。そうだな。打ち込み訓練は後でいいから、まずはその棍棒を背筋を真っ直ぐにしたまま構えられるようになってみろ。そのまま無茶しても体を痛めるだけだ」


 「うん、わかった」


 人のアドバイスはしっかり聞く。これは俺が前世から実戦していることだ。

 理由としては俺が自分で考えた方法の効果が大したことないのがわかっているからだ。

 俺は効率とか考えるのが苦手で要領悪かったんだよ。人の言いなりとも言うね。

  

 村の大人達が棍棒を叩き付ける訓練をしている間、俺は一人棍棒をダンベルのように持ち上げることを繰り返していた。呼吸のリズムに合わせて動作をゆっくりやるのがポイントだ。

 そしてお次はスクワット。足腰の力を強化しないとよたつくのは避けられないからだ。


 「おい、坊主。もう音を上げたのか? すぐに遊びおって。これだからガキは」

 

 ノルドのおっさんがスクワット中の俺を見て呆れたように言った。

 筋トレしてんだよ見てわかるだろ。と、言いかけたがやめた。

 この世界には筋トレって概念がないと思ったからだ。

 確かに木に棍棒を叩き付けていれば筋肉を使うから自然と棍棒を振るうのに必要な筋肉がつくんだろう。必要な筋肉を無駄なく付ける点では間違っていないと思う。

 

 「ノルド。大目に見てやってくれ。ヴェルクは今日が初めてなんだし」

 「ふん、ヴェリド。お前は息子に甘過ぎだ。その坊主は自分から訓練をすると志願した。少しは見所があるかと思えば、どうせ遊び半分のつもりだったんだろうな。少し辛くなったらやめる。最後までやり通す根性がない。上の坊主に至っては訓練に参加すらしないではないか」

 「……ノルド、ヴェルクもエミリオもまだ幼い。訓練は早すぎると思う」

 「はんっ、年齢など関係ない。魔物は幼いという理由で襲うのを待ってくれるのか? 違うだろ。魔物は狡猾だ。弱い者から狙う。早いところ最低限の自衛が出来るようになって貰わねば死ぬのは坊主達の方だぞ」

 

 ノルドのおっさんは気にくわないのは確かだが、言っていることは正論である。

 確かに俺はノルドに指示された訓練を五分足らずでやめて筋トレ始めたよ。

 飽きっぽいとか思われても仕方ないかもしれない。だけど、俺は少なくても真剣だ。

 こういう時いくら俺が頑張っていると説明したところで理解をされることはまずない。

 前世の親父は言った。結果が全てだ。結果を見れば努力したかわかるってな。多分ノルドは親父と似たタイプだと思う。

 言いたい奴には言わせておけばいい。前世で俺は散々罵られたし、殴られもした。

 そういった扱いには慣れている。

 俺は構わず筋トレを続けることにした。


 ノルドのおっさんは近くの木にしばらく自らも打ち込み訓練をした後、群れの男達に新たな指示を出した。

 二人一組になって、片方がタックルをし、もう片方はそれを横に避けるという訓練だ。

 一件遊びに見えるかもしれないが、これは対魔物を想定した訓練で森でよく出るホーンボアから身を守るためのものらしい。

 生きているところを実際目にしたわけでは無いが、仕留めた獲物としてホーンボアが出てて来た日に食事の時に父さんにホーンボアについて聞いたことがある。

 ホーンボアの得意技は額から生える巨大角を突き立てての突進らしい。

 父さんのお兄さんは昔、狩りの最中それが元で亡くなったそうだ。

 狩りの最中の事故を防ぐため、群れの男達はいつも真剣に訓練に取り組んでいる。


 俺は訓練に参加している中で一番体格の近いアドルフ兄さんと組むことになった。

 向こうは十歳でこっちは五歳。子供の一年は大人の一年に比べて大きな差がある。

 そこには埋めようのない体格差が存在する。

 必然的に俺がタックルする側となった。俺がアドルフ兄さんの体当たりを食らったら間違いなく怪我をするからだ。

 タックルする側が楽かと言ったらそうではない。深雪に足を取られるせいで思った以上に体力の消耗が激しい。十本ほど全力ダッシュを繰り返したあたりでスクワットのダメージも相まって俺の足が悲鳴を上げた。


 「……はぁ、はぁ、しんどい」


 ぜーはーと荒い呼吸を繰り返す。

 前世も含めてここまで体を動かしたのは初めてかもしれない。

 運動嫌いだったので疲れに対する耐性がないのだ。

 へたり込む俺の眼前に涼しい顔で訓練を続ける群れの男達の姿が映る。

 彼らは総じて筋骨隆々で逞しい。

 とてもじゃないが俺は将来ああなれる気がしない。あそこまで至るのにどれだけ努力を重ねたのだろう。

 たった一日だけでこんなに辛いんだ。

 もうやめてしまいたい。俺には無理だったんだ。


 『クズ』『無能』『ゴミ虫』


 不意に俺の脳内にある男の姿が浮かんだ。

 眼鏡の奥に陰険な目を隠した白衣姿の痩身の男である。

 男は真顔のまま淡々と言葉だけを紡いでいる。

 嫌みを言うことを楽しんでいる様子はない。

 ただ、本心の言葉をただひたすら俺にぶつけてくるだけだ。それが何よりも辛い。

 

 『どうせお前には無理だ』『何やっても駄目な出来損ない』


 ……クソ親父。どうして死んで転生した後まで追っかけてくるんだ。

 本当にそこに居ないのはわかっている。俺の心の奥底に潜む幻影である事も。

 俺の心の弱気が親父の姿を借りていることもわかっている。

 だが、染みついた記憶とコンプレックスだけはどうにも払拭しがたい。


 『生まれてこなければ良かったんだ』『どうして私の生き恥が目の前で生きているのだ』

 『お前は私の人生で唯一の汚点だ』『とっとと死んで欲しいな』『どの面下げて生きている』『犯罪的な醜さで私を殺す気か』


 「ちくしょおおおおおおっっ!」


 『中学までは義務だから学校に行っていい。だがお前は高校には行くな。身内の恥はこれ以上外へ出したくない』


 『義務だから20までは育ててやった。他人に押しつけられたブサイクで馬鹿なペットにエサを与えているかのような心境だったよ。はっきり言って苦行だった。後はどこぞでくたばろうと私は知らん。二度と顔を見せて欲しくはないな。今日限りでお前とは離縁させて貰う』


 「くそったれぇぇ。死んじまえ!」


 俺は居もしない親父の幻影に向かって思わず叫んでいた。

 叫んだことで心のよどみが吐き出されたのか親父の幻影は消えた。

 親父の幻影の代わりに目の前にはきょとんとしたアドルフ兄さんの顔がある。

 クソ親父に対する罵りだったからか日本語で叫んでいたらしい。

 俺の叫んだ内容はアドルフ兄さんには理解できていないようだった。

 正直助かった。

 俺は前世の親父達は家族と認めていないが、今世の家族は家族と認め始めている。

 彼らに嫌われることは出来るだけしたくは無いのだ。


 「ヴェルは休んでていいよ」


 俺の様子がおかしかったからか、アドルフ兄さんは俺に気を使って言ってくれた。

 実年齢はともかく精神年齢は俺よりも遙かに下のはずなのに随分大人びている気がする。

 そう言えばアドルフ兄さんは少なくても妹の死を知っているはずなんだ。もしかすると一番上の兄の死も経験しているのかもしれない。

 辛い経験と過酷な環境故に早熟するしか無かった事を考えると少し悲しい気持ちになる。

 10歳くらいの少年はもっと無邪気に遊んでいていいはずなんだ。

 少なくとも日本ではそうだった。

 辛く楽しくもない訓練を弱音も吐かずに真面目に繰り返している様子を見ると胸を締め付けられそうになる。

 俺が脱落した今もアドルフ兄さんは一人、サイドにステップする訓練を続けている。

 しばらく俺はアドルフ兄さんの訓練を見守っていた。

 どうやら仮想敵の動きに合わせているみたいだけど、結局の所横に避ける動きの練習にはなっていても、避けること自体の練習にはならないんだよな。


 「アドルフ兄さん」

 「なんだい?」

 「いや、全力ダッシュは無理でも雪玉を投げるくらいは出来るからさ。それを使って避ける練習したらどうかなって」


 いまいちピンときている様子ではなかったので俺は雪玉を作って近くの気に投げる動作をした。

 「へぇ、凄いね。雪って握ると塊になるんだね」

 え? まさかと思うが、こんな寒いところに住んでいるのに雪合戦も知らないのか。

 そう言えば五年過ごしてきて雪玉を作っている人自体を見たことがない気がする。

 いや、理由は何となくわかる。

 俺だって今日の今日まで雪玉を作ろうだなんて発想には至らなかった。

 なんせ、俺が今生きるのは寒さで奥歯がガタガタ震えっぱなしの極寒世界だ。

 少し油断しただけで低体温症になりかねないこの環境で、わざわざ雪の中に手を突っ込むのはよほどの阿呆がすることだ。

 体が冷えても洒落た暖炉のついた家なんて無い。

 せいぜい野晒しのたき火くらいしか体を暖める場所がない。

 熱源が乏しいのだ。

 狼人たちは無駄に体温を消費する事が死に直結することを多分本能的に知っているんだと思う。故に雪は忌避される。小学生のように雪が降ったからわーい、雪合戦だ~とはならない。

 仮に雪合戦したところで、この環境だと雪玉当たったら速攻で雪をはたき落とさないと最悪凍傷になりかねない。


 「うわ、冷たっ!」


 アドルフ兄さんは俺のすぐ横に腰をおろすと俺をまねて雪玉を作った。

 どうやら気になったらしい。雪玉を丸めて喜んでいる。

 俺は普段からアドルフ兄さんが文句を一つも言わない姿を見てきている。群れの手伝いもよくするし真面目で働き者だ。辛い訓練だって大人に混じって一生懸命にこなす。

 小さな体に大人が入っているとさえ思えるほどに達観している。

 俺の一つ上のエミリオ兄さんが母さんにいつもべったりとひっついているからかアドルフ兄さんは気を使ってか必要以上に親にも甘えない。自分のことは自分できっちりとこなす。

 俺もアドルフ兄さんを見習ってなるべく自分の事は自分でするように心がけている。

 え、俺は親に甘えないのかって?

 俺はいいんだよ。前世で三十年生きてきたんだ。中身は立派な大人だ。むしろヴェリド父さんよりも年上な疑惑があるくらいだ。

 俺はある意味年相応だけど、アドルフ兄さんは人生生き急いでいるようにしか見えない。

 だからこそ、こうやって僅かに垣間見えたアドルフ兄さんの子供の部分に俺は少し安堵した。


 「アドルフ兄さんは雪で遊んだことないの?」


 「ないよ。雪に触ると解けるでしょ。解けて毛が濡れるとね、最悪毛がバリバリに凍るんだよね。そうならないように濡れたらすぐに火に当てて乾かすんだけどそれでも大体痒くなるんだよね。だからあんまり雪は好きじゃないかなぁ。ほんと、ヴェルクやエミリオが羨ましいよ」

 

 おおう、思わぬ所でモフモフタイプの獣人の苦労話が出たな。俺は髪と尻尾以外は拭き取ればいいだけだから気にしなくていいしな。


 「雪合戦しよう」


 「雪合戦?」


 アドルフ兄さんの性格上、訓練お時間に遊ぼうと誘ってもいい顔しないのはわかっている。

 だから俺は言った。


 「訓練の一つだよ。今、ホーンボアから避ける練習しているでしょ。だからこの雪で作った玉を攻撃に見立てるのさ。これなら当たっても痛くないでしょ」


 俺が言うとアドルフ兄さんは作った雪玉を拳で壊して見せた。


 「なるほど、確かに」


 「じゃ、少し離れようか」



 俺とアドルフ兄さんは互いに距離を取る。

 十分に離れたところで俺は叫んだ。


 「じゃあ、投げるから避けてね」

 「わかった」


 アドルフ兄さんが頷いたのを確認すると、俺はしゃがみ込んで雪玉をこさえた。


 「それっ!」


 まずは試しと下投げで山なりに放った雪玉をアドルフ兄さんはひらりと余裕を持って躱す。

 手加減しすぎたかな。

 今度は野球のピッチングフォームで雪玉を投げつける。


 「う、うわっ!」


 アドルフ兄さんはギリギリで身を捻って躱した。やはりこれくらいが丁度いいのかもしれない。

 雪玉を作って投げる。また作って投げる。

 最初の一回はギリギリだったけれどアドルフ兄さんは二度目、三度目は慣れたのか余裕を持って躱した。

 おのれ、ちょこざいな。

 こうなったら意地でも当ててやる。

 俺はかがみ込むと雪玉を大量に生産した。


 「どんどんいくよー!」

 

 俺は雪玉を抱えられるだけ抱えて、片っ端から放っていく。

 アドルフ兄さんは二度ほど避けるのに成功したが、二度目の回避がギリギリだったせいかバランスを崩して尻餅をついた。そこへ容赦なく俺の放った三発目の雪玉が襲来し、直撃した。

 アドルフ兄さんは慌てて体に当たって砕けた雪玉を急いではたき落としていく。

 あのふかふかの体毛が雪で濡れたら大惨事だもんな。

 あ、チャーンス。

 俺は動かなくなった的へ俺は四発、五発、六発目と連続で当てていく。


 「……ちょ、ちょっと待って。まってってば」


 アドルフ兄さんがタイムサインを出すので俺は仕方なく待つことにした。

 すると、アドルフ兄さんがこちらへと駆け寄ってくる。


 「アドルフ兄さん。どうかした?」

 「あんなに一杯投げられたら避けられないよ」

 「あ、やっぱり?」

 「やっぱりじゃないよ!」

 「ごめんごめん。途中からついうっかり当てに行っちゃった。もう少しゆっくり投げるよ。他に何かある?」

 「う~ん、その雪玉当たっても痛くないけど、少し小さくて見にくいかなぁ」

 「小さくて見にくいって事は避けにくいって事だから練習にはいいんじゃないの?」

 「そっか、それもそうだね」


 アドルフ兄さんは短いやりとりの後離れて行った。

 しばらく休んだので少し足が回復している。俺は雪玉をいくつかこさえてからアドルフ兄さんに呼びかけた。


 「じゃ、行くよ。今度は余裕があったら雪玉投げ返してもいいからね」


 俺は足元から右手一本で雪玉を拾っては放る。それをアドルフ兄さんは躱していく。

 そして俺の足元の残弾がきれたときアドルフ兄さんはにやりと笑った。


 「よ~っし。今度はこっちの番だ」


 アドルフ兄さんは雪玉を作ろうとその場にしゃがみ込んだ。

 その様子を見て俺はほくそ笑んだ。背中に左手を回したまま最初から雪玉を握り込んでいたこともそうだが、アドルフ兄さんが楽しんでくれていることが嬉しかったのだ。

 うれしさのあまり、手に隠し持っていた雪玉を放ってしまう。

 雪玉を作ることに専念していたアドルフ兄さんは顔面でもろに雪玉を受けた。


 「あ~っ! ずっるい!」

 「ずるくないよ。雪玉作る隙を見つけるのも練習だよ」


 大人げないのはわかっている。だが俺も本気だ。到底負けてやろうだなんて思えない。

 例え卑怯な手段を使っても徹底的に勝ちに行くつもりだ。

 ってこの雪合戦の勝利方法決めてないけどね。

 なので勝手に多くの雪玉をぶつけた方の勝ちとさせて貰おう。

 いい年したおっさんが子供をいじめて楽しいのかと言われそうだが、童心に返ったと言うべきか、体に合わせて心まで若返ったと言うべきか今の俺はアドルフ兄さんとそれほど精神面の成熟具合に差が無いと思えるのだ。


 アドルフ兄さんが雪玉を山ほどこさえているのを見てその間に俺は二つだけ雪玉を作っておく。やがて、アドルフ兄さんが十ほども雪玉を作りおえたので、俺は三十六計逃げるにしかずと俺はその場から駆け出した。

 アドルフ兄さんは少し逡巡した後、抱えられるだけの雪玉を持って俺を追うことに決めたようだった。あんなに雪玉を抱えたら走りづらいだろうに。

 俺は少し足を止めるとアドルフ兄さんめがけて両手の雪玉を投げつけた。

 当初の回避の訓練はどこへ言ったのかアドルフ兄さんは直撃を甘んじると最短距離でこちらへと詰めてくる。

 うんうん。雪合戦らしくなってきたじゃないか。

 訓練は必要だけど、たまには遊ばないと駄目だ。

 ま、訓練初日から遊んでいる俺が言っても説得力ないけどね。

 

 「あ~やったな~! まて~!」


 逃げる俺の背面に雪玉がいくつか直撃する。

 これはまずいと俺は近くの木の陰へと潜むことにした。

 俺は木々を盾に森の中を駆けていく。

 アドルフ兄さんは森の拠点である、うろのに陣取って走る俺に向かって雪玉を投げてくる。

 その雪玉の大半が木々に阻まれて俺に届かなかったことが悔しかったようで軽く地団駄を踏んでいた。

 アドルフ兄さんの弾切れを見計らって俺は森から出てうろへと躍り出た。

 向かう先は一点。アドルフ兄さんの初期立ち位置だ。

 俺はアドルフ兄さんが放棄した雪玉をハイエナの如くかっさらいに来たのだ。

 アドルフ兄さんはそれに気づいたようだがもう遅い。

 自分が作った雪玉を俺に取られまいと慌てて俺を追ってきたところを、拾ったばかりの雪玉をカウンター気味にアドルフ兄さんに投げつけた。


 「……はぁ、はぁ」


 ああ、しんどい。しんどいけど楽しいな。

 誰かとこうやって遊んだのっていつぶりだっけ。


 俺とアドルフ兄さんは無我夢中でお互いよけもせずに雪玉を投げ合って、そして笑いあった。俺が何回アドルフ兄さんに雪玉をぶつけたか途中から覚えていないし、ぶつけられた数もまた覚えちゃいない。

 木陰に入ったり出たりを繰り返したり無我夢中で雪の上を走り回った。


 「あははははっ。ヴェルってばずるばっかりなんだもん。すぐ木の陰に隠れるし」

 「ずるじゃない。作戦のうちってね。それに最後はアドルフ兄さんだって木陰に隠れていたじゃないか」


 俺達が雪合戦の熱の余韻に浸っていると、不意に聞きたくない野太い声が聞こえてきた。


 「……ほう、作戦が何だって? 笑い声が聞こえるから来てみれば。何を遊んでいるんだ? 今は訓練の時間の最中のはずだが」


 「げっ、ノルドッ!」

 「ほう、口の利き方もわからないようだな」 

 

この後、ノルドのおっさんに俺達はこってりと絞られた。


 くそぅ、ノルドの野郎。今に見ていやがれ!

 



 ■□□■


 雪合戦の後。

 体温で雪が融けてすっかりビショビショになった服を着替えて、俺は体を温めるために巨大たき火の前にやってくる。たき火の前には既にアドルフ兄さんが座っていた。

 濡れた茶色い魔物の毛皮を脱いで現在裸である。

 彼の場合、自前の毛皮は脱ぐわけにはいかないから濡れると大変そうだ。

 

 「いや~、おっさんの説教長かったな」


 アドルフ兄さんの隣に座りながら俺は言った。


 「うん。でも、訓練はしっかりやらないといけないよね。体乾かしたら続きやろうかな」

 「いいんじゃないか? たまには訓練サボっても」

 「それは駄目だよ。さぼっちゃった分は今からでもやらないと」

 「凄いな。そうしてそこまで頑張るんだ? アドルフ兄さんは母さんの手伝いとかもしてるだろ」

 「それを言うならヴェルだって毎日手伝いしてるでしょ」

 うん、まぁ。俺は大人だからな。別に偉くも何ともない。当たり前のことを当たり前にしているだけだ。

 何もやってないのはエミリオ兄さんくらいだけど、あの年齢なら仕方ないだろう。

 むしろ、エミリオ兄さんが母さんに甘える時間を与えるために俺は積極的に手伝いをしている。

 「俺はそんなに大した事してないよ。アドルフ兄さんがやってるから対抗しているだけだしね」

 実際問題アドルフ兄さんが頑張るから俺も頑張らなければいけないのである。

 いい年した大人が子供より怠けてたら恥ずかしいでしょ。

 今、俺が頑張る理由はたったそれだけのことなのだ。

 今日、訓練に参加したのは毎日頑張っている兄さんに差を付けられたら日ごとに追いつけなくなりそうだと思ったから。

 アドルフ兄さんが訓練もせず、母さんの手伝いもしていなかったら俺だって何もしなかった可能性が高い。

 だから、自分を律して行動できるアドルフ兄さんは素直に凄いと思う。


 「僕に対抗ってなんでまた?」

 「目標、みたいなもんかな、俺はいずれノルドのおっさんをぎゃふんと言わせてやる。その前の第一目標としてまずはアドルフ兄さんを越える」

 「えええっ!? ヴェルってばそんな事考えていたの?」

 「ああ。目標は五年。五年以内に俺はノルドのおっさんを実戦でぶっ倒す」

 「ノルドさんは強いよ。いつも一番獲物を仕留めてくるのはあの人だし」

 なる程。群れで最強だから群れのリーダーって事か。

 「いいじゃないか。その方がやりがいがある。ノルドのおっさんを最終目標としてその前に父さん、更にその前にアドルフ兄さんに勝つ」

 

 目標は努力する上で必要なことだ。目標も無しに努力したって効率が上がらない。

 そもそも目指す地点がなければ努力なんて最初からいらないのだ。

 生きるだけなら現状維持で構わない。

 だけどそれじゃ足りない。人間ってのはわがままだ。

 誰だって承認されたい欲求を持っている。

 今の集団で一番必要とされる技能は狩りの技能。

 狩りの技能を磨けば父さんだって俺を認めてくれるはずだと思う。

 俺は一度でいいから『流石私の子だ』『私の誇りだ』と前世の弟のように言われてみたいのだ。だから悪いがノルドのおっさん。恨みはないが俺の踏み台になって貰うぞ。 


 「言ってくれるね。僕も負けるつもりはないからね。だけど、ノルドさんの前に父さんを倒すのは無理じゃないかなぁ。ノルドさんより強いらしいし」

 「え、でも一番獲物を仕留めてくるのはノルドのおっさんなんだろ?」

 「父さん。戦ったら一番強いけど獲物を見つけるのは一番下手らしいよ」

 

 ……ああ、なるほど。ゲームのジョブで言えば、戦士と狩人のようなものか。

 そりゃ、戦士より狩人の方が狩りが上手いに決まっている。


 「……それでたまに手ぶらで帰ってくるのか」

 「あんま言っちゃ駄目だよ。父さん気にしてるから」


 そんな話をしていると、黒い影がこちらへと向かってくるのが見えた。

 噂をすれば何とやらだ。


 「よし、体も乾いてきたし、そろそろ食事の支度をしようか」


 俺とアドルフ兄さんはうろの拠点からほど近い浅い森の中で木の枝を拾い始めた。

 朝食の調理に使う分の燃料を取りに来たのである。

 小枝拾いは女性の基本的に仕事だが、子供でも出来るため俺とアドルフ兄さんは日頃から積極的に手伝っている。

 いつもはアドルフ兄さんとばらばらの場所で拾っていたけど、今日はどちらから示し合わせるでも無く一緒に行動している。

 少し距離が縮まったんだろうか?


 「……うう、寒いなぁ。この寒さだけはほんと慣れない」

 

 俺が思わず独りごちると、アドルフ兄さんが乗っかってきた。


 「ほんと、辛いよね。たき火から離れたくなくなるし」


 「そうそう、あれは魔性の物体だよ。最早あれ無しじゃ生きられないし、今ではこたつと双璧を成す冬の神器と俺は思っているね」

 

 「こたつ?」


 「……あ、ああ、何でも無い」


 「こたつって何? たき火くらい凄いの?」

 

 「な、何でも無いって」


 「なんか隠してる? ……気になるなぁ」 


 あっぶな。思わず口が滑った。アドルフ兄さんと距離が近づいた気がして気が緩んでいたのかもしれない。無理矢理誤魔化したけど、良くない印象は与えてしまった。

 父さんにはいずれ俺の前世や正体を話すと決めたけど、アドルフ兄さんに対してもどうするか考えておかないとなぁ。俺はアドルフ兄さんを嫌いじゃないし、俺としては別に話しても問題ない。

 俺としては俺に好意を向けてくれているアドルフ兄さんを欺き続ける方が辛い。

 事実を話したことで嫌われたら悲しいが、それはそれで諦めがつくと思う。

 さっきのやりとりでもわかるように、はっきり言って俺は隠し事が苦手だ。

 多分、俺は親しい相手ほど気を抜くから今後ますます危なくなる恐れがある。

 いつ、ボロが出るかわからない。

 だが、ボロが出てから慌てて開き直るよりもボロを出す前に自分から告白する方が今の家族に対して誠実な対応であると思うし、事実俺はそうしたいと考えている。

 だが、不気味な存在だと思われて群れから追い出される可能性はまだ捨てきれない。

 まだまだ一人じゃ生きられないし、一人で狩りが出来るようになるまでは最低でも黙っていた方がいいと思う。



 両手一杯になるまで枝を拾ってアドルフ兄さんと俺は拠点へと戻った。

 中央のたき火から少し離れたところで既に父さんの方は朝食の準備をしている途中で、打製石器のような尖った石ころで器用に獲物の毛皮を剥いでいるところだった。

 あんな刃物とも呼べるかわからない代物で穴もなく綺麗に毛皮を分けられる技術は素直に凄いと思う。剥いだ皮の方は群れの女性によって鞣され、身に纏うための毛皮として利用されることとなる。

 だけど、今回の主役は肉の方。内臓はきちんと処理されている。処理がきちんと成されなかったり破れたりするとドブのように臭くなってしまうのでこれにも技術が必要だ。

 父さんが先端を削った長い枝を串に見立てて肉の塊を豪快に丸ごと突き刺していく。

 この串は先程の打製石器で削って作ったものだ。

 火にかけるので、大体一度使うと大体駄目になる。なので毎回削って作っている。


 父さんが肉の下ごしらえをしている間、俺はアドルフ兄さんの指示でY字型の木の枝を地面に突き刺していく。そして雪面から雪をどけていく。

 ここに取ってきた小枝を撒きたいところだけど、生木は燃えないのでまずは中央のたき火の周りでしばらく乾燥させる。たき火の周りの地面は熱で雪が溶けて乾燥しているので適当に地面に転がしていれば小枝も乾く。つまり、今取ってきた枝は夜に使う予定だ。

 今使うのは昨晩から乾燥させておいた小枝で、既に程よく乾いている。

 水分が抜けて適度に軽くなった小枝の一本にアドルフ兄さんがたき火から火を貰う。

 俺はその間に地面に散らばっている感想小枝を両手に抱えてアドルフ兄さんの行く先に先回りする。

 目指すのは先程雪を掻いた土の露出した地面。そこに小枝を撒くことになる。

 中央の薪は暖を取るもので調理に使うわけではないからだ。

 たき火から少し離れたところに俺が小枝を撒いて最後にアドルフ兄さんが火のついた小枝を落とす。

 小枝なので火はつきやすいがすぐ燃え尽きる難点がある。

 本当はある程度太さのある薪がいいんだけど斧がない。

 余談だけど、中央の巨大たき火は斧がないから木を切れず、丸事一本木を燃やすしかなくてああなってる節がある。あれはあれで迫力あって良いんだけどね。

 俺は何度もうろの中央のたき火と調理予定地を往復して火種を絶やさないように小枝を運ぶ。俺が運んだ小枝はアドルフ兄さんが順次くべていく。

 ある程度火が強まったところで地面に突き立てた二本の棒のY字部分に父さんが巨大肉のついた串を引っかけた。

 立ち上る炎の先がチロチロと肉の腹を舐めている。ジュゥッと油が滴り炎がはじけた。

 香ばしくいい匂いが鼻腔をくすぐった。


 父さんが肉串を三週ほどぐるりと回し、肉の表面がこんがりきつね色になったた頃、ようやくリーナ母さんが姿を現した。

 エミリオ兄さんはぴったりとリーナ母さんにひっついている。

 母さんやエミリオ兄さんは朝食の準備に参加しなかったが別にサボっていたわけじゃない。 母さんには母さんの役割がある。

 群れにおいて若い母親の仕事はきっちり幼い子供の面倒を見ること。子育てのサポートとしてベテラン夫妻が同行しているのに母親に雑務仕事をさせたら本末転倒だからだ。

 それに子供を育てる行為自体が種を存続する上で一番重要な仕事でもある。

 なので基本的に群れの女性がする仕事は免除されている。

 勿論手が空いているときは仕事を手伝うこともある。

 本格的に群れの仕事に参加するのは子供が全員ある程度大きくなってからの話だ。

 勿論、エミリオ兄さんも幼い子供なので群れの仕事は免除されている。

 群れのおばちゃんの話だと、アドルフ兄さんくらいの年までは群れの仕事を手伝わなくてもいいらしい。

 あ、俺は例外ね。俺の場合は強制じゃなくて自主性だから。

 俺はアドルフ兄さんに対抗してお手伝いをしてたわけだけど、群れのおばちゃん達二人に何度も止められたくらいだ。言い返さなかったけど俺は中身大人だからな。

 子供が頑張っているのに楽しようだなんて思えないさ。

 朝食の準備の手伝いに枝拾いに水汲み。大した事はしてないけど、俺が頑なに譲らなかったらおばちゃん達は今では何も言わなくなった。


 森の中で取れる巨大な葉っぱを更代わりにして焼き上がった肉を父さんが地面にでんと置く。十キロくらいありそうな巨大な肉の塊だ。打製石器のナイフでこれを必要な分だけ斬って口へと運ぶ。

 食事のメニューは基本的にこれオンリー。日に二回朝と夜にこれと同じのが出る。

 毎回毎食これを塩などの調味料もなくそのまま頂く。

 鍋を初めとする調理器具も調味料もないため、茹でることすら叶わず直火焼き以外の調理方法が採れないのだ。

 おまけに肉が非常に臭い。血抜きが不十分でない可能性はあるが狩りに行く男達の様子を見ているわけではないので今の所は何とも言えない。元々の肉質が悪いのかもしれない。

 よって食事は楽しむためのものではなくて命を繋ぐだけの行為と貸している。

 俺は前世から好き嫌いもなく、マズイ物も平気で食えるタイプだったから普通にこの食事に順応できているけど前世美食家がここに転生したら発狂しているに違いない。

 俺のあんまり上手くない食レポだとこんな感じになるかな。


 こんがりきつね色に焼かれ、漂う臭いも香ばしいのでぱっと見は美味しいでしょう。

 一口囓ればあっと驚き。

 鼻からツンとした生ゴミのような異臭が抜けた後に、口の中に鉄を含んだようなえぐみのハーモニーが広がります。食感はゴムみたいで顎が鍛えられる点もグッドですね。

 また、味付けは一際されていないので素材の味がダイレクトに楽しめます。

 星-3つです。

 


 ……得に語ることもない無味乾燥な食事の風景。

 俺の家族は皆押し黙って作業のように淡々と肉を食べていた。

 場を支配するのは沈黙。

 実は結構見慣れた光景である。

 この反応を見る限り、恐らくこれをマズイと思っているのは俺だけじゃ無いはずだ。

 食事以外の時は会話するのに、食事の時だけいつも無言。

 食事の内容で会話の弾み方って変わるんだろうなぁと俺は思う。

 無言だったが穏やかな空気が流れていることを俺は感じていた。

 特に、リーナ母さんが甲斐甲斐しく肉を切り分け、エミリオ兄さんの口に肉を運ぶ光景は中々微笑ましく思った。エミリオ兄さんが不味さで泣きそうな顔しているのも何だかおかしかった。

 いいなぁ。ああいうの。ああいうのが一般的なお母さんなんだろうな。


 俺の母親はああじゃ無かった。子供をアクセサリーのように思っている人だった。

 実績を出す弟は自慢の存在で可愛い。弟には蝶よ花よと望む物を何でも与えた。

 勉強でもスポーツでもいつも悪い結果ばかり出した俺は可愛くなかったのだろう。

 母はヒステリックに叫びながら暴力を振るった。

 幼い頃、母は弟にフォークで刺した肉を弟に食べさせたことがあったが、俺は母にフォークで手の肉を突き刺されたことがある。俺はそんな母が父以上に怖かった。

 母が怖くて父に助けを求め、いつも父に淡々とクズ、死ねと罵られた。

 父はいつも殴られた俺で無く殴った母の擁護をした。

 俺は前世に血縁こそいても家族はいなかった。

 弟はそんな俺を小馬鹿にしていた。喧嘩でも勝てず、体のいいパシリにされた。

 ……狂った環境だった。

 

 思い出したら悲しくなった。目の前との光景とのギャップが酷かったのだ。

 気づいたら少し涙ぐんでいた。

 リーナ母さんがふとこちらを見たので慌てて俺は涙を拭った。

 「どうしたの?」

 と母さんが聞いたので、煙が染みただけと答えておいた。

 母さんに追求されても、前世絡みのことだと答えに困る。

 追求されないように努めて何も無かったように肉を切りわけて自分の口の中に慌てて放り込んだ。


 食事の後、父さんは森へ狩りに出かけていった。



 食事が終わると俺とアドルフ兄さんがてきぱきと片付けを始める。

 すると、リーナ母さんがこちらへとやって来た。

 エミリオ兄さんは最早母さんの体の一部と言わんばかりにぴったりとセットでついてくる。


 「ヴェル君」


 母さんが俺に声をかけてきた。


 ……うっ。

 俺、苦手なんだよなぁ。


 何が苦手かって?

 それは母さんの腰元から感じる視線がだ。

 エミリオ兄さんがじーっとこちらを見ているのだ。

 あの視線は僕からお母さんを取らないでと言っているようで中々に来るものがある。


 そう、これだから俺はエミリオ兄さんが母さんと一緒に居られるようにしているのだ。


 俺はエミリオ兄さん押し戦に負けてたじたじと後ろに下がる。

 その様子を見て母さんは一瞬悲しそうな顔をした。

 そして覚悟を決めたのか俺に聞いてきた。


 「……もしかして、私、何か嫌われる子としたかな? 答えたくなかったらいいよ」


 予想だにしなかった質問だ。

 俺がエミリオ兄さんに気を使って距離を取っていたのは事実だ。

 だが、まさか母さんには嫌ってると解釈されているとは思わなかった。


 「あ、え、いや、その……嫌いじゃないけど……その」


 俺は慌ててとりあえず否定しながら、続ける言葉を探す。


 リーナ母さんは今世で血を分けた実の母親だ。

 理由も無しに嫌いになったりもしなければ、俺自身も嫌われたくはない。

 俺はリーナ母さんと仲良くしたいと思っている。

 だけどそれは今じゃなくていいかなと思うのだ。

 俺は幼い子供から母親を取り上げる真似をしたくないんだよ。

 もう少しエミリオ兄さんが大きくなって自立してから仲良くなれればそれで……。

 だからといって本音を言うわけにはいかない。

 そしたらエミリオと母さんの今も関係が壊れてしまう。

 

 う、エミリオ兄さんと母さんの視線が痛い。


 彼らの視線を交互に見た後、気まずさに視線を逃がすと片付けを終えたアドルフ兄さんの姿が目に入った。


 「嫌いじゃないです!」


 それだけ言い放って、俺が選んだ行動は逃走だった。


 「あ、アドルフ兄さん。そうだ! 訓練の続きしよう。さっきは雪合戦で遊んじゃったからね。そうしよう」


 「え、ヴェル!?」


 アドルフ兄さんの腕を無理矢理つかんで森の浅いところに俺は飛び込んだ。

 ちらりと背後を振り返ると、リーナ母さんが俺を追いかけようとしているのが見えた。

 だが、ぴったりとくっついたエミリオ兄さんが重しとなってそれは叶わないようだった。


 

 森の中をしばらく走ってから足を止める。


 「ヴェル。あれで良かったのかい?」


 「……」


 俺にはどうにも答えられなかった。


 「母さんは今頃心配してるんじゃないかな」


 「……うん」


 「どうしていつも母さんを避けているんだい?」


 俺は観念して話すことにした。


 「アドルフ兄さんだから話すけど、ほら、エミリオ兄さんって母さんのこと好きでしょ。俺がいたら邪魔かなって。母さんは年下の俺を優先するだろうし、そしたらエミリオ兄さんはどうなると思う?」

 

 「……ああ、そういう事なんだ。でも、ヴェルはそれでいいのかい?」


 「今はそれでいい。それにほら、俺にはこうして話を聞いてくれて心配してくれる優しい兄さんがいるじゃないか」


 「僕は母さんのかわりにはなれないよ」


 と、言いつつもアドルフ兄さんの尻尾が僅かに揺れていた。

 俺に頼りにされてるのがわかって嬉しかったのだろうか。


 「一緒に遊んでくれるだけでもいいよ。また雪合戦しよう。あと、訓練にもつき合ってくれると嬉しいな」


 「それなら僕の方からもお願いするよ」


 「よし、じゃあ決まりだね。あ、さっき言ったことは母さん達には内緒にしていてね」

 

 「ヴェルは小さいのに凄いな。しっかりしている。僕がそれくらいの時は母さんや兄さんに甘えっぱなしだったよ」


 アドルフ兄さんはぽつりと呟いた。

 あんまり褒められた経験のない俺は、褒められ耐性がなかった。

 尻尾にダイレクトに反応が来た。どうやら感情の起伏で無意識に動いてしまうらしい。

 

 「い、いやアドルフ兄さんの方がよっぽど凄いよ。俺に出来ないこと一杯出来るし。お手伝いだってアドルフ兄さんの指示で動いているようなもんだし」

 「僕は僕の出来る事をしているだけだから。それに僕はヴェルよりもよっぽど長く生きてるし」

 よっぽど長くって……せいぜい五年だろ?

 俺なんか前世分三十年長く生きてるもんね。うん、何の自慢にもならないな。


 「……そっか、こうしてみると僕とヴェルは結構似ているのかもしれないね。下の子達が出来てから下の子の面倒を母さんが見ていたから僕を面倒見てくれたのって兄さんだったんだ。ヴェルは知らないと思うけど」

 「それって病気で死んじゃったっていう……?」

 「うん。父さんから聞いたんだね。約束したんだ。兄さんの代わりに僕が父さんや母さんや弟たちを守るってね。その約束がなかったら今頃僕は何もしてなかったと思うよ」

 「家族を守る、か。兄さんはそんな事考えてたんだ。でも一人じゃ大変だと思うから、じゃあ俺はそんなアドルフ兄さんの力にできるだけなろうかな」

 「アルでいいよ。僕の面倒をよく見てくれた兄さんもそう呼んでいたから」


 なんだか、アドルフ兄さんとの距離が更にぐっと縮まった気がした。


 ■□□■


 ヴェルクがアドルフの手をつかんで強引に森へと走り去った後。


 自身の膝にちょこんと座るエミリオの頭を撫でながら、リーナはため息をついた。

 子育ては難しいとひしひしと感じていたのである。

 中々親離れしない真ん中の子であるエミリオもそうだが、目下の悩みは末の子のヴェルクのことである。

 今朝、見間違いで無ければ食事の時にヴェルクは一人泣いていたように思う。

 リーナにはその光景がちらついてどうしようもないのだ。

 ヴェルクとリーナがまともに会話した数はヴェルクが生まれてこの方、十にも満たない。

 リーナがいくら話しかけようとしても、すぐに察知されてヴェルクの方が距離を取ってしまうのである。もしくは先程のように逃走を試みるかだ。

 残念ながら死んでしまった子も含めて都合五回子育てを経験しているが、子供の方からあそこまで露骨に無視されたのは初めての経験である。

 だからといってヴェルクはわがままで聞き分けのない子ではない。

 積極的に群れの仕事を手伝いもするし、むしろあそこまで手のかからない子は初めてだった。子育てを手伝うために同行しているノルドやクロードの妻はヴェルクを見てよく出来た子ねぇとヴェルクを褒めている。

 それだけでなく子育てにコツがあるのかしらとリーナまで褒めてくれる。

 リーナとしては母として何かをした記憶がないので心中複雑だった。

 むしろ、自分よりも群れの女性達の方がヴェルクと接する機会が多いほどだ。

 そこではたと気づいた。

 群れの中でヴェルクと話した回数が下から数えた方が早いのはリーナ自身だと。

 自分の子供と触れ合う機会が少ないのは少々どころか大分不味い自体のではないだろうか。

 自分の役割は子育てをする事であり、そのため群れの仕事も免除されている。

 ヴェルクと上手くいっていないのは役割の放棄にも近いことである。

 それに何よりも血を分けた子供に無視されるのは悲しかった。


 

 少しだけ時間が戻ってヴェルクとリーナが短いやりとりを交わす前のことである。

 リーナはヴェルクにずっと嫌われていると思っていた。

 嫌われていると感じているからこそ気を使ってリーナはなかなか積極的にヴェルクに話しかけられなかった側面がある。会話を無理強いして余計に嫌われたくなかったのである。

 それと同時に芽生える相反した焦りにも似た思考と気持ち。

 

 このままじゃいけない。

 早くどうにかしないと取り返しがつかなくなる。

 このまま嫌われっぱなしで本当にいいの?

 

 脳内に生まれた小さな思考の種は日に日に膨らみ脳内を占拠していく。

 そして、いつかリーナはヴェルクとの間にいつか埋めようのないほどの溝が出来てしまうことを予感した。そしてその考えを払拭するには考えるだけで行動しないといけないことも。

 

 ついに今日、リーナは意を決してヴェルクに自分が嫌いか聞いた。


 距離を取るだけではただの現状維持で問題の解決にならないことに気づいたからである。

 ヴェルクの口からはっきりと嫌いと言われたら今度こそ二度と干渉しないと決めて。

 また、ヴェルクが嫌なところは極力直そうとも思っていた。

 どんな酷いことを言われても受け入れるつもりでいた。

 

 だが、その返答は嫌いじゃないという返答だった。

 しかも、ヴェルクはそれだけ言い残して去ってしまった。


 思わぬ返答にリーナは拍子抜けする。

 嫌われていなかったという安堵と共に、だったら何故という疑問がリーナの中に浮かんでくる。ヴェルクがどういった思考で自分から逃げているのかがますますわからない。

 慌てて後を追いかけて真相を確かめようとするが、不意に体を引っ張られる感覚を覚えた。

 エミリオだった。

 

 リーナはため息を一つつくとエミリオの手を引き、たき火の前にやってきた。

 エミリオはさも当然の権利と言わんばかりにリーナの膝の上に座る。

 そして話は最初に戻って子育ては難しいという悩みに突き当たる。


 リーナは置かれた状況と過去の経験からヴェルクの心情を推し量ることにした。 

 まず、ヴェルクは嘘をついている可能性。

 リーナに気を使って面と向かって嫌いと言えなかっただけという線。

 だが、これはよく考えてみれば異常なことだ。

 子供は幼いほど自分の欲求に素直で自分の気持ちを押し殺すことが下手なのをリーナは子育ての経験から知っていた。

 証拠にエミリオなんかは自分が少しでも離れるだけでぐずってしまう。

 今は聞き分けのいいアドルフもヴェルクくらいの年はエミリオと似たようなものだった。

 幼くして死んだ娘は偏食したりとエミリオに輪にかけてわがままだったし、あのまま成長したら将来どうなったんだろうと今でも思うことがある。長男は初めての子で面倒を見る時間も十分あったし余裕もあった。更にいえば得に甘やかして育てたので言わずもがなだ。

 そう、ヴェルク以外の子供にはリーナはつきっきりで面倒を見ていた時期が少なからず存在する。

 故に異常なのだ。歪んでいるといってもいい。

 記憶が正しければヴェルクはエミリオの半分すらも生きていないはずだ。まだ季節がたった五巡しかしていない。

 思い返せば二巡目で歩けるようになってからすぐにヴェルクはリーナから距離を取るようになった。リーナが膝の上に乗せようが執拗に嫌がった。

 纏っている毛皮が汚れれば自分で勝手に取り替えた。

 雪を溶かした水で自ら洗って干している姿だって見たことがある。

 水だって欲しければ勝手に飲む。何かして欲しいと一度も言われたことがない。

 唯一あるとすれば、三巡目に授乳を拒絶して大人と同じ食事を要求した事くらいだろうか。

 幼いヴェルクがよく焼いた肉を消化不良を起こさないために非常に細かくすり潰すようにしてから食べていたことは記憶に新しい。それほど徹底していた。

 あまりにヴェルクは自分のことを自分でやり過ぎるため、三年目には親であるリーナのする事が全くなくなった。

 リーナの目から見て、エミリオの方が親の手助けをまだまだ必要としているように思えた。

 食事は食べさせて貰わないと食べられない。自分で着替えも出来ない。

 そんなエミリオの面倒を中心に見ながら現在に至っている。

 ……これが本当に正しい選択なのだろうかと自問自答しながら。 

 


 ここのところエミリオの相手をしながらヴェルクの事ばかり考えていた。

 エミリオをあやしながら、ヴェルクの様子を遠目から観察していて気づいたことがある。

 アドルフは枝拾いなどの毎日決まったお手伝いをしているのに対して、ヴェルクは気がつけば群れの仕事を率先して手伝いに行く。この間、見たのは毛皮を鞣す作業の手伝いだったが、さりげなく作業に混ざると鞣しやすいように毛皮の端を押さえていた。

 そういった意味ではアドルフ以上に気のつく子である。

 狩りで森へと入る男達はヴェルクの普段の行動は知らないかもしれないが、群れの女性にはヴェルクの評価は非常に高い。褒められているのを何度か見かけた事がある。

 ヴェルクは困ったような照れたような反応をしていた。

 自分には見せないその反応にリーナは少しばかりの嫉妬を感じた。

 何故なら、リーナの記憶の中にあるヴェルクはいつも困った顔をしているのだ。

 先程もそうだ。目線がちらちらと泳いでいた。

 言葉を探して、上手く見つからずに逃げたように見えた。


 ヴェルクは何を見ていたんだろうとリーナはふと気になった。

 そこにヒントがある気がしたからだ。

 数少ないヴェルクと会話した記憶を全て思い出してみる。

 ヴェルクは大概会話する前に逃げてしまうが、稀に逃げないで会話が成り立つことがある。

 そういったときはどんなときだっただろうか?

 いつも二、三言の少ない会話だ。会話を打ち切るのはいつもヴェルクの方。

 決まって途中で何かに気づいたように、そわそわとし始め最後には逃げてだしてしまう。

 いつも視線がどこかへと泳いでいた気がする。

 何となくその視線をリーナは追うが、その先にはいつもエミリオの不安そうな顔があった。

 何故か悲そうな顔をしているんだろうとリーナは思う。一瞬エミリオの方へ時が逸れる。

 その隙にヴェルクはいつも逃走していた。

 ヴェルクがいなくなった以上、リーナはエミリオを優先する。


 「……あ」


 その瞬間。ばらばらだった符号がかちりと合わさった気がした。

 同時に自分のしてきた間違いと考えの足り無さに気づく。

 先程、自分が嫌いかとヴェルクに問うた自分の無神経さを罵ってやりたい気にさえなった。

 結局リーナは自分のために行動していただけと気づかされたのだ。

 ヴェルクに嫌われたと思った。それだけで頭がいっぱいになってしまった。

 リーナ自身の問題を解消するべくの行動でヴェルクのための行動で無いことに気づいた。

、逆にヴェルクを追い詰め困らせてしまったように感じる。

 ヴェルクは人一倍気のつく子だった。

 だが、想像の埒外と言えるレベルまで他者に気を使っているとは思わなかった。

 先程、問いに答えられなかったのはエミリオに気を使ったからである事は間違いない。

 ただ、嫌いじゃないとだけ言い含めて逃げたのはリーナに対して気を使ったからだ。

 答えたらエミリオが傷つくことになる。答えなければ私が傷つく。

 だから、ヴェルクには問いを飲み込んで逃げ去る道しか無かった。


 その事に気づいてしまえばリーナにとって謎だったヴェルクの行動が全て氷解する。 


 今までヴェルクの視線が困惑して泳いでいたのはエミリオに向いていたからだ。

 そして、エミリオはいつも不安そうな顔をしていた。

 思えばあれは母親の興味の対象がヴェルクに移ることを不安がっての顔だったのだと思う。

 それにヴェルクは親であるリーナよりもよっぽど早く気づいてしまったのだ。

 だからヴェルクはこれ以上エミリオから母親を奪えないと判断して会話を続けることが出来なくなった。かといってその理由を馬鹿正直にリーナに言うわけにも行かない。

 だから逃げるしか無い。


 リーナはまさかと思った。だが、多分それが真相なのだ。


 普通の子供だったら親には自分のことを優先して欲しい。

 だからそんな視線があっても気にしない。

 それどころか子供同士の喧嘩に発展する恐れだってある。

 事実、アドルフとその妹はリーナの膝の上を巡って一時期喧嘩していた覚えがある。

 その時はリーナが仲裁に入り、代わり番こということになったが最後にはアドルフの方から身を引いてくれた。

 かつて、リーナ自身も五年ほど母の愛を独り占めした後、泣きわめく妹にその立場を譲り渡した記憶がある。年下を泣かせた罪悪感がリーナ自身の成長を促進させた。

 ……だが、エミリオとヴェルクの場合はそれが無い。

 ヴェルクが争いにならないように身を引くからエミリオはいつまでもリーナに甘えたままだ。エミリオはヴェルクが気を使っていることなどまだ理解は出来ないだろう。

 ヴェルクが去った後、リーナがエミリオを撫でているとほっとした表情をするのはそれが理由なんだと今更ながらに気づいた。

 エミリオはそれでいいかもしれないが、ヴェルクは……?

 ……気づいてしまったばかりに今更ながらに今までの判断に後悔と焦りが生じる。

 思い返せば逃走した後、ヴェルクは決まって群れの手伝いを始めていた。

 これでヴェルクがぽつんと一人でそこら辺に座り込んでいたら多分リーナは放っておけないだろう。だが、群れの熟年女性に褒められている姿を見ればリーナも何も言うことは出来なくなる。

 親の手が必要ないくらいしっかりしているヴェルクよりも、膝の上で宥め賺しているエミリオの方が危なげな存在な気がしてくるのだ。

 そこまで考えた上での群れの手伝いとしたら……やはり埒外と言うほどの気の回し方としか言えないだろう。

 そして群れの手伝いをするのも自分がやりたいからと言って聞かない。

 つけいる隙が無かった。そして周りを欺くのが上手かった。

 

 ヴェルクは自分の心情を吐露しない。何を考えているかはわからない。

 泣き言は言わない。わがままも言わない。

 だが、今朝ついにヴェルクが泣いている所を見てしまった。

 そしてその時、ほんの一瞬目があった。

 だが、その直後には涙を拭って努めて普通を演じた。

 本当は辛くて陰ではもっと泣いてるのかもしれない。

 だが、それを人に見せることを嫌う性格だともうリーナは確信していた。

 人に心配されるのが余程嫌いなんだと思う。

 だが、それにしたって執念じみた気持ちの押し殺し方だと思った。

 ヴェルクは間違いなく本来ならまだまだ甘えたい年頃のはずだ。

 だが、父であるヴェリドは基本的に狩りで拠点にはいない。

 母である自分はエミリオの物だと自分の中で理由を付けて諦めているようにも感じる。

 だからヴェルクは早々に親に甘えることに見切りを付け、急速に自立を始めた。

 そして急速に自立する事で群れに居場所を作ろうとしている。

 事実ヴェルクは周囲に少しずつ認められ始めている。今ではもうヴェルクが群れの仕事を手伝うのが当たり前の風潮になりつつある。

 涙を全て押し殺し、親に甘える子供時代も無くいきなり大人の仲間入りをする。

 ここまで考えが至った所で非常に悲しいことだとリーナは思った。


 「……どうしよう」

 

 リーナの呟きはか細く、誰の耳にも届かずに掻き消えた。

 

 



  □■■□


 アドルフ兄さん……いや、アル兄さんと一緒に訓練をして村へと戻ってくる。

 今度は遊ばずに真面目に訓練をやった。俺は筋トレの後、タックルの訓練をした。

 その後に本来やるはずだった棍棒の打ち合いの稽古もした。

 速度は本気の三割で相手には絶対ぶつけない。この方法で群れの男達は訓練している。

 本気で打ち合って怪我をすれば獲物を狩りにいけなくなっては本末転倒だからだ。

 ……だからといってこの速度だと訓練の意味があるのか少々疑問になるが。


 うろの拠点に戻ってくる。

 母さんの視線を感じた俺は村へ戻ってくると、すぐさまノルドのおっさんの奥さんに当たる人物に話しかけた。奥さんは鮮やかなブルーの毛並みだ。

 地球の狼には無い配色。こういう所はファンタジー世界なんだなって改めて思う。

 そしておばさんと一緒に冬に向けて備蓄として干し肉の作成と毛皮を鞣す作業、雪を溶かして飲み水を作成する作業を始める。

 今更だけど、水を溜める器はこの森に所々生えてる大木みたいな太さをした真っ白な竹のような植物を使っている。節があるので水漏れがしない。また、若さによって幹の太さが変わるのでコップ代わりににしたり桶のように使ったりも出来るのだ。

 斧が無いので打製石器を叩き付けてちまちま傷を付けて斬る。生の状態だと意外と柔らかく、竹ほどの弾性も硬さも無いため非常に加工しやすい。

 それでいて軽く干した後に軽く表面を炙ってやれば以降は濡らしてもふやけることも無く、更に竹のような強度になり長持ちするという森の生活において必須とも言えるチートじみた植物である。ちなみに、この竹もどきの名前はバンペイって言うらしい。

 俺とアル兄さんはその植物で作った桶に雪を溜めて巨大たき火の周りに並べていく。しばらくすれば溶けて飲み水になるだろう。

 本当は煮沸したいけど、竹容器を火あぶりにするわけにはいかないし、金属の鍋が無い以上諦めるほか無い。


 その作業が終わると干し肉を作る作業。

 余剰分の獲物の肉が材料で群れの奥様方二人が肉を細かく切った肉をたき火の前に並べるのが仕事だ。土で汚さないように葉っぱを下に敷く。

 巨大たき火の周りが干し途中の小枝やら水桶やら肉やらでごちゃごちゃしているのはいつものことなので気にしたら負けだ。アドルフ兄さんにお願いしてアドルフ兄さんにはリーナ母さんとエミリオ兄さんがいる方に回って並べて貰った。つまり、俺達家族がたき火に当たっている側だな。俺は母さんやアドルフ兄さんから見てたき火を挟んだ反対側、普段ノルド夫妻とクロード夫妻が座る位置の方に並べていく。


 そしてそれが一段落すると、毛皮のなめし。森で採った殺菌防虫効果のあるらしい薬草をすり潰してお湯に溶かしそこに剥ぎ取った毛皮を入れて地などの汚れを落としていく作業だ。

 桶の中に毛皮を入れて足踏みもみ洗いするのが俺とアドルフ兄さんに与えられた仕事。


 それらが終わると群れの女性二人と小枝を拾いに森へと行く。

 と、その前に巨大たき火の燃料補充を中年女性二人で行っていた。

 丸太を二人で持ち上げるってどんな怪力だよ。

 木って一本で三百キロくらいあるって聞いたことあるぞ。奴らは化け物か。

 と、一瞬思ったけど、よく考えると拠点に丸太を群れの男は何でも無い顔で一人で運んでくる。

 あれ、もしかして普通のことなのか?

 種族差って奴なのか? それともファンタジー世界特有の現象か。

 木自体が異常に軽いのか?

 だったら俺にも出来るか……?

 試しに拠点に転がっていた予備燃料の丸太を持ち上げようとしてみたが持ち上がりすらもしなかった。そりゃそうか。未だに訓練用の棍棒持ち上げるだけでひーこら言ってるもんな。

 

 丸太を放棄し、俺はアドルフ兄さん達の後を追った。

 後は夕方になるまでひたすら枝の備蓄作業だ。



 辺りが暗くなる前に群れの男達が森から引き上げてくる。

 今日父さんが仕留めたのはアーマードラビットが三体。

 表面を硬い骨のようなプロテクターで覆った兎だ。

 父さんは慣れた手つきでプロテクターを剥ぎ取るとあっと言う間に肉に切り分けた。

 プロテクター部分はゴミで、アーマードラビットの場合プロテクターの隙間しか毛皮が無い為、毛皮も穴ぼこで使い物にならならしい。

 朝と同様の手順でアドルフ兄さんと夕飯の支度始める。

 

 あとは、毎食代わり映えのしない肉の丸焼きを食べて日没と共に寝れば一日が終わる。

 毎日毎日これの繰り替えし。

 DVDのリピート再生のような日々が過ぎて行く。

 そしてまた今日も何ごともなく終わろうとしていたのだが――。


「エミリオ。今日は隣に座ってね」


 問題が起きたのは肉を焼き終わり、夕食の焼き肉塊を家族で囲もうとしたその時だった。

 いつもの特等席に座ろうとしたエミリオ兄さんに母さんが言ったのだ。


 

 「みっ!」


 エミリオ兄さんは母の突然の拒絶を理解できずに戸惑いながらもいつもの場所へと向かう。

 だがエミリオ兄さんが座ったところを母さんはひょいと持ち上げて自分の隣へとそのまま置いた。


 「み、みぃぃ……」

 

 エミリオ兄さんは半泣きで母さんの膝元へとトライを繰り返す。


 ――何かがおかしい。

 不穏な気配を感じ取った俺はすかさず父さんとアドルフ兄さんの間に腰を下ろすことにした。そして、嫌な予感が的中する。


 「ヴェル。こっちに来て」


 俺はリーナ母さんに手招きをされた。

 どう言う心づもりかいつもエミリオ兄さんにやっていることをやってくれるとでも言うのだろうか?

 だけどそれにしたっていきなりエミリオ兄さんを押しのけることは無いだろう。

 あれじゃあんまりにも可哀想だ。

 

 「えっと、ここでいいよ」


 いい年した俺がエミリオ兄さんの状況になるのは恥ずかしい。是非ともお断りさせて頂く。

 その間にもエミリオ兄さんは母を求めて膝へと向かう。

 母さんはエミリオ兄さんを一瞥もしないで俺を見たまま黙ってどけた。

 エミリオ兄さんの顔は既にダムが決壊しそうな悲惨な状況になっている。


 「俺はいいから。エミリオ兄さんを、ね」


 俺はそう言ってその場からテコでも動かない。

 しかし、母さんも譲る気が無いようだ。

 名キーパーの如くエミリオ兄さんをセーブし続けている。

 

 父さんは何か言いたげにして……結局、言葉が見つからないのか黙っていた。

 アドルフ兄さんは気まずそうな顔をしている。

 そして俺は見えないふりで聞こえないふり。

 終いにはエミリオ兄さんが泣き出してその場から走り去ってしまった。


 既に辺りは薄暗い。夜は魔物も活発になる。

 父さんが慌ててエミリオ兄さんを追っていった。


「……はぁ」


 ……対応ミスったかなぁ。

 だけど、母さんが突発的にあんな行動取るんだもんなぁ。だけどアドリブでうまいことできるなら前世で俺はもう少しマシな立ち回り出来ていただろうし、これは仕方ないか。

 に、しても何かあったのだろうか?

 いつも何も言ってこなかったのに今日に限って母さんが俺を膝に乗せようと思った理由は何だ。

 ……考えてみる。

 そして思い当たったことが一つ。

 恐らく、エミリオ兄さんを自立させようと思っての行動だろう。

 群れの生活は危険が多い。早く自立することに越したことはない。

 お荷物が減れば生存率が上がる。母さんがエミリオ兄さんの面倒を見なくなればその分だけ群れでの仕事も効率化する。

 そのために、大方年下の俺を利用しようとしたとかそんなところだろう。

 年下の俺が膝の上に座ればエミリオ兄さんは諦めるしか無くなるだろうからな。

 だからといって……なぁ。


 俺は苦々しげに口を開いた。


 「……母さん、無理矢理すぎ。いきなりすぎ。あれじゃエミリオ兄さんが困惑するだけだよ。自立をさせたいなら自分のタイミングで離れるのを待つべきだと思うよ」

 

 「……で、でも、それじゃヴェルはいつまで経っても……」

 

 え、俺?

 どうして俺が出てくるんだ?

 それよりも、だ。


 「エミリオ兄さん泣いてたよ。母さんだって泣かせたかったわけじゃないでしょ」


 「……うん」


 「じゃ、行ってあげて。エミリオ兄さんが待っているのは父さんじゃ無くて母さんだと思うから」


 

 

■□□■

 


 リーナは困惑するヴェリドから泣きわめくエミリオを受け取りながら、失敗したと後悔していた。

 ヴェルクは自己主張をしない。放っておけばいつまで経っても親に甘える行動を取らないだろう。

 だから心を鬼にしてエミリオに対して行動を起こした。結果としてエミリオは反発した。その様子をヴェルクが苦々しげに見ていたのが痛いほどにわかった。

 ヴェルクが何を考えていたのか大体想像がつく。

 どうしてエミリオを邪険にするのかと考えていたのだと思う。

 だからこそ引き下がるわけにも行かなかった。

 エミリオだけが特別な子じゃないと行動で示したかったのだ。そうしないとヴェルクはエミリオに遠慮し続けてずっと一歩引いたままになる。親である自分に甘えるにしても常にエミリオに気を使う事になる。それじゃ意味が無い。

 そう思っての行動の結果がこれだ。エミリオを泣かせてしまった。

 それ自体は薄々予感していたし、覚悟もしていた。エミリオに嫌われるのも必要な犠牲だと思った。いずれ子供は大人になる。遅かれ早かれ親と離れる時は来る。

 自分に言い聞かせて、泣きそうなエミリオに対して厳しい行動を取ったのに……。

 エミリオが逃げ出した後、リーナは強い後悔の念に襲われた。

 エミリオを追うべきか、残ったヴェルクを取るべきかリーナは一瞬逡巡した。

 その絶妙なタイミングでヴェルクはリーナに対して、エミリオを優先しろと言ってきた。

 もし、迷わず攻勢に出て抱きしめていればヴェルクの動揺を誘えたかもしれない。

 だが、守勢に回ってしまった。ヴェルクの言うことは正論である。

 もし断ればヴェルクはいい顔はしないだろう。最悪嫌われる可能性だってある。

 そうなれば当初の目的も果たせないばかりか、エミリオを突き放しただけに終わってしまう。最悪の結末だった。

 リーナは大人しくエミリオを追い、必死に宥めることにした。

 その目には猜疑の色が浮かんでおり、リーナの胸がちくりと痛んだ。

 リーナにはもうヴェルクに対してどう行動を起こせばいいのかわからなかった。

 ……母親、失格だ。

 リーナは強い自責と共にヴェルクとアドルフの待つ場所へと戻った。

 エミリオは未だ泣きそうな顔をしていたが、リーナも同じくらいに泣き出したかった。


 

 ■□□■



 すっかり冷めきった肉を黙々と食べた。

 夕飯が終わると父さんは見張りへいった。

 群れの安全を守るため、群れの男は交代で毎晩火の番と魔物の警戒に当たる。

 残った俺達家族は巨大なたき火の周りに毛布代わりの毛皮を敷いて横になる。

 夜は相変わらず冷え込みが激しい。

 夏のこの期間でさえ氷点下になることもある。

 過酷な日々だ。遊ぶ物は無い。食べる物は無い。家すらも無い。身の安全も無い。病気になれば死ぬしか無い。

 でも、前世と違って家族がいる。

 

 今日も俺はここで何とか生きてます。

 

※『トイレ』という単語がありましたが、この世界にはトイレはありません。

それっぽい異世界言語に変換されていると思って下さい。


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