第88話 森の友
「ようこそ森の友よ。何かお困りか?」
「森の友だと?」
「突然の訪問お許し願おう、森の友よ。『森の賢者』たるそなた達に尋ねたいことがある」
ガヴァの大森林の中、猿賢人たちの暮らす廃れた遺跡に、外套を纏った二人の来客があった。縫い付けられているフードを被っていないため彼らの素顔は晒されており、両者とも中性的で端正な顔つきをしているが、一方の髪は短くそしてエルフの証明である長く尖った耳が望め、もう一方の髪は長く耳が隠れており猿賢人たちにはその長さを確認する事はできない。その二人の男のうち短髪エルフは、猿賢人の長老の言葉に眉をひそめ、もう一人の長髪の者は恭しく応えた。
「何なりと。我ら古代より森にて共存する友。遠慮は要りませぬ」
「助かる。では聞くが、この辺りで迷い人を見かけなかっただろうか?ここ数日行方を探しているのだが」
「肌が浅黒い女だ」
長髪の男の言葉に付け足すように短髪の男は言う。二人の言葉を聞き取ると、長老はそれらを咀嚼するようにゆっくりと首を傾げ、ふむ、と小さく息を吐いた。
「・・それはあなた方と同じエルフですかな?」
「ふざけた事をぬかすな!あいつが私と同じエルフであるわけがないだろう!」
長老の質問を聞いた途端、条件反射のごとく短髪のエルフは声を荒らげて反論した。その声の大きさに、後ろで様子を伺っていた他の猿賢人たちがビクリと身を震わせた。気分を害したことを隠す事なく表情を怒りで歪ませ、短髪のエルフは長老を睨みつける。長髪の男はバツの悪そうに視線を空中へと向けた。
「ふむ・・失礼。どうやらお力にはなれそうにありませんな。この数日そのような者は見ておりませんゆえ」
「そうか・・いや協力に感謝する」
「おい」
礼を言い、場を立ち去ろうとする長髪の男。そんな彼を短髪のエルフの一声が止める。
「本当のことを言え、猿め。やつを匿っても何もいい事などないぞ」
続けて発せられた短髪のエルフの言葉は鋭く強い。あまりの言い方に長髪の男は驚きの表情を浮かべ、猿賢人の長老は線の細いその顔に、さらに皺を増やした。少しの沈黙。破ったのは長老の方だった。
「そう言われましても、見てないものを見たという事はできませぬ」
短髪のエルフに釣られてか、丁寧な言葉遣いは変わらないものの、若干、長老の言葉は語気が強まった。睨むでもなく、ただまっすぐに自分を見つめてくる長老を見て、短髪のエルフはため息をつく。
「ここへは、ヤツの痕跡を辿ってきた。《追跡》すら使った。この辺りにいる事は間違いないんだよ・・・もう二度と言わせるな。やつはどこだ?」
「知りません」
「《風刃》」
ビュンと鋭い音が鳴った直後、長老は肩を押さえて倒れる。血が地面にわずかに飛び散り、彼は痛みに唸った。泣き出す子ども。彼らをあやそうとしながらも恐怖で肩を震わせる女。事態に驚愕して立ち上がる老人。場は一瞬にして荒れ、発端の張本人である短髪のエルフは、しかし動じない。
「騒ぐな。詠唱なしの初級魔法だ、大したことはない。しかしもし嘘をつき続けるなら、今度はより大きな魔法を使うことになるぞ」
深く、ドスの利いた声音で短髪のエルフは長老に脅しをかける。口角を上げ、顰められた眉は彼の表情を歪めている。普段の端正な顔立ちとのあまりの違いが、よりその表情の醜さを強調していた。駆け寄ってこようとする猿賢人たちを手で制して、長老はゆっくりと立ち上がる。肩の傷口を抑えながら、短髪のエルフと対峙する彼の口からは乱れた息が漏れる。
「私は真実を申しております。・・あなた方の探し人など知りません」
「《風刃》」
鋭い音。長老の膝からの出血を見て、周りから悲鳴が上がるが、しかし今回、彼は倒れなかった。
「ふん・・次は腹を切るぞ?早く本当のことを言え」
「おやめください!彼らは何も知らないのでしょう!!それに猿賢人と妖精人は昔から助け合ってきて――――」
「貴様が妖精人を語るな半耳!!私が間違っているわけないだろう!それにエルフより下等な種族であるはずのコイツの態度が気に食わん」
長髪の男の言葉を短髪のエルフは強引に遮った。長い耳を持ちながら聞く耳を持たない彼の言葉に、長髪の男は唇を強く噛み締め、脚を震わせながら懸命に立ち続ける猿賢人の長老へと視線を送った。
「かつての友情も今では形無しとは・・・。悠久の時を生きるエルフが忘れ、定命の我らが覚えていることのなんと皮肉なことか」
「黙れ!余計な事を言わず、さっさとやつの居場所を言え」
「知らぬと言っている!」
突然怒鳴り返され、思わず短髪のエルフは面を食らう。反抗されたことにか、それとも面を食らってしまった自分に腹がたったのか、眉を吊り上げ短髪のエルフは怒りを露わにする。
「いいだろう・・貴様を殺して次のものに聞くとしよう」
「やめ―――」
「やめて!!!」
長老へと手をかざす短髪のエルフ。慌てた様子で何かを叫ぼうとする長髪の男。長老に駆け寄ろうと走り出す老人たち。一触即発のその場に、高い声が響く。場の全員が向けた視線の先には、弓を携えた少女。ダークエルフのリーシャがいた。
「おじいちゃんから離れて、オルグ」
普段の快活なものとは違う、緊張の色濃いその声は、短髪のエルフに向けられたもの。リーシャの登場に驚く長髪の男とは対照的に、短髪のエルフ――――オルグは笑うとゆっくりと彼女に向かって歩みを進めた。
「お久しぶりです、姫様。お元気そうで何よりでございます」
リーシャの前まで辿り着くと、流れるような動作でオルグは彼女に礼をする。胸に手を当て、瞳を閉じ、頭を垂れるその姿は美しく優雅。あまりの態度の豹変ぶりに周りは目を見開くが、それら一切を関せず垂れた頭の下で涼やかな笑みをオルグは浮かべる。
「何の用なの?おじいちゃんまで傷つけて」
「いやはやとぼけられては困ります。用など決まっていますでしょう、姫様。お迎えにあがったのですよ。さあ私と共に国に帰りましょう」
「何を今更・・・!私があそこに戻るわけ無いでしょう!!」
声を荒らげ強くオルグを否定するリーシャ。頭を上げた彼を睨みつける彼女を見てなお笑うと、オルグは一歩彼女に顔を近づけると、何かを彼女に囁く。声は小さく低く、彼女以外に聞き取れたものはいなかった。他の者が望めたものは、オルグが話せば話すほどに暗く沈んでいくリーシャの表情のみ。やがて、オルグが話し終えると、リーシャは俯きギュッと弓を握り締め、そして顔を上げた。
「みんな、ごめん。私もう行くね」
「え」
「やだ!行っちゃやだ!!」
「どうして・・」
何があったのか。測り知る術など持たない猿賢人たちは不安げに顔に皺を作り、子供たちは不満を露わに泣き叫ぶ。リーシャはポケットから何かを取り出すと、自身の後方にそれを投げて「ごめんね」と呟いた。その行動の意味を考えたものは少なくない。しかし今、それ以上に彼女の発言の意味のほうが不可解であった。
知り合ってわずか数日。だとて猿賢人たちはリーシャの人となりをそれなりに理解していたつもりだった。明るく、優しく、純粋で、猿賢人たちは彼女を気に入っていた。だからこそ子供たちは彼女を引き止め、だからこそ長老はオルグに嘘をついたのだ。彼女の望みがオルグ達と共に行くことではないと猿賢人たちは断言できた。何より彼女は仲間の元に帰りたがっていた筈だ。
驚きと訝しさが混ざった、複雑な視線を注ぐ猿賢人たちに、リーシャは不格好な笑顔を浮かべ、長老へと歩み寄る。
「リーシャ殿・・」
「おじいちゃん。色々ありがとう・・ごめんね」
貼り付けたような笑みでそう言うリーシャに、長老はかける言葉が見つからずただ口を開けて固まる。そんな彼を優しく抱きしめると、リーシャはオルグと長髪の男の元へと向かった。遺跡を出ようと歩み始める三人。子どもたちを始め、猿賢人たちは遠のいていく彼女の名前を呼んだが、リーシャが彼らの方を振り返ることはなく、そのまま三人は森の奥へと消えていった。
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『貴様も笑うか!異種族の王よ!!』
『ガルゥゥゥゥァアアアアッアアア!!!』
『ご提案、はぁ謹んでお受けする。我が群れは…あなたのものだ……新たな王よ』
意識の覚醒と同時、両瞼を開く。微睡む事もないままショウは上体を起こして、ベッドから立ち上がった。夢で見たのは獅子人と呼ばれる亜人との戦いの記憶だった。あれからどれだけ時間が経っているのだろうか。《誓約の儀》の反動の睡眠は抗えないうえに長い。しかし、今のショウが安心して寝るには片付け無くてはならない問題があった。
「大長!おはようございます」
「おはよう、ガン。レイクビューの状況はどうだ?」
「・・御自分で確かめられてはいかがですかな。皆大長の目覚めを待っております」
寝室から出た所で鉢合わせた老ゴブリンのガンに言われるままに、ショウは屋敷の入り口のドアを開ける。降り注ぐ太陽の光。久々の日光に目が眩しさを訴え、それを宥めるようにショウは手で影を作った。
「あ!大長!!」
「なに?」
「お目覚めか」
誰かが上げた声を皮切りに、次々とあちこちから声が上がる。ようやく光に慣れた瞳で見てみれば、そこに映るのは顔馴染みのゴブリンたち。そして獅子が擬人化したような出で立ちの獅子人たちの姿があった。
「・・上手くいったみたいだな」
「ええ。獅子人には特に差別や偏見はないようです。種族は違えど同じ群れならば仲間だと。襲撃の件もジェドという青年が率先して謝ってくれました」
「そうか。それはよかった」
彼らに手を上げて挨拶をしながら、後方にいるガンとショウは会話する。ジェド。その名の青年の存在を彼は覚えていた。群れの長だったガランの息子だ。ショウが彼に勝った際、『父を見逃してくれ』と懇願していた姿を覚えている。
「し、失礼・・王よ」
「ん?」
「ここ、こちらです。ここです」
声のする方へと顔を動かすと、ショウの目の前にちょこんとそれは現れた。ゴブリンよりも低い身長。大きな顔、小さな身体。モコモコとした柔らかい大量の毛が顔の周りから生えており、それを突き破るように渦巻いた角が二本、左右に付いている。獅子人と一緒にいた亜人だった。身長差から自然と見上げるようにショウに視線を送っている。そのせいか、どこか緊張しているかのように見えた。
「お初にお目にかかります・・羊執人十四名の代表の、お、オヴェスと申します」
「あ、ああ。俺はショウ。よろしく。・・・獅子人と一緒にいた人だよな?その・・獅子人が俺達の仲間になったからって、無理に群れに加わらなくてもいいんだからな?」
「我々は必要ない・・ということでしょうか?」
「え?」
言葉の意味がわからず戸惑うショウを前に、彼以上の感情の揺らぎをオヴェスは見せる。不安か恐怖か。負の感情であることは間違いないだろう。今まさに死の淵に立たされているような表情を浮かべ、その小さな身体をフルフルと震わせている。まさしく肉食獣を前にした草食獣そのものだ。
「わわわわわ我々は戦えません。生き残るためにはつ、強い人に頼るしかないのです!身の回りの世話や、衣服の仕立てには役立ちますうう・・・のでど、どうか我々をみっ捨てないでくださいぃ・・」
「え、いや俺はそういう意味で言ったんじゃ・・・」
遂には泣き出し、ショウにすがる様にオヴェスは言葉をまくし立てた。彼の声と体の震えがいかに彼が必死なのかを示している。
「オヴェス、安心しなよ。王は君たちを見捨てたりはしないさ」
「ジェド様・・!本当ですか?」
「もちろんだとも。そうですよね?王よ」
「あ、ああ。もちろん。居てくれたほうがむしろありがたいよ」
ショウの言葉で一気に表情に光を取り戻すと、ペコリと頭を下げてオヴェスは駆けていく。仲間に結果を伝えに行ったのだろう。短い手足を一心不乱に動かす姿はどこか愛らしかった。
「お目覚め、心より喜び申し上げます。王よ」
「ああ、そんな堅くならなくていいよ。堅物はリードだけで十分だ」
片膝をついて礼をするジェドを腕でショウは引き上げた。「そうですか」、と淡白な返事をする彼に微笑で応える。
「どうかな、レイクビューは」
「いいところです。広く、衛生的で安全。魔獣も全く近寄ってきませんし」
「気に入ってもらえてよかったよ。今、獅子人たちの家を建ててるところかな?」
「ええ、ありがたいことに。ゴブリンたちの建設技術は素晴らしいですね。我々の体は彼らより大きい分仕事も多いようですが、皆文句を言うことなく働いてくれています。あ、もちろん我々自身も働いていますが」
「別にソコは疑ってないよ。・・・ところでガランは?」
「あっ・・その・・・父は・・・・・」
今までとは全く違う反応。重くなる空気。鈍い口。ジェドの態度を見て、ショウは黙って彼の意図を察した。
ガランは、獅子人の王は死んでしまったのだろう。原因は間違いなくショウとの戦闘だ。死に直結するほどの傷だった。あの場ですぐに亡くなってもおかしくなかったのに、ショウに王位を譲るまで粘れたのは、ひとえに彼の強靭な精神力ゆえ。いやもしかしたらそれが彼の王としての最後の矜持だったのかもしれない。彼を救うための《誓約の儀》だったが、その力は迫りくる死に対し無力だったのだ。
「ジェド・・ガランは―――」
「お!王ではないか!なんだ目が覚めたのか?」
「父さん!」
のしのしと無造作に歩いてくる目の前の男を見てショウは目を丸くした。男は間違いなくガランだ。魔名を得たからガラン・ファングネル。きっちり生きている。むしろ元気そうだ。
「申し訳ありません、王よ!父は戦いとなると頼りになるのですが他のことに関しては弱くてですね・・働かず寝てばかりいるのです」
「なんだよ・・生きてたのか、ガラン」
「無論だ!我がそう簡単にくたばるか!はっはっはっは!!」
ショウの目の前までやってくると、腕を組んでガランは高笑う。自分の勘違いだと悟り失笑を浮かべるショウの後ろで、ガンもまた髭をしごきながら笑う。
「ふっ、まあよかったよ。傷はもういいのか?」
「問題ない。なんなら闘って確かめるか?」
「それはまた今度な・・ガン」
「何ですかな」
「・・リーシャは見つかったか?」
高笑いを獰猛な笑みに変えたガランを流し、ショウはガンに問いかける。一瞬、口を紡ぐガン。その意図を、今度は読み間違えることはない。
「・・いえ、まだですじゃ。今、総隊長が戦士たちを連れて辺りを捜索しております。まったく、あのおてんば娘はどこをほっつき歩いているのやらカッカッカッ」
予想通りのガンの答え。場を和まそうと愛想笑いする彼を見て、ショウも口角を上げた。《眷属召喚》で生み出した狼の影は消滅している。道中、魔獣にやられたか。それともリーシャを攫った輩か。その正体までは彼らからは読み取れない。
「しょうがないな、全く。皆で迎えに行ってやらないとな」
「仲間を見捨てず。それでこそ我が王よ!」
ガンに応えて愛想笑いするショウ。ずっと笑っているガラン。仲間が一人行方不明になっている状況下で、しかし笑い続ける彼を見ると、それほど悪い状況ではないような気がして、ショウもまたその笑みを強めた。
「む、どうやら総隊長達が帰ってきたようですな」
ガンの言葉を受けて見てみれば、そこにはリードを先頭にこちらに向かってくるゴブリンたち。身につけているものは所々汚れており、そこからは彼らが必死に捜索する姿を連想させる。
「ん?誰か一緒にいるな」
視力の良い、ショウだけが遠くからゴブリンではない何かが彼らに混じっているのを発見した。彼ら同様薄汚れた衣服を纏い、ゴブリンたちに支えられて歩くその姿は―――
「・・・・尻尾猿?」
第四章 完




