第86話 人助けと仕事
「君も食べる?」
歩きながら摘み取った木の実を横で歩く狼の影に差し出す。影は匂いを嗅ぐどころかこちらを見ることすらせず、ただー目はないがー正面を向いて歩いている。つれない同行者の様子をさして気に留めることもなく、リーシャは影に差し出していた木の実を代わりに頬張る。酸味と微かな甘みを舌で楽しみ、彼女もまた正面を向いて歩く。
人攫いから何とか逃げ延びたリーシャと影は現在、ガヴァの大森林の中を歩いていた。同じガヴァの大森林の中といっても、彼女たちの現在位置はレイクビューからは大分離れている。人攫いによって眠らされていた間に、随分と遠くに運ばれてしまったようだった。周りの景色と、自身の感覚から、北に運ばれたのだと決定づけたリーシャは南にあるレイクビュー目指して南下している。普通なら迷ってしまうほどに広大かつ複雑なガヴァの大森林であるが、ダークエルフであるリーシャにとってそれはさほど問題ではなかった。問題といえば日が沈み始めているというのに、今日休めそうな場所をまだ発見できていないこと。弓がないため狩りができず食料の確保が難しいこと。そしてどれほどレイクビューと離れてしまったか分からないということだ。それらについて考え始めると歩く気力を失ってしまいそうになるので、とりあえず問題解決は保留して、リーシャは木の実を口へと運び、足を動かす。
「ん・・あれは・・・」
しばらく歩いた頃、リーシャの視界にあるものが映る。生い茂った草を頬張る彼らは苔石豚と呼ばれる三角猪に似た魔獣である。背中から足にかけてびっしりと苔が生えており、大抵二匹以上で行動する生態を持つ。やや味にクセがあったり、苔を取り除かなくてはならないという調理の手間から、あまり食卓に並ぶ類いの魔獣ではないが、一部の美食家は好んで食べることもある。とはいえ、食料が乏しいリーシャの現状からいえば彼らを見逃すなんていう選択肢は存在しない。気づかれないようにリーシャは体勢を低くすると、近くの茂みへと身を隠す。
「どうしようかな・・」
弓があれば、茂みから射抜くのは容易い。しかし手元には人攫いから拝借したナイフしかない。ナイフしかないのだから当然、近づいて刺すしかないのだが、苔石豚は非常に臆病で警戒心が強い。飛び出して襲いかかったとしてもナイフが届く前に遠くへと逃げて行ってしまうだろう。悩むリーシャの視界に黒い影が映り、リーシャは名案を思いついた。考えてみれば今ある武器は何もナイフだけではないのだ。それを利用しない手はない。
「ねぇ、あそこにいる子たちを私の方に追い立ててくれない?・・・言ってることわかるかな?」
実際の狼以上に表情の読めないその影からは当然のように返事などない。顔はこちらに向けているので、一応はリーシャに注意を向けているようではあるが、それだけでは彼女の言ったことに納得したのかどうかは分からなかった。そんなリーシャの不安をよそに、影はスクッと立ち上がるとひと吠えして苔石豚目掛けて駆け始めた。捕食者と被捕食者。明らかに普段見かけることのない様子の獣でも、苔石豚たちはすぐさま自分たちの立場を把握し、一斉に逃げ出した。ピギイィと恐怖の声を上げて苔石豚たちは逃げ惑うが、彼らよりも圧倒的に影のほうが速い。逃げた先に回り込み退路を断つ影。苔石豚たちはその都度道を変え逃走を試みる。そうして見出した活路の先に、彼らは新たな敵の姿を視認してしまう。
「やるじゃんオオカミ君!」
ナイフを構え、茂みから飛び出し、リーシャは苔石豚たちを迎える準備をする。驚いたのは彼らだったが、逃げ道は知らぬ間に塞がれてしまっている。混乱と恐怖でパニック状態となった苔石豚たちは何をすればよいのかわからないままリーシャ目掛けて突進を続け、そのまま脳天をナイフで刺されて絶命した。
「・・ふぅ・・やった―――」
仕留められたのは一匹のみ。しかしそれで十分である。
狩りの成功に喜び、今回一番の功労者の労を労おうと自身に向かって走ってくる影へと視線を送り―――リーシャの瞳は影が何かによって貫かれる様を映した。言葉は途中で止まり、笑みはその表情から消えていく。影が何も言わぬまま黒い煙となって消えていく様を見終わってようやく、リーシャはその身を再び茂みへと隠した。
(誰!?敵?人攫いが追ってきた?)
正体不明の敵に対する恐怖をなんとか頭を回すことで抑えようと努める。消えてしまった影のいた場所には一本の木製の槍。それに影は貫かれたのだと遅れて理解したリーシャ。そんな彼女の長耳が木々が揺れる音を拾った。音はしばらく鳴り続けやがて止まる。辺りは静寂に包まれ、リーシャは自身の心臓が奏でる爆音を聴くしかない。
「森の友よ」
鼓動以外の音。何者かが発した声に思わずリーシャは身体をビクつかせた。
「信じてほしい、我々は敵ではない」
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「本当に申し訳なかった。我々はてっきり・・」
「いや!もういいよ!全然!!私を助けてくれようとしてくれたんだもんね」
ガヴァの大森林。ショウたちが住むレイクビューより北の奥深くに人知れず石でできた遺跡がある。場所について説明する石碑も、遺跡を守る石像も、祀られる対象である神体すらもない。あるのは長方形の石を積み重ねて出来た遺跡の枠組みと空っぽの小さな家のような建物のみ。何年前のものなのか。作ったのは誰か。誰も知らず、調べようものないその場所には、現在、とある亜人たちが暮らしていた。
皺なのか、元々そういう顔立ちなのか。線が細かく入ったその顔に、さらに線を増やして申し訳なさそうに謝る目の前の人物に、リーシャは焦ったように両手を振る。狼の影が消滅したあの後、「敵じゃない」と現れたのが目の前にいる彼、もとい彼らだった。堅さと柔らかさを併せ持ったような質感の毛が全身を覆い、顔と手足の指先だけが露出している。何製なのかゆったりとした服を着て佇むその姿は彼らが獣ではなく亜人という証明。特徴的な大きい耳をピクピクと動かし、彫りの深い顔を何度も頷かせる様はどこか気品がある。魔獣の尻尾猿によく間違われる彼らの正体は『猿賢人』。現在、リーシャは彼らの住む遺跡へと招かれていた。
「そう言っていただけると我々も救われます。まさかあんなに怪しい外見の獣があなたを守っていたとは夢にも思わなかったので」
「まあ・・確かに怪しいよね・・・全身真っ黒だし」
魔獣というより魔物と言ったほうが適切な見た目を確かに影はしていた。普通に考えれば、目の前の猿賢人の言う通り、影がリーシャを守っていると考えるよりも、むしろ襲っていると考えるのが妥当だといえる。彼女を救おうと槍を影めがけて放ってしまったこともそう責められたことではなかった。
「して、聞くところによるとリーシャ殿はお仲間の元へとお戻りになりたいとか」
「そうなんだよね。ここからすっごく南に行ったところにあると思うんだけど」
「ふむ。・・それは少し困りましたね」
首を傾げるリーシャを前に、その猿賢人は顎に手を添え悩むポーズをとった。髭こそ生えてないがその所作は老人そのもの。そういえば他の猿賢人たちが彼のことを「長老」と呼んでいたななどとリーシャは思い出した。
「あ、これは失敬。いや実は今若人たちが西の方へ大規模な狩りに行っておりましてな。数日は戻りませんのです」
「・・・それで何で困るの?」
「森角鹿たちも全て出払ってしまっておるのです。今ここにいるのは子供か老人のみ。森角鹿に乗らず、護衛もつけずに単身南に行くのは危険です。時間もかかることでしょう」
「え?いいのにそんな・・」
「いえ!いけません!こんな幼気な少女を魔獣が蔓延る森に放りだすなど、そんなことをしてしまっては孫に合せる顔がありません」
「少女って・・私多分おじいちゃんより年上だよ?年言わないけど」
少し声を張り上げての猿賢人の主張に、思わず身を半歩引くリーシャ。口調は以前穏やかなままの猿賢人だが勢いは、さながら「反論は許さない」と暗に告げていた。
「とにかく、リーシャ殿にはしばらくここに留まっていただきます。リーシャ殿のお仲間は心配なさるでしょうが、急いで出発して倒れられてしまっては元も子もありません。それでよろしいですね?」
「あ、うん・・わかった」
猿賢人の気迫に押され、リーシャは了承の返事を絞り出された。彼女の頭にはショウ、ガード、ガン、インエを始めとしたレイクビューの面々の顔が浮かび、リーシャはその一つ一つに「ごめん」と軽く謝罪した。勢いに流され、猿賢人の遺跡に留まることが決定してしまったが、結果だけ見れば安全な寝床と当分の食料を獲得することに成功したということになる。そう考えてみれば特に何に失敗したというわけでもない。リーシャは頭を切り替えると笑顔を浮かべた。
「よかった!では我らの住処を案内します。どうぞこちらへ」
リーシャに釣られたのか、猿賢人もニッコリと笑うと彼女を先導するように歩き出す。ようやく余裕の出来てきたリーシャの視線は観察するようにあたりに向けられていた。
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「お、いたぜ兄貴」
「あぁ、見えてるよ」
二頭の馬に引かれる馬車。その荷台に乗る男が発した言葉に、御車台に座る別の男が返事をする。彼ら二人の男の視線の先にはフード付きのマントを羽織って立つ謎の二人の人物。ガヴァの大森林からさほど離れておらず、また、周辺に村も街もないこの平原にいるのは馬車の男二人とその謎の二人組の計四人だけである。
「ったく面倒くせぇな失敗した仕事の報告なんてよ」
「まあそう言うな。俺達はプロだ。仕事の成否に関わらず最後まできっちりやるのが大事なんだよ」
御者の言葉に煮え切らない返事で応えると、荷台の男は息を吐いて空を見上げた。正面を向いているため背面の出来事を見ることは叶わないが、御者には後ろの男に自分の話がしっかりと届いてないことが感じ取れた。とはいえ、今更それを注意する気にもならない。それに荷台の男はそういったことを考える必要はない。自分だけ注意を払っていればいいと御者は考えていた。
二人の男の正体は人攫い。御者の男がナップ・サライトヒ、荷台の男がノバール・サライトヒという名で二人は兄弟である。貧しい家に生まれた彼らは弟であるノバールが物心ついてすぐにとある商家へと奉公に出された。その商家は地元では有名で力もあり、二人の両親は彼らを労働力として差し出すことで商家から金を受け取っていた。二人は朝から晩まで奴隸の様にあらゆる雑用をこなしたが、幸運だったのは奴隷に落とされることはなかったこと、そして奴隷ではないため幾ばくかの自由があったことだった。彼らが本来受け取るべき給金の大半は彼らの両親に持っていかれたため、たまの休日に街に出て菓子を堪能するなんてことは不可能だったが、少ない給金は貯金し、代わりに彼らは別のことに時間を使った。兄のナップは暇さえあれば商人の仕事を観察し、弟のノバールは商家が雇っていた用心棒に頼んで戦い方を教わった。なぜそんなことをしたのか。それはきっと仕事以外を知らない少年達なりの仕事以外の時間の潰し方だったのだろう。当の本人たちでさえ特にそれらをやり続ける意味を考えることはなかったが、かといってやめる必要性も思いつかなかった。時が経ち、二人が成人する頃になると、ナップは馬を操ることを覚え、商人の様な交渉術を獲得。また基本的な読み書き、計算、が出来るようになり、ノバールは一端の傭兵並みの弓術、そしてナイフを使った近接格闘戦術を習得していた。知と武。その二つを兼ね備えた兄弟はやがて出世をし商家から一つの馬車を任せられるほどとなった。兄が馬車を操り、弟がそれを護る。そうして商隊の一員として大陸中をまわっていく内に、二人の考え方にも変化が起き始めた。「このままでいいのか?」という疑問が彼らの頭のなかに棲みついたのだ。
知識や力を得て出世してもなお、その成果の殆どは彼らの両親に持っていかれる。大陸を回り、見聞を広め、無垢で無知だった子供から大人へと変化した兄弟。そこからの二人の行動は早かった。ナップは「辺境で商品を売る」と商家を言い包め、結構な量の商品を馬車に積むと、普段出かけているのと何ら変わらない様子で弟のノバールを護衛につけ、素知らぬ顔で出かける。そして商隊の一員だったときに得た黒いコネを使い商品を高値で売り捌くと、装備を整え、辺境で今なお続けている人攫い業を始めた。なぜ数ある職の中で人攫いを選んだのか。理由は単純、人攫いが最も兄弟の実力が発揮でき、かつ稼ぎがいいからである。攫った人がどんな目に合うのかなんてことは考えもしない。常に効率を考え、達成出来そうな依頼のみ引き受け、確実に成果をもってくる。丁寧で迅速なその仕事ぶりから裏社会では一目置かれる彼らこそ人攫い『サライトヒ兄弟』。そして、彼らは今ー彼らにしては珍しいー仕事の失敗を依頼主に報告しようとしていた。
「すまねぇな。少し待たせたか?」
「いや、それほどでもない」
馬を宥め馬車を止めると、御者台に座ったままナップは目の前の人物に声をかけた。フードとマントで全身を隠しているその人物は手を少し振ってナップの言葉を否定すると、被っていたフードを外し、素顔を晒す。男にしては長い髪、美男子という言葉が相応しい端正な顔立ち。間違いなく今回、あるエルフの誘拐をナップたちに依頼した人物であるマフューだった。『火の金槌』という名の傭兵団の団長である彼が何故そんなことを自分たちに依頼したのか、一応気にはなるが、しかし結局ナップにはどうでもいい事だったので聞いてはいない。むしろ今ナップが気になるのは彼の後方に控える謎の人物である。依頼を受けた時にはいなかったし、フードで顔が見えない。そんな人物を警戒しないのは素人以下だろう。
「娘はどこだ?」
「・・あぁそれなんだが―――」
いきなり声をかけてきたフードの人物に一瞬ナップは言葉を詰まらせた。まるで自分が警戒している事を悟られてしまったかのように感じ焦ったためだ。しかしすぐに何事も無かったかのように言葉を紡ぎ始める。
「――失敗した。思いの外奴さんは手強かったよ」
弱みを見せれば殺られるのは何も戦場だけではない。こういった平場でも弱みを見せればナメられ、つけ込まれることだろう。人攫い『サライトヒ兄弟』の窓口である自分が弱い部分をさらせばそれは『サライトヒ兄弟』という看板が安く見られることと同義だ。それ故に、ナップは仕事に失敗しながらも依頼主に遜る真似はしなかった。失敗は失敗。しかし自分たちは決して手を抜いてはいない。少なくとも前金分の仕事はしたというナップなりの意思表示だった。
「使えん奴らめ。だから人間など信用できんのだ」
その言葉にナップたちが反応するよりも速く、フードの人物は手のひらをナップに向け、何かをつぶやき始める。瞬く間にその手のひらを中心に風が巻き起こり始めさながら台風の様に辺りに吹き荒れる。
「待ってください!殺す必要は・・!!」
「・・ちっ!お前もか!!逃げるぞノバール」
風によって外れるフード。短く切り揃えられた髪、マフューに負けず劣らずの美しい顔立ち、そして人間のものとは違う尖った長い耳。日に二度もエルフと戦うハメになった事を恨みながら、ナップは馬に鞭打ちすぐさまその場から走り去った。脱兎のごとく走り去って行くサライトヒ兄弟の背中を見送ると、エルフの男は開いていた手を閉じる。同時に風も消え、辺りは平穏を取り戻した。
「フン、殺すのも面倒な連中だ・・やれやれ結局私自らが探さないといけないのか」
「申し訳・・・ございません」
エルフの嫌味の篭った醜い声に、マフューは深く頭を下げた。その様子を一瞥すると、エルフはわざとらしく大きなため息をつき、再び口を開く。
「まあ元々人間なんぞに期待などしていなかったがな。短い時しか生きられぬ醜い獣どもめ・・・なあ―――」
「・・はっ」
エルフが言葉を切ったタイミングで、マフューは下げていた頭を上げ、視線をエルフへと合せる。
「―――お前は奴らとは違うと証明してくれるよな?半耳」
「・・・はい」
一度上げた頭を再びマフューは下げた。絞り出したように響いた彼のその言葉に含まれるのは、忠誠心か嫌悪か。自分を見下すエルフの歪んだその笑みに気づかぬまま、マフューは頭を下げ続けた。




