第84話 王位継承
長らくお待たせいたしました。長くなっておりますのでゆったりとお読みください。
「来たか…早いな」
「急いでてね。目印をつけといてくれて助かったよ」
羊執人と呼ばれるゴブリンよりも小さい亜人に連れられてショウは獅子人の住処へと到着する。レイクビューからおよそ等間隔で獣の爪痕が木々につけられており、それを辿ったら簡単に彼らの住処を見つけることができた。
「まさか、そやつらの王が人間だったとはな」
地面に胡座をかいて座るガランが、ショウとその後ろに立つリードとガードを睥睨しながら発言する。
彼が言葉を発すると、辺りを囲むように立っている獅子人たちはわずかに動く。あるものは拳を握り、あるものは土を踏み込むように足に力を込める。空気が少しピリついた。
「俺は人間じゃなくて吸血鬼…なんだけど、なんか毎回言ってるなこれ」
「吸血鬼は珍しいですから」
ショウの言葉にガードが苦笑と共に反応する。敵地にいながらも和やかな様子で話す彼らを見ながら、ガランはショウという男について考えていた。
ガランは父を、そして住処を一年前に人間たちに奪われている。
その経験は当然忘れられるものではなく、彼らを率いていた金髪の人間、彼との戦いは数え切れないほど思い返している。怒りは完全に鎮火していない。今でも心の底で燻ってはいる。しかしその怒りは人間に対してのものではない。それは彼に勝つことのできなかった自分に対する怒り。前王である父に頼らざるをえなかった自身の弱さに対する怒り。弱肉強食のこの世界で、強者の位置にいた自分だからこそ、その自然の摂理には深い理解をもっていた。敗者が勝者を恨むなんていう発想はガランにはなかった。ましてや相手は金髪の男とは別人である。同じ種族だからと言って警戒こそすれど、別人に対する恨みをぶつけるなど考えられないことである。ゆえにガランは冷静であった。冷静に敵の強さを図ろうと頭を働かせる。
身長はそこまで高くはない。後ろに控える赤いやつと同程度だ。体格もそこまで大きくはない、が、腰には剣を、体には一年前に見たものと同じような服を身につけている。体格の差は埋められるだろう。あの金髪の男ほどの実力者ではないと睨むが、そうである可能性を一応頭のなかに入れておく。
「ふむ…そこの緑の大きいの」
「…はい?」
ある程度ショウを観察し終えた後、ガランはガードに話しかける。ショウとの会話を切り上げ返事をするガードに、ガランは質問を続けた。
「貴様との決着がまだであったな。望むなら、王の一騎打ちの前に勝敗を決しても構わんぞ」
「結構です。僕は頭領の付き添いで来ただけですので」
「ふむ…そうか」
拍子抜けするほどあっさりと断るガードに頷くと、ちらりとガランはリードに視線を送る。
赤肌の鬼は両手剣を地面に突き刺した体勢から動かない。ガランではなく、周りの獅子人に鋭い視線を浴びせており、ガランとは目が合わない。数刻前に会ったときに感じた闘志はその影を潜めていた。ガードとリード。両名の様子を見て、ガランは少しだけ笑った。
「王を立てているのか……なるほど、すっかり臣下ではないか」
誰にも聞こえない程度の声量でそう呟くと、ガランは立ち上がった。
さらされた上半身。鬣を爪でガシガシとかくその様は野性的だが、にやりと大きな口を開けて笑うさまはどこか人間のようである。ライオンと人間を混ぜたようなその容姿に、改めてショウは感心の息をはいた。
「…戦う前に、確認したい。本当に俺の仲間がそちらを傷つけたのか?」
「我が子がそう言っている」
「何かの勘違いじゃ――――」
「我が子が嘘を言っているとでも?」
ショウの言葉を遮り、ガランは語気を強めて発言する。ショウの言葉に動じることなく、彼を睨むガランと数秒視線をぶつけ合うと、ショウは諦めたように一旦目線を落とし、再び上げた。
「……よくわかった。じゃあ始めよう」
覚悟を決めたショウの言葉に、ガランは笑う。
緊張感が自然と高まっていく。辺りで見守る者たちの呼吸は鳴りを潜めていき、リード、ガード、獅子人、そして羊執人までも黙ってそれぞれの王に熱い視線を送った。ふっと一息吐くと、ショウは腰の片手剣に手をかけた。
「………?」
「…どうした?まさか怖気づいたのか」
片手剣の柄を握った状態で固まるショウに、嘲笑混じりのガランの声。
しかし彼の言葉に反応することなく、ショウは視線を獅子人たちに向け、観察するようにゆっくりと見回した。
「どうやら……俺に剣を使ってほしくないみたいだな」
「なんだと?」
柄に手をやったとき、ショウが感じたのは獅子人たちの怒りや憎しみといった負の気配だった。例えるなら誰かにしてはいけない質問をしてしまった時のような。その人にとってのトラウマを思い起こさせてしまった時のような感触を確かにショウは得た。ショウの言葉に眉間にシワをよせると、ガランは振り返って己が家臣たちを見回す。
「…構わぬ。剣でもなんでも好きに使うがいい。それで我が負けるのなら、それは我が弱かっただけのこと」
獅子人たちの心情を、ガランは理解していた。一年前、人間たちに敗れたことを誰もが覚えている。彼らの強さを、彼らの武器とともに皆記憶している。獅子人は亜人だ。道具をつくり、それらを扱うに足りる頭脳を持っている。しかし、いざ戦いとなると、彼らが用いるの鉄の刃や頑強な鎧ではなく、鍛えられた自身の肉体と、研ぎ澄まされた牙と爪である。己の力のみで戦ってきた彼らにとって、武器や防具に頼って戦う人間たちを卑怯だと感じてしまうのは自然の理であった。だからといって、「使うな」と大っぴらに言うことはできない。それをしてしまえば、自身の弱さを認めてしまうことになるからだ。さきのガランの言葉は獅子人の外面的、そして理想の姿。ガランは王としてその態度を貫くしかない。王ではない他の獅子人たちが心情を態度に示してしまったことを、ガランは責める気にはなれなかった。
「…よくわかった」
短くそう言って、ショウは片手剣の柄から手を放すと、今度は鞘をつかみベルトから片手剣を引き抜いた。そのままの動作で地面にソレを置くと、ショウはカチャカチャと音を立てて上半身の鎧を脱いでいく。
「何の真似だ」
「そっちは鎧を着てないし、武器もない。…んしょ、なのに俺は完全武装だなんて不公平だろ」
「…感謝も手加減もせんぞ」
「問題ない。さっき言った通り、俺は吸血鬼だから爪がある…牙はないけどな」
鎧を完全に脱ぎ終わり、下の服まで脱いだショウはガランと同じく上半身裸となった。
それは日々の訓練の成果か、ショウの体はひと目で鍛えられていると分かるほど筋肉が隆起していた。流石にガードやガランほど大きくはないが、それでも戦士と名乗るには十分なほどである。
ショウのその行動に獅子人たちからわずかに息が漏れる。それは感嘆の声かそれとも王がバカにされていると見た怒りの息か。どちらにせよ場は再び緊張の色を帯び始めた。
「いいだろう。では、始めようかッ!!」
叫ぶと同時、ガランはショウめがけて飛びかかる。
獣の瞬発力はあっという間に彼我の距離を詰め、ショウには頭上からガランの爪が降り注ぐ。幾ばくかの余裕を持ってその爪を躱すショウ。しかし次の瞬間には別方向から新たな爪が振るわれていた。
「おっと……!」
「くくっ!よく避ける」
二撃目も躱したショウに思わずガランから笑みがこぼれる。躱されたことなど意に介さず、ガランは続けざまに爪を振り続ける。風を切る音はその爪の威力を伝え、張り付けられた笑みはガランがまだまだ余裕であることを示している。圧倒的な巨躯を誇るガードより一回り小さい程度。しかしながら、ガランの動きは俊敏かつ柔軟だ。それは獣としての特性故か。人体では考えられない態勢から、しかし確かな威力をもった爪を繰り出し続ける。
(動きが読みづらいな…)
嵐のように自分に襲いかかる爪を躱しながら、ショウは思考する。思い出すのは最も最近の戦い。傭兵たちの首領であったガンドンとの一戦だ。両手大剣、片手短剣、短剣と様々な武器を巧みに使いこなすショウが今まで戦ったなかで最も手強かった敵であったが、ガンドンは武器の扱い以外にも格闘にも長けていた。それによって傷を負うことは無かったものの、動きを制され、止められ、その隙を突かれることとなった。それを許してしまったのはひとえに、ショウに格闘技の経験が無かったからだ。素人の動きならば吸血鬼の優れた視力で見切ることは容易いが、玄人では話が別だ。相手を仕留めるために最適された動作。それを突き詰めたものが格闘技だ。素人がとうてい捌けるものではない。その恵まれた身体能力ゆえガランの攻撃を躱すことはできているが、完璧に見切れているとは言えない。それを証拠に、先ほどからショウは反撃することができていない。もしも片手剣を持っていたとしたら話は別だろうが、素手でやると決めたのは自分自身。その「もし」は考えるだけ無駄である。
下からすくい上げるように振り上げられた爪。似たところでいうならアッパーカットだが、獣の強靭なバネによって勢いづいたソレをもし顎に食らったら、その鋭い爪と相まって、首ごと跳ね飛ばされるのではと想像させるほどの威力を秘めている。その凶悪な威力の爪に苦笑を浮かべ、ここにきて初めてショウは反撃の拳を振るう。かつて暴走したガードをふらつかせた事もあるショウのその拳を、しかしガランは笑みを崩さず首を振って躱し―――ショウの腕を掴んだ。
「しまッ―――!」
「ガルルゥゥアア!!」
さらされたショウの上半身に、ガランの爪が食い込む。漏れ出た唸り声は会心の手応えの証明か。大きな五本の線を体に残し、ショウは後方へと吹き飛んだ。わあっと獅子人たちから歓声が上がる。対照的に、リードとガードは黙って自分たちの長に視線を送る。そしてガランは、この戦いで初めてその表情から笑みを消した。視線はショウの腕を掴んでいた自身の手へと注がれる。
「無理やり我が手を振りほどき後方へと逃れるか…。面白い」
「いや、今のはヒヤッとさせられた」
称賛にしては尊大な態度のガランの言葉に、気にする素振りもなくショウはほっと一息をついた。よくよく考えてみれば、『蝙蝠移動』を使えば簡単に逃れることができた。使うという選択肢が浮かばなかったのは、ついさっきまで正体を隠して冒険者をやっていたせい。そして素手のみで戦うと決めたせいであった。片手剣を使わないと言っただけなのでスキルや魔法を使っても構わないかも知れないが、なんとなく使う気が起きない。命がかかっている戦いが故に、卑怯などということはないだろうが、武器も防具もなしに戦いに臨んでいるガランを見ると、それらを使うことに抵抗はあった。それに素手で戦うことに意味があるのだ。
(いい機会かも知れない。ここで格闘技を学ぶ)
『貴様の技はすべて小手先だ。次につながっておらず、その場しのぎでしがない。だからそれを制されれば隙を生むこととなる』
ガンドンにそう言われて以来、ショウは技の向上に努めてきた。一つ一つの質を高め、技同士の接続を強め滑らかに次の技へと移行できるよう特訓していた。しかしそれらはあくまで片手剣においてのこと。格闘の訓練は相手がいないゆえにすることができなかった。だからこそ目の前のガランとの戦いはよき勉強になるだろう。それに―――――
「ヒヤッとしたか…すぐにそれを死への恐怖へと変えてやろう」
「…闘技場を思い出すな」
―――――実戦で学ぶのは得意だった。
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一歩踏み込む。腰を捻り体重を乗せる。ドッシリと重い体幹はブレることなく力を足先から拳へと伝え、筋肉が威力に色をつける。繰り出されたその正拳突きを、間一髪で避けたガランの目に一瞬驚愕が、しかしすぐに喜色の色へと変化しガランは反撃の爪を振るう。
どれほどの時間が経ったのだろうか。長いようであり短いようでもある。戦況は劇的と言っていいほどに変わっていた。笑みを浮かべ縦横無尽に爪を振るい、牙を剥くガラン。それに変化はない。変化が現れたのはショウの方である。ガランの攻撃を躱し、反撃の拳を振るう。その動きのキレは到底ガランには及ばない。しかし徐々に一連の動作は形になっていき、威力はそれを裏付けるように上昇していく。そもそも身体能力は生態系の頂点に立つ魔人のものだ。見た目には現れないその力の大きさは、技のキレという不足を悠々と補うことができる。相手の動きが読めさえすれば反撃が可能になるのは自明の理であった。
「すごいですね頭領。もう相手の動きに付いていってる」
「俺と初めて戦った時もそうだった。ショウ様は相手の動きから学ぶのが得意なのだろう」
小声でぼそりと話すガードに、同様に小声でリードは返す。エリート・レントの闘技場。囚われの身であった時にショウと戦った日のことを思い出す。身体能力は当時から高かった。目もそうだ。しかし動きはてんで素人。ただ闇雲に剣を振り回す子供のようであり、せっかくの能力を無駄にしているように感じていた。だが、戦いが進むにつれショウの動きは磨きがかかり、その動きは洗練されていく。雛鳥が親鳥を見て飛び方を学ぶように、ショウは戦いながらリードの動きを真似て、吸収し、自分のモノにしていったのだった。それを実際に目にして体験したからこそリードはガードほど驚きはしなかった。それに何より、自身の主の上達速度は日々手合わせしている自分がよく分かっている。
(かつての俺のように…驚け獅子人の長よ)
「グルルウゥゥアアッッ!!」
再び、ガランが吼えた。彼の肩口からは赤い血がわずかに垂れる。ショウの攻撃が初めて当たったのだ。
「なるほど。爪を使うなら殴るより突く方がいいな」
興奮して吼えるガランとは対照的に、ショウは冷静に格闘技術の向上に努める。
『吸血鬼の爪』というスキル名がつくほどショウの爪は鋭い。流石に獅子人のガランほど大きくはないがそれでも十分過ぎるほど殺傷能力は高い。また、他のスキル同様、種族進化したことでその硬度も鋭さも格段に増している。それを活かさない手はない。人間だった頃の名残から、素手といえば殴る蹴るといったイメージがあるが、今のショウは吸血鬼。人間に似た容姿をしているが、かといって人間と同じ戦い方が最適というわけでは無い。ガランが拳を作らず爪を振るい牙をたてるように、手刀をつくり切るように、もしくは貫手をつくり穿つほうが能力を十全に使えていると言えるはずだ。
一歩、強く踏み込み距離を詰める。手に筋が浮かぶほど力の込められた貫手の突きを、ガランの懐に入ったショウは繰り出す。ソレを迎えるのは暴力的なほどに大きな牙を剥いて笑うガラン。自身の攻撃を躱して迫ってきた事など意に介した様子もなく、人体ではおおよそ無理があるだろう態勢でそれを避けた。
「バレバレか」
「貴様も笑うか!異種族の王よ!!」
ガランに言われ、初めて、ショウは自分が笑っていることに気づく。人を殴るのが好きなわけじゃない。傷つくのだって嫌いだ。それでも、今は楽しかった。そう自覚すると不意にショウは思い出す。それはショウが初めて経験したちゃんとした「闘い」の記憶。両手剣を華麗に操る角なしの鬼と戦った日を。あの日、あの時、確かにショウは今同様に楽しんでいた。思い返せば、戦いながら楽しいと感じたのはあの日以来だ。あの時と他では何が違うのだろう。あの時と今の共通点はなんだろう。分からない。ただ今は考えるよりも――――――
「うおおおっぉお!!」
「グルウゥゥウアアア!!」
両者ともに吼える。低音と高音入り交じる若者特有のショウの叫び。喉を巻いたような低く、威圧的なガランの咆哮。しかして両者ともに笑顔。戦いの最中でありながら二人はその表情を崩そうとはしない。
お互いにお互いの間合いに入っている。削る様に、裂くように。二人は互いの爪を振るい続けるが両者ともに一歩も退かない。致命傷を避けながら繰り出し続ける攻撃は、しかし着実に相手の体に傷をつけていく。
「…父さん」
ポツリとこぼしたジェドの呟きは誰にも届かず空気に溶ける。彼の視線の先には父であり王でもある男の背中。その身長差から、ショウの姿はガランの体に隠れて見えない。それでも、ジェドは父の相手が強敵であること、しかし父は怯まず戦っていることを彼の背中から感じていた。その背は広く大きい。獅子人を背負っているのだと父は言っていた。弱者を守る為の背中だと。『力あるものは強者として弱者を守らねばならない』。父の言ったその言葉をジェドは思い返していた。
「勝ってください…王よ!」
戦闘は苛烈を極めた。足を止めて、お互いの身体を爪で傷つけ合う。決定打に至らなかった細かな傷は増え、徐々にその深さを増していく。ショウとガラン。二人の周りには血が飛び散りそれらがどちらのものかなど当人たちはもちろん、観客でさえ判別がつかない。息は漏れ、動きは若干の鈍みを見せる。しかしそれでも退くことはない。まるで退いたら負けとでも言うように爪を振るい続けるその姿はまさに異常。あまりの光景に観客たちは言葉を失う。そして―――――均衡は崩れる。
「…ッ!グゥう」
「やっと届いた…!」
ショウの手がガランの腹を貫く。それは非情な現実。戦えば戦うほど疲労を蓄積し、傷を増やすしかない獅子人のガランに対して、ショウは吸血鬼。常に魔素を吸収し体力を回復し傷を癒してしまう彼とガランとでは、種族としての能力差が圧倒的だ。長期戦はガランにとって不利でしかない。しかもショウは戦いが長引くほど技術を吸収していく。こうなることは最早自明の理であった。
内蔵にまで届いたショウの貫手をガランの血が伝う。背中まで貫通してはいない。しかし明らかに重傷だ。生命の危機に直結する傷といえるだろう。ズボっと音を立てて、ショウは手をガランの腹から引き抜いた。栓を抜かれたガランの腹からワインのように赤い血が流れ出る。
「王ッ!!」
「うっ…ぐぅう」
「いい闘いだった…色々と学ばせてもらったよ、ありがとう」
うめき声をあげ、前のめりに倒れていくガラン。獅子人たちが次々に悲痛の叫びを上げる中で、勝者は敗者に称賛の声をかける。すばらしき戦士の最後を見届けようと、ショウは倒れゆく獅子人の王の姿に視線を送る。見ていながら、しかし彼は気づけなかった。ガランが傷口を押さえずに両の手のひらを下にして倒れていくことも。そして両足がためをつくるように、関節が曲がっていることも。
音はなかった。少し遅れて風が吹き抜け、ガランの肉体はショウめがけて弾かれた。
「うっぐぅぅああ!!」
「ガルゥゥゥゥァアアアアッアアア!!!」
ガランの大きな牙が、ショウの肩口に食いこむ。両手で首と腕を抑え、肉を噛み千切らんと唸るその姿はまさしく獣。人の姿でありながら獣の強さを併せ持つ。獅子人を体現するガランの様子に、周りの獅子人たちは沸いた。ガランの腹の傷は依然として深い。血も止まることなく流れ出ている。痛むだろう。辛いだろう。それでもガランは牙を立て続ける。ショウの肩口からはガランのソレと同じように血が伝う。違うところは―――――ショウのソレは命に関わるものではないということ。
「《吸血印》」
ズンッと響いた。否、実際は僅かな音だった。しかしそれは、ガランにとって決定的な音だったに違いない。押し出される力に抗えず、ガランは数歩後退した。出血によって霞む視界には紅色の光をまとったショウの手、ついで抉る様に傷つけられた自身の肩が映った。
「貴様の勝ちだ…異種族のお、うよ…」
ガクリ、とガランは腰を落とす。肩から流れ出る血が、倒れる事を拒否した腕を伝って地面へと染みていく。もう片方の手で腹の傷口を押さえるが、血は勢い止まることなく流れ出る。
「はぁ、いや、俺はスキルを使う気はなかった…。結局、公平な決闘じゃなくなっちゃったな」
わずかに息を乱して言ったショウの言葉に、ガランは失笑を浮かべた。小さくうめき声を漏らすと、ガランは口を開く。
「獅子人にとって、王同士の決闘とは…はぁ…全てをかけた闘いだ。…発端が何であれ、勝者は敗者の…全てを、好きに…す、る…権利がある」
限界が近いのだろう。呼吸さえ苦しいのか、ガランの言葉は弱々しくなっている。それでも霞んでよく見えていないだろうその瞳には、獅子人の王としての強さが残っている。
「恥を忍んで…頼む。どうか、我が群れを見逃して欲しい…!!我の命一つで、はぁ、はぁ…勘弁してくれ」
「王ッ!!」
膝を折り、頭を垂れる。いつだって群れの先頭に立ち、誰よりも多く敵と戦い群れを守ってきた王。逞しく、力強く、荒々しい。そんな王のまさかの姿に、獅子人たちからは驚愕の声が上がる。
「……どうして、敵である俺にそんな頼み事をする?」
「群れを、守ること。はぁ…そ、れこそが……王の役割だからだ。我が命一つで、それが叶うならば、…安いものだ」
顔を上げ、ニコリとガランは笑う。つられて笑みを浮かべたショウは、一歩、ガランに向かって進む。
「待ってくださいッッ!!!」
ガランに歩み寄るショウを制止するように、獅子人の一人が飛び出す。
平均的に大柄な獅子人達と違い、細く、小さめの獅子人だ。表情を見て、自分に怒っているようではないとショウは推測する。だとしたら何なのだろうか。なにか必死だということは伝わってくる。
「私の名前はジェド。ここにいるガランの息子です。異種族の王よ!我が父を殺す前に告白したいことがあります!!」
「…ジェド、何を?」
膝をつき、ショウに傅く様にジェドは頭を垂れる。声は大きく、辺りに響くが、その声は多大に緊張を孕んでいた。
「此度の騒動、発端は私にあります。群れを拡大するため、我々の仲間が傷つけられたと父に嘘をつき、父に貴方様と決闘をするように仕向けました。異種族の王よ!どうか、父ではなく、私の命を奪ってください!罪は全てわたしにあります!どうか、父にご容赦を!獅子人には父が必要なのです!」
波紋が獅子人たちの間に広がる。動揺が伝播し、どよめきとなって獅子人たちをゆらした。そんな中でも彼らの中の誰も声を出さなかった。ショウとガラン、そしてジェド以外は口を開く事を禁じられているかの如く無言を貫く。場には戦いの時以上の緊張が漂う。それもそうだろう。王が死ぬのか、仲間が死ぬのか。子宝に恵まれにくい獅子人たちにとって、たとえ一人だろうと大きな損失。しかも首元に刃をかけられているのは群れの中心である二人だ。そんな状況下で緊張しない者などいるはずがない。生殺与奪はショウの手に握られている。
「ジェ…ドォ……!!」
「父さっ――――!」
衝撃に吹き飛ばされ、ジェドは尻餅をつく。咄嗟に痛みの走る頬に手を当て、ジェドは目の前の光景に驚きを顕にする。無造作に生え茂る鬣、獲物を射殺さんと走る眼光、乱れた息を吐く口から覗く大きな牙。肩と腹、二箇所に重傷を負いながらも立つその姿は依然変わりなく王の姿そのもの。傷口から溢れ続ける血さえも王の威風を讃える材料の一つにしか過ぎないのだと言われた気になる。ガランの身体に視線を走らせたあと、ジェドの目は彼の手へと向く。数々の敵を葬ってきた爪は、固く握り込まれた拳の中へとその身を隠している。「殴られた」のだと遅れて理解したジェドは、その事実に再び驚いた。父親に殴られたのは生まれて初めてだった。さらに言えば、父親が拳を作っているところさえ見るのも初めてである。
荒く息を吐きながら、何も言わずガランは自身の息子に視線を送り続ける。言葉が出ないのか、出さないのか。それとも必要が無いのか。親と子。両者ともに無言のまま、静かな時がしばし流れた後、ガランは不意に視線を切ってショウへと向け直す。
「息子の、過誤を詫びる。そなたたちには…最初、からはぁ、非などなかった。はぁ、だが、息子といえど……我が群れの一員。責任は、王である我にある…!!我が命一つで、はぁどうか…どうか終わりにしてほしい」
膝を折り、両の手のひらをショウに向ける。意味するところは降伏だろうか。先程までが王として決闘に敗れたものの姿だったとしたなら、今のガランの姿は息子のために謝罪する父親の姿だ。その姿を見て、ショウはカーマード砦にて、オークの頭領のラ・ゴールに謝られた時のことを思い出していた。指導者と父親。二面性を抱える者の苦悩の姿だ。チラリと横を見れば力なくうなだれるジェドの姿が映る。何かを諦めた様子の彼に少しの間視線を送って、ショウは視線をガランへと戻した。
「断る。…俺は、お前ごとこの群れを貰うことにした!」
「…?どういう」
「俺の名前はショウ!お前たちが襲った群れの長だ。群れに住む大多数はゴブリンだが、俺達はオークと人間と協力関係を持ってる」
ざわり、と獅子人たちが揺れる。群れ全員に聞かせようと張り上げられたショウの言葉が辺りに響き、彼らの視線はショウ、次いで彼の後方に控えるリードとガードに向けられる。
「俺が目指しているのは、亜人と人間が協力し合って共存できる場所を作ることだ!俺一人じゃ実現できないことは知ってる。だから、お前たちの力を貸してほしい」
「あの赤い、はぁ奴ら、に下れ……と言うのか?」
「いや、その必要はない。俺の下につけばいい」
微笑を浮かべきっぱりと言い切るショウ。あまりの提案に困惑し言葉を失う獅子人たち。口を開けてポカンとする彼らを見て笑みを強めると、ショウは再び口を開く。
「『敗者の全ては勝者のもの』なんだろ?」
「…ぐっ…うぅう……はっはっはっははあはははは!!………ぐぅ」
一瞬の間が空いて、ガランは豪快に笑う。傷が痛むのか笑い声は途中で止められたが、その後でもガランの口角はしばらく上がったままだった。
『いいか、ガラン。強さとは武力だけにあらず。弱者は強者に集うものだ。その時に強者はその度量を図られる。潰されるか、背負ってなお立ち上がるかだ。立ち上がれるものを我らは王と呼ぶ』
(なるほど…王か)
亡き父を仰ぐように空を見上げると、ふぅとガランは息を吐く。依然として息は乱れたままだが、呼吸の苦しさはいつの間にか何処かへ消えていた。
「ご提案、はぁ謹んでお受けする。我が群れは…あなたのものだ……新たな王よ」
そう言うとガランは静かに頭を下げた。次いで居住まいを正しジェドが。次第に獅子人たちも膝をつきショウに向かって頭を下げ始める。獅子人の王位がショウに継承された瞬間だった。
「よしお前、名前は?」
「ガランだ」
「ガラン、今からお前を生かすためにちょっとした賭けをする。問題ないか?」
「構わん。はぁ…どうせ、このままいけば、死ぬ…だけだ」
傷の痛みに耐えながらもガランはニヤリと笑う。彼の笑みを受けてショウもまた笑うと、振り向いてリードとガードを見て頷いた。頷き返してくる二人を視界に収めると、ショウは一歩ガランに近づき、スキルを発動させる。
≪スキルの発動を確認。個体名ガランに『誓約の儀』を行います≫
「ガラン、従属の誓いを」
相変わらず無感情な声を聞いて、『誓約の儀』が発動したことをショウは確かめる。
ガードにした以来の久々の発動であったが、前回と変わりなくショウの頭には儀式めいた文言が浮かび、自然と口でそれをさらう。対象であるガランの頭にも同じような事が起きているに違いない。
「…我、ガランはあなたを王として担ぎ、忠義を尽くす事を誓う。我が身をもって王の威風を讃える牙となろう」
「従属の誓い、確かに受け取った。血を受け取れ。我が力の一端をお前に授けよう」
ショウの拳から流れ出る血で手の器を満たすと、ガランは一息にソレを飲み干した。
「魔名を与える。……ファングネルだ。この名と共に誓いをその身に刻め」
「有難くその名、頂戴する。あなたが王であり続ける限り、このガラン・ファングネルはあなたの牙であり続けるだろう!」
そう言い終わるや否や、ガランは糸が切れたようにその場に倒れた。ガランを心配する声を上げる獅子人たちを「大丈夫だ」と言いながらショウは手を上げる。『誓約の儀』は無事成功した。後は、吸血鬼の回復能力に期待するしかない。
「お疲れ様でした」
「ああ、リード、ガード」
『誓約の儀』恒例の疲労感に襲われているショウに、二人の忠臣が駆け寄る。回を重ねる毎によりスムーズになっていく『誓約の儀』であったが、気絶を要するほどのこの疲労感だけはいつまで経っても、変わらずショウを襲いに来る。
「獅子人たちのことを頼む。皆によく説明して誤解が起きないように……」
「任せて下さい」
「あと、リーシャのこと……」
リーシャが行方不明だということは獅子人の住処に向かう道中ですでに二人に話してあった。スキルを使って行方を追っていることも。
「お任せを。捜索隊を編成して辺りを探してみます…きっとリーシャのことだからひょっこり戻ってきますよ」
リードとガード。二人の頼もしい顔を見て、少し笑うと、そのままショウは意識を失った。




