外伝:風の吹く道 part1 4/4
「遅い……」
すっかり慣れた山のなか、いつもの集合場所でライゾールは呟いた。普段ならマヤが先に着いていて待っているのだが、今日はなぜだかライゾールが先に到着した。しかしなぜよりによって今日なのだろうか。村長の依頼、そしてウィンゼの願いであるゴブリン討伐。それを正にやろうというこの日に遅れると言うのは、いくら優れているといってもやはりマヤは子供ということだろう。意識が足りていない。
(小言の一つや二つ言ってやろう)
マヤと出会った当初から、彼女の態度には内心イライラすることがあった。最初は「短い付き合いだし、揉めるのは面倒だ」という思いから耐えていたが、今では文句はそのまま言ってやることにしている。いくら大人の男と言えど限界があるということだ。ライゾールが何か言う度にマヤもその子供らしからぬ口調で反論するが、大抵ライゾールが正しく、渋々納得するというのが大体の流れだ。今回もそうなるだろう。時計など持っていないがゆえに、正確な時刻での待ち合わせは不可能だが、二人は同じ時間に何度も待ち合わせしている。ライゾールが今日だけ早く来たというわけでもない。非は完全にマヤにあるだろう。
(昨日あれだけ狩りたがってた癖に遅れるなんてな………まさか独りで狩りに言ったわけでもあるまいし……)
風が吹き木々を揺らす。
早朝の空気は清々しく、自然の雄大さを示すように澄んでいる。
そんな爽やかな風に頬を撫でられながら、自分で思いついた考えに自分でライゾールは笑う。
「いやまさか……さすがのあいつでもそんな無茶なことはしないだろう。あれはあれで戦いかたを知ってる………」
『私一人ならもっと上手くやれた!オマエがいたせいだ!』
『・・・あいつの素材は今いらない』
『よし、とっとと片付けよう』
マヤの言動が脳内に映る。
彼女は元々自信家だ。それは親であるウィンゼを、彼女の教えを誇りに思ってるからであり、彼女自身が自分の能力でこれまで生きてこれた経験が彼女をそうさせている。閉鎖された山という環境で、自分の技のみで生きてきた彼女にとって、ライゾールのやり方はいくら効率がよくても受け入れがたかっただろう。今日までそれでも二人で行動していたのはウィンゼがそうさせていたからだ。
それを証拠に初めて二人が魔獣に対峙した時、マヤはライゾールのやり方に反発した。独りで戦えるといい、「不必要な戦闘は避けよう」というライゾールの考えも、行く先々で遭遇する魔獣を狩ることで否定した。そんな彼女が昨日は一匹も狩らず、ゴブリンを見つけると即刻始末したがった。
期間で言えばそこまで長くはない。しかし、毎日、それも長時間顔を合わせているライゾールとしては、その時以上に、昨日のマヤの行動が不審に思えて仕方がなかった。
「まさか……ッ……くそっ!あのガキ!!」
叫ぶと同時、ライゾールは駆け出す。
目的地は昨日見つけたゴブリンの住処。マヤ抜きでは少し不安だが行く以外に道はない。
冗談で思いついた馬鹿げた考え、それが現実になっているとしか思えず、ライゾールは懸命に足を動かした。
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ぼろぼろの腰巻きをして、手には錆びかけの短剣か、不格好なこん棒。だらだらと歩く様がいかにも下等生物である。警戒という概念が全く見受けられない。
「10……15匹か」
茂みに隠れながら、確認するようにマヤは呟く。目の前の―魔獣とは思えない、しかし人でもない―ゴブリンを鋭い目で観察しながら、頭のなかでどう狩るかをイメージする。
どうやって、どんな風に殺すのか。それを考えることが大事だとママは言っていた。その教えを破ったことは一度もなかった。自分にはママのような立派な牙も爪もない。ママ程速くも駆けれない。自分の武器は小回りのきく体と、ナイフや弓を使えることであると、マヤは自覚していた。
ゴブリンを狩ったことはない。今回が初めてである。ゆえにいつも以上にイメージする。何度も頭のなかで彼らを殺す。その感覚を体に覚えさせる。
「……よし。ママ……待っててね」
祈るように呟いて、マヤは茂みから飛び出した。
「ギャッ」
(一匹)
気づかれず放った矢でまず一匹仕留める。すぐさま二の矢を弓につがえて、すぐ近くのゴブリン目掛けて続けざまに矢を放つ。
「ギャッ!」
「グッウゥ……!」
放った矢と、魔獣の牙で出来たナイフがゴブリン喉を貫くのは同時だった。一瞬で2匹も仕留めたマヤはおごることも焦ることもなく、次の目標目掛けて駆ける。
(ママ………!!)
マヤの心中に浮かぶのは、ゴブリンを仕留めた喜びではなく、ただ一つ。最愛の母である神、ウィンゼのことだけである。
物心のついたときからそばにいた大狼。常に優しく、気高く、恐怖を感じたことは今までで一度だってない。彼女に喜んでほしくて、マヤはなんだってやった。ウィンゼの教えをよく聞き、言うことを聞いて、誉めてもらえたときの喜びといったら三角猪のスープより甘美な味がした。
ママは死にかけている。そんなことはとうの昔に気づいていた。
毎朝起きて顔を合わせる度に優しく微笑んでくれる大好きな母。しかし、その柔らかな表情からは日がたつにつれて力が抜けていくのをマヤは感じていた。「ママは私に気づいてほしくない。なら、気づいてはいけない」そう思い至ったのは母を愛するがゆえ。ウィンゼが弱っていくのを日々身近で感じながらも、マヤはいつも通りに毎日を過ごした。
どうにか元気になってほしいと、色々な魔獣の肉や皮を試した。毎日作る料理に混ぜて、自身の経験と直感を頼りに、栄養がありそうな魔獣の実をこっそりウィンゼに与えていた。ライゾールからは文句を言われた。「不必要な戦闘は避けるべきだ」、と。知ったことではない。ママが第一だ。ママのためならばいくらでも魔獣を狩れる。それぐらいしか自分にできることはない。
夜、ウィンゼとライゾールの会話をマヤは聞いていた。寝ているとウィンゼでさえ思っていたが、瞳を閉じたその奥で、マヤは密かに泣いていた。
『ライゾール、私はもう長くはないんだ』
ああ、やっぱりそうなのか。母は、大好きなママはやっぱり死んでしまうのだ。自分を置いていってしまうのだ。もうそれは止めることはできないんだ。
声を押し殺し、嗚咽さえ漏らさず、マヤは泣いた。とうの昔にわかっていたことだった。知っていたことだった。しかしそれでも悲しみは溢れてくる。自分の頭を撫でる母の尻尾の暖かみが、どこか寂しく感じたのは終わりが近づいていると理解しているからだろう。とはいっても彼女にはどうすることも出来ない。彼女が唯一できることは二人に悟られないよう、声をあげて泣かないことだけだった。しかし、そんな彼女を続くウィンゼの言葉がたち直させる。
『マヤはまだ子供で山しか知らない。人の世というものを理解していない。私は知っているんだよ、ライ。人間は独りでは生きていけない。必ず限界が来る。しかしその時、私は彼女のそばにいることができない。だから、ライゾール・テラファイン、どうか―――彼女の事を頼んだよ』
ウィンゼはマヤを心配していた。彼女はまだ子供で、残していくのが心配だと。ならばどうする?自分には何ができる?自ら放った質問がマヤを問い詰める。そして自ずと答えは出た。それが―――――――
(安心してねママ。私、一人でも大丈夫だから。ゴブリンだって一人で………!!)
――――ライゾールの助けなしにゴブリンを狩ること。一人でも生きていけるということを、自分の強さを母に伝えることだった。
「グギャア!」
振り上げたこん棒を下ろす前に、マヤのナイフがゴブリンの心臓を突く。体重を乗せた突きによって両者とも倒れこむが、マヤはすぐさま立ち上がり、心臓を突かれたゴブリンは絶命する。
「ギャギャッ!」
「テキ!テキ!」
自分を見つけて騒ぐゴブリンの目を射って黙らせる。最初の一匹から数えて五匹仕留めたが、ここにきて存在がばれた。だらけきっていた様子を一変させ、次々に警戒の帯を締め始めるゴブリンたち。それに対峙する少女、マヤ。しかしそこに不安や恐怖はない。あるのは「ママのために」という強い思いだけである。
ゴブリンが踏み出すよりも早く、マヤが飛び出る。その小さな身体を弾丸が如き勢いで動かし、ゴブリンの喉笛をかっきる。一歩遅れて自身に向かってくるゴブリンたちから離れながら、背中に担いだ弓を素早く構え、矢を放つ。矢の痛みでもがくゴブリンを横目に、俊敏な動きでゴブリンたちの攻撃を避ける。
ゴブリンの実力は大したことがない。他の魔獣のように鋭い牙も爪もなければ、地を風のように速く駆ける健脚もないのだ。武器と言えるのは道具を扱うに足りる手と体躯を生かした俊敏な動きであるが、全く同じものをマヤは持っている。同じ条件のもと戦うのならば、狼に育てられた人間であるマヤが負ける道理はなかった。なにより、ゴブリンたちの動きはライゾールに比べてはるかに遅い。日々彼の動きに―嫌々ながらも―合わせてきた彼女にしてみればゴブリンたちなど相手にならなかった。
「ふっ」
呼吸を整えようと短く息を吐く。それを隙と見てか突進してくるゴブリン。しかしそれをマヤは悠々と避けると、交わし様に一太刀浴びせる。
「グカーッ!」
「カコメ!ヤレ!」
「ウグゥゥ!」
仲間をやられた怒りか、いつまでたっても捉えられないことからの苛立ちか。次々にゴブリンたちから不満の声が上がる。静かだった空気は一変し、場は戦場へと変わっていく。即ち、怒号と悲鳴の場。発音の甘いゴブリンの声が騒音となって辺りに響く。
「やかましいぞ、小鬼ども!何をさわいでる!」
ピシャリ、と場が静まり返る。先程まで騒いでいたゴブリンたちが一斉にその口を閉じ、その表情には恐怖の色が浮かび始める。声の発生源を探そうと辺りを見回すマヤ。しかし、見つからない。不審に思い、なおも探し続けるマヤ。しかしすぐに、それは現れた。
さらされた青い肌は鎧と見粉う程の屈強な筋肉で覆われ、槍鹿よりも太い角がその頭から生えている。ゴブリン同様にぼろぼろの腰巻きを巻き、手にはこん棒を持っているが、違うのはその大きさ。洞窟から這い出るように出てきたそれは、ゴブリンよりはるかに大きい。上背はライゾールを優に越え、ともすればウィンゼと同じ程ではないかと思えた。姿はゴブリンに似ている。しかし明らかにゴブリンではない。それよりももっと強大で、恐ろしいものだと直感でマヤは理解した。
「ん……人間の小娘がなぜこんなところにいる!敵か?敵だな?そうだろう!?」
あまりの迫力に怯えながらも、視線を向けられたゴブリンが凄まじい勢いで頷く。
「下らぬ。人間の小娘ごときになにを手こずるか……お前、やつを仕留めろ」
「はい」
マヤを見て鼻で笑い飛ばすと、青いゴブリンは彼の周りに侍る、普通のゴブリンより大きく、赤黒い肌のゴブリンに指示を飛ばした。
「くっ」
突然の出来事に、わけもわからず若干困惑気味のマヤであったが、敵が近づいてくるのは理解していた。ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる赤黒いゴブリンに警戒して、マヤはナイフを構える。
見るからにゴブリンより強い。青いゴブリンの言葉に明瞭な発音で返事していたことから、知能もそれなりにあるのではと悟っていた。
仕掛けたのはマヤ。体勢を低く、相手の懐に潜るように飛び出し、距離を詰める―――が
「うっぐ……!!」
下から、掬い上げるよう放たれた敵の攻撃を上体を反らして回避する。視線が下から上へと勢いよく移動し、続けて放たれた敵の攻撃を視認した。
ドスンッと音をたてて地面に着地する敵のこん棒。真上から振り下ろされたそれを避けたマヤの視界を土煙がわずかに覆う。よく見えない。しかし敵はすぐそこにいる。敵の位置に当たりをつけて、ナイフを振るおうと構えるマヤ。しかし振るうよりも早く、大きな影が彼女に近づいてくる。
「くっ……!!」
咄嗟にその影に合わせてナイフを振るう。衝撃が腕に伝わり、マヤから苦悶の声が漏れる。ナイフとこん棒がぶつかっている。一瞬でも気を抜けば押しきられそうな勢いが赤黒ゴブリンにはあった。歯をくいしばり、耐えるマヤ。土煙が晴れて露になったゴブリンの顔をちらりとみれば、どうやら相手も十全に力を込めているようだ。
ピキッ
「な―――」
何の音だ、と言うよりも早く、結果だけがマヤの視界に映る。
ナイフが壊れたのだ。
拮抗したバランスは崩れ、粗雑なこん棒がナイフを破りマヤの肩を直撃する。
「―――!!」
痛みを噛み殺そうと言葉にならない苦痛の叫びが響き、マヤは少しだけその場から吹っ飛ばされた。勢いを殺しきれずマヤは数センチ地面を滑る。すぐに立ち上がれと脳が信号を送るが、腕に力が入らずうまく立ち上がれない。
「はぁはぁはぁ」
自然、呼吸は荒くなり、徐々に焦りが彼女のなかに生まれる。
赤黒ゴブリンは最初と同じようにゆっくりと、確実に近づいてくる。こん棒の握りを確かめながら、その顔に不気味な笑顔を作っている。
「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ」
呼吸はさらに荒くなり、焦りが恐怖へと変わっていく。死への恐怖。そして、自分をこれまで育ててくれた母を裏切ることへの恐怖。
一人で出来ると息巻いた結果がこれだ。この結果が自分は未熟だという証明ではないか。ママの言った通りではないか。
「ヤレ!ヤレ!」
「ギャハハハ」
「ギャアギャア」
回りで観察するゴブリンたちが騒ぎ出す。自分達の勝利を確信したからこその行為である。高鳴り続ける鼓動、ゴブリンたちの残虐な叫び。その二つの音だけがマヤの世界を支配する。
「ギャハハッ」
「ギャア!」
「ウガアッ!」
「ガアッ」
「――――!」
ゴブリンたちの騒音は勢い止むことなく、むしろ増して闘いを囃し立てる。それは悲痛の叫びにも似ていた。が、そこでマヤは異変に気づく。眼前の赤黒ゴブリンの歩みがいつの間にか止まっている。
「ギャアッ!」
「ガアアッ!」
「グフッ」
「――――ヤ!」
依然としてゴブリンたちの叫びの勢いは増していく。力一杯叫んでいるのか、断末魔のごとき勢いだ。そんな後方にいるであろう彼らを見て、マヤの目の前にいる赤黒ゴブリンはその表情をだんだんと険しくさせていく。
「マヤ!!」
「ライ!?」
不意に名前を呼ばれ、反射的に振り返る。
マヤの視界が回転し、そして、映す。いつもの革鎧を返り血で汚し、片手短剣を振り上げてこっちに向かってくる男――――ライゾール・テラファインの姿を。
「伏せろ!」
ライゾールの言葉を反芻する間もないまま、マヤは起こしていた半身を屈ませる。彼女の上をライゾールが飛び越え、彼女の眼前へと降り立った。
「ライ………」
「てめぇ……はぁ……勝手なことしやがって。立てねぇのか?あ?」
「………バカにするな」
首だけを回して言葉を発するライゾール。苛立ちを隠そうともしない彼の言葉に、マヤもまた苛立ちを交ぜながら返事し、ゆっくりと立ち上がった。
「上等……よし、じゃあ、どうにかしてこの場を―――――」
「ウガアアアッ!」
ライゾールが言い終わるよりも早く、赤黒ゴブリンが彼めがけてこん棒を振るう。マヤが勢い負けした一撃に対して、ライゾールはすばやく剣を構え、振るった。
「――――切り抜けるぞ。いいな?」
「あ、ああ」
自らを下した相手。その首が撥ね飛ばされるのを見ながら、なんとかマヤは応えた。いつもの口調ではあったが、その言葉には困惑と尊敬の念が含まれている。
『私一人ならもっと上手くやれた!オマエがいたせいだ!』
何もかも間違いだった。自分はまだ子供で未熟。世界を知らず、それゆえに狭い世界で全能ぶる愚か者。自分は一人ではなにも出来ない。一人でなにか出来るのは――――
「集中しろよ、マヤ」
―――――目の前にいるライのような者なのだ。
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刃に付着した血を剣を振って落とす。相手の首を斬った愛剣から振り落とされた赤い血が、ビチャッと地面に跳ねる。しかし、そのわずかな時間でさえ、ライゾールは目の前にいる敵から視線を外そうとはしなかった。
ゴブリンの特徴を残しつつ、しかし全くの別物。ゴブリンとは比べ物にならないほどの大きな体と頭から生える太い角が「強敵だ」とライゾールに伝える。ゴブリンの上位種だろうか。なんにせよここのゴブリンたちを従えているのは間違いなさそうである。
「ふん、別の人間か……我が下僕は役に立たんな」
ライゾールの視線を受けて、青い大ゴブリンが口を開く。それと同時、彼のまわりに侍る赤黒ゴブリン――ハイゴブリンたちがそろそろと彼を守るように展開する。
「やれ。やつらを殺したものには褒美をやるぞ」
「グアアアアアアアアアアッッ!!」
青い大ゴブリンの言葉を受け、ゴブリンたちは吠え、一斉に動き出す。前方からはハイゴブリン数匹が、後方からは普通のゴブリンたち数十匹がライゾールたち目掛けて走ってくる。
「ちぃ!ゴブリンの叫び声なんざ聞き飽きてんだよ!おい、動けるか?」
「……大丈夫だ、問題ない」
肩を若干庇いつつ返事をするマヤ。万全ではないだろう。だが、言葉に嘘はないようだ。マヤの表情からそう判断したライゾールは、懐から赤鞘の短剣を取り出し、マヤに向かって投げ渡す。
「これは……?」
「お前のナイフの代わりだ。あとで返せよ?」
転がっている元自分のナイフだった破片をちらりと見た後、マヤは静かに頷く。
「よし!いいか、あのでっかいゴブリンもどきは静観を決め込んでる。俺らをなめてる証拠だ。あいつの正体は今はどうでもいい、油断してる間にゴブリンども蹴散らして逃げるぞ」
「…わかった」
存外素直に頷くマヤに、内心少し違和感を感じながらも、ライゾールは向かってくる敵に備えて剣を構える。
「俺はハイゴブリンをやる。マヤ、お前はゴブリンの相手をしろ。無茶すんなよ」
コクリと無言で頷くマヤを確認して、ライゾールは地を蹴った。相対するは五匹のハイゴブリン。ゴブリンよりも少し高い身長と流暢に言葉を操る知性があるゴブリンの上位種である。
「《疾風刃》」
「ぐっ」
十分近づいた所で、こん棒を振り上げるハイゴブリン。彼がそれを振り下ろすよりも早く、ライゾールの風によって加速した刃がハイゴブリンの腕を切り裂く。痛みでハイゴブリンの顔が歪み、続けて放たれた斬撃がそのハイゴブリンの命を奪う。
残り四匹。押し潰すつもりか、ライゾールを取り囲み、一斉に彼に襲いかかる。しかしそれは彼にとってピンチどころか絶好のチャンスとなる。
「《旋風斬》!」
緑の光を纏った剣がライゾールを中心に回転するように振るわれる。風によって刃は延長され、周囲にいたハイゴブリンたちはその身にそれぞれ傷を負った。ライゾールに近かった者は深く、離れていたものでも決して浅くはないその傷は、彼らの攻撃を一歩遅らせるのには充分であった。
「オオッ!」
腕をはね、耳をはね、脚を斬り、胴を突く。革鎧、そして片手短剣という装備の軽さがライゾールが素早く動くことを可能にし、十数年の傭兵としての経験が効率的に敵を殲滅していく。
あっという間にハイゴブリンたちはライゾールに敗北を喫した。命があるものなど当然いるはずもなく、それどころか四肢の欠損がないものすらその場にはいなかった。
(あいつらに比べれば……こんなやつら……)
ふぅーと息を吐いて、呼吸を整える。ライゾールに去来するのは先の戦争で戦ったゴブリンたち。ニンデ村にて戦ったあのゴブリンたちの強さはこんなものではなかった。装備の質も違うが、あそこのゴブリンたちなら、たとえ相手がハイゴブリンだったとしても充分相手取れることだろう。
「マヤは……」
自身の戦いを終えたライゾールが視線を後方へと向ける。そこにはゴブリン数十匹相手に奮闘するマヤの姿。しかし苦戦をしているわけではない。小柄な体格を生かしゴブリンの攻撃をかわしながら、短剣と弓を巧みに使って一匹ずつ仕留めている。
これは当然の結果と言えた。マヤは日夜ゴブリンよりも手強い魔獣を相手にしているのだ。ゴブリンよりも速い相手の攻撃を避け、傷を負うことなく狩っている。正面から相手すれば体格的に勝てないかもしれないが、素早く動き敵を翻弄し、弓とナイフでとどめをさす彼女のやり方さえはまれば、たとえ数十匹が相手でもなんら問題ないと言える。
「よしっ――――ッ!!」
「ほぅ?避けるか」
視線を戻した瞬間、自身に迫るこん棒に気づく。
慌てて回避したライゾールに青大ゴブリンの笑みがこぼれる。
「ゴブリンの攻撃なんざ当たるかよ」
「我は大鬼よ小僧。貴様は小鬼との区別もつかんのか?」
「 オーガ?……知らねぇな。人子鬼とどっちが強いんだ?」
「何を言っているかわからんなぁ!」
オーガが怒声とこん棒をライゾールに叩きつける。
こん棒は目標を外れ地面に直撃し、攻撃を避けた勢いそのままに、ライゾールはオーガ目掛けて突進し、オーガの脚を斬りつけた。
「……ッ!ちぃ!」
「んー?チクリとするなぁ」
ライゾールの斬撃を意にかえすことなく、余裕の笑みを浮かべてオーガはこん棒を振るう。
ゴウッと勢いよく風をきって迫るその凶器に、ライゾールは避けることしかできず、一歩後退する。
(硬い……これは勝てないかもな……)
まるで石を斬りつけたかのような手応え。斬撃の効果の低さは、わずかついた傷とオーガの笑みが証明していた。片手短剣は軽い。ゆえに威力は他の剣に比べて出にくいだろう。そこを補うのが使い手の腕やスキルであり、ライゾールの技量は決して低くなく、スキルをつかえば有効打になり得るのも理解していた。しかし決定打にはならないだろう。オーガの石のような肌を傷つけるにはもっと攻撃力のある武器が必要だ。
「ふんっ!」
「くっ」
迫り来るこん棒を紙一重で避けるライゾール。上体を反らし、地面を蹴り、屈み、雑に振るわれるこん棒を避けていく。しかし、その威力は本物。オーガの技量の低さがライゾールを救っていた。
「ちょこまかと…………!!」
(ここだ……!!)
それは一瞬の隙。いくら振るっても当たらぬ攻撃。いくら振るっても避ける敵に苛立ったのか、オーガのその雑な攻撃がさらにその雑味をまし、力任せに振ろうと余計な力が入る。時間がその分増す。そしてそのわずかな瞬間を、ライゾールは見逃さなかった。
「≪斬風刃≫!!」
「ぐおおっっお………!!」
緑色の光を纏った刃がオーガの腹から脚にかけて斬る。
風によって延長された片手短剣の刀身が、風の刃となり、斬撃の威力を十二分に高めている。
袈裟懸けに斬られた大きな傷とともに、オーガがふらつく。好機を逃すまいとライゾールは一歩踏み込む。が、オーガとてそこまでやわではない。体勢を即座に立て直すと同時に、こん棒を振るう。
「ぐっ……」
鈍い衝撃を逃がそうとくぐもった声がライゾールからもれる。不利な体勢ゆえに、こん棒の威力は低かったが、彼の追撃を止めるだけの効果はあった。
倒れまいと踏ん張るライゾール。その頃にはすでに、オーガは体勢を完全に立て直し、追撃の一手を打っている。攻守がかわり、立場もかわる。しかし物事は必ずしも繰り返されない。通常のライゾールならば今頭上から降ってくる脅威に対して対応できた。しかし、彼は今大技を放った反動で動きが鈍くなっていた。
(くそっ……!)
ギリッと歯をくいしばり、覚悟を決める。せめてもの抵抗として頭を守らんと両手を迫り来るこん棒の間にさしこみ、防御の構えをとった。
「アオオオオォォォォン」
降りかかるこん棒を見つめるライゾールの耳に、魔獣の遠吠えが響く。意識の大半をこん棒に集中しながらも、彼は頭のなかで何の魔獣の遠吠えなのか自然と考えていた。迫る凶器。肌を刺すような圧。どこからともなく、風がライゾールの髪を撫でた。
(狼……?)
瞬間、何かが弾けたような音と共に大鬼が吹き飛んだ。
「………は?」
「やれやれ……大変な状況だねこれは」
理智的で暖かみのある声。聞き覚えのあるその声に引っ張られるように、ライゾールは声のする後方を振り返る。
「ママ!」
「…ウィンゼ」
「力を貸すよ、二人とも」
生死をかけて争うその場で、いつもと変わらず笑う山の守り神ウィンゼ。その巨躯からは想像できないほど緩やかな足取りで、悠然と歩を進める。
「ナンダ!」
「ケモノ!!」
「来ルナ!出テイケ!」
「うるさいね」
突然のウィンゼの登場に騒ぎだすゴブリンたち。マヤの相手など忘れて全員が彼女に注視している。
そんなゴブリンたちをみて、顔色ひとつ変えず、一言呟くと、ウィンゼは、片足をあげ―――下ろした。
突風。ウィンゼが足を降った衝撃で生まれた―それにしてはあまりに大きい―風が鎌鼬となって、ゴブリンたちを襲う。鎌鼬は十数匹いたゴブリンたちの肉体を切り刻み、悲鳴すらも飲み込んで彼らを遅い続ける。瞬く間にゴブリンたちは絶命し、近くにいたはずのマヤには一切の傷を負わせなかった。一瞬の出来事に呆然とするマヤ。そんな彼女に向かって、なおも悠然とウィンゼは歩みを進める。
「マヤ、ライとの約束を破ったんだね?」
「……ご、ごめん……なさい。ママを安心させたくて……」
状況を見て察したウィンゼの言葉に、マヤは体を縮こまらせた。その姿はまさしく親に叱られる子供そのもので、泣く寸前になりながらも謝る我が子を見てウィンゼは笑った。
「かわいい、私のマヤ。私のために頑張ってくれてありがとう。でも、約束を破ってはいけないよ?わかったね?」
「……うん」
短く返事をしたマヤ。彼女の瞳を見ると、それ以上ウィンゼが言うことはなかった。獣の姿で、獣とは思えない朗らかな笑みを浮かべると、マヤを促し、二人でライゾールの元へと歩きだす。
「助かった」
「来るのが遅くなってすまないね、ライ。しかし、なにか異質なものを感じて来てみて正解だった。まだやれるかい?」
「ああ……なんとかな」
ウィンゼとライゾールの会話に、疑問符を浮かべるマヤであったが、わずか数秒後、その会話の意味を知る。
「なんだぁ?でかい犬っころだな」
「しぶといやつだ。嫌になるな…」
「なっ……もう、倒したんじゃ…」
「風で吹き飛ばしただけだからね……と言いたいところだけどそれだけじゃない。…なるほど異質の正体はこいつだね」
ウィンゼの攻撃から立ち直りのそりと立ち上がるオーガ。そんな彼を見て放った彼女の言葉に、マヤとライゾールは首をかしげた。
「あれはただの大鬼じゃないね。魔が憑いてる。どうりで頑丈なわけだ」
「どういうことだ?普通のオーガと何が違う?」
「簡単に説明すると、オーガの頑強な肉体と硬い肌に加えて、魔物のように空気中の魔素を吸収して傷を癒したり体力を回復したりできる個体ってことさ。……さすがに魔人ほど魔素の吸収率はよくなさそうだけど……厄介だね」
「なんだそりゃ……勘弁してくれ」
ウィンゼに言われて見てみれば、斬りつけた片足の傷は無くなっており、『斬風刄』でできた傷は、さすがに無くなってはいなかったが、手応えとは裏腹に随分と浅くなっていた。
「でも、やるしかない」
「その通りだよマヤ。よく言ったね」
「簡単じゃねぇぞ」
「でも、私たちならできる」
「お前………」
連携を匂わせるマヤとは思えない発言にライゾールは失笑する。いつの間に性格が変わったのだろうか。成長なのだろうか。だとしたら喜ぶべきなのかもしれない。
「ふん、足をひっぱるなよ」
「ライこそ」
軽口を叩きあい、視線を前方へと据える。のしのしと余裕の歩行を見せるオーガ。上背はウィンゼと同じ程に高く、悪鬼羅刹が如きその外見は圧力となってライゾールたちを襲う。しかし、初見の時とその印象は違っていた。背中に頼もしさを感じながら、ライゾールは一歩踏み出した。
∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥∥
団扇で扇ぐように、雑に振るわれるこん棒と地面の隙間を踏み込むことでライゾールは回避する。小さなオーガの舌打ち。こん棒が追いかけようと先程とは逆向きに振るわれる。
「ライッ!」
マヤが叫び、少女の放った二本の矢が真っ直ぐにオーガの胴体に命中――すると同時に二本ともポキリと折れる。
「効かぬ」
「アオオオオォォォォン」
折れた弓矢など気にも留めず、こん棒でライゾールを追う。そこで響く咆哮。ウィンゼが吠えたのだ。それと同時、どこからともなく不可視の風の弾丸がオーガをのろけさせる。喜色の色浮かぶ表情を歪め自分を睨むオーガに、ウィンゼは涼しげな表情で応えた。
「貴様何をッ――ちぃ」
怒声が舌打ちへと変わる。下ろした視界に映るのは人間の男が二撃目を与えようと剣を振りかぶる姿。苛立ちのままに、押し潰す要領でこん棒を振り下ろそうとして、咄嗟に目を腕で覆う。一瞬視界が遮られ、そのわずか後、皮膚に小さな衝撃が走り、ポキリと音がなる。矢である。攻撃を阻害され苛立ちをさらに募らせたオーガが腕を振り払うと、眼前には大口を開けて自身に飛びかかる大狼の姿があった。
「ガルルルルウゥウゥルルルル!!」
「グオオオッッオオッ!!」
オーガの片腕にかじりついたウィンゼはそのまま腕を噛みちぎる勢いで強く牙を立てた。矢を弾き、剣撃をも薄めるその硬い肌すら貫く鋭い彼女の牙にやられ、悲鳴に近い声を上げながら思わずオーガは片膝をつく。三メートル近くある身長が半分ほどになる。ウィンゼを引き剥がそうとこん棒を離した瞬間、悪寒がオーガの体を走った。
「≪斬風刃≫!」
ウィンゼの噛みつきによってできた隙をライゾールは見逃さない。スキルによって巻き起こった風が刀身を被い、それによって形成された風の刃が、脚ではなく、今度はオーガの首から腹にかけてを袈裟懸けに大きく切り裂いた。
「グオオオオッッツァッッ!」
あふれでる血。流れるほどに叫び、叫ぶほどに流れる。腕と胴体に重傷を負い、オーガの腕はだらりと垂れ下がり、呼吸を荒らげ、目も虚ろとなっていく。「勝った」そうライゾールは確信し、後方のマヤも同様に感じた。ウィンゼはついぞ食いちぎれなかったオーガの腕から口を離し、次の瞬間には思わず叫んでいた。
「離れろ!ライ!」
「なっ――――ぐっ!」
ウィンゼの叫びに、反応するよりも早くライゾールは後方へと吹き飛ばされる。ウィンゼの能力だとライゾールが理解するのと、オーガの体から異質な気配が発せられるのは同時だった。
「カ、カ、カ、カミの紛イ物フゼイが!悪神のツカイ、イ、イ、精霊ノ集合体。我らの、て、敵!」
「おやおや……っぐ、まさか大戦以前から存在する者か。オーガに隠れて今まで生きていたとは……驚いたよ」
後方へと吹き飛ばされながらも、彼らの会話はライゾールの耳へと入っていた。意味はちっとも分からなかったが、そんなことを考える余裕など、元から彼にはなかった。
流れていた赤い血はいつの間にか黒くどろどろとした謎の液体へと変化しており、瞳からは黒が消え、そのすべてが白く染まっている。ウィンゼに噛みつかれひどい怪我を負っていた筈の腕にも胴体と同じように黒い液体が流れていて、驚くべきことに、その腕でウィンゼを掴み掲げている。
「ママッ!」
焦りと緊張の声と共に、マヤは矢を放つ。胴体に見事命中するも、硬い肌を貫けず矢は折れてしまう。
「マヤ!」
「ライ!ママがっ!」
マヤのいる地点まで吹き飛ばされたライゾールに、彼女は悲壮感ただよう声で訴える。目尻にわずかに涙を浮かべる彼女を見て、ライゾールは自分が少し冷静になるのを感じた。
「落ち着け!いいか!あいつはもう虫の息だ、俺が今からとどめを刺しにいく!だが、油断しちゃいけねぇ。俺を後方から援護してくれ」
「う、うん」
「目を狙え。あいつが唯一防御した目なら矢も届くはずだ。いいか?いいな?あいつを倒すにはお前の力がいるんだ!なにがあっても、どうにかして必ず目に矢を命中させろ!わかったな?」
「わ、わかった!」
涙を振り払い頷くマヤ。役割を与えられ焦りから脱却し強い意思を見せる彼女を見て、ライゾールは頷き、彼の言葉通りオーガ目掛けて駆けた。
「滅スルべ、し。カ、ミッ!」
「うぐっ……力が入らない……。肉体の限界かな。まいったね……こんな時に体が言うことを聞かないなんて」
たどたどしい口調で、しかし動きは機敏に力強く。オーガは片手で持ち上げていたウィンゼを地面に叩きつけもう片方の腕でこん棒を振り下ろす構えを見せる。叩きつけられた衝撃ゆえか、いや、それともとうに限界を迎えていたのか、ウィンゼは弱々しく呼吸をするばかりで、立ち上がろうともしない。それはまさに弱った獣の様子そのもので、そこには日頃ライゾールが感じていた神々しさはなく、それゆえに、彼女の終わりが近いことを感じざるをえなかった。
走って向かうその場の光景から、ライゾールは視線を外すことができない。一歩がこんなに遅く感じたことはない。頬を撫でる風にこんなに不穏なものを感じたことはない。逸る気持ちに反比例するように、足はなかなか前へと進まず、しかし時は着実に経過していく。
「消えよ!」
「マヤ……ライ……」
鈍い音と共に、赤い血が吹き出る。ライゾールは目の前の光景を―――オーガがウィンゼにこん棒を叩きつけた光景を見て奥歯を強く噛み締め、息を大きく吸った。
「マ――――――」
「マヤッ!!!!!」
ビリリと電流が走る。
視界に映るあまりの光景に思いがあふれ、知らぬ間に涙を流していたマヤの叫びは、ライゾールの声によってかき消され、マヤの脳内に己が役割が思い出される。拭えども溢れ流れる涙。止め方なと知らぬ少女は、それを諦めると、思わず下ろしていた弓を再び構え、呟く。
「……ママ………見てて」
両頬に涙をつたわせて、少女は矢を放つ。
その一矢は風をきり、走るライゾールの背中を越えて目標へと突き進む。
「グヌウウォォォ……!!」
ウィンゼに気をとられ防御を怠っていたオーガに、それを防ぐ暇はない。反射的に押さえた片目から黒くどろどろとしたものが流れていく。口を歪め苦悶の声で啼きながら、指と指の間で刺さった矢を抜く。
「これで最後だぞ…《斬風刄》」
緑の刃が横薙ぎにオーガの首を斬らんとその刃を立てる。
その身長差から、飛び上かかるように放たれたライゾールのスキルであったが、その勢いに押されオーガは思わず片膝をついた。
「オオオオオオッッッ!!」
「ニン、ゲン……、!!」
咆哮がオーガの呟きをかき消す。
刃はその半分をオーガの首にめり込ませ、奴の首を獲らんとその身をさらに前進させようとしている。当然それをタダで見てる訳にはいかないオーガは、両手で剣を押し返していた。
「ウオオァァァアアア!!」
腕に万力の力を込め、足は土を砕くほどに踏ん張っている。叫ぶことに意味はない。しかし叫ばずにはいられない。
己が持つ最大威力のスキルの三度目の発動。1日一回が限度であるソレの代償はライゾールを苦しめていた。肉体の疲労はもちろんのこと、多大な集中力を要するその技は彼の頭を疲れさせ、戦いの最中でありながら彼に睡眠を求める。技の冴えはもうなく、ギリギリ発動しているに過ぎない状態。それでもなお、オーガの硬い肌を傷つけられるのはこの技のみ。ライゾールはそれを知っている。ゆえに歯を食いしばり、疲労に耐え、叫ぶ。ウィンゼとマヤ。二人が協力して作ったオーガを滅ぼせる最大の好機。片方はその命を失った。なぜ自分だけ諦めることができようか。
「ぶった斬れろ………!!」
「ヌウゥオオッ!!」
疲労困憊のライゾール。しかし、相手とて万全の状態ではなく、そのむしろ逆。彼に負けず劣らず、瀕死と言ってもいいほどである。それでも、オーガは彼に負けじと声を張り、自身の首を狙う刃をその両腕で押し返していく。地力ではオーガに軍配が上がる。それは今となっても変わりはしない。徐々にその首から刃が離れていく。その様を否定しようと、ライゾールは再び吼える。
(………ライゾール)
風が耳を撫でたのをライゾールは感じた。
(ウィンゼ?)
なぜ、そう感じたのか。理由や根拠はなかった。それでも頭に浮かんだその予想に間違いがないと、不思議と決めつけていた。
(ライゾール……準備を……。くるよ……備えて)
(なんのことだ?)
聞こえてくる声に疑問を呈しても返事はない。風はそのまま通り過ぎ、代わりのようになにかがライゾールの頬を通過した。
「ヌウウウァァァァ!!」
「ライ!!」
オーガの目に矢が突き刺さるのと、マヤがライゾールの名を呼んだのは同時だった。オーガは反射的に目を押さえ、剣はその瞬間に自由になる。重りを背負っているかのように固い体、締め上げられているかのように痛む頭、チカチカと明暗する視界。それらを踏まえてなお、ライゾールは笑った。
「(ここだっ!!)ウオオオオオッッ!!」
笑みを消し、歯をくいしばる。ここが最後。最後の好機。ここで決める。決めなくてはならない。
風が、ライゾールを包み込む。剣は彼の咆哮と共に前進し、首を胴体から切り離していく。止めんと腕に力を込めるオーガ。しかし、勢いは止まらない。ライゾールを中心に渦巻く風が剣に威力を与え、オーガの身を切り刻んでいく。もはや竜巻。その荒れ狂う暴風の渦の中で両者は睨みあう。
「キ、サマァッッアアアッ!!」
「ホブロンより、弱かったな……オーガ」
刃が振り払われ、オーガの首が飛ぶ。
くるくると風に弄ばれ回転し、角から落下して地面に突き刺さったのを見て、ライゾールは片手短剣を鞘に納めた。
「はぁ……はぁ……勝ったぞ」
「ライッ!!」
「っぐ…」
マヤにタックルされてくぐもった声を上げて、ライゾールは尻餅をついた。非難の声をあげようとマヤを見るが、泣きそうな顔で自身に抱きつく彼女にそんな気はなくなってしまった。
「重いぞ」
「わかってる」
ゆっくりとマヤはライゾールから離れ、目元をこする。自然とライゾールは彼女の頭を撫でていた。
(マヤ……ライゾール……)
「ママ!?」
二人を、包み込むように風が吹く。
どこからか聞こえてくる優しいその声に、マヤは驚きの声をあげた。
(私はもう……いかなくては……でも…忘れ……ないで)
声は弱く、優しく。途切れ途切れに伝わってくるその言葉に、マヤは再び頬が濡れるのを止めることができなかった。
(私は常に……そば…に……いる。愛して…いる……よ二人……とも)
風が二人の身を包み、離れていく。
それはまるで抱擁のように優しく爽やかなもので、それを受けて思わずマヤは両膝をついて泣き崩れ、ライゾールは自然と頬を伝う一筋の涙を拭いた。
鳥のさえずりも、獣の鳴き声も、木々を揺らす風もない。
静寂のみのその場所で、二人はしばらく風の抱擁、その余韻に浸っていた。
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「本当によろしいんですか?」
「ああ、頼む」
最後の確認だ、と言わんばかりの表情で聞いてくる村長の言葉に、迷うことなくライゾールは頷いた。
オーガを倒してから一週間。傷も大抵癒え、疲労も抜けきったその日の早朝、ライゾールは旅の準備を整えた状態で、依頼を受けた村長宅にいた。
「そうですか……しかし、マヤは寂しがるでしょうな」
「そんなことはないさ。あいつはもう大人だ」
ちらりと寝室を見て言った村長の言葉に、ライゾールは首を振って応えた。
『――――彼女の事を頼んだよ』
脳裏によぎる亡きウィンゼの言葉を振りほどく。マヤにとってこれが最善だと自分に言い聞かせながら「それじゃあ」と言って村長宅の出口へと歩きだした。
ウィンゼに頼まれはしたが、自分はしがない傭兵。なんの後ろ楯もなければ、この先生きていける確証もない。生きる目的を探して旅するただの凡人である。子供一人育てられるほど立派な大人ではない。そう考えるライゾールのとった選択はマヤをこの村に任せるということだった。ゴブリン退治の報酬を受け取らず、むしろ、幾ばくかの金を村長に渡し、マヤの面倒を受けてもらうことを了承してもらった。意外なほどに、マヤは村民と会話をするのをさほど嫌がらず、ほんの一週間であったが、それを見たライゾールは安心して任せてもいいと考えることができた。幸いにも、この村の作物の実りはよく食べ物にあまり困っていない。それに、マヤは優秀な狩人なので、魔獣の肉を獲ってこれる貴重な存在である彼女を無下に扱うこともないだろう。大丈夫だ。マヤはここで幸せな一生を送るのだ。
「馬は出口に用意させております。食料も多少積ませておきましたから」
「助かる。では」
見送る村長に軽く手を振って、ライゾールは村長宅を後にする。早朝の眩しい日差しが彼の視界を明るく照らした。
「……いい朝だな」
すうっと息を吸って、ライゾールはそのまま村の出口に向かって歩き始める。歩きながら目を凝らしてみれば、どうやら村長の言うとおり出口に馬が用意してあるようだった。馬の影と人影が見える。こんな早朝からご苦労なことである。
歩く度に影の形がより明瞭になり、次第にはっきりと見えるようになっていく。馬はなにやら皮の袋を身に付けており、隣で手綱をとる人影は思いの外小さい。子供ほどしかないようだ。
(手伝いか……俺もガキの頃よくやらされ――――)
「遅いぞ、ライ」
「なんで、お前がここにいる」
人影の正体はマヤであった。
彼女の数歩先で止まり発したライゾールの言葉にはわずかに動揺の色が混ざっていた。
「なんでって、出発だろ?」
「……まさかついて来る気か?」
「当たり前だろ、さあ乗れ」
言葉の通り、さも当然の様子でそう言ってのけると、マヤは馬へと飛び乗った。
「………………お前……っふ、やっぱりまだまだガキだな」
数秒の沈黙の後、ライゾールもまた馬へと乗る。自分の立場、目的、ウィンゼのこと、マヤの将来、安全。様々な思いがその沈黙に凝縮され、それらを吹き飛ばさんとするマヤのその行動に思わずライゾールは笑った。
とった選択の正しさはライゾールにはわからない。
ただ、自身の背中を撫でる風の温もりが、自分の選択を肯定しているような気がして、ライゾールは思わず手綱を強く握った。
次回、本編に戻ります。




