第94話 凍山期
「うぅ…寒いな!」
パンッと勢いよくガードは地上へと飛び出した。さながら水中から顔を出した時のように雪が水飛沫さながら辺りを飛び跳ねた。寒さのせいか、少しボーッとする頭で何が起きたのか考える。するとすぐに、雪崩に襲われたことをガードは思い出した。書物でしか知らぬ自然現象に遭うとは幸か不幸か。人をあっさりと殺すと聞いていたわりには体は平気そうだった。雪崩で雪に埋もれて気絶していながら『うぅ…寒いな!』程度で済んでいるのは明らかに異常だったが、そんなことを彼は知る由もない。ガードは立ち上がり服を叩いて雪を落とすと、背に背負っていた荷物を漁る。どうやら中身は無事なようで、携帯食料から三角猪のジャーキーを一切れ取り出して口に運んだ。燻製されても残る甘い脂と、燻製肉の塩気が体に染みた。
「頭領たちと合流しないと…頂上かな」
目的地がわかっているならそこに向かえばいい。雪崩のせいで、自分がどこにいるかわからなくなってしまったガードだったが、取り敢えず上を目指して歩きだして――――視界の端に小さな人影を捉えた。
「ん?あっあのー!すいません僕道を聞きたいんですけどー!」
謎の人影はガードが大声で呼ぶなり、走って逃げていく。反射的にガードも追いかけるように走り出した。何となくでも頂上は目指せると思うが、この山に詳しい人の助けがあればより良いのは当然だ。雪に足をとられないように注意を払いつつ走る。人影は小さい。多少距離は空いているが歩幅ゆえか徐々に詰まってきている。ハッハッと白い息を吐く。足を回転させるたび背中の荷物がガチャガチャと音を立てた。
「ヘンジー!ヘンジー!大変だよ!!怪物が!怪物がいる!!」
「んだぁ?おいドニーニ!おめぇがどうしてもって言うから連れてきてやったんだぞ?黙って見学する気がねぇなら帰りやがれ!」
カンカンと小気味よくトンカチで音を奏でながら、ヘンジーと呼ばれた男は、ドニーニという名の少年を叱責する。トンカチを振るう腕を止めて、ヘンジーは咥えてた煙草を一吸いして煙を吐くと、ドニーニに向き直る。
「大体この辺は魔獣が出るから危ねぇって散々言ったろうが…ってもお前の見た怪物が本当にそうかはわからねぇ――――」
言葉を止め、というより失ってヘンジーは煙草を思わず落とした。彼の態度を不審がって、視線を追ったドニーニもすぐに理解した。圧倒的な巨躯を誇る緑色の怪物が荒く息を吐きながらこちらを睨んでいたからだ。ヘンジーはすぐさまドニーニを自分の方へと引っ張ると、自分の荷物から大槌を取り出して構えた。恐怖を圧し殺すようにギリリと奥歯を噛みしめる。
「お、おまえさん…言葉は話せるか?俺たちに何のようだ?」
「いや、あははあの…お邪魔してすいません。ちょっと聞きたいことがありまして」
怪物、もといガードは息を整えながら目の前の小人二人にそう言った。人影を追って辿り着いたその場所は、山を掘って造られたトンネルのようだった。知らなければ到底見つけられないような入り組んだ場所にポツンとあるため、隠し通路かもしれない。人影を追わなければ見つけようが無かっただろう。そんなことを頭の隅で考えながら、他の大半は別のことで埋まっていた。
目の前でたじろぐ二人の人物、その容姿だ。身長は小さい。目算でしかないが恐らくゴブリンより少し大きい程度だろう。片方はさらにそれよりも小さかった。発達した筋肉は実寸より身体を大きく見せている。特に膨れ上がった腕は身長からは想像できない程のパワーを生みそうだ。が、それだけならばガードの思考の大半を占めたりはしない。彼の目をひいた理由は、彼らの髭の長さ、その量が正しく昔書物で読んだ通りのものだったからだ。
「もしかして…お二人はドワーフでは?」
「ああ…そうだが?」
ドワーフ。エルフと並び亜人の代表格に見られる種族で、小さな体と長い髭が特徴的で、高い鍛冶技術と勇猛果敢な戦い方で広く知られている。平均的な人間の子供ほどの体躯でありながら、強靭な筋力で槌や斧を振り回す彼らは昔の人間と亜人の戦いで脅威的であったという。戦士であり、鍛冶師であるガードにとってドワーフとの出会いは人生の内で叶えたい夢のひとつであった。唐突な願いの実現に思わずガードから笑みが溢れる。それを見てドニーニとヘンジーはびくりと肩を震わせた。
「会いたかったです!ずっと…」
「…ん?ドワーフに会うために山登りに来たっていうのか?」
「はい…いや、そうじゃないです。僕はただ、あの道を尋ねたくてですね…勿論争う気はないです」
ドニーニとヘンジーとは別の類の緊張を帯びてきたガードの必死な語りに、二人は徐々に警戒を解いていく。ガードは仲間とはぐれたこと、頂上に行けば合流できる見込みがあること、山の向こう側に行きたいということをドニーニに説明した。
「なるほど…さっきのでかい音はやっぱり雪崩だったか。んで、どうして向こう側に行きたいんだ?オークの国なんてなかったと思うけどな」
「仲間がいるかもしれないんです。詳しい事情まではわからないんですけど助けたくて…」
一応リーシャのことと、彼女を連れ去ったエルフの事を伏せてガードはそうヘンジーに説明した。ヘンジーはガードの言葉を疑う素振りは見せずにうーんと悩む。
「お前さんの目的はわかったけどよ…けっこう危ないぞ?向こう側は確かに亜人の領域ではあるけど、だからといって亜人全員に優しいとは限らねぇからなぁ…仲間がいるかもしれねぇからってお前さんとあと数人程度で何のツテもなく行く気なんだろ?森のエルフだの砂漠の猫人だのに見つかったら揉め事になるぞ?」
煙草をふかしながらヘンジーはそうガードに言った。会ったばかりだというのに彼の声音には心配の色があった。
「それでも…行きます」
「うーん…そうかぁ…」
「ねぇねぇヘンジー!ガードを僕たちの家に連れてってあげようよ」
すっかりガードに慣れたドニーニは彼の腕にぶら下がりながら呑気にそう言った。ガードが優しく腕を上下させると、笑って喜んでいる。
「うーん…」
「どうせ父さんの部屋が開いてるしさ!ね!ヘンジー!」
「父さん?ドニーニはヘンジーさんの息子さんではないのですか?」
「こいつは俺の兄貴の子だ。…ったく『黙って見てるから』とか言ってたくせによぉ、無邪気にはしゃぎやがって」
ガードの何をそんなに気に入ったのか、ドニーニは彼にべったりだった。勿論短い間ではあるが、これまでのガードの様子で彼が悪いやつではないとヘンジーも感じていた。が、だからといって素性のよくわからない人を家へと招くのに抵抗がないといえば嘘になる。頭を悩ませるヘンジー。そんな彼の様子を見てガードは苦笑する。
「大丈夫ですよ、ヘンジーさん。僕はただ頂上までの道のりを教えてもらえればいいだけですから。それ以上厄介はかけません」
ガードのその言葉を聞いて、悲しそうにドニーニは眉をひそめた。それを見てため息をつくと、ヘンジーは煙草を一吸いして立ち上がる。
「…いや!家に来いガード!」
「えっ!でも…」
「いやいや気にするな。お前が人間ならまだしも亜人でエルフでもねぇんだ、問題はない。それにこの山はじきに凍山期だ。十日は身動とれねぇ、だったら俺たちと一緒に家まで来たほうがいい」
「あ、いや」
「仲間とはその後に合流できる!そうだろ?どうせ向こう側に行くのが目的なんだ、だったら一足先にお前だけ行っても問題無いだろうよ」
「それは…その」
「よしっ!そうと決まればチャッチャカ終わらせるぞ!ちょいと座って待ってなガード」
そういって煙草を吸い切ると、地面に捨ててヘンジーは何やら作業を始めてしまった。あっという間に予定を組まれてしまったガードだったが、結局ヘンジーの言うとおり行動するのが最善であることに違いはない。相手の反応を気にせずに自分の意見を通す様はどこか自身の鍛冶の師である親方に似ていて、少し懐かしい気持ちにガードはなった。もしかしたら職人に多い気質なのかもしれない。
「よかったね!ガード!」
「うん、ありがとねドニーニ」
ドワーフの少年に礼を言いながら、ガードはヘンジーに視線を送る。どうやら彼はこのトンネルの点検を行っているようだ。辺りを注意深く観察しては、トンカチ等で細かな整備をしている。鍛冶場で何度も見た職人の背中だった。ガードは立ち上がると自分の荷物から鍛冶の道具を取り出すと、ヘンジーに歩み寄る。
「ヘンジーさん。なにか手伝えることありますか?」
「んぁ?」
「僕、こう見えてもこういうの得意なんですよ」
そう言って腕を振るうガードの腕前にヘンジーが驚愕するのは、これより数分後の出来事であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「これは飛翔槍というもので、群れ一番の槍の使い手が代々受け継いでおります」
クルクルと槍を回転させて鳥人衆のバルドレはショウとリードにそう言った。鳥人衆の集落で夜を過ごした明くる日、陽の光が差し込む集落の広場のような場所で、ショウがバルドレに彼の武器について尋ねたことでこの会話は始まった。見た目は普通の槍のようだが、確かに一度ショウはその槍が勝手に地面に突き刺さった状態から空中のバルドレの手元へと移動するのをその目で見た。外は凍山期とかいう状態でとても出歩ける状態でないため、地形の都合上か吹雪のない鳥人衆の集落で残りおよそ九日間を過ごすしかない。この会話はそう、暇つぶしだった。
「穂も柄も何で出来ているのか我々は存じません。ただ堅く、決して壊れないと言い伝えられております」
二人に見えるように槍を掲げながら、バルドレはスラスラと説明していく。ショウの目から見てもそれは確かに普通の槍のように見える。黒塗りで確かに材質まではわからないが、金属の光沢があるわけでも、ショウの着る魔道具のサーコートのように奇妙な紋様が浮かんでいるわけでもない。
「ただ、この槍の最も特異なところは…」
そう言うや否やバルドレは地面に向けて、槍を投擲した。鳥人衆の住処は木々の枝の高さほどにあるので、地上それなりの高さということになる。槍は勢いよく地面に突き刺さり、土にはひびがはいった。突然の行動に少々驚いているショウを他所に、バルドレは自身の手を知人に挨拶するかのように少し上げた。すると穂が震え始め、地面から抜け出すと、まるで泳ぐように空中を移動して槍は彼の手に納まった。
「…このように持ち主の呼びかけに応えるところなのです」
「…すごいな」
「珍しい武器だ」
ショウとリードの素直な賛辞に、心なしか胸を張り誇らしげなバルドレ。そんな彼に近づいて同じように誇らしげな様相を表す鳥人衆がいた。
「父上は随一の槍の使い手で、飛翔槍に選ばれた“空の担い手”なんですよ!」
「ほぉーそいつはすごいな、オセハ」
オセハはバルドレの息子で、魔獣に襲われているところをリードに救われた過去がある。そのお陰でショウたちは鳥人衆の集落に滞在することができているのだ。ショウに褒められてますますオセハは胸を張り、そんな彼を見て少し照れたようにバルドレは笑った。
「…それって、俺が投げても同じように返ってくるのか?」
「いえ、この槍に選ばれた者でなければ不可能です。この飾りがあるでしょう?」
そう言ってバルドレは槍の棍の部分についている、赤い布の様な飾りを指差す。ショウの視線がそこに集中したことを確認すると、バルドレは再び嘴を開く。
「これは歴代の“空の担い手”たちの羽です。当然、某のものも入っております。自らの羽を一枚自分の血で染め祭壇に祀られた飛翔槍に捧げる…その儀式を経て認められた者だけを、この槍は所有者と認め真価を発揮するのです」
「へぇー選ばれしものしか使えない、みたいなことか…じゃあ俺は持てもしなかったり?」
「いえいえ。どうぞ」
あっさりとバルドレは飛翔槍をショウに手渡した。両手で受け取ったショウは、バルドレの見様見真似で構えてみる。バルドレの言った通り持てるし、振れる。が、妙な違和感がショウにはあった。なんというか、余りに軽すぎる。もっと言えばどこか武器として頼りない感覚を得ている。まるで木の枝を構えているような場違い感。こんなものが本当に鳥人衆に伝わる伝説の武器なのだろうか。ショウから手渡されたリードもやはり不思議そうな表情を浮かべていた。二度、三度と飛翔槍を突いてみるリードだったが、やはり納得のいっていない様子だ。確かな威力をもっているはずのその突きも、ショウには子供の遊びのようにしか見えない。
「ハッハッハ!不思議そうな顔をしておられるなご両人!」
そう嘴を大きく開けてバルドレは笑うと、リードから飛翔槍を受け取る。流れるように槍を構えると、リードと同じように槍を突いて見せた。その突きはリードのものとは比べ物にならないほど鋭く、強力だった。横でオセハがパチパチと拍手して父を讃える。
「これが飛翔槍に選ばれた者とそうでない者の違いです。選ばれた者でなければ槍は力を貸さず、武器として成り立たない。しかし選ばれた者には空を裂き、岩を砕く程の力を与えます」
なるほど、それがこの槍の真の特性なのかとショウ、リード共に納得していると、何人かの鳥人衆が頭上から下りてきた。バルドレに耳打ちすると、すぐにその場から飛んで離れて行った。残されたバルドレは数瞬、神妙な面持ちになると、ショウたちに向き直り笑顔を見せた。
「失敬。某はやることができましたゆえここで失礼する」
「何か俺たちに出来ることか?出来るなら力になりたい」
「いえいえ、そうはまいりません。これは鳥人衆の務め。お二人はどうかこのオセハに外の世界の話でもしてやってください」
そう言ってオセハの頭を撫でると、バルドレは翼を広げ飛び立ってしまった。そんな彼の背中に送られるオセハの視線に心配の色が含まれているのを、ショウは密かに確認していた。




