第91話 出立
空気の澄んだ晴れの日。風がそよいで木々を揺らす中で、広場にレイクビューの住人たちが集まっていた。その中心にいるのは、長であるショウ、その家臣であるリード、ガード、そしてガランである。猿賢人の少年、トランのもたらした情報によりリーシャの居場所の手掛かりを掴んだ彼らはこれより彼女がいるとされている場所、山を越えた大陸の向こう側にあるエルフの国へと旅立とうしていた。
「よし、準備完了だな」
ショウは冒険者の時と同じ急所を覆うだけの簡素な鉄製の鎧の上に奇妙な紋様が描かれたサーコートを羽織っている。このサーコートはニンデ村戦争で戦った傭兵団『獅子の爪』の団長、ガンドンが身に着けていたもので、魔法に対する耐性がある魔力を持った物品。いわゆる魔道具と呼ばれるものらしい。服のサイズは装着者によって自動で変わり、破れたりして破損したとしても空気中の魔素を吸って―時間はかかるが―元通りに自己修復するというなんとも便利な代物である。魔法以外の防御には役立ちそうにないが、軽く、動きを阻害することはないのでショウは重宝していた。腰には愛用の片手剣を佩き、背中には魔獣の革をつなぎ合わせて作った大きなバックパックを背負っており中身は水と食料。ガン特性の塗り薬。そしてなけなしの金で買った大雑把な山の地図だ。ないよりはマシ程度のものだが、それぐらいしか手持ちの金では買えなかった。
「道中で狩りが出来ればいいが…」
人子鬼のリードの装備はショウに比べてそれほど遜色はない。戦闘の時に着る革鎧を身に着け、その上からショウ、ガードと共に討ち取った甲冑熊の革で出来た防御力に優れるサーコートを羽織る。背中には相棒の両手剣を背負い、その上から―ショウの物と同じ―バックパックを背負っているため、いざ抜剣する時は少しやりづらいだろう。バックパックの中身は水、食料、ガン特性の塗り薬、そして寒暖差に対応するための毛布や防寒着。容量の都合上、ショウに比べて水と食料の割合は低い。
「エルフの国…宝飾品の細工で有名って前に本で読んだことあります」
オーク・ガンドのガードの装備は他とは少し違う。ショウやリードと違い鎧は身につけておらず、肌着の上に何枚か服を重ね着した程度。ガードが戦いの時に身につける鎧は固く、重いので動きが制御されかねないので旅には向かない。そして肉体の頑強さで言えばそもそも彼に鎧は必要ないとも言えるので防具らしい防具は身につけていなかった。代わり、というわけでもないが、彼のバックパックは他のに比べて巨大だった。体力と体格に恵まれているため、ガードは自然と荷物持ちの役割を担うことになった。水、食料、ガン特性の塗り薬、防寒着、毛布に加えて、野宿するためのテント、火起こしに使う油等の道具や武器の整備用の道具などなど色々と旅を助けるための荷物を背負っていた。当然、武器である戦鎚も忘れてはいない。リード同様に背中に背負っている。
「ガハハハハ!心配はいらん!王も我も無事に戻るぞ!!」
ショウのスキル、『誓約の儀』によって獅子人から獅獣牙人へと種族進化したガランの装備は四人の中で最も簡素だった。戦いに武器を用いない彼は当然のように武器は持たず、個人的な好みで防具どころか服も着ていないので、上半身は裸だ。下半身はゆったりとした肌触りのよい布をスボンのような形に落とし込んだものを履いているのみ。バックパックを背負うのも嫌がったが、王であるショウの命令で嫌嫌ながら背負っている。中身はリードと同じく水、食料、ガン特性の塗り薬、そして防寒着と毛布である。
トランが目覚めてから三日のうちにこれだけの準備を済ませられたのはレイクビュー全体の協力があったからこそだった。寝る間を惜しんで作業してくれた女ゴブリン、そしてその手先の器用さで活躍した羊執人たちのお陰だと言えるだろう。改めてお礼を言うとショウは簡素な出来の荷車へと乗り込む。快適さなど度外視した、ただただショウたちを運ぶためだけに作られたソレを引くのは、ショウがスキル、『眷属召喚』で生み出した狼の影五匹だ。今のショウが一匹一匹に最大限力を込めて生み出した場合の最大数の彼らは同数の馬の馬力など優に超えるほどの力で荷車を引っ張ることが出来る。たとえガランやガードといった大柄の人、もとい荷物が乗ったとしても問題はなかった。
「小さいな…我だけ走りでも構わんぞ」
「文句言わずに乗れ」
「大丈夫かな…自分で設計しておいてなんですけど少し心配です」
愚痴るガラン、それを叱責するリード、荷台の強度を不安視するガードが順に荷台へと乗り込んでいく。ギシッと大きな音を立ててガードが荷台に乗り込んだ後に、少し不安そうにトランが乗った。これから彼らは山へと向かう前に彼を家族のもとへと届けに行くのだ。自分よりも遥かに大きく、強い人々に囲まれて少年らしく緊張する彼を見てガランが笑い、口を開けると覗かれる牙を見てトランは少し身体を震わせた。
「よしっ!じゃあ行ってくる!留守を頼んだ」
「長!」
荷台から狼たちに出発の命令を下そうとするショウを呼び止めるゴブリン。ゴブリン戦士隊、四番隊隊長のインエだ。
「どうか…リーシャ先生をよろしくお願いします」
「任せろ」
そう言うと、一行は猿賢人の遺跡を目掛けて出発した。リーシャに帰ってきてほしいと願うのは何もショウだけではない。いつも冷静で感情を顕にしない、嫌味なインエでさえも弓の師であるリーシャには思うところがあるようだ。彼を始めとしたレイクビューの面々の視線を背中で感じながら、リーシャ奪還の旅、その最初の一歩をショウたちは踏み出した。
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「トラン!無茶をしおって!」
「ご、ごめんなさい…!」
猿賢人の遺跡に着いてすぐに、トランは説教を喰らうこととなった。事前に彼に聞いていた情報が正しければ、今彼を叱っているのが長老。ここにいる猿賢人たちを束ねる長の役割を担う存在なのだろう。猿賢人たちは年齢に関わらずみな顔や手に皺があるのが特徴のようだが、長老は中でも顔の皺が深い。半分泣きそうな表情でトランを叱る長老の様子から本当に彼のことが心配だったということが伺える。
――――オゥオゥオゥオオッ!
トランが怒られている様子を遠巻きから見ていると猿賢人が大声で鳴き始めた。何事かと思案し始めるショウに、説教を終えた長老が近づいてくる。
「ご心配なさらず。あれは仲間を呼び戻す遠吠えのようなものです。トランを探しに若衆が出ていたものですから」
「ああ、なるほど。そういうことか」
ニッコリと優しい笑顔を浮かべて長老はお辞儀をした。それに返すようにショウ、リード、ガードも一拍遅れて頭を下げる。
「して、あなた方がリーシャ殿のお仲間ですな?うちのトランがご迷惑をおかけしました」
「いやいや、とんでもない。トランのお陰でリーシャの手掛かりをえることが出来ました。こっちこそリーシャを助けて頂いてありがとうござまいした」
長老の丁寧な態度に、物言いにショウも同じように返す。この世界に来てから久々の日本人のような口調での会話に心のなかでショウは笑った。
「…リーシャ殿の件は非常に申し訳なく思っています。あの方は儂らを護るために自らを犠牲に…それなのに儂らは……」
そう言って何度も頭を下げる長老に「気にすることはない」とショウは言う。たった数日共にしただけのリーシャをここまで思ってくれるのは彼女の人柄の為せる技か、それとも猿賢人たちは心底人がいいのが理由だろうか。
「随分と寂れてるな…子供は多いが若いオスもメスも少ない。老人ばかりだ」
「おい、失礼なことを言うなガラン」
「トランを探しに出かけているって言ってたじゃないですか。だからですよね?」
突然のガランの失言を慌ててショウは制する。彼をフォローするようにガードが長老に尋ねるが、何も気にしていない様子で長老は笑って答えた。
「ええ。そちらの御仁の言うとおりですよ。確かにトランを探しに若衆が何人か出ておりますがそれでも数は少ないですね。老人より子供が多いことが救いです」
「ガハハハハ!子は宝か!そのとおりだな」
「この場所はあんたらが建てたのか?」
廃れているものの遺跡は石造り。手入れされていないのか植物が壁伝いに生え、所々崩れている。だが、自然の中で生きる猿賢人ならばそれほど生活していくのに問題がないように見える。
「いえいえ、儂らはただ移り住んだだけですよ。そちらの御仁の言うとおり戦える若い男の数が少ないものですから、争う前に移住するのが儂らの生き方です。まあ元来儂ら猿賢人は争いが嫌いというのもありますが…」
リードの質問に微笑みながら長老は答えた。自分たちを卑下しているようで、実際はそうでもないのか。常に微笑み態度を崩さない彼の真意を知るにはまだ時間が必要だった。
「ならば強者にすがればよいではないか」
「強者の奴隷になれと言うことか?客人」
ガランの言葉に反応したのは長老ではなく、若衆の代表格、ターニンだった。同じ種族故に見た目は長老と似ているが、彼の体毛は長老のものに比べて艶がありどこか力強さがある。顔に刻まれたシワも少なく、体つきはガッチリしているようだ。長老のような気品もあるが、その目つきは若い男らしい鋭さと荒々しさが同居している。睨むではなくジッとその目でガランに視線を送る。ガランは怯むどころかニヤリと笑いながら言葉を続ける。
「そうではない。居場所を守るために力が必要ならば、それが可能な者に頼れと言っているのだ。お前たちはお前たちの出来ることをすればいい…まぁ自らを強者と思うならする必要はないがな」
「…なるほど」
短くそう言って、ターニンはその場を去った。彼の後ろ姿にふんと鼻を鳴らすと、ガランは荷台へと乗り込んだ。言いたいことを言い終わったようだ。ショウはリードとガードに荷台に乗るように伝えると長老へと向き直る。そろそろ行かなければならない。道のりは長い。
「我々はそろそろ行きます」
「…どうか道中お気をつけください。今回は誠にありがとうございました」
「…長老」
「はい?」
「もし子供が安全に暮らせる場所が必要なら、レイクビューはいつだって皆さんを受け入れますよ」
「…いや、しかしそれは…」
突然の申し出に困惑気味の長老にショウは笑顔を向ける。ガランの言うことに一理あった。今、レイクビューには十分な程の資源と武力がある。野生の魔獣も滅多なことでは近づかない安全な場所になっていることは確かだ。誰彼構わず仲間に引き入れる気はないがリーシャの件や猿賢人の子供を大切にする様子を見ていると迎え入れても問題はないように見えた。当然、ただの慈善事業のつもりはない。猿賢人の文化や技術が役に立つだろうとという組織の長としての計算もショウにはあった。特に魔獣を調教して馬のように騎乗する業は欲しかった。それが可能になればニンデ村やカーマード砦との交流や農業にも役立つだろう。
だが、やはりそれ以上に助けてあげたいと思う気持ちが強かった。リーシャが誘拐されたとき、ショウは人間の警察機構が彼女が亜人ゆえに動かない可能性があるとファングやミゼルに聞いていた。大きな勢力の庇護下にいないものは他の勢力の下では無力だ。ゆえに、侮られ、ゆえに奪われる。リーシャの件はその最たる例だろう。人間の支配領域で亜人の彼女は軽く扱われた。もし彼女が人間であったならそうはならなかった筈だ。だからこそレイクビューのように居場所のない者たちが集まって、協力する必要がある。それが唯一巨大な勢力に抵抗する手段だ。それを与えられる機会があって、必要としている相手がいるというのにどうして無視できるだろうか。
「勿論、無理にとは言いません。だがもし俺たちの元に来る気があるなら――――」
ショウはスキル『眷属召喚』をつかって小さな蝙蝠の影を生み出す。大きな狼の影を五体生み出している都合上、それが限界だった。だが、十分でもある。
「――――この蝙蝠と一緒にレイクビューに来てください。こいつを見せれば仲間が理解するでしょう。場所はトランが知ってます」
「どうして…そこまで」
そう長老に問われ少し考え込むショウ。理由は一つじゃなかったし、何を伝えればいいか迷ったためだ。数秒後に的確な答えを見つけたショウは口を開く。
「夢のためです」
「夢…」
ゴブジイの夢。彼から受け継いだ自分の夢。それが、ショウにとって何よりの行動理由だった。
「あのっ…!」
荷台へと乗り込んだショウに、トランが駆け寄る。両手でおずおずと彼に差し出しているのはリーシャが投げ捨てた彼女の冒険者の認識札だ。
「いいのか…?」
「持って行ってください。…リーシャにトランがありがとうって言ってたって…」
「必ず伝える。任せとけ」
そう言って笑うと、ショウはトランから認識札を受け取った。銀で出来たソレは少年の熱をもって少し熱い。ショウが眷属に命令をだすと荷車はゆっくりと動き出した。懐にしまった認識札は同じ素材のはずなのに自分のモノより少し重く感じた。




