第90話 旅の支度
人は圧倒的な脅威を前にした時、余りに無力である。到底太刀打ち出来ない強者と対峙した弱者のできる唯一のことは、ただ恐怖で身体を震わせるのみ。猿賢人の少年、トランはそれを身を以て実感していた。
長方形のテーブルの上座の対面の席に座らされたトランの視界には―言葉を選ばなければ―化け物たちが席についているのが映っていた。彼から最も近い、右側の席に座るのは獣の荒々しさを何とか人型に納めたような獅子の亜人。鋭く大きな爪、口を開ければキラリと光る牙、肉食獣の鋭い眼光、野性味あふれる鬣。今にもとって喰われてしまいそうな迫力がある。その一つ奥の席に座るのはその獅子の亜人よりも大きな、まるで巨人のような体格の緑色の肌をもつ亜人。筋肉の隆起は留まることを知らず、組まれた腕と膨らんだ胸は今にもはちきれんばかりである。唯一瞳だけはどこか優しい光をもっているように見受けられるが、厳つい肉体との落差のあまり、むしろ不気味な印象をうける。その対面に座るのはゴブリンに似て非なる、二本の角をたくわえた赤肌の亜人。獅子の亜人や巨人の亜人程ではないが長身で、スラリと伸びた手足や引き締まった筋肉はまるで彼を一振りの剣のように見せている。迂闊に触れれば斬られてしまいそうな危うさを醸し出す彼と、なるべく目を合わさないようにトランは努めた。そして、テーブルについた最後の一人。トランの対面、この場で最も位の高い、いわゆる長が座るべき上座に腰を据えているのは、トランがこの場所で目覚めて初めて会話をした人間のような見た目の人間ではない人。ショウと名乗る正体不明の人物だ。正直、彼からは他の三人のような迫力や危うさを感じない。一番話しやすそうで、親しみやすそうな印象を受ける。どうして他の三人を差し置いて彼がこの場を仕切る立場にいるのか、トランにはいまいち理解し難かった。もしかしたら猿賢人のように最年長が仕切る方針で、見た目以上にショウは歳をとっているのかも知れない。
「さて、トラン。さっきは怖がらせてしまってすまなかった。君の口からどうして君がリーシャの認識札を持っているか說明してほしいんだ。お願いできるかな?」
「あ、はい…」
森で気を失い目覚めたこの場所で、先程ショウに全く同じ質問をされたトランは―今は感じないが―彼の迫力に圧され「拾いました!」としか言えなかった。そうして何だかんだ落ち着く時間や簡単な食事を貰った後で、この部屋に通され、目の前の化け物たちの前でまた同じ質問を聞かれている。ごくりと自分に聞こえるほど大きく音を立てて唾を飲み込むと、トランはゆっくりと口を開いて説明を始めた。リーシャが森で迷っていたところを猿賢人たちが保護したこと。彼女は自分たちと留まり数日過ごしたこと。弓を教えてくれたこと。優しく励ましてくれたこと。オルグというエルフに連れられて行ってしまったこと。その時の表情があまりに悲しそうだったこと。ゆっくり、しどろもどろになりながらの彼の説明にショウたちは無言でただただ耳を傾ける。やがて説明が終わるとショウは立ち上がり、トランに近づく。
「ありがとう」
「えっ…あっ…」
短く一言。トランにお礼を言うとショウはそのまま部屋を後にした。続いて赤肌、緑肌、獣の亜人が彼の後を追って出ていった。残されたトランは一人、先程のショウの言葉を脳内で反芻していた。『ありがとう』。この短い一言は無謀ともいえるトランの非計画的で子供じみたリーシャの仲間探しを、六日間に及ぶ森でのあの孤軍奮闘の時間を肯定してくれた。自分でもなにかの役に立てた。そう感じることが出来て、人知れず感動していた。
『君が、何の役にも立たないなんてことは絶対にないよ』
そう言ってくれた人のために何か出来たこと。その事実がトランの身体を震わせていた。
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トランから経緯を聞いたショウはすぐに情報をレイクビュー全体で共有した。リーシャは生きている。それを聞いた彼女と関わりのない獅子人、そして羊執人を除く全員が皆一様に喜びを顕にした。特に事前にショウのスキル、『眷属召喚』を使った連絡法によって帰還していた彼女と最も関わりの深い、捜索で西を探っていたゴブリン戦士隊、弓の四番隊は一層喜んでいた。普段冷静な隊長インエも今回ばかりは喜色満面の顔だ。
「エルフ…となるとやはり行き先はエルフの国ですかの」
ショウの予想通り真っ先に口を開いたのは老ゴブリンのガンだった。物知りの彼の言葉に皆の注目が集まる。
「ああ、俺もそう思う。場所わかるか、ガン?」
「正確な場所までは…しかし山の向こうなのは確かでしょうな」
トールデン山脈を越えた先には亜人の国がある。風のうわさで聞いていたもののショウは正確な位置までは知らなかった。そしてそれは物知りのガンも同じらしい。
「向かうつもりですかの?」
「当然」
一切の迷いなくそう言って頷くショウに、カカッとガンは笑った。彼の後ろでリードやガードも頷いている。ガランは欠伸をしている。
「ふむ…一つ、老婆心ながら大長に問いたい。リーシャはエルフに連れられて猿賢人の住処から去った、そうですね?エルフに連れ去られたわけではないですじゃろ?」
「ああ、そう聞いた」
「なら…もしエルフの国に帰ることがリーシャの本意であり、大長に迎えに来られるのが迷惑だったらどうしますかの?」
考えたこともなかった、という空気が場を包んだ。あの笑顔で明るく楽しそうにレイクビューで過ごしていたリーシャが、本当はずっとエルフの国に帰りたがっていたなんて、信じ難かったからだ。ガンの静かな問いに少し考える素振りを見せて、ショウは口を開いた。
「それなら別にそれでいいよ。リーシャが居たい方に居ればいい。ただ俺は直接リーシャに聞かないと納得できないし、もしレイクビューに帰りたいのに帰れない状況にいるなら――――」
一旦言葉を切って、ショウは周囲をぐるりと見渡すと口角を上げた。
「――――俺たちが助けてあげないと、だろ?」
――――――オオオオッ!
ゴブリンを中心に歓声が上がる。リードは静かに笑みを浮かべ、ガードは強く頷いた。
「よしっ、すぐに準備に取り掛かってくれ!エルフの国に向かうのは俺とリードとガード。人数分の旅用の服と食料と――――」
「おいおい待て待て王よ!我を置いていくつもりか?」
「ガラン…えっお前も来るの?」
「当然」
「やめろ俺の真似するな。…でもお前リーシャと会ったことすらないだろ?」
「ない!が、行く」
否定することなくハッキリとそう言い切るガラン。さすがは元王様といったところだろうか。思い切りがある。
「うーんそっかー…」
顎に手をやりショウは悩む。彼の頭にあった当初の計画では、ガランに残ってもらいレイクビューの警備にあてるつもりだった。鍛えられたゴブリンに加え獅子人までいる今のレイクビューに喧嘩を売るような輩はそうそう居ないと踏んでいるが万が一もある。リードやガードといった特記戦力がレイクビューから離れる為に、一応保険として同じく特記戦力であるガランを置いておきたかったのが本音だった。
「我はここにいてもやることがない」
「住居建設の手伝いがありますよ、父さん」
横槍を入れてきた息子ジェドに牙をむいて黙らせると、ガランはショウに向き直り笑顔を作った。
「それに、エルフ?とかいうやつらと争うかもしれんのだろう?」
ガランの言葉にハッとして目の色を変えるショウ。当然その選択肢はエルフの国にリーシャを迎えに行くと決めた時点で頭にあった。しかし改めて言われると、何というか現実味を帯びてくるものだ。
「戦いなら、我が必要だろう?」
獰猛な笑みを浮かべるガランにショウも思わず口角を上げた。闘争心の塊のような目の前の男の存在は、思わず頼りたくなる程大きく見えた。
「ああ、そうだな…」
ガランは両腕を上げてガッツポーズをして、反対にジェドは下を向いてため息を吐いた。
「予定変更!エルフの国に行くのは俺、リード、ガード、そしてガラン!ゴブリン女衆はオヴェスたちと協力して旅用の装備の制作を、ガンたちは緊急治療用の薬を頼む。他の皆は手伝いが必要なところに手を貸してやってくれ!獅子人の皆には悪いけどこっちを最優先で!以上」
「「「おうっ!」」」
大きく気前のいい返事をして、レイクビューの面々は動き出した。目指すのはまだ見ぬエルフの国。この世界に来てから最大の冒険の気配に、ショウは密かに興奮していた。




